Another.3 そういう事なの?

 ザックの重さに引っ張られ、尻もちをつくだけでは足りず、体まで地面に倒れこむ。体重をのせて突き飛ばされたわけではなくて助かった。わき腹を小突かれただけだったので緩慢な動きでの転倒になり、カタクリの自生地へ入らずに済んだ。

 まったく史優しゅうのやつめ。図星を突かれたからって手刀で小突かなくてもいいだろうに。筋肉がないわけではないが、筋トレをしっかりと行っているわけではない。柔らかいわき腹へめり込んだ指先は、力のわりに痛かった。

 わき腹をさすりながら深呼吸を一回。これから10kgのザックを担いだまま立ち上がらなくてはならない。一度肩紐を外して身軽になってから立ち上がったほうが楽なのだろうが、一度外して立ち上がって担ぎ直す、という工程が面倒だった。

 ザックを背中に引き寄せ、ぐいっと上半身を起こす。座った姿勢になったら、亀のようにザックを背中へ乗せ、ザックと並行関係にある場所へ重心を置き、上半身がぶれないようにゆっくりと立ち上がる。現役山岳部の頃よりも軽い重量とはいえ、重いものであることに変わりはない。担いだまま立ち上がるのは、それなりに負荷がかかる。

 立ち上がってからもう一度深く息を吸い、大きく吐きだしてから、服についた砂や泥を払う。

 史優の方を見ると、何事もないかのようにカタクリの花をスマートホンのカメラで撮っていた。もちろん、撮影に熱中しているわけではない。ごまかすために、あえてこちらから視線を外すための行動だろう。

 からかいがいがあるのでつい意地の悪いことを言いたくなるが、もう一度手刀を食らうのはごめんだ。大人しく話を変えることにする。


「どうだ、いい写真は撮れたか?」

「まぁまぁだな」

「まぁまぁかよ」

「写真の腕に自信はないからな」


 そう言ってあごで花を示す。お前も撮れ、と言う事なのだろう。肝心な時に言葉の足りないやつだ。


「はいはい、おれも撮りますよ」

「写真の腕は間違いなくお前の方が上だからな」


 タイミングが遅い。


「そういうの、撮ってくれの一言ひとことと一緒に言えないかね」

「デリカシーがないからな」

「開き直るんじゃないよ!」


 まったく、と独りちながら角度を変えつつ写真を撮っていく。正面から2

~3枚、側面からまた2~3枚といった形だ。

 カタクリの花は、ピンクと紫色の中間のような薄紫色をしており、下向きに花が咲くのが特徴だ。図鑑で読んだ情報だと、種子が芽吹いてから7~8年経過してようやく開花する。春先に花が開き、3月中旬頃~5月初旬あたりまでが見頃だ。

 花が開いてからの期間は短く、2週間ほどで末枯すがれてしまう。正確には、実を結ぶと花は茎もろとも枯れてしまうらしい。その後はまた、芽が出るまでの時間を地下で過ごす。

 いまこうして見ている花も7~8年という長い時間を経て開花したものだと思うと感慨深い。

 花言葉は、下を向いて開花するその様子がいじらしくみえることから、「初恋」。そして、じっと何かに耐えているさまにもとれることから「寂しさに耐える」、の2種類だったはずだ。

 史優も図鑑や資料を読み込んできたのだろう。引用した揶揄やゆに難なくついてきた上で腹を立てた。こういうところは素直にすごいと思う。あとはデリカシーや思いやりを持ってくれれば尚いいのだが……。

 とはいえ、小説のテーマが「初恋」であるということが図星というのには驚いた。

 おれが言えた義理ではないが、浮いた話なんて一つも聞かない人間だ。事実、つい最近までは恋愛の“れ”の字もないような人種だったというのに、まったく分からないものだ。


「ヒナちゃんもなんでこんな朴念仁ぼくねんじんがいいのかねぇ……」

「あぁ?」


 しまった。口に出ていたらしい。


「いやぁ、つい口が滑った」

「あまり蒸し返すなよ」

「デリカシーはなくても、羞恥心はあるんだねぇ」

「そのくらいはある」

「気遣いとかも、羞恥心程度には持ってほしいね」

「善処する」

「それはしないやつだなぁ……」


 そう言って会話を切り、再びカメラを花や周囲の景観に向ける。

 “ヒナちゃん”というのは、史優とおれの幼馴染の女の子で、史優の家の近くに住んでいる1歳下の女の子だ。もっとも、近所である史優とヒナちゃんの二人が元々の知り合いであり、おれは小学生の時に史優と知り合ってからそこに加わる形であった。

 彼女の本名は『日南原ひなばら 夕凪ゆうな』。史優はもっぱら“夕凪”と下の名前を呼んでいるが、おれが呼び捨てにするのは気が引けた。かといって、“夕凪ちゃん”と呼ぶのは語感が好きではなかったため、苗字からとって“ヒナちゃん”というあだ名で呼ばせてもらっている。

 実際、その呼び方にしていて正解だった。ヒナちゃんは長年の片思いを成就させ、めでたく史優と恋仲になったのだ。

 長い道のりであった。史優がヒナちゃんを異性として扱わないどころか、ぜんすら無視して通るのだからほとほと困った。何度も相談を受け、作戦を練り、援護射撃までしたというのに当の史優は知らんぷり。いや、この朴念仁は本当に気付いていないようなところがありそうだが、とにかくそうして苦労すること8年。ヒナちゃんが史優のことを好きであると自覚してから、その成就までは本当に長い道のりだった。

 お、そういえばしくもカタクリの花の開花までとの期間が一緒だね。まさかとは思うがそういう事なのかい作家先生。自分の人生を切り売りするなんてことは、プライドが高そうな君に出来るようには見えないけれど、そういう事だったりするのかい? 第1作もラブレターじみていたってことは、まさかの両片思いだったのかい? そんなティーンのような、でろっでろに甘い恋模様が君の中にあったのかい? おにいさん萌えちゃうなぁ。


「……もう一発食らっとくか?」


 顔に出ていたらしい。


「遠慮しておく」


 史優が指先をピンと伸ばした手刀の構えをとっていたので、一歩後ずさる。

 一通り写真を撮り終わったので、スマートホンをウエストポーチの中へとしまいこみ、史優へ進む合図を出して再び歩き出した。あとはまたしばらく頂上へ向けて景色を眺めながら歩く行程となる。

 史優のゴシップネタを早々に切り上げるのはもったいない。願わくばもっと詳しく問い詰めたいところではあったが、また照れ隠しに殴られたりしてもかなわない。これは下山した後の酒のさかなにとっておこう。

 大人しく取材業務を遂行すいこうしつつ、道中はまた、とりとめのない雑談に興じることにした。

 頂上まで、残り1時間30分。死にそうな顔をしていた割には元気そうだし、この調子ならば大丈夫だろう。

 そんなことを考えながら、ハイキングのような軽い気持ちで、晴れた春の尾根の上を歩いていくのだった。

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