第7話 199X年 12月 2/3
23日の夕方4時頃、俺は勝己から教えられた集合場所———2号店の裏口に着く。だが、そこにいたのは絵未一人だけだった。
「ああ阿藤くん! よかった! 私一人だけかと思ったよ!」
俺と絵未はその後、何回か会話を交わして、「さん」から「くん」へと敬称が変わっていた。
「あれ? 島埼さん一人? 他にあと二人くらいいるって、かっちゃんから聞いてたけど……」
「それがね! 一人は彼氏から急な呼び出しでキャンセル、もう一人は風邪ひいて来られないんだって!」
「そっか……なら仕方ないね。じゃあ俺らだけで用意しないと」
「うん。私一人だったらどうしようかと思ってたから、阿藤くんが来てくれてホントよかった」
「そういえば俺、かっちゃんの部屋が店から近いことは聞いてるけど、場所分からないよ。島埼さん、行った事あるの?」
「うん、何回かあるよ。バイト同士集まってかっちゃんの家で飲んだりしているんだよ」
絵未は「こっちだよ」と手招きをしながら、道案内をしてくれる。
路地に入り何回か曲がると、目当てのワンルームマンションに辿り着いた。
「へえ……結構いいところに住んでるんだ」
「だってかっちゃんは週六でシフト入れてるんだもん。結構稼いでるよね」
絵未は鍵でドアを開け、小さな声で「お邪魔しまーす」と言いながら部屋に入る。
部屋には、折り紙や風船や星の飾り物などが置かれていた。
「もしかして……これを使って部屋をクリスマス風にデコレーションするの?」
「うん。全部かっちゃんが用意してくれたんだよ」
マジか。かっちゃん……もうちょっとマシな方法はなかったのか。
「さ、はじめよっか」
絵未は楽しそうに折り紙を細く切っていく。艶かしい細い指でハサミを操るその姿に見とれている俺に、絵未は眉根を寄せて「ん!」と言い、細い束を差し出してきた。
「ほら、見ているだけじゃ終わらないよ。私が切っていくから、阿藤くんはノリで輪っかにして繋げていって」
二十歳を過ぎた大人が、やることではない。これが2号店のノリなのか……。
だけど、いざやり始めてみると、意外と楽しい。輪っかを繋いでいくのにも配色を考えないと。同じ色だけだと連なった時、何とも味気ない。
「島埼さん、赤が足りない。それと次は緑を切って」
「……もう! 切るのだって大変なんだからね!」
絵未は頬を膨らませながら、笑いかけた。
俺たちは雑談をしながら輪っかを長く連ねていく。その長さの分だけ、お互いの情報を共有し合った。歳が同じ事や、住んでる場所、好きなアーティストetc。
尽きる事なく会話は続き、折り紙も残り半分に減ったところで、俺は一番聞きたい事に触れてみた。
「……ねえ島埼さんは……彼氏、いるんだよね?」
2号店では知らない人はいない情報だ。絵未は2号店から電車で一時間弱はかかるK市から通っている。絵未は基本早番と言っても、週末の忙しい時や欠員が出た場合、早〜中番と通して仕事をする時がある。その場合、仕事が終わるのは夜の10時だ。決まってその時は、地元の彼氏が車で迎えにくるらしい。
「……うん。いるっていうのが本当だけど、いろいろ迷っているんだよね、今」
「それ、どういう事? 俺でよかったら相談に乗るけど」
絵未は手を止めて「んー」っという顔で天井を見た。話すかどうか迷っている顔だろうか。
「私の彼氏がよく迎えに来るって話、聞いた事ある?」
「……うん。あるよ」
「付き合ってそろそろ三年になるんだけど、ちょっと最近束縛が激しいっていうか……今日だって『バイト休みなのに、なんでバイト先になんか行くんだ』なんて言われて、ちょっとケンカしちゃったしね……」
憂いを帯びた絵未の横顔は、完璧すぎる。見とれているのを悟られない様、俺は戯けた調子で話し出した。
「で、でもほら。ミスチルのあの歌にもあるじゃん。『三年目のジンクスなど、怖くはないけど〜♪』ってさ。それじゃないの? ちょっとそう思う時期なんだよ、きっと」
最新曲や流行りの歌に詳しくなるのはカラオケボックスで働いている利点の一つだ。何せ休憩中は空き部屋で食事を摂るし、カラオケは歌い放題。『今月の新曲』リストに掲載された曲を、片っぱしから歌いまくるのである。
「阿藤くん、桜井さんに似てそうで似てない! モノマネ微妙!」
俺は似てないミスチルのモノマネを口ずさみ、絵未を元気付けた。絵未はコロコロと笑ってくれた。
絵未は笑うと右頬に、小さなえくぼが出る。左右綺麗に整った顔立ちに浮かび上がる、柔らかなアクセントだ。
「……それに、女心についても微妙」
「……え?」
絵未が上目遣いで俺の目を見据えた。
「わからないかなぁ。わからないよねぇ。そうだよなぁ」
「ちょっと……何一人で疑問投げかけて納得しちゃってるの?」
「阿藤武志———噂ほどの女ったらしではないな? 君は」
戯けた顔で、絵未が顔を少しだけ寄せてきた。
え? そういう事? だって俺たち、そんなにまだ接点が……。
俺は少しだけがっかりした。この子もそういう類の女の子なのか……。
だけど、ここまで来て何もしないなんて、俺はそんなお人好しではない。
俺は絵未を抱き寄せると、ゆっくりと顔を近づけた。
「いいの? キス、するけど」
返答代わりに絵未が微笑む。
俺はゆっくりと唇を重ねた。ただ欲望を満たすだけのそれとは違い、唇から絵未の思考を読み取ろうと、確かめるように唇を合わせていく。時に離し、また吸い付いた。絵未の柔らかな唇の形を記憶する様に。やがて行為は激しさを増し、ゆっくりと舌で絵未の口内を
気がつくと、俺は絵未を押し倒し、覆い被さっていた。
ここまでくれば二十歳をちょっと過ぎただけの欲情は、そうそう抑え切れるものではない。
絵未のスカートに手を入れた瞬間、細い指がそれを止めた。
「……ダメ」
「……どうして?」
絵未の頬は上気して、すっかりピンク色に染まっている。
「だって……まだお互いにいるでしょう?」
さすが2号店ネットワーク。お見それしました。
俺は出向一週間で、2号店NO.2と呼び声の高い、
愛美は絵未とは対照的な、健康的で積極的な美女だった。歳も俺と同い年と言う事もあり、飲みに誘われ、その後は愛美のペースで部屋に招かれ男女の関係になってしまったのだ。
その後も二度ほど、愛美の部屋に泊まったりしたが彼女から「付き合う」という言葉は出ていない。元々俺は愛美と付き合うつもりもないし、そういうものかと思っていたが、それは大きな過ちで。
絵未から聞いた話しによると、愛美は俺の事を彼氏と吹聴しているらしい。
「うーん。俺の場合は、『彼女がいる』とはちょっと違うと思うけど……」
「でも、ちゃんとしないと」
「それをいうなら島埼さんはどうなの? 三年弱も付き合った彼氏がいるんでしょ? ……なのに、どうして俺なの?」
絵未は「うーん」と悪戯っぽく考え出した。考えている振りだけで、答えは出ているのだろう。言うか言わないか迷っている素振りだ。
「……聞きたい?」
「ぜひ。島埼さんとあまり接点がなかったからさ。心当たりがないもので」
「初めて厨房で阿藤くんを見た時、『ああ、この人だ』って思っちゃったの。なんでって言われても、私も理由はわからない。……でもね、初めて見た人をそう思ったのは、初めてなの」
絵未はそう言うと笑ってみせた。
……ああ、俺だけじゃなかったんだ。そう思ったのは。
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