第8話 ハプニングの功名

 うちの高校は春に体育祭がある。

 四月も半ばを過ぎると早くもその準備などが始まっていた。


 愛瑠は今日も登校できなかった。

 体育祭はクラスの団結力も上がるところだから、なんとかそれまでには登校して欲しいというのが正直なところだ。




「うわー!」

「すごい!」


 体育の授業中。

 梅月さんの走る姿を見て、クラスメイトたちの嬌声が上がる。

 そういう僕もちょっと心の中で「おおーっ!」と声をあげた。

 フォームも綺麗だし、かなり速い。

 ついでに男子は揺れる胸にも興奮しているようだ。


「梅月さんってめちゃくちゃ足速いね!」

「そうですか? 田舎育ちなので走り回っていたからだと思います」


 走り終えたばかりなのに息を切らさずに黒瀬さんと会話をしているところを見ると、恐らく今のは全力ではないのだろう。


「ほら、走るぞ蒼馬」

「あ、ごめん」


 僕と一緒に走る練習をしているのは駒野こまの虎太朗こたろうくんだ。

 僕とは違い背が高くてスポーツ万能という陽キャ要素全開なのになぜか一年の時から仲よくしてくれている。


 今日もこうして腕を大きく振ることや足のあげ方など基本的なことを教えてくれていた。


「なに、蒼馬、お前梅月さんみたいなタイプ好きなの?」

「突然なに!?」

「さっきから梅月のことチラチラ見てるだろ?」

「そんなことないけど……」


 否定しつつも内心ドキドキしていた。

 確かに気がつけば僕は梅月さんを目で追っていた。


「そういう駒野くんも梅月さんが気になるの?」

「俺か? いや美人だとは思うけど、ちょっと違うかなー。てかそもそも巡留めぐるに怒られるだろ」

「そりゃそうだよね」


 駒野くんには森田もりた巡留さんという彼女がいる。

 三年の先輩でハイテンションの陽気な人だ。

 二人は幼馴染みでそのまま中学生の頃に付き合い始めたらしい。




 駒野くんの特訓は体育の授業だけでなく、放課後にも及んだ。

 放課後は『三輪車競走』の特訓だ。

 三輪車競走とは文字通り幼児が乗る三輪車に乗って速さを競うという競技である。

 背が低いという理由だけでこのネタ競技にエントリーさせられてしまっていた。


「うわ、結構難しいね」


 三輪車なんてと舐めていたが、大きくなった身体で乗ると漕ぐのも一苦労だ。


「脚をもっと開いて身体を丸めて漕ぐんだよ」

「えっ!? 駒野くん、三輪車漕ぐのですら上手なの!?」

「当たり前だ。俺にできないスポーツはないからな!」

「三輪車ってスポーツだったの!?」

「冗談だ。実は一番下の弟が最近乗り始めてな。俺が実践して教えてるんだよ」

「へー、すごいな。弟ともちゃんと全力で遊んであげてるんだね」


 純粋に感心すると、駒野くんは驚いた顔をした後に笑った。


「なんかお前らしい感想だな」

「え? なんか変なこと言っちゃった?」

「普通の奴は十歳以上年の離れた弟がいると『何歳の時できた弟?』とか『仲のいい両親だね』とかひどい奴になると『父親は一緒?』とか訊くんだ」

「えー? そうなの?」

「『弟と全力で遊んでるんだね』っていう、お前のそういうリアクション、すごく好きだよ」

「そ、そうかな? ありがとう」


 そんなことで誉められるとなんだか照れくさい。


「僕のことすごく好きなら練習も少し軽くしてくれる?」

「バカ。好きだからこそハードに特訓するんだよ」

「そんなぁ」


 ノリの冗談かと思ったけれど、駒野くんの特訓は本当に手を抜かずハードに続いた。

 子どもの頃の三輪車に乗る訓練をした記憶はもうないが、これほどハードじゃなかったのは間違いないだろう。



 家に帰ったときはもう汗だくのヘトヘトで、そのままお風呂に直行する。

 脱衣所のドアを開けると、同時に浴室のドアが開いた。

 浴室から出てきた一糸纏わぬ梅月さんが目を丸くして硬直している。


「……え?」

「きゃああああっ!」

「ご、ごめんなさいっ!」


 梅月さんは身体を腕で隠しながらその場でしゃがみこむ。

 僕は慌てて外へ出た。


「梅月さんと一緒に暮らしているのをすっかり忘れてて……ごめん」

「……えっち」

「ち、違うんだ。わざとじゃなくて」

「い、いいから向こうに行っててください」

「はい」


 自己嫌悪に陥りながらソファーに座っていると赤い顔をした梅月さんが戻ってきた。


「……シャ、シャワー空いたので、どうぞ」


 すべて『なかったこと』にしようと思ったのか、なにも触れてこない。

 でもさすがに裸を見てしまってそれは出来ない。


「ごめん。謝って許されることじゃないかもしれないけど……これから気を付けるから」


 あやふやにしてはいけないところなので、誠心誠意謝罪する。

 そんな俺を見て、なぜか梅月さんは顔を赤らめて「こほん」と咳払いをする。


「そんなに謝らないでください。もういいです……どうせ結婚したらすべて見られるんですから」

「そ、そういう問題じゃ……」

「いえ。そういう問題なんです。私は蒼馬さんと一緒に暮らす初日に、その、エ、エッチなことをされる覚悟で来ましたから」

「へ? そ、そそそんなことするわけないだろ!」

「そうみたいですね」


 梅月さんは口許を隠してクスッと笑う。

 そういえば同居二日目の夜に梅月さんは『先に赤ちゃんを作りましょう』と言って僕の部屋にやって来て、いきなりキスをしてきた。

 あれは『襲われるくらいなら自ら行く』という彼女のプライドと覚悟の現れだったのかもしれない。


「資産家の一人息子の御曹司って聞いてましたからもっとわがままで、自分勝手で、ろくでもない人だと思ってました」

「ひどい言われようだなぁ。そんな人と結婚しようと思ったの?」

「家族のため、親の決めたことですから」



 なんでもないことのようにそう言うのが悲しかった。

 いくらなんでもそんなのあんまりだ。

 なぜか僕が悔しくなって目頭が熱くなった。


「ごめんね、辛い思いさせて」

「えっ……なんで蒼馬さんが泣くんですか!?」

「泣いてなんてない」


 天井を見上げて涙を隠した。


「……ありがとうございます」

「え? なにが?」

「蒼馬さんが思ったよりずっといい人なんで、少なくともここに来る前より今はほっとしてますから」

「そうなんだ。よかった。必ず僕が結婚を阻止して自由にしてあげるから」

「いえ、ですから結婚はしてもらわないといけないんです」


 そこは折れるつもりはないようだ。

 でも少しだけ梅月さんの本音を聞けたから、今日は満足だ。





 ────────────────────



 いきなりのキスは梅月さんの覚悟とプライドの現れでした。

 でもそんな無理をしなくても大丈夫と分かり、梅月さんも新しい暮らしに安らぎを感じ始めてます。


 ちなみに梅月さんも蒼馬もあれがはじめてのキスでした。

 そして蒼馬にとって今日のこれが人生初のラッキースケベでした。




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