第9話 梅月さんの作戦

 翌朝、どうしても一緒にに行くというので梅月さんも愛瑠を迎えにやって来た。


「梅月さんが一緒だと余計出てこないと思うよ」

「大丈夫です。私には秘策がありますから」


 インターフォンを押すといつも通りおばさんが申し訳なさそうに出てきた。


「あら、今日は二人で来てくれたの? ごめんなさい。あの子ったらまた部屋から出てこなくて」

「ちょっと説得させてもらってよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろん」

「お邪魔します」


 愛瑠の部屋のドアをノックする。


「おはよう愛瑠。今日もお腹痛いの?」

「裏切り者」

「え? なに?」

「今朝はあの転校生と迎えに来たんでしょ!」

「なんで知ってるの!?」

「窓から見てたんだから! 朝から許嫁とイチャイチャして! 気持ち悪い!」

「イチャイチャなんてしてないよ」


 まさか見られていたとは知らなかった。

 まあ別に手も繋いでないし、ほとんど会話もなかったから見られて困ることはないけれど。


「あーあ! 今日こそは行こうと思ってたけど行く気なくした!」


 やはり梅月さんを連れてきたのは逆効果だったようだ。

 しかし梅月さんは僕の顔を見て、「任せてください」という風に頷く。


「おはようございます。梅月です」

「うっさい。帰れリア充」

「まもなく体育祭があります」

「それがどうしたの? ボクはそういうの嫌いだから」

「二人三脚があるんですけど、手束さんと蒼馬さんがペアになってます」

「えっ!? 嘘!? ボクと蒼馬が!?」

「ええ。蒼馬さんが手束さんとペアで二人三脚に出ると立候補しましたから」


 そんな事実ないので僕も驚いたが、梅月さんはシーッとジェスチャーをする。


「蒼馬が……?」

「参加されないなら代わりに私が蒼馬さんとペアになりますので。それでは」

「ちょっ、待って!」


 勢いよくドアが開き、愛瑠が飛び出してくる。

 その姿は久々に見る制服姿だった。

 行くつもりだったという言葉に嘘はなかったようだ。


「おはようございます、手束さん。さあ行きましょうか」


 出てくるのが分かっていたかのように梅月さんは歩き出す。

 僕があれほど誘っても部屋から出すことさえできなかったのに、まるで魔法使いだ。



 三人で登校していると色んな人が梅月さんに声をかけてきた。

 はじめはびくびくして俯いていた愛瑠だったが、誰も自分に気を留めていないと分かったあとはリラックスしたように顔を上げていた。

 雑にカットしたおかっぱ頭と顔のサイズに合ってない野暮ったい眼鏡をかけているせいで愛瑠だと気付いていない人も多いのだろう。


「あの人転校してきたばっかなのに知り合い多くない?」

「なんか人気者だからね」


 まぁ当の梅月さんは相手の名前も知らないんだろうけど。

 でも梅月さんは声をかけられるとまるで知り合いかのように笑顔で挨拶する。

 とても溌剌として礼儀正しいように見えるが、どこか無理矢理社交的に振る舞っているようにも見えた。


 元気そうだった愛瑠だったけど教室が近づくにつれ、また無口になって俯き始めた。


「大丈夫? 気分悪い?」

「少しお腹痛い……」

「保健室に行く?」


 僕の問い掛けに愛瑠は首を振る。


「大丈夫。頑張ってみる」

「偉いね、愛瑠」


 僕らのやり取りを黙って梅月さんは見ていた。


 教室に入ると黒瀬さんらいつものメンバーが梅月さんに挨拶をしてくる。

 巻き込まれないように気を遣ってくれた梅月さんは俺たちから離れていってくれた。


 愛瑠は眼球を世話しなく動かし、俯き気味で僕の隣に立っていた。


「あれ? 愛瑠じゃん! 久しぶり!」


 声をかけてきたのは愛瑠と仲のよかった女子だ。


「あ、うん」

「愛瑠の席はこっちだよ。席替えしたんだ」


 手を引かれて連れていかれる。

 戸惑った様子の愛瑠だったけど、自然に話しかけられているうちに緊張も解けていったようだった。

 すぐに元通りとはいかなくても、この様子なら時間をかければなんとかなるだろう。


 困難に見えるものの大半は、不安が生み出す幻想だ。

 簡単なことでも不安があると、とても難しいことに感じてしまう。

 学校に行くという、ちょっと億劫だけど簡単にできることでも、今の愛瑠には難しいんだろう。

 怯えながらもそれに挑戦した愛瑠はとても立派だと思った。




「体育祭の競技だけど、手塚はリレーのほかに何に参加する?」


 休み時間に松田先生に訊かれ、愛瑠はポカンとした顔になる。


「あ、二人三脚がいいと思います」


 慌てて僕が先生に提案した。


「まあ確かに二人三脚はまだ決まってないからいいけど、あれは二人一組だから相手が必要だろ?」

「僕が一緒に走ります」

「九条は三輪車競走だろ?」

「どっちも出ますから」


 僕と先生のやり取りを聞いてようやく騙されたことに気付いた愛瑠は、ギロッと梅月さんを睨む。

 その視線に気付いてるくせに梅月さんは知らん顔で自習をしていた。




「あー、騙された! あのビッチめ!」

「そう怒るなよ。学校に来るきっかけができてよかったって思おうよ」


 二人の足首を繋ぐロープを結びながら愛瑠を宥める。

 今日も体育の時間は運動会の練習だ。


「じゃあ繋いだ足の方から動き出すよ、せーの、いち、に」

「きゃあっ!」


 一歩進んだだけで転倒してしまう。


「大丈夫?」

「もう! ちゃんと合わせてよ!」

「ごめんごめん」


 肩を組み、もう一度その場で足踏みから始める。


「いち、に、いち、に。そうそう。いい感じ」

「やっぱボクと蒼馬の息はピッタリだね!」

「そういうのは走れるようになってから言おうね」

「うっさいし!」


 愛瑠はにんまりと笑う。

 こんなに笑顔の愛瑠を見るのは久し振りだった。

 これも梅月さんの嘘のお陰だ。

 帰ったらお礼を言おう。




 ────────────────────


 梅月さんの作戦でまんまと登校した愛瑠。

 海に入るとき冷たさで最初の一歩が踏み出せないようなもので、入ってしまえばなんともない。

 それでも最初の一歩は勇気がいるもの。

 愛瑠もやり直しの一歩が踏み出せてよかったですね。


 運動会に向けて蒼馬たちの毎日が慌ただしくなりそうです!

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