第7話 愛瑠の過去
朝の通学前、梅月さんに昨日の三角公園でのことを伝える。
「えっ!? 私と蒼馬さんが許嫁だってこと、愛瑠さんに教えたんですか?」
「ごめん。いきなり言い当てられて動揺したらバレちゃって。絶対誰にも言わないように念押ししておいたから大丈夫だよ」
「……ずいぶんと愛瑠さんを信用してるんですね」
「そりゃあいつは口が固いから」
そう答えると梅月さんはなぜか不服そうにじとっと俺を睨む。
「それで私が許嫁だと知ってから、学校に来ると言い出したって訳ですか」
「そうなんだよ。遂に登校するって言ってくれてさ。よかったよー」
「でもなんで蒼馬さんが迎えに行かなきゃいけないんですか? そんなことまでする必要ありますか?」
静かな口調だけどムッとしているのは伝わってきた。
やはり許嫁の秘密を漏らしたのが気に入らないのだろう。
「せっかく学校に来る気になってくれたんだから手助けしてあげたくて」
「分かりました。じゃあ私も一緒に行きます」
そう言うと梅月さんは愛瑠のマンションの方へと歩き出す。
「ごめん、梅月さん。取り敢えず僕一人で行かせて」
「どうしてですか?」
「愛瑠は人と関わるのが苦手なんだ。梅月さんが来たら行きづらくなると思うから」
「それもそうかもしれませんね。分かりました」
理解した梅月さんは一人で駅へと向かっていった。
不登校の同級生を思いやれるなんて、梅月さんも結構優しいんだな。
愛瑠の家に着いてインターフォンを押すと、弱り顔のおばさんが出てきた。
「ごめんね、九条くん。あの子ったら昨日の夜は学校に行くと言ってたのに、今朝になったらお腹痛いから休むって言い出して。仮病なんてして困った子ね」
「それは多分違います。緊張しすぎて本当にお腹が痛くなったんだと思います」
「ごめんなさい。そうね。あの子をもっと信用してあげなきゃいけないわね。九条君は本当にしっかりしてて優しい子ね」
おばさんは申し訳なさそうに力なく笑った。
「声だけかけさせてもらっていいですか?」
「ごめんね。ありがとう」
愛瑠の部屋のドアをノックする。
無言だけど反応するのを肌で感じた。
恐らくさっきの僕たちの会話も聞こえていたのだろう。
「愛瑠、学校に行こうとしてくれてありがとう。また明日迎えに来るから」
「……うん。ごめんね」
「いいんだよ。気にしないで」
前に進もうと思ってくれただけで一歩前進だ。
一人で登校すると今日も梅月さんを中心に人の輪ができていた。
今日は黒瀬さんら陽キャの一軍グループではなく、女子のグループに囲まれていた。
梅月さんは一人で教室に入ってきた僕をチラッと見たがすぐに視線を戻してみんなと会話をしていた。
いつも通りの朝。
いつもと変わらない賑やかさ。
でも一度その輪から外れた愛瑠にとっては、この何気ない朝の喧騒も恐怖の対象なのかもしれない。
一番の問題は潜在的に恐怖感を持つことだ。
恐れる気持ちがどんなものも怖く感じさせる。
恐怖というものの本質は、外ではなく自分の内側にあるものなのかもしれない。
「結局来ませんでしたね、愛瑠さん」
夕食時、思い出したように梅月さんがそう呟いた。
攻撃的な響きはなく、どちらかといえば少し心配しているような声色だった。
「また明日迎えに行くよ」
「別に意地悪で言う訳じゃありませんが、行きたくない人を無理矢理引っ張り出さなくてもいいんじゃないですか?」
「本当に行きたくないならそれでもいいと思う。でも愛瑠はそうじゃないと思うんだ。きっかけが欲しいんだよ。一度学校に行かなくなったら、どんどん行きづらくなってしまう。今の愛瑠はそんな状況だと思う」
「そもそもどうして愛瑠さんはどうして不登校になったんですか?」
「うん……隠してもそのうち誰かが言うと思うから説明するね」
かなりの美少女である愛瑠は、入学すると同時に同級生はおろか上級生からも注目を浴びた。
しかも性格も明るく、誰とでも仲良くするので人気は日に日に高まっっていった。
そしてある日、チャラくて評判の二年の先輩に告白された。
愛瑠は恋愛にはまるで興味がないので断ったが、それが彼の怒りに触れてしまった。
ありもしない噂を流されたり、当時愛瑠が所属していた水泳部で無視するよう仕向けられたりして、愛瑠は徐々に病んでいってしまった。
次第に学校にも来なくなり、引きこもりがちになって、今のようになってしまった。
「なんですか、それ。ひどい話です」
「本当だよ。愛瑠はなにも悪くないのに」
「そのチャラい先輩とやらはどうなったんですか?」
「それは、えーっと……色々と他にも問題を起こしていたのがバレて、警察沙汰にまで発展して退学になったよ。うまく隠してたみたいだけど、誰かにバレたらしい」
僕が言い淀んだのを見て、梅月さんは呆れたように笑った。
「もしかして蒼馬さんが色んな情報を集めて、それをリークして追い込んだんですか? 探偵とか雇いそうですもんね、蒼馬さん」
「そ、そんなことはしてないよ……まぁ少し先生に助言くらいはしたかもしれないけど……」
「ふぅん……まあいいです。その先輩がいなくなったなら愛瑠さんも学校に行けばいいじゃないですか」
「そんなに簡単じゃないんだろうね。無視されて傷ついた心は癒されてないし。少し休む時間も必要だったんだと思う」
被害者である愛瑠がいつまでも学校に戻れないというのは理不尽な話だ。
でも悲しいことに、こういう問題はよく聞く話でもある。
イジメが終わったら問題解決ではない。
その先のケアまでしてようやく終わりとなる。
でもほとんどの人はイジメが終わったなら、それで解決だと見なしてしまう。
イジメが終ったのに学校に来ないのはその人の問題だと片付けがちだ。
ひどい人になると不登校になるような性格だからイジメられるなどと陰口を叩く。
「なんで蒼馬さんは愛瑠さんとそんなに仲がいいんですか? それになんでそこまで助けてるんですか?」
「ゲーム仲間だからだよ。入学してすぐにゲームの話で盛り上がって、それ以来友だちなんだ。友だちなら力になりたいと思うのは普通だろ?」
「はぁ……そうですか……入学当初から仲がよかったことと、蒼馬さんには回りくどい嫌味は通じないことが分かりました」
「ん? なんのこと?」
「いえ。別に。ちょっとお人好しすぎる気もしますけど、そういう優しいところは蒼馬さんの素敵なところだと思います」
そう言うと梅月さんは食べ終えた食器をシンクに浸けて自室へと戻っていく。
あまりにも抑揚なく言われたので、しばらく褒められたことに気付けなかった。
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世の中、なんでも合理的というわけではないですよね。
とりわけ人の心は簡単に割りきれないもの。
蒼馬はそんな人の弱さや悲しみに寄り添える人間です。
でも人の悲しみには敏感ですけど、色々と鈍感なところもあります。
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