Another.1 山へ行こう!ver.勝也

 俺には小説家の友人がいる。名前は水槻史優みなづきしゅう。ペンネームは皆月修みなづきしゅう。本名の字を変えてそのままペンネームにしているらしい。

 理由を聞いたところ、本名だと読みづらく、とっつきにくいからと分かりやすいものにしたそうだ。

 たしかに、“歴史”の“史”に、“優劣”の“優”で「史優しゅう」と読むとはだれも思わないだろう。漢字を書けない小学生低学年からの付き合いだったので読めないという経験はしなかったものの、学年が上がり、漢字を習っていく中で「史優」と書くと知ったときには少なからず衝撃を受けた。漢字の読み書きが堪能になってから初めて見たのだとしたら、「史優ふみまさ」と読んでいただろう。

 そんな史優しゅうの小説家デビューは5年前。大学生の頃にどこかのコンテストに応募したらビギナーズラックで大賞を受賞したところに端を発する。大賞受賞だけでもすごいのに、それに加えて受賞作の書籍化まで勝ち取ってしまった。

 世の中そんなにうまくいくこともあるのだろうかと懐疑的になったが、書店で「皆月修」の名前の入った本を見ては信じざるを得なかった。

 これで悠々自適な印税生活だなと茶化したが、史優は驚くほど冷静だった。曰く、「一作売れたからと言って次もそうとは限らない。ただの偶然、ただの幸運。そんなものにおごって溺れている場合じゃない」とのことだ。

 この時ばかりは本当に自分と同い年なのかと疑いたくなった。大賞を受賞した時にその賞金を受け取っているし、書籍化した本の売れ行きも好調だ。印税の割合が高くなかったとしても、大学生の身の上には過ぎた金額が懐へ転がり込んでいるはずだ。おれならば絶対に散財している。具体的には、高校時代の部活の延長ですっかり趣味になった登山の用具一式を買い替えるだろう。車も中古の軽自動車から新車へ。キャンピングカー……はさすがに金額がオーバーするので無理だろうが。

 それでも、史優は執筆に使うパソコンをノート型のものからデスクトップタイプに変え、少し大きいモニターと周辺用具を買いそろえただけで、使った金額は収入の1~2割ほど。残りはすべて貯金に回していた。

 住まいは実家のままで大学もそこから通える距離の公立であったから金がかからないのかもしれないが、それでも尊敬に値する無欲さだ。

 一作目が書籍化されると、史優は息つく間もなく喫茶店や図書館へ通うようになっていた。生来の出不精で、学生時代、遊びに誘っても家からはあまり出ようとしなかった史優が、だ。運動はからっきしで、家から離れた商業施設には行こうともしない史優でも、自転車を走らせて図書館や喫茶店に出入りすることがあるのかと不思議だった。もしやそこに全神経を注いでいるからこそ、運動が全くできず、また僅かな外出すらいとうようになったのではと思うほどの熱量だった。

 それから月日が流れ、3年前のある日。おれは大学の夏休みを利用して1カ月半に及び、北アルプスの山小屋で住み込みのバイトをしていた。そのバイトが終わり、地元へ戻ると、岐阜県で買ったお土産を渡そうと史優に連絡をした。チャットアプリでの連絡だが、執筆中かどうかの如何いかんを問わず、返信どころか既読がつくのにも数日かかる史優から、珍しく5分と待たないうちに返事が来た。


『ちょうど良かった。俺もお前に相談したいことがある。常識の範囲内の時間ならいつでも家にいるから、来る日時が決まったら連絡をくれ』


 思わず口が開いた。返事の速さもだが、こんな内容を送ってくるなんて珍しい。そもそも、史優がおれに相談してくることなんて小学生の頃から一度もなかった。そんな史優がおれに相談したいとは一体どうしたというのだろう。

 小説の執筆に行き詰まり、猫の手も借りたいとばかりに素人しろうとのおれに相談しようというのだろうか。もしそうならば、史優には悪いがおれはほとんど力になることができない。なにせ子供の頃から作文というものが苦手だったのだ。読書感想文は言うに及ばず、学校行事の感想作文すら居残りして書いていたくらいだ。我ながら、よくいま大学生をやれているなと自画自賛せずにはいられない。

 嫌な妄想は尽きず、それに比例して不安が波のように押し寄せてくる。そうはいっても、まずは話を聞いてみないとどうにもならない。

 買ってきたお土産と後ろ向きな気持ちを抱えて史優の家を訪れると、果たして史優の相談したいこととは、おれに小説の舞台となる場所や題材に関する事柄への取材をしてほしいという事だった。しかも、経費はすべて史優持ち。かつ、日当も出すという。

 要約すれば、向こうの要求に応じさえすれば、他人の金で旅行ができるようなものだ。自分が考えていたような、荷が勝ちすぎる案件出なかったことに胸をなでおろす。

 おれは子どもの頃から外で遊ぶことが好きで、知らない場所に行くと不安よりも先に好奇心があふれるような人間だ。高校時代は山岳部に所属し、登山という主目的はあれ、日本各地に行くことの楽しさと山の魅力にのみ込まれた。車の免許をとり、より行動の自由が利くようになってからは旅行というものがさらに好きになった。そんなおれにとって、今回の史優の申し出は、頼みこそすれ断る理由などないものだった。

 しかし、ひとつだけ気がかりなことがある。

 おれひとり美味しい思いをするのはなんとなく後ろめたい。出不精である史優は拒むかもしれないが、それでもせっかく日本各地の名所を巡ることができる機会なのだ。運動が苦手であろうと、飛行機や電車などの交通機関、他にもレンタカーで車を手配すればバス停や駅から歩かずとも最寄りの駐車場から身動きは取れる。自分の体を使って動くのは最小限に抑えられるはずだ。

 そう思い、確認のために聞いてみた。


「取材として各地に行って、それで金がもらえるならオレは嬉しいけど、いいのか?」

「何が?」

「だってさ、せっかく金があってあちこち行けるんだろ?史優も一緒じゃなくていいのかなって」


 だが、返答はこちらの想像通り“ノー”だった。体をあまり動かさない場所もあるだろうと言ったが、ほんの少しでも歩くのは嫌だ、と拒否の言葉が返ってくるだけだった。これにはさすがに呆れてしまう。友よ、それくらいは歩け。

 とはいえ、学生時代から体育系イベントがあればそれだけでこの世の終わりのような顔をしていた人間だ。本人も、生まれつきのインドアであることを自称している。どれだけ旅の楽しさを口でこうとも、これ以上は徒労に終わるだけだ。

 それに、旅費を史優が出し、指示通りの取材をこなすだけで金が入るのならこんなに楽なこともない。大学に通いながらだから、授業のない日か週末など動ける日は限られるが、今までのようなコンビニや飲食のバイトよりかははるかにマシに見える。

 スケジュールに制約があるが、それでも構わないなら、ということで提案を受けた。

 こうして、おれは小説家の取材代行業を請け負うことになった。

 はじめのうちはとても楽しかった。チャットアプリで史優から言って欲しい場所や、聞き込みに入って欲しい店舗など、いろいろと指示はあったがそれでも観光を楽しむ余裕もあった。しかし、この代行業が年月を重ねるにつれ、徐々に指示が細かく、多くなってきた。次第に観光を楽しむ余裕はなくなっていき、つらいと思うことも増えてきた。

 代行業が響いたわけではないが、おれの就活はうまくいかず、大学卒業後はフリーターになった。一人暮らしに憧れのあったおれは、実家を出て日雇いの仕事などをするようになったが、史優の手伝いは続いていた。

 大学時代は長期休暇や連休のたびに、フリーターになってからはことあるごとに日本各地を訪れていたため、しばらく旅行は遠慮したいという気分になっていた。しかし、フリーターなら時間はあるだろうと、アイツの要求はさらに増え、家に戻っても三日と空けず次の場所へ向かう日々が続いていた。くやしいことに、日雇いで稼いだ給料よりも史優から貰う金額の方が多い。おれの生活費をアイツが払っているようなものだ。

 フリーターになってから半年たつ頃には、もう史優の言いなりになっていた方が金になると悟り、日雇いの仕事を辞めて取材代行業に専念するようになった。それでも、仕事だからとすべてを割り切ることはできず、史優への不満は徐々に蓄積していった。

 この写真じゃ分からない、もう少し詳しく聞いてほしい、あの裏路地の先には何があった。ネットの地図と店が違うが、新しくできた店だったか。

 こんな具合に、本人が来ていれば一瞬でかたがつくような連絡が後を絶たない。それならと思い、あまり歩かないような観光地に向かう時は、一緒に来ないか、と誘ってみたが、“嫌だ”のひと言しか返ってこなかった。それでも諦めずに何度か声をかけてみたが、結局“No”が“Yes”になることはなかった。

 金をもらっている以上、これは仕事だからと割り切るべきなのだろうが、人間関係というのは複雑で、雇い主が赤の他人ではなく友人だと、仕事内容や待遇がどうこうよりも心情をおもんぱかって欲しいと思うようになるようだ。

 ドライな人間であることは昔から知っているが、やつの辞書には「気遣い」という言葉がないのか。これだけ動いている人間が、金だけもらえれば他は何も感じないとでも思っているのか。

 そんな気持ちが沸々ふつふつとわいてくる。

 おれが一体どういう心情なのか、その身を以て味わってもらいたい。そう思っていた矢先、史優からチャットが届いた。


『カタクリの花を題材にしたい。岩国市の寂地山じゃくちさんに行ってくれるか』


 寂地山。たしか山口県最高峰の山で、高校時代、部活で何度か登った記憶がある。そういえば、山域にはカタクリの花の自生地があって、4月~5月頃が開花のさかりになるんだったか。ルートによってはそれほど体力的には辛くないし、今回はテントはいらないだろう。そこまで考えて、一つ思いついた。

 どうせなら史優を連れて行こう。

 日常的に運動をしていないとはいえ、装備をしっかりして、ペース配分に気を付ければ素人でも登れる山だ。それに今回は登山経験が豊富なおれもついている。ここは、取材の大変さと奴の指示出しの理不尽さを、身を以て苦労を味わってもらおうじゃないか。

 そこからのおれの行動は速かった。史優のためのザックと携行品、登山用の服と靴。まともな登山靴は高価なため、ハイキングシューズを購入。たしか昔聞いた靴のサイズが26.5cmとか言ってたからそれをもとに買っておくか。足に合わない靴は怪我の元だが、靴底が薄いコンバースよりかは幾分マシだろう。これについてはフィットすることを祈るばかりだ。

 それから忘れてはいけないのが下調べだ。自分一人が行く場合でも、これを怠れば命取りになることは多々ある。初心者を連れていくならば尚更なおさらだ。

 ネットで「国土地理院」を検索して、寂地山周辺の地形図を出力する。山歩きをする際、地図記号と等高線の表示のある地図は必須だ。登山用のハンディGPSがあればベストなのだろうが、地図が読めれば不要だろう、と金を出し惜しみして買わないままにしてしまっている。

 それから車でアクセスする場合の道の検索も忘れずにしておく。いざとなれば車のナビがあるが、事前に調べて置けばタイムロスは少なく済む。

 ネットを開いたついでに、どんな山だったかを調べる。これは、実際に登った人のブログや画像検索になってしまうが、久しぶりに花の見ごろの寂地山を見ると、純粋に楽しく登っていたころを思い出した。晴れた日は日差しが暑いと思うこともあるが、苦労して登った山の景色は感慨深い。

 そういえば、史優はこういった感情を知らずにいるんじゃないか。そんな考えが頭をよぎる。子供の頃から運動が嫌いで、中学生の時の宿泊学習で長距離を歩かされた時はひどいものだった。到着時刻に間に合わず、全員を集めての学年主任の挨拶が終わって宿舎に入って休んでいると、一時間遅れで宿舎に姿を現した。もう動きたくないと半泣きでつぶやいていた姿を今でも覚えている。

 そんな史優に、運動の……というよりも自然のいいところや、山を登り切った感慨を味わってもらうのには最適なのではないか。復讐と恩の押し売り。この二つを同時にできるまたとない機会ではないか。

 我ながらなかなかいいことを思いついたものだと、意図せず顔が緩んでしまう。

 あとは当日アイツの実家へ行って話を持ち出せば、家にいるであろう史優のお母さんが味方してくれるだろう。もしいなかったなら、無理やりにでも引きずっていく。車に乗せてしまえば、こちらのものだ。

 寂地山へ行く当日。史優の家に行くと、運がいいことに史優のお母さんが出迎えてくれた。これでおばさんが家にいることの確認は取れた。あとはこれ見よがしに聞こえるように運動した方がいいと持ち掛けてやれば連れ出せる。

 そんなおれの思惑通りに事は進み、そして今、史優は不機嫌な顔をして助手席に座っている。

 史優は恨みがましく文句を言うが、真面目に取り合わないようにする。いままで散々こき使われてきたのだから、このくらいはいいだろう。なにより、ケンカになってしまえば、史優を山に登らせるという今日の計画が水の泡だ。

 それに、険悪なままではついてきてくれないかもしれない。


「いいじゃん、たまにはさ」

「たまにでも出たくないんだよ、俺は」


 想像通りでブレない返答。


「山はいいぜ。爽やかで気持ちよくて、爽やかで」

「“爽やか”2回言ってるぞ」

「そのくらいいいところなんだよ」


 これはその通りだ。数えきれない要求の嵐に嫌気がさしていたが、基本的に山はいいところだ。知識と技術が必要で、時として牙をむくこともあるが、それでも山頂へ至ったときの感動、道中の景色。天候によって顔を変える山肌。そのどれもが言葉では表現しつくせない魅力を内包している。


「そうだとしても、見るだけでいい」

「そこにしかない空気ってのがあるんだよ」

「知ってる」


 嘘だ。知っていれば行きたくなる。だから連れてきたのだ。


「でも、お前は体験してないだろ」

「お前が見聞きしてるから十分なんだよ」

「作家先生とは思えないね」

「なにがだ?」

「“経験は知識に勝る”って言うだろ?」


 おや。これはおれ、良いこと言ったんじゃない?


「それが?」


 刺さらない。インドア派という言葉の代名詞ともいうべきこの男にはこの名言が刺さらないか。少し皮肉を言ってみる。


「いい本を書きたいなら、作家先生自身で物事を経験すべきだと思うね」

「“想像力は世界を覆う”とも言うが?」

「経験あっての想像力だ。それこそ枝葉が伸びるように、幹があってこそ想像力は広がるもんだと思うけどね」


 おれの中にこんな名言回路があったとは。これは良い。某動画サイトで特集されてもいいレベルの名言だと思う。これなら心に響くだろうと期待を込めて横目で窺ったが、便利屋扱いされて終わった。

 たぶんコイツは運動したくない、という考えにステータスの全てが振られていて、それを避けるためだけに生きているのだろう。そんな人間に何をいってもいうだけ無駄だろう。

 なにはともあれ、行けば価値観が変わる。そう信じて一言だけ、確実に相手の中に浸透するように大切に言う。


「山に行こうぜ、史優」

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