7. 転ばぬ先に

 ミノコシたおから寂地山頂へ向けて山道を歩くこと一時間。自生地沿いに歩いているからか、尾根おね*(*山の頂上と頂上を結ぶように伸びる、高くなっている部分。脊梁せきりょう稜線りょうせんともいう。)に乗ってからはカタクリの薄紫色の花を見ることが多くなっている。

 少し見頃から外れている時期なのか、自生という環境が作用しているからなのかは分からないが、想像していたよりも花同士の間隔が広く、芝桜のようなカーペット状の花の群れは見られなかった。山の上へ行けば、そうした景色が見られることを期待していただけに少し落胆する。

 そう思い始めていた矢先に、やや前方に鮮やかな色彩の花の群れが見える。期待していた通りの群生。たおやかで、儚く見えるカタクリの花も、あれだけ集まると見事というほかない。

 写真を撮りたいから止まってくれ、と頼もうとするより早く、勝也が立ち止まる。

 過去の取材経験が活きているのか、こちらが何か言うよりも早く止まってくれるとはさすがだ。だが、写真を撮るには少し距離があるので、もう少し近づきたい。そう言おうとすると、おもむろに勝也がこちらを振り返る。その表情には、これまでとは対照的に深刻な様子が浮かんでいた。


「どうしたんだ?」

史優しゅう、これを見てくれ」


 促された先には、登山用のステッキが二本。×印バツじるしを書くように交差した状態で置かれていた。ちょうど俺がカタクリの群生を撮影したいと思っていたスポット、ドンピシャの場所である。


「ステッキ……?」

「ああ、しかもご丁寧に印付けするみたいに置かれてる」


 勝也の口調がやや芝居がかっている。刑事か探偵の真似事でもしているのだろうか。


「忘れ物か?」

「それはないだろう」

「なんで?」

「よく見たまえ、史優くん」


 クサい言い回しに芝居がかった動き。深刻な表情だったから何事かと心配してみれば、そういうことか。慣れない登山に疲労がたまっている。はっきり言って余裕なんて皆目ないこのタイミングで、下らない三文芝居に付き合わされるというのか。一人で勝手にやっていろと置き去りにしたいが、残念なことに道が分からない。業腹ごうはらではあるものの、こうなっては仕方がない。勝也の納得するまで付き合うことにする。


「いいか。このステッキには、手首に掛けるストラップがついている」

「そうだな」

「つまり、ストラップをつけている限り、置き忘れや手を離したすきに落ちてしまうということはない」

「そのストラップを着けること自体を忘れたんじゃないのか?」

「山歩きをしようって時にそんなことをするやつはいないだろう。それに、ストラップを掛けて置けば、ステッキから手を放してスマートホンやカメラを操作できる」


 ここまでくれば、なにをいいたいのか大体の想像がつく。大きくため息を吐いた。


「……つまり?」

「ステッキを手放して操作しても、ストラップを引くことですぐにステッキは手元に戻る。外す必要はないという事だ。そして、ここは休憩スポットにはなりえない」


 それは登山に慣れているお前の感覚だろう、と言いかけたが、これほど自信満々にしゃべっているのだ。もう少しこのまま放置しておこう。どうせ恥ずかしい思いをするのは勝也一人だ。ここはとことんまで突き進んでもらおう。


「そう。つまり、ステッキの持ち主は、これを置くことで誰かにメッセージを伝えたかったんだ!」

「わぁすごい。E判定だ、勝也」

「棒読みの上に評価が低い!」

「そりゃそうだろう。それによく見ろよ」


 勝也をステッキがある場所へさらに近づけさせ、指をさしながら一つ一つ説明していく。


「ここに一回重さがかかってから、横へスライドするような跡がついている。ステッキを地面につき、先端部分を横へずらして置かれたと推測できる」

「そうだな」

「で、上に重なった方はやや転がってストラップ部分がストッパーになって止まっている。まぁこの跡を見れば分かるよな?」

「あ……うん……」


 これは見落としていたな。


「加えて、ステッキの近くに膝をついたような跡があるよな。しゃがんで写真か動画を撮ろうとしたときに、ストラップを付けたままだと邪魔だから外したんだろう。これで、ストラップを外す奴がいない、というお前の主張は簡単に崩れる」

「あ……」

「仮にメッセージなら、もっとわかりやすくするだろうし、何かに巻き込まれて必死に残したのだとしたら、この置かれ方は落ち着いてる。可能性は低いが、写真に夢中で忘れていったと考えるのが妥当じゃないか?」


 そこまで言うと勝也は目に見えて落ち込んでいた。犬や猫なら、耳が垂れている幻覚が見えそうだ。推理に反駁はんばくされたことになのか、自分よりも離れた場所からこのことに俺が気づいたことにショックを受けたのかは分からないが、三文芝居の代金には調度いいだろう。

 とりあえず、分かりやすい場所に立てかけて置けば、持ち主が後々気付いて取りに戻って来るだろう。

 転がったステッキを持って立ち上がると、前方から60代くらいの夫婦が歩いてきた。前を歩く旦那さんはステッキをついているが、後ろを歩く奥さんの方はステッキを持っておらず、旦那さんのザックの紐をつかんでいる。このステッキの持ち主だろうかと思い、ステッキを持ち上げると、二人の表情が明るくなった。

 早速、持ち主である奥さんの方にステッキを返還する。

 こちらがくまでなく、夫婦の方からステッキを忘れた経緯を話してくれた。

 俺が推測した通り、写真を撮り、夫婦で話をしながら先に進んでいったことでステッキのことを失念したそうだ。10分くらい歩いた時に違和感を覚え、そこで気が付いて取りに戻ってきた、とのことだった。

 ふたたび頂上へ向かってゆく夫婦を見送り、勝也に意見を求める。


「どうだった?」

「作家先生におかれましては、物語を執筆されているということもあり、素晴らしいご慧眼であったかと存じます」

「卑屈になりかたがジェットコースター過ぎないか」

「だって恥ずかしいじゃん!しかも史優の方は当たってるし」


 はぁぁ、とうめき声を上げながらしゃがみ込んでいる。よほど自信があったらしい。その分、恥ずかしさも大きい、といったところか。


「“転ばぬ先の杖”とはいうけれど、杖がもとで転ぶ思いをすることになるとはなぁ……」

「転ばぬ先に、勝手に転ぶエセ探偵」

「やめろよ」


 そういって顔をそむける勝也。こいつとも長い付き合いではあるが、あまり弱みらしい弱みを見せたことがなかった。弱みと思ってからかってみても、本人がそうした気色を見せないから暖簾のれんに腕押し、といった具合だったが、なかなかどうして、これは楽しい。

 基本は気のいい奴ではあるのだが、からかう時は容赦がないから辟易へきえきする部分もあった。しかし、こんな感情になるなら、勝也が俺をからかうのもわかる気がする。

 悪いが今は、存分に楽しませてもらおう。

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