第19話 交渉

 梅月さんが事情を説明すると電話の向こうのお母さんの怒る声が漏れ聞こえてきた。

 どうやら絶対にいまから帰らせろと言っているようだ。


 時刻は六時前。

 一人で帰らせるには遅すぎる。


 梅月さんが柚芽ちゃんに電話を渡すと、怒声は更に大きく響きだした。


「相当怒ってるみたいでして、すぐに帰らせろと。元々妹は親と折り合いが悪いんです」


 柚芽ちゃんを見ると涙目で反論していた。

 きっとお姉ちゃんを得体の知れない婚約者から守ろうと必死の思いでここまでやって来たのだろう。

 誰もその優しさに感謝しないのは可哀想だ。


「代わって」


 柚芽ちゃんに伝えると困った顔をする。


「でも」

「大丈夫だよ。僕からもお願いしてみるから」


 柚芽ちゃんは爆発物を扱うように恐る恐るスマホを手渡してくる。


「お久しぶりです。蒼馬です」

「あ、蒼馬さん。すいませんうちの娘が」


 梅月さんのお母さんと話すのは僕の誕生日のとき以来二回目だ。

 とはいえあの日はほとんど会話らしいものをしていないのではじめてといって差し支えないレベルだった。


「柚芽さんはすぐに帰ろうとしたのですが、僕が引き留めてしまいまして。こんな時間になってしまい、すいません」

「いえいえ! そもそも柚芽が勝手に押し掛けたのがいけないんですから」

「寂しくてお姉ちゃんに会いたかったんだと思います。叱らないであげてもらえたら嬉しいです」


 しきりに謝ってくるので僕も謝り返す。

 謝罪の応酬だ。

 お母さんは絶対に今すぐ帰らせるといって譲らない。

 どうしても帰るのならばうちの実家の運転手さんに送ってもらうと提案したところ、おばさんは恐縮してなんとかお泊まりを許してくれた。

 今日一日泊まり、明日には帰ってもらうことで折り合いがついたところで結芽ちゃんにスマホを返す。

 おばさんは小言を述べたあと電話を切ったようだ。


「今日一日は泊まっていいって。明日の朝一番で帰って来いって言われたけど」

「すいませんでした、蒼馬さん。柚芽もお礼を言いなさい」


 柚芽ちゃんは拗ねたように口を尖らせて僕を見る。


「なんで私を庇う嘘なんてついたの? あなたが私を引き留めたなんて……」

「嘘じゃないよ。柚芽ちゃんはお姉ちゃんを連れてすぐ帰るつもりだったんだ。それを僕が引き留めた。事実だろ?」


 にっこり笑いかけると柚芽ちゃんは恥じらうように顔を赤くする。


「……変な人」

「こら、柚芽」

「誉めてるの! 私は変な人が好きだから」

「そんな褒め方ないでしょ」

「いいんだよ、梅月さん。僕も変な人って言われるの嬉しいから。いつも平凡とか普通とか言われてるからね」


 なんとか丸く収まったが、時計を見て新たな問題に気付いた。


「わ、もう六時半だ。夕飯作らなきゃ!」

「そうでした! すぐ準備します」

「僕がするから梅月さんは柚芽ちゃんと話しでもしてて。途中まで肉じゃが作ってるんだ。まあ野菜切っただけだけど」

「お姉ちゃん、蒼馬さんに料理作らせてるの!? あり得ない!」

「違っ、いつもは私が作ってるの!」


 仕返しされた梅月さんはさっさとキッチンに逃げてしまう。

 やはり今夜も梅月さんが作るらしい。




 さすがに手慣れた梅月さんは、柚芽ちゃんを手伝わせてわずか三十分で料理を完成させていた。


「そういえば柚芽、さっき言ってたけど『私を助けに来た』ってどういうこと?」

「そりゃしたくもない結婚をさせられるのを阻止しに来たんだよ。そうだよね、柚芽ちゃん」

「はい。でもまさかお姉ちゃんのフィアンセがこんな素敵な人と知らず。失礼しました」


 すっかり懐いてくれたらしい柚芽ちゃんは口うるさい梅月さんではなく俺の隣に座ってくれていた。


「心配しなくていいよ。婚約は必ず僕が破棄するから」

「えっ!? お姉ちゃんじゃ不服なんですか?」

「そういう理由じゃなくて。好きでもない人と結婚させられるなんて可哀想でしょ?」


 もう何度も繰り返されたこの議論に興味はないようで、梅月さんは我関せずの顔で味噌汁を飲んでいた。


「あ、じゃあさ! お姉ちゃんと結婚しないなら私と結婚しちゃう?」

「ぶふぉっ!」

「うわ、梅月さん大丈夫!?」


 梅月さんのこぼした味噌汁を慌てて拭く。


「なんで柚芽が蒼馬さんと結婚するのよっ!」

「だってお姉ちゃん結婚したくないんでしょ? でもうちの親的には娘と蒼馬さんに結婚して欲しい。だったら私と結婚すればいいじゃない」

「誰も結婚したくないとは言ってません。私は蒼馬さんと結婚するの」

「出た。取られそうになったら奪い返そうとする。お姉ちゃんはいつもそうだよね」

「は? それは柚芽が勝手に私のものを使うからでしょ」

「貸してくれてもいいでしょ、けち」

「貸すのはいいの。でも柚芽はすぐ壊すでしょ」

「蒼馬さんは壊さないもん」

「いいえ。柚芽はきっと蒼馬さんも壊します」

「え!? あ、あのー、すいません」

「ごめんなさい。蒼馬さん。姉妹喧嘩はいつものことなんで気にしないでください」

「いや、喧嘩は別にいいけれど……」


 なんかずいぶんと不穏な内容だったような気が……





 ────────────────────



 姉妹喧嘩というのはなかなか激しいものですよね。

 普段大人しい人でも姉や妹相手だと結構ガンガン攻めていく。

 花菜さんと柚芽ちゃんも意外と激しく言い争います。


 すっかり柚芽ちゃんにも懐かれた蒼馬。

 もはやエロゲの主人公ですね!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る