第2話 先に赤ちゃんを作ってしまうという選択
僕は高校に入学すると同時にうちが所有するマンションの一室で一人暮らしをさせられていた。
『自立した人間になるため』という名目にその時は納得していた。
でも今に思えば3LDKという一人暮らしに広すぎる間取りは、こうして許嫁と同棲させるためだったのだろう。
高校生で婚約者と二人きりで同棲なんて気まずすぎて困るだけだ。
結局その夜はすぐに寝てしまい、翌朝もほぼ会話なく時間をずらしてバラバラで登校した。
学校に着くと先に出発していた梅月さんは今朝も陽キャの同級生たちに囲まれていた。
「花奈ってマジでお嬢っぽいよね」
「えー? そんなことないですよ。普通ですから」
特に親しくしているのは
これまでクラスで一番の美人と
それくらい梅月さんの美しさは際立っていた。
もちろんこの日も梅月さんと会話することなく一日が終わった。
梅月さんの周りには常に人がいたし、授業中も隣の席とはいえ会話の一つもなかった。
「さて、と」
家に帰り、久々に台所に立つ。
普段は自炊をせずコンビニや近くの店で済ませることが多かった。
ニンジンや玉ねぎを切っていると梅月さんが帰ってくる。
「何をしてるんですか?」
「夕飯を作ってるんだ。今日はカレーね。そんなに上手じゃないけど」
「そんなことは私がするからいいです」
敬語を使っているが敬っているというよりは距離を取るようなしゃべり方だ。
「大丈夫だよ。カレーなら昔キャンプで作ったことあるから」
「そういう問題じゃないです。私はあなたと結婚するためにやって来たんです。料理とか家事は私の仕事ですから」
梅月さんは横にやって来て僕から玉ねぎを奪う。
負けじと僕はジャガイモを手に取った。
「今どき家事は分担するのが普通だよ。料理は交代制にしよう。結婚したって家事を分担する夫婦は多いだろ」
「それじゃ私が来た意味が──」
「いいから。今日のところは僕に任せて。梅月さんは宿題しててもいいし、テレビを観ててもいいから」
僕の意思が固いと悟った梅月さんは仕方なさそうに部屋の片付けを始めた。
「明日はおじいちゃんが家にいるらしいんで話をしてくるから」
「本気でそんなことするつもりですか? やめてください。私が結婚を嫌がってるみたいに思われるじゃないですか」
「そこはちゃんと説明するから大丈夫。愛してない人と結婚なんておかしいよ。そもそも僕だって愛のない結婚なんてしたくないし」
「そうでしょうか? 愛のない結婚なんて普通です。それにたとえはじめは愛し合って結婚しても、数年も経てば大抵の夫婦は愛なんてなくなります」
決めつけるような言い方が気になったが、あまりに真剣なので反論するのはやめておいた。
「ごめんね。しゃばしゃばのカレーになっちゃったね」
「まぁスープカレーだと思って食べたら悪くないです。ですがやはり明日から食事は私が作りますから」
「ごめん」
食後の片付けは梅月さんがすると言うのでお願いした。
梅月さんは一言も喋らず、黙々と皿を洗う。
なんだかリビングにいるのも息苦しく、自室へと戻った。
三つあるうちの一つは僕の部屋、一つは梅月さんの部屋とし、もう一つは特に使わない空き部屋だ。
昨夜のうちに互いの部屋には立ち入らないという約束を決めていた。
勉強をしているとキッチンからカチャカチャと食器が重なる音が聞こえてくる。
しばらくするとその音もやみ、ドアが閉まる音が聞こえた。
洗い物が終わって自室に戻ったのだろう。
コンコンという控え目なノックがして時計を見る。
気付かないうちに二時間も経っていたようだ。
勉強に集中しているとつい時間を忘れてしまう。
「はい」
ドアを開けると風呂上がりの乾ききってないしっとりした髪の梅月さんが立っていた。
『先にお風呂いただきました』という報告だろう。
寄せ付けないような冷たさを感じるが、気を遣ってくれる律儀な人だ。
「あ、お風呂入ったんだね。じゃあ僕もお風──」
「許嫁なんですし、先に赤ちゃんを作っちゃいましょうか?」
「へ?」
梅月さんは間髪いれずにキスをして来た。
むにゅっと柔らかな唇の感触に心臓がバクバクと暴走した。
しかも梅月さんは舌をグリグリと捩じ込んでこようとした。
『う、嘘でしょ!?』
引き離そうと肩に触れると振るえているのに気付いた。
その顔はキスをしているというよりなにかと必死で戦っているような表情だった。
「待って! 待ってよ、梅月さん!」
力一杯引き離すと梅月さんは恨みがましい目で僕を睨んできた。
「なんで止めるんですか!」
「落ち着いて。いきなりどうしたの?」
「だから言ったじゃないですか。許嫁だから先に赤ちゃんを作りましょうって」
なにかに急かされるように切羽詰まった様子だ。
どうしても結婚しなくてはいけないと思い、既成事実を作ってしまおうと考えたのだろう。
「……悪いけど僕は自分を大切に出来ない人は尊敬できない。そんな人と結婚は無理だ」
「えっ……そんな」
「もっと落ち着いて。そんなことをしなくても僕がなんとかするから」
「それが怖いんです。お願いですからお祖父様には相談しに行かないでください」
「なんで?」
「もし蒼馬さんに結婚する意思がないと知られたら、婚約解消させられるかも知れないじゃないですか。そうなったら困るんです。お願いですからお祖父様には言わないでください」
弱り顔で頼まれ、従うしかなかった。
「分かった。じゃあおじいちゃんには相談しない。自分でなんとかする方法を考えるよ。だから二度とこんなことしないで」
「……分かりました。すいません」
梅月さんが出ていくとドッと肩の力が抜けた。
「あービックリした……」
唇にはまだ梅月さんの柔らかさが残っていた。
────────────────────
いきなり襲撃してきた梅月さん。
もちろんこの行為の真意はのちほど明らかになります。
二人の暮らすマンションはファミリータイプのレジデンスです。
もちろんオートロック。
同じ高校に通う同級生は住んでいません。
もし一緒のマンションに帰るところを見られても、まさか同じ部屋に住んでいるとは思われないでしょう。
さっそくたくさんの方に読んでいただきありがとうございます!
皆さまのご期待に添えるよう、頑張って更新していきます!
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