第六章 ミッドサマー(1)

「だーかーらー、お前らに割引するほどオレら仲良かったか?」


 咳みたいなエンジン音――ではなく、ぶんぶんと元気なエンジン音が聞こえる車内で、僕は小さな女の子の前で土下座をしていた。

 僕の腰よりも低い背丈の女の子。亜麻色の髪を後頭部でふたつ団子にしてまとめている、あどけない女の子の薫陶にあからさまに悪いであろう土下座をしていた。

 土下座で物足りないと言うならば、土下寝すら辞さない覚悟の我ながら惚れ惚れするような綺麗な土下座ではあったが、目の前の小さな女の子、またの名を旅商人姉妹の小さい方、パシフィック商会のリリィロックは、僕をゴミでも見るような目で見下していた。


「なにごとにも対価がいる。それはそうだろう。高いから払えないけど食べ物は欲しいなんて、むちゃくちゃな話だっつうの」

「それは分かってる。分かってるんだけどさ……」


 僕は土下座の状態のまま、己の背後を指さす。


「ぐるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる」


 アリスがパシフィック商会の荷物にしがみついて唸っていた。聖職者にあるまじき欲丸出しの相貌で、荷物――つまるところ食料にしがみついている。パシフィック商会の姉の方、クリスタが引き剥がそうとしているものの、一向に離れる様子はない。


「ひ、ひいぃん」


 高い背丈と短い黒髪に切れ長の瞳。ボーイッシュな見た目とは裏腹に、クリスタは弱々しい声をあげる。


「気をつけろよ、空腹で気が立ってるから噛みつかれるぞ」

「なんでそんな状態にまでなってるんだよ」

「二週間ほどご飯を食べていないんだ」


 僕の腹もぐぐぐ、と音を鳴らす。ゾンビ肉コミュニティを出たあと、ずっとご飯を食べられないまま旅を続けていた。アリスはどんどん喋らなくなって、最終的には寝るか唸るかのいずれかしかできなくなってしまった。主人公ヒロインとしてのイメージが崩落してしまう。訪れたコミュニティで食料を分けてもらえないかと言って回っていると、パシフィック商会と再会したのだった。

 パシフィック商会。ゾンビ火力発電所のコミュニティで出会った、姉妹の旅商人。

 弱気なシェパードみたいな姉はクリスタ。騒がしいトイプードルみたいな妹はリリィロック。

 なんだって用意します。なんだって調達しますがモットー。家族のためならば無料で仕事を引き受けることも厭わない矜恃も兼ね備えている二人組。

 僕の存在に気がついたリリィロックは「げっ、未納!」とイヤそうな声をあげる。そのニックネームで決まってしまったらしい。無能に音が似てて、できれば変えてほしいのだけれども。

 僕はリリィロックと話しても仕方ないのでそれを無視してクリスタに声をかける。


「久しぶり、クリスタ。火力発電所ぶりか」

「そ、そちらも生残のようで。なによりです」

「おい、オレを無視するな!」

「ちびっ子。取引をしたいんだけど、食料ってあるか?」


 僕はリリィロックの方を向きながら言う。彼女は僕のことをじとっと睨みながら、指で「お金」のジェスチャーをする。

 まったく、その歳からお金お金なんて、死んでしまったらしい両親も草場の影から泣いているぞ。僕はやれやれ。と頭を振りながら答える。


「そんなものはないに決まってるだろう」


***


 そして今にいたる。

 リリィロックは情けない大人を見るような悲しそうな目を僕に向けてくる。やめろ、子供の冷めた目ほどつらいものはない。


「まったく、自信満々な表情をしてるもんだから、持ち合わせでもあるんだろうか。どれだけ詐欺ってやろうかと思ってたのにさ、取らぬ狸の皮算用だよ」

「詐欺ろうとか考えるな。八歳児」

「八歳に頭をさげて情けなくねえのかお、に、い、ちゃ、ん」

「リリィロックのお姉ちゃんは私だけですけど!」

「そこに反応しなくてもいいからお姉ちゃん」


 がばっと顔をあげて僕を睨むクリスタ。今現在、リリィロックの周りには彼女よりも年上ばかりがいるはずなのに、情けないやつばかりしかいない気がする。

 リリィロックは両手で頭を抱え込むようにして唸ってから、クリスタを指さした。


「いいよ、お姉ちゃん。シスターにご飯をあげて」

「う、うん。分かったよ。リリィロック」

「良いのか?」

「店の中でずっと唸られても迷惑だし、お腹を満たして少しでもマトモな年上を近くに発生させたい」

「お姉ちゃんがいるじゃあない」

「…………」

「そ、そんな悲しい目で見ないで……!」

「それに」リリィロックは鼻をかきながら言う。「シスターのこと、嫌いじゃあないしな」

「恩に着るよ、リリィロック」

「ただし、対価として働いてもらうからな。働かざる者食うべからず。食った分だけしっかり働け。そしたら今回の滞納は無しだ」

「なにをすればいいんだ?」

「今から向かうコミュニティへの荷物の運搬」


***


 唸る口の中にクリスタが食料を投げ込み、たらふく食べたところで正気を取り戻したアリスが、クリスタの顔を見て「恋敵!」と声をあげたのを確認してから、僕らはパシフィック商会の装甲車に続いて、レコニング号をはしらせた。

 今から向かうコミュニティへの荷物の運搬。今回は神様の啓示ではなく、食料の対価としての労働で、新しいコミュニティに向かうことになった。

 そのコミュニティはリリィロックいわく。


「家族のことを大事にしているコミュニティ」


 らしい。目をキラキラと輝かせているその表情は、やはり、彼女が『家族』というものを信望している証拠でもあった。

 六年前に家族を暴徒によって殺された女の子。亡き両親の仕事を勝手に受け継ぎ、亡き父親の口調を模倣する女の子。その向こうでクリスタはなんとも言えない、歯がゆそうな表情をしていた。


「次のコミュニティとは、はぶっ。どこにあるんでしょうね。むしゃむしゃ」


 もらった食料を頬にためこみながらアリスは言う。情けない歳上がもう一人。しばらくレコニング号をはしらせていると、前を走る装甲車がクラクションを鳴らす。ここで止まれということらしい。

 レコニング号を止めて、外に出てみる。そこにあったのは、岩山に埋め込まれた、大きな観音開きの扉だった。

 高さは十メートルほどだろうか。経年劣化からか、外面はボロボロと亀裂がはしっているものの、叩いてもびくともしなさそうな、その堅牢さと大きさから見るに、もしかしたらゾンビが発生する前からここにあるのかもしれない。

 扉に近づく。扉は大きさに見合うように重たく、押しても、引いても、びくともしない。観音開きだから、真ん中に隙間があってそこから内側を覗けたりしないだろうかと思ったが、隙間もしっかり埋まっていた。もしかしたら、そういうモニュメントで、つまり、向こうなんてない、ただの扉の彫刻なのではないか? と思えるぐらいだ。アリスはその扉をぽけーっと見上げてから、口を大きく開けた。


「こんにちは! 神さまの啓示を受けて旅をしている者です。決して怪しい者ではありませんので、扉を開いてはくれませんか!」

「そんな呼び方で反応するわけねえだろ」


 装甲車から降りたリリィロックが呆れたように言いながら、ドアの横にある呼び鈴を押した。あるんだ。呼び鈴……。しばらく待っていると。


【辺りに『死体』はいますでしょうか】


 がーがーぴーぴー。古びたスピーカーの音。錆びついている。ノイズが多くて声の主が何者なのかはさっぱり分からないが、どうやらゾンビがいるかどうか尋ねているらしいということは分かった。


「いねえよ。確認済みだ」

「ま、待って。リリィロック」


 なにかに気づいたように、リリィロックの後ろに立っていたクリスタが、懐から銀のリボルバーを取りだし、トリガーに指を添えた。銃声。リボルバーが向いている方にカメラを向けると、カメラのズーム機能を使わなければ、人型らしきなにかがいる。ぐらいしか分からないぐらい離れた位置に、ゾンビがさまよっていて、クリスタは、その頭を一発で撃ち抜いた。


「こ、これで大丈夫」

「今のを当てれるのか……」

「こ、これぐらいできないと、リリィロックと離れたときに守れない、から」


 唖然とする僕に、クリスタはなぜか恥ずかしそうに答えた。

 がーがーぴーぴー。ノイズ音。


【では、今開けますので。少々お待ちを】


 扉の方から鍵の開く音が聞こえた。扉が開いた――扉にひっそりとついていたくぐり戸が開いた。小さく体を滑らせて入る程度開いたくぐり戸の向こうから、女性の声がする。


「早くお入りください。扉を長時間開くことは、禁じられているのです」


 リリィロックはくぐり戸から中に入りながら、振り返る。


「ほら、さっさと働け未納! この中に荷物を入れるんだ」


 大きな扉の反対側は、洞窟になっていた。

 天井からぽつぽつと水が垂れ、ゴツゴツとした岩の地面は、少しだけしっとりとしている。

 僕は荷物を両手で抱え、その上にカメラを置いた状態で、くぐり戸の鍵を閉めている女性の方を見る。

 彼女は、白い服を着ていた。汚れがあればすごく目立つだろう、白い、全身を覆うローブのような服。肌は日の光を浴びていないのか、白アスパラガスのような、奇妙な白さがある。

 彼女は僕の方を見据えると、すんとした表情でこう言った。


「ようこそ、アリ教のコミュニティへ。私たちはあなた方を歓迎します。ただし、『死体』については一切話さぬよう、お願いしたいのです」

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