第2話 十年前のかくれんぼ
「もういいかい」
「まーだだよ」
「もういいかい」
「もういいよ」
探しに行かなきゃ。みんなどこに隠れたんだろう。
それにしても暑いなあ。日に焼けちゃう。もう一人の鬼に任せてテキトーに探すふりするかあ。
え? あれは、何? 何してるの? あの人は……。
「小山先生、大丈夫ですか」
聞き心地の良い滑らかな声に起こされた。美咲が顔を上げると心配そうな顔つきの鬼堂がいた。
どうやら職員室でうたた寝してしまったようだ。
「一人で突っ伏してるから死んじゃってるんじゃないかと思ったよ」
職員室には美咲と鬼堂の二人だけだった。もう、外は暗い。
「いやだ、私ったら、つい。もうこんな時間……」
美咲が教壇に立って、二週間が経とうとしていた。児童たちは、もうすぐ夏休みを迎えようとしている。
伸びをして、頭を振る美咲に向かって、自分のデスクの書類を整えながら鬼堂が言った。
「みんなの元気の良さに疲れちゃった? 子供は疲れ知らずだし、小六ともなると中々口達者だしね」
「面白そうに言わないで下さいよ、意地悪ですね」
「あはは、ごめんごめん。じゃあ、僕らで最後ですから帰りましょうか」
暗い廊下に、二人の足音だけが響く。職員室は一階なので、すぐに職員用玄関にたどり着いた。玄関の蛍光灯がちかちかと点滅をくり返している。
「死にたいのに死にきれないみたいだね」
蛍光灯を見上げながら、何気なく鬼堂が言ったのにぎょっとした。
「すごいたとえですね、じゃあ、死なせてあげましょう」
美咲は玄関の照明を切った。そして二人並んで職員玄関を出て、二枚のドアにそれぞれ鍵をかける。
「死なせてあげましょう……か、小山先生もなかなかですよ」
車のキーをスラックスのポケットから取り出しながら鬼堂は微笑んだ。
鬼堂の発言にあんな風に答えてしまうなんて、私疲れてるんだ、と美咲は思った。
と、そのとき。車の陰に、誰かがいたような気がした。
髪の長い……女の子? 遠くてよく分からない。
「僕の車だ」
「あ、鬼堂先生にも見えましたか」
「うん。誰だろう? こんな時間に」
(この学校、夏になると、出るんだよ。女の子のオバケ。外国人の)
まさかね、と美咲は思う。
「僕、ちょっと見回ってから帰ります。見間違いかもしれないけど、念のため。小山先生はバスの時間があるから、どうぞお先に帰って下さい」
「すみません、じゃあ、遠慮なく」
バスの時間がもうすぐなのは本当だった。
美咲はちらと彼の車を見てから、鬼堂に会釈して、別れた。十年前とは違う車だった。
次の日。
教室に入るなり美咲は目を丸くした。黒板にチョークで、自分と鬼堂の相合傘が大きく書かれていたのだ。あっちこっちで下手くそな口笛が飛び交った。
「先生、夜の校舎で鬼堂先生と二人っきりだったんだって~?
「二人っきりで何してたの~?」
「あやしい~」
お調子者の立川を筆頭に、男児が口々に騒ぎ出す。井原と言う女児は廊下側の席で、前の席の友達と何やらひそひそと話している。井原は前髪を切り揃えた長い黒髪をしていた。
見られていたのか、あのとき車の陰にいたのは井原さんだったのか。
美咲は心の中で舌打ちした。
厄介なことになったな。
あんな時間に井原さんは何で学校にいたんだろう。鬼堂先生は彼女を見つけられなかったんだろうか。当の鬼堂は今日欠勤で、詳細を聞くことは出来ない。朝の会議では軽い夏風邪を引いたと言っていた。
美咲は黒板を素早く消すと「静かに!」とぴしゃり言い放ち、児童たちに向き直った。
「朝の会を始めます」
(ねえ、かくれんぼしない?)
(ええ? 小六にもなって、子どもっぽくない? 理々亜ちゃん)
(なんだよ小山、たまにはいいじゃん、な、みんな)
(鬼決めよう、じゃーんけん)
(鬼は、美咲ちゃんと
(もう、しょうがないなあ。教室内はなしだからね、校庭だけだからね)
(オッケー)
美咲はバスの振動で目を覚ました。窓の外は暗い。今日も遅くなってしまった。
鬼堂に再会してから、十年前の夢をよく見る。そりゃあそうだ、と美咲は思う。あんな衝撃的なことがあったんだから。
十年前。鬼堂の教育実習は五月いっぱいで終わり、彼は大学へ戻って行った。多くの生徒が別れを惜しんで泣いた。特に女子は。美咲は当時何とも思わなかったが、彼に淡い恋心を抱いていた女子は多かったはずだ。理々亜ちゃんはどうだっただろう。ドイツ人とのハーフの、とっても可憐な転入生。
教育実習生の鬼堂との思い出も薄れたころ、夏休みに入った。
夏休み中でも学校は解放されていたので、美咲たち仲の良いクラスの面々は小学校の校庭に何気なくよく集まった。その日はいつもより本当に蒸し暑かった。理々亜ちゃんは真っ白いノースリーブのワンピースを着ていた。彼女は肌が陶器のように白かったから、全身真っ白だ、と思ったのを美咲は覚えている。そして、理々亜ちゃんは何気なく言ったのだ。ねえ、かくれんぼしない? と。
集まったはいいものの、何をして遊ぶか特に決めておらず、手持ち無沙汰になっていたところだったから、本当に思い付きで彼女は提案したのだ。
そして、かくれんぼの最中、理々亜ちゃんは行方不明になった。
みんなで必死に探したけれど、学校のどこにもいなかった。
美咲は真っ暗な窓の外を見る。疲れた顔の自分の横に、青い目の、柔らかな髪をした少女が浮かぶ。
理々亜ちゃん、どんな顔だったっけ。
さすがに十年前のことで思い出せない。
理々亜ちゃん、本当に幽霊になってしまったんだろうか。美咲はその手の話を信じる質ではなかったけれど、もしあの後……殺されていたとすれば、無念で幽霊になってもおかしくないと思った。
「まさかね」
美咲はふっと笑みを浮かべた。
バスを降りて五分ほど歩くと、一人暮らしのアパートにたどり着く。築三十年の古いアパート。その二階の一番奥が美咲の部屋だった。
部屋に入って、明かりをつけると目の前に鬼堂が立っていた。
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