Another.4 作戦成功・・・?

 部屋に備え付けの冷蔵庫から、チェックインの時に売店で買っておいた日本酒と冷やしておいた備え付けのガラスコップを取り出す。

 窓際にある机に日本酒のビンとコップを置き、籐椅子に座る。座り心地自体は最新のオフィスチェアやゲーミングチェアの方がいいのかもしれないが、この腰にフィットする感覚は籐椅子ならではだと思う。

 それに加え、どこか懐かしさを覚える匂いが、体だけでなく心まで椅子の上に沈みこませる。非常に落ち着くのだ。

 ほうっと息を吐き、しばし目をつぶって心地よい香りを堪能する。

 ゆっくりと目を開き、おもむろに視線を酒瓶へと移し、いざと言わんばかりに手を伸ばす。切れ目の入った蓋がちぎれていく音もまた気持ちがいい。瓶の口から蓋をどけると、日本酒の芳醇な香りが鼻をくすぐる。かな、善き哉。

 コップを瓶の口に近づけ、中の液体を注いでいく。とっくとっくという振動が、早く飲みたいという欲を掻き立てる。いい塩梅まで注いだら瓶を離し、再び蓋をして机の上へと静かに置く。

 あとはコップを口まで運んで飲むだけだ。

 さぁどんな味がするだろうと傾けようとしたところで、横から声が飛んできた。


「瓶ビールを三本空けてよく飲めるな」


 声の主はもちろん、運動嫌いの作家先生。運動だけでなく、酒まで不調法なようだ。


「たったの5%しかないアルコールを1.5ℓ飲んだところで酔えはしないんだよ」

「お前の肝臓どうなってんの」

「ザル?」

「ブラックホールの間違いだろ」


 ブラックホールよろしく消えてくれればトイレに立つことも二日酔いになることもない。そうなってくれたらどんなにいいか、と酒飲みの完成では言いたくなるが、一瓶ひとびんで顔が真っ赤に染まった史優しゅうからすれば、倍以上飲んでいるおれの肝臓は、同じ人間の内臓だと思えないのだろう。

 こちらに毒づいた後は、苦しそうに息を吐きながら畳に敷かれた布団の上で天井を仰いでいた。

 飲めないなら無理に付き合わなくていいとは言ったのだが、多少は飲めるとのことで、量もペースも本人に任せていたら、あっという間に500mlの瓶を一本空けていた。大丈夫かと心配したら、誰かさんのせいでストレスが溜まっているんだ、と嫌味を言われた。

 おれの目には、風呂も料理も堪能しているように見えた。仮に一日がけの山歩きでストレスがたまっていたとしても、それで清算できると思っていたおれの考えは甘かったのだろうか。 それに、道中の要所要所ではそれなりに感動しているようにも見えた。その感動でストレスが和らぐ、ということもなかったのか。

 酒が回っているのか、ガラにもなくややセンチになっている。


「なぁ、今日どうだった?」


 香り高い日本酒で唇を湿らせながら尋ねてみた。


「あ?」

「一日山に登ってみて」

「地獄だった」

「言うと思ったよ」

「でも……来てよかったとは思ってるよ」


 想像だにしなかった返事に、危うくコップを落としそうになった。


「意外だな。二度と来たくない、っていうかと思った。」

「そりゃ、体は動かしたくはないさ」

「だよな」

「過酷な環境へ引きずっていくくらいならワープできる技術の一つでも考えてほしいくらいだよ」

「無茶言うなよ」

「やって見なきゃわからんだろ」

「やれないから言ってんだよ」

「所詮、勝也も人の子か」

「人の子だよ。なんだと思ってんだよ」

「体力オバケ」

「努力の結果ですぅ」

「はいはい」

「なんでおれの方が変なこと言ったみたいな雰囲気なんだよ。酔ってるのか?」

「酔ってなけりゃ、素直に来てよかったなんて言うわけないだろ」

「ああ……。ま、そりゃそうか」

「だからまぁ、ありがとな。楽しかったよ」


 求めていたはずのリアクションなのに、頑固で負けず嫌いなところのある史優にそういわれると、いささか気恥ずかしいものがある。顔は相変わらず、腕を乗せた状態で天井を仰いでいる史優。コイツ自身も、改まって礼を言う、ということに羞恥心を覚えているのかもしれない。

 顔の赤さが酒のせいなのか恥ずかしさのせいなのか分からないのは口惜しいところではあるが、いまは素直に受け取っておこう。


「どういたしまして」


 日本酒を呷って気を静める。変な空気は一度断ち切っておかねばなるまい。


「今度は隣の島根の山にでも行くか?」


 史優の返事は、左手を振って“あっち行け”のジェスチャー。「一人で行ってくれ」という事だろう。

 根っからのインドア人間は連れ出してもすぐに引きこもるという事か。まぁ、ハナからすぐにアウトドア趣味に理解を示してもらおうとは思っていない。むしろ、今回のことで余計に外出を嫌がるようになるかもしれない、という懸念もあったので、こうして楽しかったと言わしめたのなら、俺の作戦は多少なりとも成功した、ということでいいのかもしれないな。

 空になったコップに、再度日本酒を注ぐ。

 キャップを閉め終わったところで、おもむろに史優がこちらを向いた。腕はやや持ち上げ、影から目がこちらを見据えている。酔いが回って据わっている分、若干の不気味さがある。


「あんま飲みすぎるなよ」

「え、史優ちゃん優しいッ」

「俺は免許を持っていない」

「つまり?」

「俺を無事に帰らせてくれ」

「お前ってそういう奴だったよ……」


 運転手なのだから二日酔いになってくれるなよ、ということだ。言うことを言った史優は、さっさと布団にもぐってしまった。どこまでもブレない。

 ヒナちゃんがいれば、こいつももう少し丸くなっていたりするのだろうか。

 ミノムシになった史優を眺めてため息をつき、窓の外に視線を移す。月明りはないが、星の数は相当ある。普段の生活圏も街灯が少なくて見えやすいが、こうした渓流沿いのホテルの一室ともなれば、優雅に座って晩酌しながら、蒼空を埋め尽くさんばかりの星が望める。

 これは嬉しい誤算だ。

 ここまで頑張ってきた自分へのご褒美として、日本酒の香りと一緒に楽しむことにしよう。

 二日酔いの懸念もあるので、史優の忠告を抜きにしても飲み過ぎには注意を払っているが、今持っているコップの中の酒に、もう一杯、追加しても罰は当たらないだろう。

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