第12話 足りないものを補い合う

 おじいちゃんが家にいる日を見計らい、僕は実家にやって来ていた。


「どうだ、蒼馬。花菜さんとはうまくやっているか? いい子だろ?」


 許嫁という制度に関しては懐疑的でも梅月さんのことは気に入っているらしい。

 笑顔で話すおじいちゃんを悲しませるのは心苦しいが、結婚する気もないのにこのまま今の関係を続けるわけにはいかない。


「実は今日、その件でやって来たんだけど……」

「どうかしたのか?」

「すいません。梅月さんとの許嫁の関係を解消してもらいたいんです」

「花奈さんが気に入らないのか?」

「そういうわけじゃないんだけど……」

「じゃあ花菜さんにそう言われたのか?」

「ううん。梅月さんは結婚してもらわないと困るの一点張りで」

「じゃあなんで婚約を破棄する必要があるんだ?」


 おじいちゃんは盆栽を剪定しながら笑う。


「まだ十七歳だから結婚とか考えられないし、それにそもそも愛のない結婚っていうのもどうかなーって」

「ははは。愛なんてあるわけないだろ。ついこの前知り合ったばかりなんだから。それはこれから育んでいくんだ」

「でも……梅月さんは事情があって僕の許嫁になったんでしょ? そんなのおかしいと思うんだ」


 おじいちゃんは剪定バサミを置いて僕を見る。

 その顔は穏やかで、僕を包み込むような温かなものだった。

 いつだっておじいちゃんは僕の味方で、こんな目で見守ってくれていた。


「この婚約には、やっぱりお金が絡んでいるんですよね?」

「まぁ関係なくはないな」

「お金は僕が必ず返します。だから梅月さんの実家には融資をして、その上で婚約も破棄してください。自分勝手なことは分かってます。でもどうかお願いします」


 キチッと座り直して深々と頭を下げる。


「返すといっても少ない額じゃない。この家を継がずに一人で生きていくと言っている蒼馬に返せる額じゃないだろう」

「それはっ……」


 娘を嫁に出してでも借りなきゃいけない額だ。

 普通に働いて返せる額じゃないことくらい予想はついていた。


「家を継がずに出ていくなら蒼馬に遺産は入らないだろうしな」

「それも承知してます」

「ならどうする? わしは返せる当てもない者に金を貸すほど甘い人間じゃないぞ。たとえ孫が相手でもな」


 こういう展開になることは今日ここに来るときから覚悟していたことだ。

 この無茶苦茶な条件を飲んでもらうためには、これしかない。

 決意を言葉にするために大きく一度息を吸い、顔を上げておじいちゃんの瞳を見る。


「家督を継がせてください。お願いします。そのための努力もします」

「ほぉ、そう来たか。それは花菜さんのためにか?」

「……はい。そうです。彼女の人生は、彼女が自由に選ぶべきです」

「花菜さんの人生を自由にする変わりに、自分の人生を不自由にするというわけか?」

「ふ、不自由というか、はじめから決められていたコースに戻るだけです」


 おじいちゃんの眼力に押されながらも、決して目は逸らさなかった。

 おじいちゃんは優しいけど、甘い人ではない。


「ぷっ……ははは! あーっはははっ!」

「へ? ど、どうしたのおじいちゃん……」

「花菜さんのためにそこまで出来るってことは、蒼馬は案外花菜さんのことが好きなんじゃないのか?」

「す、好きとか、そういうんじゃないけど……」


 おじいちゃんは笑いすぎて滲んだ涙を指で拭っている。


「いいかい、蒼馬。確かに花奈さんのご両親から資金援助と許嫁の話を持ちかけられたのは事実だよ。でもそんな話は今回だけじゃなく、たくさんある」

「そ、そうなんだ!?」

「我が九条家が十七歳で許嫁を取るのは知られているからな。でも今までは断ってきた」

「じゃあなんで今回は受けたの?」

「花奈さんは蒼馬に足りないものを補ってくれ、蒼馬は花菜さんの足りないものを補える。二人が共に成長できると思ったから結婚相手に選んだんだ」


 おじいちゃんはニッコリと笑う。


「話が来たから適当に受けたわけじゃない。なにしろ大切な蒼馬の結婚相手だ。ちゃんと相手を調べ、実際にあって、話をして、それから決めてるよ」

「そうなんだ……」


 そこまでおじいちゃんがしてくれていたなんて知らなかった。


「もちろん花菜さん以外にも色んな娘さんと会った。その上で蒼馬にとって花菜さん以上の女性はいないと判断したから今回の縁談を受け入れたんだ」

「その僕にとって梅月さんが一番向いてるとか、足りないものを補うというのはどういう意味なの?」

「それは教えられない。人から聞いても実感としてわかないからだ。自分で答えを見つけてみるんだ」


 おじいちゃんらしい言葉だ。

 おじいちゃんはいつも答えまでは教えてくれない。

 考えるチャンスやヒント、考え方は教えてくれるけど、その先はいつも僕自身に委ねてくる。


「もうちょっとちゃんと花奈さんと向き合ってごらん。決めるのはそれからでも遅くない。その上で無理だと思うならこの話をなかったことにすればいい」

「でもそうなったら梅月さんの家族は……」

「融資はするつもりだ。さっきも言っただろ? わしは見込みがない者に融資はしない。いくら結婚のためとはいえ、見込みのない企業に金なんて出せないからな。あ、でもこのことは二人だけの内緒だぞ」

「えっ!? そうなの!? じゃあ許嫁なんてならなくても……なんなら今すぐにでも婚約を破棄しても問題ないってこと!?」


 だとしたら僕はまるで意味のないことを悩んでいたということになる。

 しかしおじいちゃんは静かに首を振って否定した。


「表向きは蒼馬と花菜さんの婚約がきっかけでの融資というムードになってしまったからな。婚約してすぐに破棄なんてしたら融資の話も頓挫する」

「そんなっ……」

「まあそんなに悲観するな。それよりもっと真剣に花菜さんと向き合ってみなさい。答えを急ぐ必要はない」

「……でも好きでもない人と結婚しようとする梅月さんの気持ちを思うと、なんとか力になってあげたいと思うんだ」


 家を継がなくてはいけない自分の立場と、家のために好きでもない梅月さん。

 お互いの身の上が僕の中でリンクする。

 梅月さんの悩みは、僕の悩みと案外似ている気がした。




 ────────────────────




 身を挺して守ろうとした蒼馬。

 でもそれがおじいちゃんの望むべき方向で、より結婚させたいという意思を固めさせたことにまだ気付いていません。


 自分の気持ちが恋だということを気付くには、もう少し時間がかかりそうな蒼馬でした。


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