最終章 アリスと世界の終わり(7)
「うひひ、しかしそっちも運がいいな。オレたちパシフィック商会じゃあない限り、こんな商品をかかえていたりしてないぜ?」
脳にもやがかかっている。
声がぼんやりと聞こえてくる。
キンキンとした、甲高い幼女の声。
僕は体を置きあげさせる。メガネがない。見えない。小さい影が、こっちを見た。大きな影が、おどおどと僕の方になにかを伸ばしてきた。
手を伸ばして、受け取る。それはメガネだった。かけて、影を見る。
眉を八の字にさげた大きな女性が、僕のことをかがみ込んで覗きこんでいた。
「あ、あの。大丈夫ですか? 頭の方は、痛くありませんか? お、お薬! 鎮静剤ならありますが、お譲りしましょうか?」
「お姉ちゃん! こいつにすぐ物をあげようとしないで! 私たちの商品をもらえるものだと思ってるクズの目だよ、そいつの目は!」
やはり。というか。どうしてここに? というか。
そこにいたのは、クリスタとリリィロックであった。
「また会ったね、クリスタ。準レギュラーぐらいの登場頻度だ」
「は、はい。そちらも生残のようで。よ、よかったです」
「おい未納。私には挨拶もなしか」
「よう、ちびっこ。また背が小さくなったか?」
「なるか!」
「どうしてお前らがここに?」
「決まってんだろ。商売だよ」
商人だからな。とリリィロックは言う。
「なにか欲しいものはあるかと聞いたらよ、人を閉じ込めておける牢とかはないのか? なんて、物騒なこと聞かれてさ、何事だろうか。と思えばお前が霊安室に閉じ込められていたわけ。うひひ、一体なにしたんだよ」
リリィロックはおかしそうに笑う。
僕はそこで自分が四角い牢に閉じ込められていることに気がついた。『ペット 檻の中の乙女』でヒロインが監禁された場所。あるいは、『ミスターGO!』でゴリラが入っていたやつ。
猛獣用の檻である。
僕は思わず立ち上がろうとして、頭を打ちつけた。クリスタはわたわたと慌てたように手を振る。
「だ、大丈夫ですか?」
「ちょっと目がチカチカするけど、大丈夫……」
目頭をおさえながら、僕はクリスタを見やる。彼女の手には僕のカメラが握られていた。僕が見つけたことに気づいたのか、ウィチータは牢の隙間から、僕に手渡す。申し訳なさそうな表情で、僕を見る。
「ア、アリスさんからです」
「アリスが?」
「『勝手に持ちだしてすみませんでした。外が暗かったので』と。じ、自分は返せないから、か、代わりに、返してほしいと。た、頼まれました」
クリスタは周りを警戒するようにキョロキョロと頭を動かしてから、顔を近づけてくる。
「リリィロックは知らないふりをしていますけど、ここでなにが起きたかはある程度、き、聞いてます」
リリィロックの方を向く。ぷい、と顔を背けらた。
「し、『死体』を助けようとした。と言えば、ア、アリスさんがしそうなことですが、そ、そんなことをすれば誰かが傷つくって、すぐ分かるはずです。そ、そんなことを、彼女がするとは、お、思えません……」
「だったら、僕を拘束する檻なんて提供しないでほしかったな」
「それはそれ。これはこれ」
クリスタを押しのけるようにして、リリィロックは僕の前に立つ。腰に手をあて、僕を睨む。
「勘違いすんなよ。オレたちはお前の仲間じゃあない。ただの商人で、そっちは客の一人。なんなら料金未納の悪い客だ。そんなお前が拘束されようとも、その間にシスターが処刑されようとも、オレには関係ないね」
「待て、処刑ってどういうことだ」
「知らないのか?」リリィロックはわざとらしく、首を傾げる。「情報料貰わないとな」
「アリスが処刑されるって、どういうことだよ」
「そのままの意味だって。シスターはこのコミュニティを荒らした罪で、火刑にされるんだとよ」
「ふ、ざけんなよ!」
僕は思わず檻を殴った。檻の前に立っていたリリィロックが体をびくぅと震わせる。
「わ、悪い。驚かせちゃったな」
「ビビってねえよ!」
涙目で言い返してきた。
「リ、リリィロックのことを殴ったのかと思っちゃいました」
クリスタの方を見る。ほっと胸を撫で下ろしながら、銀色のリボルバーをしまっていた。殴っていたら、撃ってたの?
涙目をごしごしと擦ってから、リリィロックは、こほん。と咳をひとつ。
「オレたちはお前が拘束されてからここに来た。だから、シスターが本当にそんなことをしたのかは知らねえ。でも、お前がしくじったんだな。ということは分かる」
リリィロックは檻の隙間から手を伸ばし、僕の手を掴む。
「自分の不始末は、自分でどうにかしろよ。八歳だって知ってるよ、そんなことぐらい」
「おい」
僕が捕まっている部屋の入り口で待機していた防護服の男が、苛々を隠そうとしない声色で言う。
「お前らが『牢を提供する代わりに捕まってる男と話がしたい』と言うから許可したが、話すぎじゃあないのか?」
「わ。あ、す、すみません。すみません!」
クリスタが振り返り、ぺこぺことその大きな体を折り曲げて、頭を何度も下げる。
「リリィロック、は、話は終わった?」
「うん。終わったよ。お姉ちゃん。やること済んだし、さっさと帰ろう」
リリィロックはクリスタと手を繋ぎながら、去っていく。出口の扉を閉めるとき、振り返って、言った。
「じゃ、また今度。どっかで会えたら」
***
しん。と、部屋の中は一気に静かになった。
どうして、アリスが処刑されないといけないんだ?
どうして、そんなことになってしまったんだ?
「神さま、説明してくれよ」
僕は思わず声をもらしたが、神さまからの返事はない。
なんだよ、いつもは勝手にやってきて、話しかけてくる癖に。
僕が眠ってしまった直前だって。獣臭い温風。あれはきっと、神さまなのだろう。神さまがアリスに啓示をするためにやってきて、それを聞いたアリスが慌てて外に飛びだした。そう考えるべきだろう。
アリスは一体なにを聞いたのだろう。
僕は、カメラに視線を落とす。外が暗いから、ライトの代わりに持って行ったらしいカメラ。
もしかしたら。なにかが映っているかもしれない。
▶再生。
「こうでいいのでしょうか。カメラは撮られてばかりで、持つのは初めてですね」
カメラの視界がぐわんぐわんと回転する。動きが落ち着く。アリスの顔が、アップで映り込む。
「映っているのでしょうか、撮れているのでしょうか。さっぱり分かりません。撮れていると考えて、撮影することにしましょう。なんでしたっけ。こういうのを、
カメラが回転する。観る側のことをまるで考えていない乱暴な視線移動。
壁に背を預けて眠っている僕が映った。
「江渡木さんは眠っています。布団に入らなかったということは、寝るつもりはなかった。ということでしょうか。それとも、私に近づきたくなかった……のでしょうか」
カメラが僕の顔に近づく。鼻が画面全体を覆うぐらい大きく映される。
「えっへっへ。江渡木さんが近づきたくないのなら、私が近づいてしまえばいいんですよ」
カメラが小刻みに揺れる。笑っているようだ。
「はっ。こんなことをしている場合じゃあないのでした」
回る。アリスの顔が映る。
「えっと、江渡木さん。まずはごめんなさい。カメラを使わせてもらいます。だって、外は暗いですから。恐いですよ、そしたら、カメラにライトがあることを思い出して、そうだこれを使おうって! えっとですね。そもそもどうして外に出ることになったかと言いますと、神さまからの啓示があったのです!」
アリスはカメラを高く掲げる。
勢いがあって、掲げた先ではただ壁を映しているだけだから、多分、いつもの癖で両手を高く掲げてしまったのだろう。
少ししてからカメラの視点が下がる。
「『ゾンビが脱走を始め、人が襲われる』という啓示です。いてもたってもいられません! 誰かが襲われてしまうというのでしたら、助けにいかなくては。神さまがおっしゃるのですから、私は向かわなくてはならないのです! 江渡木さんを起こすべきかなと思ったのですが、その、あの」
アリスは言いよどむ。
なにか決意を固めたように、よし。と呟く。
「昨日はすみませんでした。嘘つきなんて言ってしまって。気が動転してて。江渡木さんは、私が悲しまないように秘密にしていたわけで、なんにも悪いことをしてないのに。…………してませんよね? 私が動転するシーンが撮りたいから、嘘をついたのだとかそんな理由じゃあないですよね? 謝って損しました!」
台詞の順番がぐちゃぐちゃだ。思いついたままに口からだしているせいで、観ている側への配慮がない。思わず笑みがこぼれる。
アリスはこほん、と咳払いをする。
「とにかく。江渡木さんが悪い人じゃあないことは知っています。怪しいところではありますが、だから、ごめんなさい。神さまの啓示を阻止してきたら、きちんと謝ります」
アリスはカメラを持って、部屋から飛びだす。
カメラを持って走っているということを意識していない走り方をしているから、カメラの視点が、『ハードコア』みたいにブレブレだ。だからPOV方式は流行らないんだ。
早送り。
アナの顔が映る。通り過ぎる。
一時停止。巻き戻し。
「神さまの声、ですか」
アナはライトがまぶしそうに、眉をひそめる。
診察室の引き戸に肩を寄せて立っている。
どうやら『オアシス』の中をしらみつぶしに探しても時間がかかるだけだと判断したアリスは、アナに手助けを求めに来たようだ。
「そうです。このままだと誰かがゾ……ではなく、『死体』に襲われてしまいます!」
「……この私は、そのような運命を知りません」
アナは静かに言う。
「神さまの声なんて聞いていません」
「で、でも確かに私は」
「気のせいではないのですか?」
「そんなわけがありません」
「では、この私が聞き逃したと? あるいは、あなたにだけ神さまが教えてくれたというつもりですか? 自分だけ贔屓されているのだと」
アナは明らかに不機嫌そうな声色で言う。アリスは気圧されて、カメラが一歩下がった。
「いえ、そういうつもりでは……」
「ならば聞き違いでしょう。安心してください。『死体』の脱走など、今まで一度もありませんでしたよ?」
言うだけいうと、アナは診察室に戻っていった。
アリスは再びカメラを振りながら、『オアシス』の中を探し回る。
早送り。早送り。早送り。再生。
見つけた。
息切れが、カメラの上から聞こえる。カメラはゆっくりと上下に動いている。ライトが廊下を照らしていて、一本はしっている赤い線がよく見えた。
つばを飲み込む音。
カツン。カツン。廊下を歩く。ライトは奥へ奥へと進み、赤い線の発生源にたどり着く。
ゾンビが、防護服を引きちぎって、中身をほじくり出している最中だった。
黄色い防護服の上に、血がたまり、ちょっとした水たまりができている。
水たまりにゾンビは腕を突っ込み、その奥から肉をほじくり出す。ぶよぶよとした赤い肉には、黄色い防護服の切れ端がひっついていて、ゾンビはゆっくりとそれを口に運んだ。
もちゃ。もちゃ。老人のような咀嚼。倒れている防護服を着込んだ誰かに動く様子はない。
間に合わなかった。
カメラは一歩一歩と下がっていく。ぐるんときびすを返して、逃げだした。
「誰か! 誰かいませんか!」
早送り。再生。
脱走したゾンビの頭に、銃弾が撃ち込まれる。斧が振り下ろされ、鉈で刺され、棒で殴られる。
被害は思ったよりも甚大だった。
「死亡者数は?」アナが尋ねる。
「……十五人。おおよそ三分の一がやられました」防護服が答えた。
病院の庭に、ゾンビの山が築かれていた。脱走したゾンビと、殺されてしまった人たち。
アリスはカメラを地面に置く。ゾンビの山の一番下にはまだ動けるゾンビがいた。上が重たくて、抜け出すことはできなさそうだが。
アリスは両手を組んでお祈りをしている。ざっ。ざっ。と地面を蹴りながら歩く音。
「アナさん」
アリスは振り返る。アナは焦躁で目をぐるぐると回して、汗腺がバグったように、とめどなく、汗が溢れている。
「大丈夫ですか?」
「……こ、この私は、こうなることを、すでに、知っていました。神さまはこの運命を私に伝えていたのです」
「え」アリスは驚きの声をあげる。「さっきは、聞いていないと」
「神さまは言いました。『死体』が脱走し、人を襲うと。それは避けられない運命であることを」
アリスの言葉を無視して、アナは防護服たちに、己の無実を主張し続ける。
「神さまはこうも言いました。なぜ『死体』が逃げ出してしまったかを。管理の不始末? いえ、違います」
アナはアリスを指さした。
「彼女が、逃したんです」
「え」
「彼女たちは『世界を救うなにか』ではなく、この私たちを騙そうと企んだ詐欺師です。逃げ出すときの錯乱のために、彼女は『死体』を逃したのです」
「わ、私はそんなことしてません!」
アリスは慌てて言い返す。しかし、周りの防護服たちの目は明らかに今までと変わっていた。
世界を救うなにかを見つめる、羨望と探求の目ではなく。
仲間が死ぬ理由となった犯人を睨め付ける、憎悪と軽蔑の目に。
アリスはたじろぐ。
アナは大袈裟なまでに大声で、防護服たちに宣言する。
「ゆえに、この私は犯人である彼女を火刑に処したいと思う!」
■停止。
「……なるほど」
アリスが撮っていた動画を見終えた、電源をきってから、僕は小さく頷く。
神の声が聞こえる。運命をすでに知っていると豪語することでコミュニティを統治していた彼女にとって、今回の失態は、己の地盤を揺るがしかねないものだったのだろう。
こうなることを、この運命は知らなかったのかと。
だから、ほかにスケープゴートを用意した。
アリスを犯人にすることによって、怒りの矛先を変えた。
「失態を隠すために、待ち望んでいた『世界を救うためのなにか』を手放すことに躊躇しないとは……」
しかし。まだ謎が残る。
どうしてアリスはそれを認めたのだろう。
神さまからの啓示を受けていたのに、助けることができなかったから?
ありえるかもしれない。
けど、それでも、アリスの目的は『世界を救うこと』だ。
罰だからといって、火刑ってつまり火あぶりになることを、そんなあっさりと受け入れるはずがない。死んでしまえば、世界を救うことなんてできないのだから。
「ん~~~~!」
頭をガシガシと掻く。
分からない。
けれども、とにかく今すべきなのは、火急のアリス救出だ。
作戦を練らなくては。
彼女を助ける方法を。
ガチャリ。
と。
部屋の扉が開いた。
防護服たちが、僕の様子を見に来たのだろうか。
視線をあげる。
開いた扉の前に、人の姿はなかった。
あったのは、猫の姿。神さまの姿だった。
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