2. 山へ行こう!

 運動が苦手で、体を動かすことすら嫌いな俺が、なぜ山に登っているのかといえば、原因はすべて目の前で楽しそうに笑う友人、須佐すさ 勝也しょうやにある。

 いや、何割かは俺にあるのかもしれないが、それでも互いに了承の上での条件だった筈だ。それなのに、それに不満を持って今回のような暴挙に出るとは、夢にも思っていなかった。

 俺の職業は小説家なのだが、事の始まりは現在23歳の俺が大学1年の頃、つまり5年前までさかのぼる。


*   *   *   *   *


 5年前、俺は出版社で応募しているコンテストに小説を投稿し、運がいいことに大賞に選ばれた。作品はトントン拍子に書籍化され、書店に並んだ。その時は日ごろ感情が激しく動くことのない俺でも、嬉しさに顔がほころび、書店で自分の本を手に取ったときは、その手が震えたことを覚えている。

 それから少し時間をおいて、次の作品を書こう、という段になって、よりリアリティを出すために取材をしようと考えた。

 だが困ったことに、アイディアはあるが物語の舞台となる場所が悪い。

 電車や飛行機、バスを使っていける観光地や、図書館や書店で買ってきた本に書かれている情報でまかなえる場所なら自分でも取材、調査ができる。しかし、自分で車を運転していかなければならないような田舎や、自力で歩かなければならない山奥には行けない。行けなくはないのだろうが、行きたくない。もっと言えば動きたくない。

 どうしたものかと悩んでいるところに、小学生からの友人である勝也しょうやから連絡がきた。山小屋でのバイトが終わって地元に帰ってきており、お土産を渡しに行きたいが都合はどうだ、という内容だった。

 勝也は小学生のころから外で遊ぶのが好きだった。夏休みには川や海、山に出かけては、釣りや虫捕りなどをしていた。勝也が釣ってきた魚をもらって食べた回数は数えきれないくらいだ。

 中学時代は金がかからなさそうという理由で陸上部に入り、長距離走をやっていたが、高校に上がると打って変わって多大に金のかかる山岳部に入部した。金がかかるはずなのになぜ入ったのかと理由を聞くと、色んな都道府県に行ける、温泉に入れる、定期的にバーベキューも催すような部活なのだ、と喜色満面に語っていた。

 山岳部の練習メニューは、聞くだけで吐き気がするほど過酷なことをしていたそうだが、勝也は特に不満はなかったようだ。それどころか合宿などから帰ってくると、お土産とともに楽しそうに行った先での様々な話を語ってくれた。

 俺には理解できないような、根っからのアウトドア人間であった。

 そんな勝也から連絡がきたとき、これだ、と思いついた。俺の代わりに勝也に取材に出かけてもらおう。写真や音声をとってきてもらい、場合によっては現地の人から話を聞いてもらおう。我ながらいいアイディアだと思った。

 幸い、実家暮らしで本を書いたり読んだりする以外には大した趣味もない大学生の俺には、バイトで稼いだ金をほとんど使うことなく、大賞を受賞した時の賞金も手つかずのまま残っている。

 タダで動かすのはさすがに良心が痛むが、給料を支払って仕事として行ってもらえば問題ないだろう。旅費もこちらで負担すれば文句は出ないはずだ。

 早速、自宅へやってきた勝也にその話をした。


「取材として各地に行って、それで金がもらえるならオレは嬉しいけど、いいのか?」

「何が?」


 旅行、アウトドア大好き人間の勝也のことだから、多少考える時間があっても二つ返事で了承しそうだ思っていたが、意外なことに、勝也は少し申し訳なさそうにしていた。


「だってさ、せっかく金があってあちこち行けるんだろ?史優しゅうも一緒じゃなくていいのかなって」


 どうやら俺を気遣っていたようだ。楽しいことなのに自分一人で、しかも金まで発生して行くのは忍びない、ということなのだろう。だが無用な気遣いだ。


「俺が運動嫌いなの知ってるだろ」

「そりゃそうだけど……。ホラ、たとえばさ。遠隔地でも、遺跡とか商店街とか寺社仏閣とか。体をあまり動かさない場所もあるわけだろ」

「歩くじゃん」

「ちょっとだろ」

「神社でも場所によっちゃ山道みたいなところはあるだろ」

「そこまで嫌いか」

「根っからのインドア派だからな」


 そう、俺は学校の体育が苦痛で仕方なかったタイプの人間なのだ。体力テストは地獄だったし、全員参加の球技大会だのは率先して動かずに済みそうなポジションに立候補。人数が余れば、俺をベンチにと自薦したくらいだ。まぁ、そういうイベントはみんな勝ちたいから俺の提案が拒否されることはなかったので助かったが。

 そんな中、宿泊学習という名の長距離ピクニックは本気で死ぬかと思った。40kmほどの道のりを学年全員で一斉に歩かされ、宿泊施設まで行く悪魔のイベントだ。仮病を使って背後から追いかけてくるバスに回収してもらおうと思ったが、なぜそんなときだけ察しがいいのか、教員に仮病を看破され、到着予定時刻から1時間遅れてでも歩き切らされた。帰宅後3日間筋肉痛に悩まされたことは言うまでもない。


「たしかに史優は運動イベントのたびにこの世の終わりみたいな顔してたもんな」


 俺の懐古かいこを読んでか読まずか、勝也は懐かしそうに言う。


「そうだ。まぁそういう事だから、俺のことは気にしなくていい」

「運動不足とか大丈夫なの?」

「バイトしてるから平気」

「データ入力だろ!?警備員やスーパーとかならまだしも……」

「バイト先まで行ってる」

「それは運動っていうほど運動じゃないだろ……」

「俺にとっては重労働だ」

「あー…わかったわかった」


 お手上げと言わんばかりに、勝也は頭を抱えながら投げやりに言う。


「じゃあお言葉に甘えて行ってきますよ、取材」

「楽しむだけじゃなくちゃんと調べてきてくれると助かる」

「わかってるって。お金を出してもらってるからな」


 そう言って勝也に取材を受けてもらったのが3年前のこと。勝也のおかげで2作目も無事に書きあがり、書籍となって流通にのった。ありがたいことに、その作品も好評でそれなりの額が懐に入り、勝也への給料もつつがなく払い続けることができた。

 大学を卒業してからはより執筆に時間を割けるようになり、取材を依頼する頻度も増えていた。

 カタクリという花をメインテーマにして本を書こうと考えた俺は、山口県岩国市にある寂地山じゃくちさんにその自生地があると知ったので、そこへ取材に行ってほしいと依頼した。

 寂地山は山口県最高峰であることや、ルート開拓の歴史、他にも山域を流れている渓流など、カタクリの花以外にも面白そうな情報が多数あったのでそれも含めて見てきてほしいと頼んだのだ。

 チャットアプリで依頼の旨を送ったところ、勝也から「今回もお前は行かないのか?」とかれた。ここ半年、勝也に依頼をする度に言われるようになった質問だ。当然、俺の回答は“ノー”だ。

 駐車場や駅からすぐ近くの博物館などならいざ知らず、最近勝也に依頼しているのは今回みたいに体力を必要とする登山ばかりだ。俺にそんなことができるはずがない。

 しかし、何故勝也はこんなことを言ってくるのだろうか。取材の依頼をしてから2年間は何も言ってこなかったし、むしろ楽しんであちこち行っていた。俺の主観だからかもしれないが、少なくとも嫌がる素振そぶりは見られなかった。それが、何故、急に“史優は行かないのか”と訊くようになったのか。

 一人で行くのが寂しくなったのだろうか。いや、恐らくそれはないだろう。子供の時こそ危ないからと勝也の親がついていっていたが、中学・高校の時は、一人で勝手に釣りに行っていたし、なにより大学時代の勝也のバイトだ。住み込みで働く山小屋のバイトを見つけては、気付くと山に行っていて、2か月後に何もなかったかのような顔で、帰ってきたと土産を持ってうちに来る。

 そうなると、俺を連れ出したいのだろうか。何のために?

 依頼をするときに俺の運動不足を懸念していたが、俺の運動嫌いはアイツもよく知ってるし、3年も経ってからやっぱり連れ出そうとするものだろうか。

 ただの思い過ごしだろうとその考えを振り払った。勝也からは、いついつに現地に行くことにした、とチャットが届いた。現場で見てほしいもの、写真にとって欲しいものがあるので、依頼した時には取材に行く日取りを知らせてほしいと言ってあった。実際、現地に行って初めて見るものもあるため、勝也からオンタイムでこれはどうするかと相談がくれば、それも頼むと追加の要望が出せる。初回から変わることなく、ずっとこのやり方でやってきていた。

 例に漏れず、今回もその型にはまったやり取りだったため、特に気にしてはいなかった。

 しかし、取材当日、いきなり勝也が家に訪ねてきた。なんでも、1週間考えた末、今回は俺も一緒に連れて行った方がいいと思ったのだという。


史優しゅうさ、最近外に出てないでしょ」


 失敬な。出てるさ。買い物や調べもがあればその都度ちゃんと外に出ている。

 ……3日に1度くらいだが。


「たまには外に出て汗流した方がいいって」


 そう言って勝也は俺を連れ出そうとした。

 しかし、俺には登山用具なんてないし、もちろん運動に適した服も靴も持ち合わせていない。それを理由に断ったが、そこは小学生以来の友人。俺の靴のサイズも服のサイズもなんとなくの感覚で購入して準備しているという。気持ちの悪いことに、ピッタリとサイズが合っているのだ。

 それでも山になんて行きたくない俺はかたくなに拒否していたのだが、話が聞こえていた母が出てきて、いい機会だから外に出て来いと追い出された。運動は苦手だ、何かあったらどうすると必死に抵抗したが、たまには運動しないと体に毒だし、勝也くんが一緒なら大丈夫でしょ、とあれよあれよという間に勝也の車の中へ突っ込まれて現地へ向かう羽目はめになった。


「やってくれたな」

「なにが?」

「親に聞こえるようにしてただろ」

「バレた?」

「家まで来て今回の話をしたんだ。見当はつく」

「あっちゃ~」


 しくじったみたいな言い方をするが、その実、悪いことをしたといった風情ふぜいはまったくない。こちらが指摘した通り、計算の内だったのだろう。

 飄然ひょうぜんとしている勝也とは対照的に、俺はこれ以上ないくらい不機嫌になっていた。ブスッとしている、という表現の時はこんな心情なのだなと冷静なところで分析していた。

 助手席に座らされた俺は、頬杖をついて流れる景色を見るともなくぼうっと眺めていた。勝也は運転をしながらのんきに口を開いた。


「いいじゃん、たまにはさ」

「たまにでも出たくないんだよ、俺は」

「山はいいぜ。爽やかで気持ちよくて、爽やかで」

「“爽やか”2回言ってるぞ」

「そのくらいいいところなんだよ」

「そうだとしても、見るだけでいい」

「そこにしかない空気ってのがあるんだよ」

「知ってる」

「でも、お前は体験してないだろ」

「お前が見聞きしてるから十分なんだよ」

「作家先生とは思えないね」

「なにがだ?」

「“経験は知識に勝る”って言うだろ?」

「それが?」

「いい本を書きたいなら、作家先生自身で物事を経験すべきだと思うね」

「“想像力は世界を覆う”とも言うが?」

「経験あっての想像力だ。それこそ枝葉が伸びるように、幹があってこそ想像力は広がるもんだと思うけどね」

「だから勝也がいるんじゃないのか」

「便利屋みたいに言うなよ」

「給料は払ってるだろ」


 すっかり雇い主様だねぇ、と勝也は少しすねたようにつぶやいた。実際雇い主ではあるだろう、とは思ったが黙っておいた。


「俺が提供できるのは情報だけ。自然の中っていうのは情報化できないからね」


 反論しようかと思ったが、勝也の性格はのらりくらりとした暖簾のれんのようなものだ。腕押しするだけ無駄である。

 俺には俺の、勝也には勝也の考えがある。俺は何よりも運動が嫌いで、死んでも出たくないほど嫌いなのだ。だが、勝也はそのままじゃ俺が狭い世界に閉じこもったままだと考え、実体験をもとにしろ、と言っている。少なくとも額面通りにとればそうなるだろう。


「まぁとにかくさ」


 ハンドルを握り、前方を見据えながらちらと視線をこちらへ流した勝也が言う。


「山に行こうぜ、史優」

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