第32話 199X年 10月 3/4

 当日香流に連れられて、T区の繁華街へと向かう。電気が消えたビルの前に男が立っていた。香流の顔を見ると、小型マイクで誰かに連絡をする。ビルの非常階段を上り三階に上がると、重そうな鉄扉が開かれた。


 薄暗い室内にスポットライトで照らされた緑色の台。20人はいるだろうか。外からは分からない熱気が、室内に渦巻いていた。



「こ、ここは……」


「闇カジノよ」


「や、闇カジノぉぉぉ!?」


「そう、ここでボーイ兼バーテンダーをやってちょうだい」


「闇カジノなんて……違法じゃないか!」


「あら? 別にバーテンなんだからいいじゃない? 何かあってもお咎めなしだし。それにこんないいバイト、他にはないわよ」



 確かにそれを言われると、返す言葉が見つからない。



「とりあえず、少しだけ働いてみたらどう? この店はもう三年もここで営業しているの。経営者も警察に顔が利く人だし、悪い事なんて何も起きないわよ」



 俺は考えた。

 今、作曲と編曲に使っている4トラックのカセットレコーダーを8トラックに買い替えたい。トラック数が多いほど、カセットテープに音を重ねて録音できるからだ。それに最新のシンセサイザーだって……2、3ヶ月働けば、買えるかもしれない。それに何より週四勤務は魅力的だ。音楽創作の時間だってたっぷり取れる。



「わかった。とりあえず頑張ってみる。ありがとう」


「……いいえ、どういたしまして」



 そう言った香流の顔は、スポットライトの照明の光に照らされて、よく見えなかった。



   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 今日は絵未と二週間ぶりの食事だ。ちょっと高級なレストランへと二人で入る。


「……ねえ武志くん。このお店、高そうだけど、大丈夫?」


「大丈夫大丈夫。ようやくいいバイトが見つかったんだ。時間も短いし、週四なんだ。それでカラオケ店より、給料いいんだよ」


「うん……それならいいんだけど、ヘンな仕事じゃあないよね?」



 俺は言葉に詰まりそうになりながらも、なんとか返答をした。



「う、うん。大丈夫だよ。普通のバーテンダーだから……」


「……わかった。武志くんがそう言うなら、私はもう聞かない。……音楽、頑張ってね」



 きっと絵未には俺のウソがバレているんだろう。元々絵未は鈍い方じゃないし、俺はウソをつくのが下手すぎる。



「さ! 今日は久しぶりに会えたんだから、一緒に楽しく食べましょう!」



 絵未が目の形を変え顔を綻ばせた。周りが鮮やかに色づいて見える。



「うん。そうだね。今日はゆっくり話しながら食べよ。そういえばさ俺たち、付き合ってから二週間も会わない事なんて初めてだったね」


「そうっ! そこ! 私……心配してたんだからね」



 絵未が口を尖らせた。



「ごめん。……でも三日に一度は、電話してたじゃん。心配するほどの事かなぁ?」


「男前の彼氏を持つと、気苦労が絶えないわけなのですよ。……わかんないよねー、武志くん。超天然な男前だから」


「それ……褒めてるの?」


「さぁ!? どっちでしょう。……そうそう、電話といえば昨日お母さんに怒られちゃった。『今月の電話代、いくらだと思ってるの!?』って。ちゃんとお家にもお金、入れているのにいーじゃんねー。お母さんのケチンボ」


「……ははは。今度からは俺の方から電話かけるのを多くするよ。給料も前よりいいし、音楽を創作する時間も増えた。完全に昼夜逆転の生活だから、こうして会うのは前より減るかもしれないけど、その分、たくさん電話する。約束するよ」


「……無理はしなくていいからね。やりたい事、今は頑張って欲しい。私はその次でいいからね」



 そう言って笑った絵未の顔には、憂いの表情が少しだけ浮かんでいた。

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