Another.2 苦楽をともに

 急登きゅうとうの途中で立ち止まり、ウエストポーチからスマホを出して写真を撮る。

 高校生の頃、所属していた山岳部の活動で何度か来たことはある。その時はかなり長い距離を歩くスケジュールであり、*読図(*地図をみて内容を読みとり、現在地などの情報を読みとること。)のテストも兼ねていたため、地形は見ても景色を楽しむ余裕はなかった。歩くペースも今より速く歩かねばならなかったため、部員全員が吐きそうな顔をしていた記憶が、いまでも鮮明に浮かぶ。

 写真や動画を撮るためにゆっくり歩いてみると、なるほど、吐きそうになってもおかしくない傾斜である。これはさすがに申し訳ないことをしたかと、後ろを振り返る。

 見えなくなるほど離れないようにペースを調節しているとはいえ、後ろをついてくる史優しゅうの姿はやや遠い。そして離れたところからでもその息の荒さが伝わりそうなほど、疲弊して項垂うなだれた姿勢をとっている。両手は対応する膝の上に置かれ、自力で足を上げているのだか手で持ち上げて動かしているのだか分からない。ゾンビでももう少しマシな動きをするぞと思ってしまうほど、その姿はいたたまれなかった。

 よし、あとでからかうためにここはひとつ記録に残しておこう。資料になるかと思って、という白々しい言い訳を用意してからスマホを史優に向け、カメラのモードを動画にして録画を開始する。

 画面のスタートボタンをタッチすると、ピッという録画開始の音が鳴る。それが聞こえたのか、史優が足を止めてこちらを見上げる。おや、止まってしまってはせっかくの資料が台無しではございませんか、作家先生よ。

 肩で息をしている様子がありありと分かり、肩の上下に合わせて口がパクパク動く。


『フ・ザ・ケ・ル・ナ』


 うーむ。スマホを構えた姿だけで揶揄やゆに使おうというおれの意図がバレてしまうとは、さすがは竹馬の友というべきか。それとも単に職業柄、人の感情の機微にさといのか。……いや、ないな。ない。

 もしもコイツが人の機微に聡ければ、こういった強行手段に踏み切らせまいとねぎらいの言葉の十や二十は言っていたはずだ。

 史優の書いた小説を読んだことがあるが、コイツのどこにそんな頭があるのかと疑問に思うほど、多種多様な人間を描き、その心情描写は素人しろうと目には見事というほかない内容だった。しかし、現実は無情なるかな。彼は金さえ払えばいいという考えから、幼馴染の心中はまなかったのであった。

 その結果がいまの状況だ。はたから見れば滑稽こっけい極まりないであろう。実際、今の彼の姿はコメディとしては完璧だ。コントにも使えそうなほど見事に疲れ果てた人間の役をこなしている。

 そう言ってからかってやりたいところだが、あまり言い過ぎるとへそを曲げて勝手に来た道を戻りそうなので、下山した時までとっておく。幸い、動画を撮り始めてから史優が立ち止まるまで、4~5歩くらいの動作は撮れている。後で見返す分には十分な量だ。


「がんばれ~。いま150メートルは上がってきてるから、残り半分だぞ~」 


 スマホをウエストポーチにしまいながら声をかける。史優は立ち止まったまま相変わらずこちらをにらんでいる。短時間では息が整わないのだろう。肩を上下させ、その動きに合わせながら再び口をパクパクさせる。


『コ・ロ・ス・キ・カ』


 声が聞こえないので、口の形から推測するしかないが、現状と史優の性格をかんがみれば、おおよその意味はそんなところだろう。

 それはおれに言っても仕方がないことだ。山に急な坂があるのは当然で、場所によっては今のような急登にだってなる。山の上に建てられたお寺に参拝するときは急な階段を上らなくてはならないし、自然に文句を言ったところで地形は変わらない。そこは諦めてもらうほかない。

 しかし、訓練をしていた山岳部をもってしてもペースによっては死に目に会っていた登りであることは間違いない。同情の余地はある。


「ゆっくりでもいいから登ってきな!休憩以外で止まると、かえってしんどいぞ」


 そう言ってやると、史優の口元がゆがむ。おそらく舌打ちしたな。

 気持ちは分かる。しかし、体力的につらくて息苦しくなってきたときは、かえって無心で歩き続けてる方がまだ楽なのだ。それが登りの途中であればなおさらだ。止まってしまえば、また動き出すのに体力を使う。自転車で坂道を上るときの感覚に近い。自転車よりは小回りが利くものの、一歩を踏み出すのが階段だと、疲れた体にはしんどいものだ。なので、登りは登りきるまでなるべく歩き続け、休憩は平坦な道か下り坂に変わってからがいい。

 幸い、史優にはおれというナビがあり、先行役がいる。道を確認しなくても前の人間についていきさえすれば、とりあえず目的地には着けるのだ。初心者を連れてきた玄人くろうとの責務でもあるが、そのくらいなら喜んでする。

 辛くとも、登り切った先には心地いいものがあるとおれは知っている。史優がそれをいいものだと感じられるかどうかは分からないが、損はしないと信じている。

 だからこそ、連れ出したという面もある。

 辛きを耐え、苦しさを乗り越えて歩ききった先に後悔はないと思うが、さて、史優は山頂でどう感じるだろうか。全行程を終えて下山した時にどう変わるだろうか。そんな期待を抱きながら、後ろを見る。

 “こんなところ、来るんじゃなかった”と言わんばかりにゆがんだ顔をした史優。

 想像通りの表情ではあったが、あまりにも想像通りに過ぎて、思わず苦笑いが漏れた。

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