第9話 [買い物と相合傘]

 外は雨がパラパラと降っていた。

 天気予報では夜から本降りになるらしい。


 俺はまっすぐ家には帰らず、家から一番近いスーパーに寄っていた。

 今日の夜ご飯の材料を買うためである。


「卵に玉ねぎ、牛乳はまだ家にあるな。ナツメグも家にあるし、あとは豚ひき肉。っと、その前にチョコだな」


 俺は甘党なので、家からチョコがなくなったら悲しくなるのだ。

 お菓子のコーナーに来て板チョコを手に取ろうと手を伸ばすと、白くてすべすべの手が俺の手の甲に触れて重なった。


「あ、すみません……って、猫宮さん?」

「え……? そそそ、空音くん!?」


 手の正体はなんと猫宮さんであった。

 俺に気づくと、手をあたふたとさせた後にフードをガバッと被った。


 猫宮さんは俺と同じく買い物カゴを腕にさげており、そのカゴの中にはお菓子しか入っていなかった。


「ちなみに猫宮さんはどうしてここに?」

「そ、それは、明後日まで私の親が仕事で帰ってこないから自炊しようと思ってて……」

「……そうか。ちなみにそのカゴに入っている大量のお菓子はなんだ」

「…………よ、夜ご飯……」

「ほほう? お菓子が夜ご飯ねぇ?」


 俺はニコニコとした表情をしていたのだが、内から漏れ出す殺気で猫宮さんは少し肩が震えていた。


「に、肉だって焼いて食べるもん!」

「野菜はどうした! や・さ・い!!」

「う〜! だって野菜嫌いだもん……」

「野菜をちゃんと食べないと栄養がな……」

「むん!」


 頰を膨らましながらぷいっとそっぽを向いてしまった。


「猫宮さん、自炊したことないでしょ」

「ギク——ッ!!」

「自炊できないならおばあちゃんの家やらに泊まらせてもらったらどうだ?」

「ひ、一人の時間を満喫したいから……」

「一人の時間云々、まず食生活をなんとかしないといけないだろ」


 猫宮さんはふてくされた顔をしながら、髪の毛先を指でクルクルとしていた。


 さて、どうするかな。

 あまり口出しはしたくはないのだが、流石に夜ご飯がお菓子と肉オンリーだと気になってしょうがない。

 うーん……そうだ!


「もし嫌じゃなかったら、今日と明日だけうちに夜ご飯食べに来る? それか俺が作りに行こうか?」

「はぇ?」


 猫宮さんはまるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして俺を見つめていた。


「そ、空音くんの手作り……?」

「ああ。それか作った料理を猫宮さんの家に持っていっても別にいいぞ? 上の階だし」

「いやいやいや! 嬉しいんだけど空音くんに迷惑が——」


 猫宮が鷹斗の提案を断ろうとしたその時、彼女は鷹斗に食べさせてもらった超絶美味な手作り弁当のことを思い出していた。

 結論は出た。


「——……頼んで、いいですか……?」


 猫宮さんはフードを摘みながら上目遣いで俺に頼んで来た。

 その時の猫宮さんの頰は薔薇色に染まっていた。


「ああ、もちろん。それじゃ、そのお菓子は全部元の場所に戻そうか」

「んなっ!? で、でもこれはお母さんたちからもらった軍資金で……」

「『夜ご飯を作る』とは言ったが、猫宮さんの分はちゃんと払ってもらうからな?」


 俺はニコッと笑いながら猫宮さんにそう言った。

 猫宮さんは引きつった笑いをしなら「はい……」と元気が無い様子で答えた。


 その後はお菓子を全て棚へ戻し、二人分の具材を用意するため再びスーパーを回り始めた。


「ちなみに今日の夜ご飯は何作るつもりなの?」

「卵に玉ねぎ、パン粉とひき肉と言ったら?」

「んー……? はっ、ハンバーグ!!」

「正解。ご褒美として、夜ご飯の時に野菜をあげよう」

「嫌だーー!!」


 俺たちはスーパー内を歩きながら他愛もない話をしていた。


「あらあら、奥さん見てちょうだい?」

「まあ! まるで新婚さんみたいねぇ」

「すごくお似合いねぇ〜」

「初々しいわ〜!」


 スーパーにいる奥様方は鷹斗と猫宮の方を見てそう呟いていた。

 猫宮はその話が聞こえており、頰を赤らめていたが、鷹斗は全く気づいていなかった。

 そう、鷹斗は目がすごくいい代わりに耳があまり良く無いのだ。





「よし、それじゃあ帰るか」

「ハンバーグ♪ ハンバーグ〜は〜超美味し〜♪」


 猫宮さんは相当ハンバーグが好きらしい。

 ニッコニコの表情でハンバーグの歌(?)を歌っていたからだ。

 今日は手塩にかけて作るとしよう。


「猫宮さん、傘は?」


 スーパーから出ると、外はさっきよりも雨が強くなっていた。

 だが猫宮さんは傘を持っていなかった。

 ちなみに俺は折りたたみ傘を持っている。


「えっと、スーパーに入る前にそこに立て掛けて……って、あれ? な、なくなってる……」


 先ほどまでの嬉しそうな表情とは打って変わって、絶望的な表情を浮かべていた。


「やれやれ……そんじゃ俺の傘を二人で使うか」

「えっ!?」


 持っていた折りたたみ傘をばさっと開いた。


「そ、そそそれは……」

「あー、流石にあれか……」

「う、ううん!? 全然大丈夫! 帰る場所も同じで合理的だしね!!」


 猫宮さんはなぜか自分の頰を両手でペチッと叩き、気合を注入していた。

 頰から手を離すと、すんっと無表情になった。


「……それじゃあ行きましょ」

「お、おう」


 どうやら猫被りをするための気合を注入したみたいだな。

 俺たちは一つの傘に入り、濡れないように肩をぴったりと合わせながら帰っていた。

 猫宮さんは俺が話しかけても「うん」とか無言だったりして、猫被りをしていたので俺も野暮だと思い、話しかけるのをやめた。


 数分後、無言のまま通りを歩いていると、後ろからカッパを着ずに猛スピードで走る自転車がやってくるのに気がついた。


「危ない!!」

「え——」


 俺は猫宮さんの腕を引っ張り、こちらに抱き寄せた。

 その時持っていた具材が入っているビニール袋と折りたたみ傘は地面に落ちたがそんなことはどうでもいい。


「前見て走れよ、あの野郎……」


 俺は通り過ぎていった自転車を睨みながらそう呟いた。


 この時、いつもの優しそうな鷹斗の目は、獲物を狙う猛禽類の“鷹”のように鋭い目に変わっていた。


「あ、あの……」

「はっ……すまん」


 猫宮さんを抱き寄せたままだったので、俺は慌てて放した。

 すると猫宮さんはフードをいつも以上に深く被り、ボソッとこう呟いた。


「絶対私、今人に見せられない顔してるよ……」


 雨は地面を叩き、霧のように刹那のうちに消えそうな猫宮の声はもちろん鷹斗には届かなかった。

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