最終章 アリスと世界の終わり(6)
その日の夜。
僕らはまだ、『オアシス』にいた。
速く逃げるべきなのは分かっている。けれども、アリスはすっかり塞ぎ込んでしまって、僕の話に耳を傾けることさえ、してくれなくなってしまった。
布団の位置は変わっていない。ただ、僕に背を向けるようにして、なにを話すでもなく、眠りについてしまった。
僕はカメラをいじりながら、背中を壁に預ける。
さっきのアリスの表情が、カメラに映っている。
嘘つき。
嘘つき。嘘つき。嘘つき。嘘つき。
……………………。
「きっついなぁ」
思わず、声が漏れる。
持ち込みで不合格だったときよりも。自分が『クソ映画界の新星』として扱われていたことを知ったときよりも。映画がつまらないと言われてしまったときよりも。きつい。
アリスに嘘つきと言われてしまったことが――僕の嘘で、泣かせてしまったことが、きつい。
「お前が落ち込むと思って、お前のためを思って!」
なんて情けないセリフは吐いていない。
誰かのためを思ってだったら、許されてもいいはずだ。なんて、傲慢な感情を、ことさらに主張するつもりはない。単純に、僕が悪い。
落ち込む。
とはいえ。
このまま彼女を置いておくわけにはいかない。
アリスに嫌われてしまったかもしれないけれども、彼女を放置するわけにはいかない。
明日の朝になれば、アナがまたやってくる。アリスがどんな目に遭うか、分かったものではないからだ。
……アリスには悪いけど、寝ている間にレコニング号まで運んでしまおう。
起きたらなんて説明しよう。ちゃんと説明したところで、彼女が信じてくれるだろうか。もっと嫌われてしまうかもしれない。それでもいい。嫌われてたとしても、彼女が助かる可能性があるのならば。
アリスの背中を見る。動きはない。多分、寝ているのだろう。今なら、運んでも気づかれないだろう。
腰をあげようとする。頬の横を、生温かななにかが横切る。それはけもの臭くて、子供の頃に飼っていたペットを思いだす温風だった。それはなにかを囁いているようにも聞こえた。
……………………。
……………………。
……………………。
……………………。
目を覚ます。目を覚ます!?
寝てしまったのか!? このタイミングで!? どうして!?
「アリス!」
僕は声を荒げる。
「おはようございます」
返事をしたのは――アナだった。
僕は体を固めて、部屋の入り口に立っているアナを凝視する。逃げようとしたのがバレたのか?
「あなたがそこで固まることを、この私はすでに知っていました」
「……なにか用か?」
「あなたには用はありません。この私が用があるのは、アリスの方で、そして、それは既に済んでいます」
僕はアリスが寝ていた布団の方に視線を向ける。彼女の姿はなかった。
「アリスをどこにやった!」
「病院前の庭にいますよ」
あっさりと教えられた。
拍子抜けもいいところだ。ずり落ちた眼鏡を、正しい位置に戻す。
「別に教えたところで特に問題がないことを、この私は知っていますからね。あなたはその庭を通って、ここから立ち去るのですから」
「なんで」
「今日の明け方、研究材料として捕えていた『死体』が脱走し、十数名の犠牲者が出ました」
「……それが、どうかしたのか?」
「逃がした犯人は、アリスです」
アナは言い切った。口をポカンと開けて、彼女の次の言葉を待つ。
「この私は今日、神さまの声を聞きました。『死体』が脱走し、犠牲者が出ると。その運命は避けられないものであるとも。悲しいことです。そして、その犯人はあなた達であると」
「どうして僕らが」
「あなた達は詐欺師で、我々を騙していた。逃げるときの錯乱目的で、『死体』を逃がした。そうでしょう」
「僕らは詐欺師じゃあない。それに、錯乱目的なら、どうして僕はここにいる。おかしいだろう」
「しかし、アリスは認めましたよ?」
「え?」
「彼女は自分が嘘をついていたことを認めましたよ」
アナの言葉に、僕は呆然とする。
嘘を認めた?
嘘なんてついていないのに?
神さまの声が聞こえるというのが、本当に嘘で、僕にまで嘘をついていたというのか?
そんなわけがない。神さまが彼女に囁くところを、僕はずっと見てきたのだから。
「彼女は嘘を認め、自分一人の責任だと言いました。自分は罰を受けるから、江渡木さんは逃がしてほしい。と。だからどうぞ、ご安心を。あなたは逃げてもいいですよ」
アナは腕を伸ばし扉から出ていくよう、促す。
僕はねめつけながら、手探りでカメラを探る。近くにカメラがなかった。探し回る時間はない。そのまま、部屋から出る。とにかく、アリスだ。アリスの様子を見に行かなくては。確か、庭の方にいると言って――。
ガツン。
後頭部に衝撃。
視線が、落ちる。前から、下。地面へ、向かう。ぐるりと回って、天井を見る。背中が壁にぶつかる。いや、違う。床だ。倒れ込んでいるのだ。僕は。天井と僕の間にアナの顔。「おや」と呟く。その隣には、防護服を着込んでいる研究員がいて、そいつの手には煉瓦なんていう、分かりやすい鈍器があって。
「まさか、研究員があなたを襲うなんて。この私も、知りえませんでしたね」
ガツン。
もう一度殴られた。
意識が、途切れる。
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