第四章 ゾンビマックス!(3)
「ご、ごめんねリリィロック! バレちゃったー!」
観念したクリスタに連れられ、僕はハリーの家へと向かった。
居間にはハリーと、件の女の子がいて、なにやら話し合いをしている最中であった。
クリスタが泣きながら居間に飛び込むと、女の子は、げっ。と言わんばかりの表情を浮かべ、ハリーは女の子と僕の顔を見比べるように、視線を行き来する。
クリスタから事の顛末を聞き終えた女の子――リリィロックは、僕の前に立つと、そのまんまるとした目を細めて、ねめつけるように、見上げてきた。僕は挨拶代わりに片手をあげる。リリィロックも片手をあげる。手のひらを上に向けて、親指と人差し指で円をつくっている。
「金を払え」
スズメみたいな声色で、少しでも低くしようと喉を潰しながらひりだしている声に、僕は思わず「は?」と声がもれた。
「は? じゃあねえよ。私の情報をお姉ちゃんから聞いたんだろう。じゃあ金を払うのが筋でしょ。情報の対価。お前がしてることは無銭飲食もいいとこ。食い逃げだよ、食い逃げ。未納。滞納。料金未払い。大人なら、そこらへんちゃんとしてほしいね」
「お姉ちゃんは僕に情報をくれたんだ。だから、僕が払うべき対価はないよ」
リリィロックはクリスタを睨む。クリスタはしゅん。と頭を垂らした。リリィロックは大仰にため息をつく。
「おい未納」
「僕のこと?」
「そう、未納。お姉ちゃんをいじめたっていうなら、許さねえぞ。髪の毛の一本一本から足の爪にいたるまで全部全部売り払ってやるからな」
「いじめてないいじめてない」
僕は頭を振る。クリスタも賛同するように、頭を縦に振った。
「ならいいんだけどさ」
リリィロックは唇をとがらせる。
「それにしても。よく『妹の存在』と『迷子の女の子』っていう情報だけで、同一人物だと思ったな。オレだったら、もう少し情報を集めるか考え込むけどな」
「考える時間はあんまりなかったというのもあるけど、そういうのって、だいたい同一人物なんだよ。別人だと思う方が難しい」
メタ読みというか。アリスと一緒に姿をくらました迷子の女の子がまさか捨てキャラだとは思えないし。現実と違って、映画では『キャラクターは役目があるから存在する』わけで、極論それはモブキャラにだって適用される。必要だから存在する。だから、新たな女の子の存在が示唆された時点で、そうなんだろうな。と思った。
もちろん、このメタ読みを前提として、『同一人物だと思わせておいて別人』みたいなこともあるから、一応クリスタに確認をして、ここに来たのである。『シスターと従者を引き離して、ここに連れてきて欲しい』という依頼をした、ハリーの家に。と。ここでようやく。ハリーが口を開く。
「どうして、従者さまがここに」
「どうしてって、アリスがここにいると聞いたから。先に帰宅したとか、そういう意味じゃなくて。攫われたという意味で」
ハリーはリリィロックを見る。
「取引と違うじゃあないか。彼がここに来ないように頼んだのに!」
「そうか?」
リリィロックは悪巧みを思いついた子供らしい笑みを浮かべて、首を傾げる。
「オレが依頼されたのは『二人を引き離して、シスターを連れてくる』までだったはず。用事が済むまでの間、引き離し続けるなんて聞いてないね」
「ざ、
「いいじゃん戯言。子供は戯れるものだぜ。うひひっ」
「あ、あんなこと言ってるけど。単純に、け、契約未達成でお金がもらえないことを危惧してるだけでいったい! 膝蹴らないで!」
「お姉ちゃんがそいつを連れてこなかったら、もっと単純な話だったんだけど?」
「ご、ごめんね」
「ともかく!」
リリィロックは大きな声をあげる。
「取引通り、オレはシスターをここに連れてきた。取引は完了。アフターサービスはなし。お金をもらって終わりだ。終わり!」
「そんな……」
ハリーはへなへなと床にへたれこむと、僕の顔を見て、頭を倒した。土下座である。
「お願いだ。従者さま! 不躾なお願いであることは重々承知なのだが、シスターさまをもう少しだけ、うちに置いてはくれないか!」
「お願いを聞くのは吝かではないけれども」嘘だ。「どうしてアリスを連れ去ろうと思った。こうしてお願いをするではなく」
まるで、断られることが分かっているような動きではないか。
「そ、それは……」
図星だからだろう。ハリーは二の句を開けないでいた。そのタイミングで。僕は。
「ひゃあああああああああ!」
という、アリスの悲鳴を聞いた。やはり、アリスはこの家にいたのだ。
声がしたのは、廊下の方。僕は廊下に向かう。玄関まで続いている短い廊下。二階にのぼるための階段がある。
階段の側面に小さな戸があった。『ハリー・ポッターと賢者の石』でハリーが住んでいた物置の戸みたいだった。戸を開き、中に入る。先には物置ではなく、地下に続く階段があった。
「だ、ダメです。そんなこと……っ!」
仄暗い階段の底から聞こえてきたのは、嫌がるアリスの声とーーゾンビの呻き声。
「アリス!」
僕は声を荒げ、短い階段を駆け下りる。地下室の床に足をつけ、部屋を見る。
そこにあったのは。
「お願いします、シスターさま。娘を噛んでください。お願いします!」
「ですから、私が噛んだところでなにか変わるとかはないんです」
何度も頭をペコペコと下げながら、アリスの口の前にゾンビの腕を突きだすヘレンと、アリスがそれを、両手で押しのけようとしている姿だった。
「なにこれ?」
僕は思わず、呟いた。
涙目になっているアリスは、僕の存在に気づくと、縋るように近づいてきた。
「え、江渡木さん! どこに行ってたんですか。迷子にならないでくださいよ!」
「迷子になってたのはお前だし、なんなら連れ去られてたんだけどな」
「はて?」頭の上にハテナマークを浮かべるアリス。迷子は自分が迷子である自覚を持たない。
「へえ。なるほど。シスターを連れてきた理由って、これだったんだ」
僕に続いて、クリスタとリリィロックが階段を降りてくる。僕の肩越しに二人の姿を捉えたアリスはビックリしたように目を見開く。
「江渡木さんが知らない女の人といます!」
「いちゃ悪いか」
「まさか、これが恋敵というやつですか」
「というやつではねえ」
わわ。と、クリスタは漫画ならば頭の上に汗マークが描かれていそうなぐらいビックリしている。僕はじいっと彼女を見つめるアリスの頭をはたいた。まったく。心配して損した。
クリスタとリリィロックの後ろから、最後にハリーがやってくる。僕はハリーとヘレンの顔を交互に見て、最後にゾンビに視線を移してから、尋ねる。
「説明、もらえますか?」
「……この子は、『カレン』と言います」
暫く黙ってから、ヘレンはそう切りだした。
ゾンビの前に立ち塞がる門番のようにハリーとヘレンは立っている。
僕は、僕を除く五人が映り込むように後ろに回る。リリィロックの背後がちょうどよかった。
「背の低い子供がいて助かったよ」
「うるさいな。オレは八歳で成長期だ。これから伸びるんだよ。成長が終わったお前らぐらいすぐ越してやる」
「リリィちゃん。言葉をもう少し丁寧にしても」
「……パパがこんな風に喋ってた気がする、から。これでいい」
リリィロックの口調に、なにか察したものがあったのか、アリスはそれ以上言及はせずに、目を動かして、僕の顔を見た。僕は小さく頷く。
「おれたちの娘だ」
ハリーははっきりとした口調で言う。地下室にいたゾンビ。背年齢は恐らく、十代前半ぐらい。赤茶色の髪を丁寧に三つ編みにしている。服も綺麗なままで、毎日着替えているようだ。口にはタオルが咥えられていて、両手首を縄で縛られている。動きは緩慢で、近くに人が六人もいるにも関わらず、誰かに襲いかかることもなく、ぼうっと宙空を眺めている。本当にゾンビなのだろうか。酷く消耗している子供なのではないかと勘ぐってしまうほどであったが、しかし、彼女の目は明らかに白く澱んでいてゾンビのそれだった。
「し、『死体』なんですか?」
「数日前に『死体』に噛まれてしまってから、ずっとこのままです」
「それは……」
アリスは悲しそうな声を漏らす。
「安心してくれ。カレンは人を襲ったりはしない。微弱な電流を体に流しているから、うまく動けないんだ」
「元は電流で心臓が動いてくれたらと思い始めたことなのですが、いまでは、カレンの動きを制限するものになっています」
僕は試しにカレンの前で手をゆっくりと振ってみる。澱んだ目は手のひらを追おうともせず、僕の顔をぼうっと眺めている。
「どうして、アリスを攫おうと考えたんだ?」
「シスターさまが、『死体』に噛まれているにも関わらず、無事でいたからだ」
「昨日、シスターさまがお風呂からあがったとき。手の甲に噛まれた痕があったことに気づき……」
ヘレンとハリーの釈明を聞き、僕はアリスを睨んだ。
「だからちゃんと隠しとけって言ったんだ」
「気をつけます……」
彼女はしゅんと肩を縮こませる。僕はヘレンとハリーと向き合う。
「確かにアリスは、『死体』に噛まれても無事だ。体質か、あるいは抗体を持っているんだと思う。でも、それは噛んだところで人にうつったりしない。残念だけど」
ゾンビに噛まれると死んでゾンビになる世界を生きてきた彼らにとって、『噛む』ことは体が変質する要素として、頭をよぎりやすいのだろう。二人は至極残念そうに「ああ……」と声をもらす。
アリスはゾンビの前で手を組み、祈りを捧げてから言う。
「残念ですが、私は『死体にならない』のであって、『死体から生き返れる』わけではないのです。仮にうつせたとしても……」
「シスターさま!」
急にヘレンが声を荒げる。
「生き返れるなんてそんな! そんな、まるでカレンが死んでいるかのようではないですか!」
「……え?」
「カレンをよく見てください! カレンはこうして動いているじゃあないですか!」
ヘレンはアリスの手を掴み、縋るような目を向ける。口元は、笑っている。
「死んだら、人は、動いたりしないじゃあないですか……っ」
ですよね? とヘレンはアリスの手をさらに強く握る。
「いたっ」
ヘレンの爪がアリスの手の甲に刺さった。アリスは小さく声をあげ、ヘレンははた、と手を離す。
「す、すみません。シスターさま!」
「いえ、平気です。気になさらないでください」
アリスは柔和な笑みを浮かべる。僕はハリーの方を見る。彼も同じ意見なのか、アリスに救いを求める目を向けていた。彼らは、娘が死んだと思えないでいた。受け入れられないでいた。
心臓は動いていないけれども、人を襲おうとするけども、喋ったりもしないけれども、体は腐る一方だとしても。
動いているのなら、生きているに決まってるじゃあないか。
ある日突然、正気に戻るかもしれないじゃあないか。今は正気じゃあないだけで。
彼らはそれを信じている。願っている。だから彼らはゾンビに電気を流し続けているのだろうか。一度流して、元に戻ってくれなくて。それでも諦められないから、ずっと流し続けている。アリスは僕の方を向く。
「江渡木さん、ゾンビから元の人間に戻る話はありますか?」
「ある」
完全に人間に戻る話はある。もっともそれは、ゾンビ化が病気である世界の話であり、映画ではなく小説の話だ。
「不完全だけど、心臓が再び動きだす話もある。この前話した、恋のドキドキで心臓が再び動きだすゾンビ映画だよ」
果たしてあれは、『人間に戻ったのか』、『ゾンビの心臓が動きだしたのか』はいまいち判然としないけれども。ゾンビとしての意識と、人間としての意識が同じなのか、それとも違うのか。そもそもそんなもの存在しないのか。そういった話も関わってくる。
「でも、アリス」僕は言う。「今まで元の人間に戻ったって話を聞いたことがある?」
「……ないです」
アリスは頭を振る。この世界のゾンビのルールは、『死んだらゾンビになる』だ。
死んだばかりの蘇生ならともかく、死んで暫く経ったであろうこの子が、生き返る可能性はないだろう。だから。彼らが願っていることは叶わない。
「ふうん」話を聞き終えたリリィロックはハリーの方へと向かう。
「な、なにか?」
「あのシスターをここに連れてきたことに対する報酬なんだけどさ。やっぱ、なしでいいよ」
「……なぜ?」
「なぜって、そりゃあ」リリィロックは当然のように言う。「家族のためなら、オレは報酬を受け取らない。パパとママもそうしていたらしいし、オレもそうするべきだと思うから」
まあ、失敗で報酬の支払い不可って思ってくれー。なんて言いながら、リリィロックは階段をだかだかと音を立てながらあがっていった。
「お、怒ってるわけじゃないので安心してください。て、照れているだけです」
「お姉ちゃん!」階段の上の方から、リリィロックの大声。
いそいそと去ろうとするクリスタに、僕は声をかけて、呼び止める。
「ここの情報は、売ったりするのか?」
「そんなことはしません。わ、私もリリィロックと同じ意見だから……。家族は大事だから。こ、これ以上減ってほしくないです」
クリスタはカレンの顔を見て、微笑んだ。
「素晴らしい家族でよかったですね」
クリスタとリリィロックが去っていった。
「シスターさま」
ハリーがアリスの方を向く。
「シスターさまは世界を救う旅をしていると聞きました」
「……はい」
「世界を救ってくださるのですね。こんな、こんな世界を終わりにしてくれるのですよね」
「いつになるかは分かりませんが、終わりにしてみせます。神さまがおっしゃるのですから、私は世界を救わなければならないのです」
ハリーは嬉しそうに顔をほころばせた。アリスの手を掴んで、涙をこぼす。
「おれたちも願ってる。世界が救われれば、きっとこの子も、元に戻ってくれるはずだから」
「…………」
アリスは口を開いたまま、固まる。
冗談なんかではないことは表情をみれば分かる。彼らは本当に、それを願っている。
世界が救われれば、おかしくなっている世界が元に戻れば、おかしくなってしまった娘も、元に戻るのだと、信じている。
確かに彼女は世界を救う旅をしている。世界を修復するための旅をしている。
けれども。世界を救ったところで。
既に終わってしまっているものを、救えるはずがない。
死んでしまった人を、生き返らせるなんて、できるはずがない。
「救えません」と言えれば、どれだけ楽だろうか。
アリスはそんなことを言える子ではない。
「任せてください。きっと、救ってみせます!」と言えれば、どれだけ楽だろうか。
アリスはそんな嘘をつけるような子でもない。
だから。なにも言えない。固まって、震えているアリスの顔は、みるみるうちにぐちゃぐちゃに歪んでいく。足に力が入らなくなって、ハリーとヘレンの前で、それこそ土下座をするかのように跪いた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさいっ」
「ど、どうしてシスターさまが謝るのですか。頭をあげてください」
ハリーが近づいてくる。
これ以上は、もう限界だった。
僕はアリスの腕を掴んだ。
「出るぞ」
「えっ」
僕はアリスの腕をぐんと引っ張り、地下室から飛びだす。
突然のことに、ハリーとヘレンも、アリスも、うまく反応できていない。
「え、江渡木さん。どこに行くんですか?」
「この街から出る。もう充分撮影もできたしな」
「ダ、ダメですよ。神さまがここに誘ったのは、カレンちゃんを救うためです! きっとそうです!」
「救えない」
僕は言い切る。言い聞かせるように。
「あの子はもう死んでいる。死んでしまったら、もう救えないんだ」
アリスを引き連れ、僕は家の外に出る。家の外には、コミュニティの住人と思われる人が十数人集まっていた。一番前列にいた男が「おお」と声をあげる。
「シスターさまではないですか。おや、どうして泣かれてらっしゃるのですか?」
「あ。いえ、これは……」
アリスは手の甲でぐしぐしと目をこする。鼻の上が赤くなる。男は首を傾げる。
「そんなお急ぎでどちらに」
「あ、あの……」
どうして人が集まっているのかよく分かっていないアリスは、言い淀む。
「そろそろ旅を再開しようと思って。世話になった」
僕は男とアリスの間に手を挟み込んでから言う。男は僕を訝しむ目で見る。
「なにか、僕らがいないといけない理由はありますか?」
男はニカッと笑った。
「いえいえ。シスターさまを足止めする理由などありませんとも」
男は周りにいた住民たちに合図をして、僕らが通る道をつくる。僕はそこをアリスの手を掴んだまま通り過ぎる。彼らは僕らの方を見ながら、ニコニコと笑っていた。
「ああ。そうです。シスターさま」
「な、なんでしょう……」
アリスはびくりと体を震わせる。
「コミュニティから去るのでしたら、是非、一度お祈りをお願いしたく」
「お祈り……」
「はい。コミュニティがこれからも、この生活を続けられるように。シスターさまにお祈りをしてほしいのです」
アリスが僕の方をちらりと見る。僕は彼女の手を離した。
アリスはコミュニティの住人たちの前で、指を絡めるように手を組んだ。
「皆さま方がこれからも、安全で幸せな生活ができますよう。神さまのご加護がありますように」
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