第3話 そして、また
美咲の心臓は跳ね上がった。
だが、叫び出そうとする前に鬼堂に口を塞がれ、後ろ手に、動きを封じられる。
「騒ぐな。腕を折るぞ」
鬼堂が耳元で囁く。この男は本気だろう、と美咲は思った。何せ十年前、理々亜を学校から連れ去ったのはこの男なのだから。
「お前、僕の車をじっと見てただろう? 何を知ってる?」
鬼堂の足元にあったゴミ袋がふいに倒れて、中身が飛び出した。それを見て鬼堂が驚きの声をあげる。
「げっ。何だこれ」
拘束が緩んだその隙に、美咲はサマージャケットの内ポケットからスタンガンを取り出すと、ためらわず鬼堂に向けた。
「ぎゃっ」
鬼堂が感電してよろけたところで股間を思いっきり蹴り上げた。
「ちょ、ちょっと待っ……」
「静かにして下さい、ユーちゃん先生。このアパート、壁薄いんですから」
美咲は唇に人差し指を当てて、しぃーっ、のポーズをとった。スタンガンを鬼堂に向けるのも忘れずに。
その堂々たる態度と、少しの躊躇も示さない美咲の真っすぐな目を見て、鬼堂は何かを悟った顔をした。美咲から自分と同じものを感じ取ったのだ。
「これ……何? ウサギ?」
鬼堂がこぼれたゴミ袋の中身を見て言う。ウサギのように見えるが、あまり原型をとどめていない。
「ああ、一人暮らしって寂しいかな、と思って飼ったんですけど、最近ムカつくこと多くて、ボコボコにしちゃったんですよ。ええと、一昨日、だったかな」
平然と美咲は言い放った。そして、
「やっぱり理々亜ちゃんは、ユーちゃん先生があの後、殺しちゃったんですか?」
と、痺れて座り込む鬼堂に問うた。
鬼堂はさっきまでの殺気はどこへやら、情けない顔つきで苦笑しながら答えた。
「殺してないよ。この十年間、僕の家でずっと飼ってた。今日死んじゃったけど」
「ええ? そうなんだー。その処理のために今日学校欠勤したんですね。死ぬ前に理々亜に会いたかったなあ。どんな風になってるんだろ」
「動画、見る?」
「見る見るー」
気がつけば美咲と鬼堂は並んでスマートフォンの動画を見ていた。
動画の内容が例えようがないほど趣味の悪いものであることを除けば、和やかな雰囲気と言えた。
「私、理々亜のことが邪魔だったんです」
動画が一区切りついたところで、美咲はとなりの鬼堂に種明かしをするように言った。もう鬼堂に脅威を感じてはいない。美咲と鬼堂の間には「めぐり合えた」ともいうべき奇妙な同族の一体感が生まれていた。
「だって、それまでは私がクラスの中心だったのに。男子はみんな私の言いなりだったのに。そうしたら夏休みのあの日、ユーちゃんが理々亜を連れ去ってくれて、私、ラッキーって思っちゃいました」
理々亜の提案でかくれんぼをしたあの日。鬼である美咲は職員の駐車場で見てしまったのだ。車のトランクにだらりとした理々亜を押し込む鬼堂の姿を。
理々亜の顔は思い出せないが、真っ白いワンピースが所々汚れ、裂けていて、ざまあみろと思ったのを美咲は鮮明に覚えている。鬼堂には心から感謝した。邪魔者を消してくれてありがとう――。もちろん、美咲はこのことを誰にも報告しなかった。クラスの中心は再び美咲に戻った。
「昨日の夜、ユーちゃん先生と二人でいるところを、クラスの井原って女子に見られちゃったんです。どうやら学校に忘れ物を取りにきたみたいで。ユーちゃん、会いませんでした?」
動画を堪能した美咲だったが、興味はもう失せていた。
「僕は昨日、君を車でこっそりつけてたんだよ。家を知るためにね。鍵は君がうたた寝しているあいだに拝借して、型をとった」
「そうだったんだ、ユーちゃんすごーい! ところでユーちゃん、理々亜が死んじゃって、代わりが欲しくないですか? その井原って女子なんですけど。黒髪の美人ですよ」
「知ってる。チェックしてるからね。理々亜のときも一目会ったときから手に入れようって決めてて、教育実習が終わった後も、ずっと機会をうかがってたんだ」
「執念深いんですね」
「だって、欲しいんだから、しょうがないじゃないか」
鬼堂は子どものように笑った。
「まあ、それもそうですよねー」
美咲は鬼堂の行動原理に共感したわけではないが、今後のために賛同しておいた。
それよりも井原だ。あの忌々しい小娘。最初から、気に食わなかった。真面目ぶって、クラスを仕切り、美咲の授業中でも些細なことで質問し、揚げ足をとってくる。井原のせいで授業が思うように進まず、美咲のイライラは募り、仕事が捗らず職員室に居残る羽目になり、ウサギは中身の飛び出た
しかも井原は鬼堂に憧れていたようで、ますます美咲を敵視してくるようになった。クラス中の女子を巻き込んで美咲を攻撃してくるつもりだ。
ませたガキ。邪魔なガキ。目障りだ。
「また、かくれんぼの最中に、やっちゃいましょうよ、鬼堂先生。そうしたら十年くらい、楽しめますよ」
一刻も早く排除したい。理々亜と同じように。
「恐ろしい女だな、君は。待て待て、二回目となると色々……」
「私が協力しますって」
言葉とは裏腹に鬼堂の声は弾んでいた。その目はキラキラしている。ちょっと可愛いと思えなくもないか。
使えそうだな。
そんな風に美咲は思った。
古いアパートの一室で、狂った二人が笑い合い、乾杯し、夜が明ける――。
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