第六章 ミッドサマー(3)

「『オアシス』ですか?」

「そう。全員が防護服を着ているらしい、奇妙な集団なんだけど」


 作品のように見ているのですね。

 夕餉の部屋へと案内される間、僕はアジャに言われた言葉を考えつつ、『オアシス』について尋ねた。

 外との交流を絶っているドールヴで情報を聞いたところで、知っているとは思えなかったが、一応尋ねてみたのだ。


「……そういえば長老が、『母』から聞いた話だと、話してくれたことに『オアシス』の話がありました」


 果たして、彼女は、知っていた。


「本当ですか⁉」

「はい。まだ外が平穏だった頃です。様々な災害人災情報を集め、研究している施設があると。『来るべき終末に備えて平穏の水をここに』とか、なんとか」

「『スヴァールバル世界種子貯蔵庫』みたいな場所なのか。『オアシス』は」

「すう゛ぁー?」

「正式名称は『あらゆる危機に耐えうるように設計された終末の日に備える北極種子貯蔵庫』。名前の通り、世界が終わったあとも、再建できるように、世界中の種子を集めて貯蔵している倉庫があるんだよ。『オアシス』はそれの厄災研究版ってことだろう」


 終末に対抗するための研究施設。

 いつの時代も、どこの世界でも、世界の終わりは真剣に恐れられていて、対応するために、大真面目にそんな施設がつくられている。ということだ。


「その、『オアシス』はどっちにあるとか、聞いたことはあるか?」

「そうですね。北の方に、廃病院があるのですが今はそこに住み着いているとか……」


 アリスと僕は顔を合わせる。

 オアシスは『厄災研究所』。だから皆防護服を着込んでいる。そしてここから北の方向にある。

 神さまの啓示もないままに立ち寄ったコミュニティで、まさかの急接近である。


「お二人は、『オアシス』を探しているのですか?」

「はい。『オアシス』に向かえ。と神さまがおっしゃったので!」

「そうですか、神さまが」

「アジャさんは、神さまを信じていますか?」


 異宗教同士でしていい会話ではない。アジャは、首を大きく横に振った。


「アリ教には、神さまを信じるという教義はありません。世界は大いなるシステムでぐるぐるとまわっていて、輪廻転生もそのシステムの一部である。というのが私たちの考えで、そこに『神さま』という『意思』は存在しないと考えているのです」

「なるほどー」


 宗教戦争は起きなかった。いや、もしかしたら二人の頭の中では「神さまを信じないなんて、不誠実な方ですね!」「神さまなんて存在を信じているとは、なんて幼稚な方なのですね」みたいな、そんな思想が蠢いているのかもしれないけれども。


「怒らないのか、神さまを否定されて」


 僕は気になってアリスに耳打ちする。


「いいえ。だって、神さまはいるのですから。私に話しかけてきたのですから。彼女はまだ、神さまを知らないだけなのです」


 アリスはアジャを迷える子羊を見るような目で見つめていた。

 合点がいったところで、別の質問をする。


「外の状態を知っているのは、長老とアジャだけなんだな」

「その通りです」


 アジャは頷く。


「私も初めから知っていたわけではないのです。このドールヴには学校があるのですが、そこで私は成績が一番でした。優秀だったので、私は次期長老と――『娘』となりました。今からそうですね。二十年ほど前の話です。驚きましたよ。私が十数年信じていたことが、実は嘘であったなんて」


 アジャの声には、怒りらしい怒りは感じられなかった。

 嘘をつかれたことに対しては驚いてはいるけれども、嘘をつかれている理由に対しては、納得がいっているようだった。


「最初の方は、私たちにだって知る権利はある。と思ったのですが」


 アジャは途中で口を噤んだ。

 僕らの隣を、子供たちが走りながら通り過ぎていく。子供たちの耳を気にしたようだった。


「子供たち」アジャは彼らの背中に声をかける。子供は足を止めて、振り返る。

「アジャさま!」「こんばんは!」


 子供たちはアジャに小さく頭をさげる。彼女はその様子を見てから、頬をゆるめた。


「夕餉が楽しみなのは分かりますが、走ると危ないのですよ。ご飯は逃げませんから、歩いていきましょう」


 子供たちは元気に返事をしてから、走って去って行った。

 アジャは呆れたように、しかし、微笑ましい光景を見るように、頬を緩める。


「子供はいけませんね。注意しても聞かないのですから」

「分かる。僕もアリスに何度同じことを注意したことか」

「私の方が歳上ですよ!」

「もし外のことを知れば、私たちの言うことを聞かずに、外に飛び出してしまうかもしれません。危険な方に喜び勇んで向かうのが、子供ですから。なので、知らないまま、ドールヴの中で安全に暮らしている方が、幸せであると私は判断し、嘘をつく側にまわったのです」


 知る不幸よりも、知らぬ幸運。それは決して、悪いことではない。


「ですから、くれぐれも、ご内密にお願いしたいのです」


 アジャが僕らの方を振り向き、口の前で指を一本たてた。僕らは頷く。

 煙突のような穴が空いていて、光が唯一入ってくる場所にたどり着く。見てみれば、そこには岩の上に土を盛ってつくられた畑や、少ないながらも家畜の姿もみられ、恐らくこれが、夕ご飯になるのだろう。

 ふと、広場に人が集まっていることに気がついた。数は十数人。一番前の列には、大きな槌を持った人が立っている。夕餉の時間だと走っていた子供たちもなかにいる。皆一様に空を見上げていて、僕はその視線の先にカメラを向ける。大穴の側面にあった、切り立った崖の端に、人がひとり立っていた。

 壮年の男である。足元がおぼつかない。熱に浮かされたように、ふらふらと、体を揺らしながら立っている。

 切り立った崖の端に、今にも落ちそうになって状態で立っている男を、白いローブを着た人々が見上げている。声を誰もあげていない。しんとしている。

 アリスはそれを見つけると、顔が一気に青ざめ、アジャの方を向く。アジャは口元に指を添えて、しい。と囁く。彼女も男の方をじい、と見ている。


「た、助けないと。危ないですよ。あのままでは、落ちてしまいます」


 アジャは男をじい、と見ている。


「彼は病気を患ったのです。重い重い病気を。ゆえに、飛び降りるのです」


 僕はカメラを男に向ける。

 崖を見たときに感じた既視感の正体に気づいたからである。崖が印象的な、あの映画。

 男は僕らを一瞥すると、にい。と笑って、まるで、足を踏み外したみたいに、飛び降りた。

 音がした。痛そうな音がした。とてもとても痛そうな音がした。

 崖の下には、岩の地面に激突し、腕がへし曲がり、脚が折れ曲がり、首がねじ曲がり、腹からゴボゴボと血が流れている男の姿があった。動く様子はない。蠢く様子もない。

 見上げていた周りの人々は、その男の姿を見つめている。大きな槌を持っていた人が前に躍りでる。折れ曲がった男の前に立つと、槌を振り上げ、その頭に振り落とした。

 こーん。と音が響く。頭は地面にへばりついてしまって、乾いたガムみたいに、そう簡単に剥がれそうにない。血が流れる。集まっていた人々の方に、血が流れる。人々は黙祷を捧げるように、目をつむり、頭を少し下げていた。


 ――この近くに宗教の信者ばかりで構成されているらしいコミュニティがあってな。


 僕はフランシスコの言葉を思いだしていた。


 ――どうも閉鎖的というか、きな臭いというべきか。奇妙なコミュニティなんだよ。なんでも自殺をすることを美徳としてるとか……


 ここだ。ここが、そのコミュニティだったのだ。

 アジャは僕らにだけ聞こえるように、小さな声で言った。


「ドールヴにおいて『死体あれ』は存在してはなりません。だから、勝手に死ぬことは許されないのです」


 ほら、死体は動かないでしょ。と証明するように。

 皆の前で、ちゃんと死んでみせるのです。

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