第四章 ゾンビマックス!(4)

「江渡木さん、お願いがあります」


 街の外に停めていたレコニング号まで戻る。アリスは沈痛めいた表情で、助手席で俯いていた。

 僕は運転席に座ったまま、レコニング号を動かさなかった。彼女が落ち着くまで待とうと考えたからだ。暫くして、青い目を真っ赤に充血させたアリスはそう言った。


「お願い?」

「ヘレンさんとハリーさんに、カレンちゃんを救う手立てを、見つけてくると伝えたいのです」

「どうして」

「神さまがこの街に私を誘った理由を考えていました。江渡木さんのおっしゃるとおり、カレンちゃんを救うためではないことは、分かりました。今の私には、カレンちゃんを救う方法なんて思い浮かびません。江渡木さんは思い浮かびますか?」


 僕は頭を振る。


「ですから私は、考えを変えました。神さまが救えとおっしゃっているのは、カレンちゃんではなく、


 アリスは僕の方を見やる。


「お二人に『探してみせる』と伝えたいのです。伝えて、安心してもらいたいのです。ダメですか?」

「……探して。見つかると思うか?」

「見つけてみせます」


 アリスは言い切ってみせる。ヒントすらない机上の空論にすぎないのに。


「例えば『オアシス』でワクチンだけじゃあなくて、ゾンビ化から元に戻る薬とかつくれるかもしれないじゃあないですか」

「ゾンビになっているってことは、あの子はもう死んでるんだって。人間は生き返らない。例え元に戻れたとしても、それは、『動かない死体』になるだけだ」

「ちゃんと死ぬことができれば、ヘレンさんとハリーさんも、安心できると思うんです」


 ゾンビなんかではなく、ちゃんとした動かない死体になる。

 死んでいるのだと分かる、死体になる。

 アリスは僕の方を見る。


「江渡木さんの映画だったら、きっとそうすると思うんです」

「……そうだな」


 僕は頭をかく。なんなら、カレンだって救っていると思う。

 現実的なものに押し潰されると、たまにここは映画の世界なんだということを忘れてしまう。映画なんだ。映画なんだから、むりくりハッピーエンドにしたっていいはずだ。もしかしたら本当に、アリスの言うとおりになるかもしれないし。


「分かったよ。伝えてくる。ただし、アリスはレコニング号でお留守番だ」

「どうしてですか」

「さっきあの二人に監禁されたのを忘れたのか。余計に刺激したくない。僕が代わりに伝えてくるから。それでもいいだろう」

「……分かりました」


 アリスは助手席で体育座りで下唇を突きだしながら、頷いた。

 僕は再び街に入る。

 街の中は閑散としていた。住人たちは全て、ヘレンとハリーの家の周りに集まっているようで、二人の家に近づくほど、静けさは消えていった。二人の家は住人によって包囲されている。これでは、入りようがない。

 ――まあ。どこか探したら誰にも気づかれずに侵入できる場所があるんだろうけれども。

 そういうものである。実際、ぐるりと家の裏にまでまわってみると、住人の姿がなくなっていた。今なら侵入できそうだ。僕は裏口から家の中に入る。

 家の中までごった返していたらどうしようかと思っていたが、住人たちは廊下までしか進行していないようで、居間には誰もいなかった。

 廊下の方に近づき耳を澄ます。ハリーの声が聞こえた。なにやら会話をしているようだった。


「この下には誰もいない。言っただろう。ただの物置だって」

「ただの物置ならば、どうして我々を入れてくれない。ただ、その部屋が見たいだけなんだよ」

「人の家の物置を漁りに来たの間違いじゃあないのか?」

「それでも別に構わないのだが。そういえば、カレンちゃんはどこにいるんだ?」

「……いま、友達の家に行っている」

「嘘つけよ。住人はここに全員集まっているんだ。遊びに行く家なんてあるものか。この二、三ヶ月。あの子の姿を見たという住人はいない」

「病気をしていたんだ。だから、人前にでられなかった」

「『オアシス』の方々が!」男は大きな声をあげる。「女児の『死体』を求めている。それを渡せば、今まで通り燃料の供給は続く……死んでるんだろう。カレンちゃん」

「死んでなんかいません!」

「奥さんは地下室か。で、どうなんだ。カレンちゃんはまだ生きてるのか?」

「……………………」

「黙秘か。まあいいさ。どうせ隠してるんだろうからさあ。お前、それはダメだろう。このコミュニティの光がどうしてあるか、考えたことはあるのか?」

「『死体』を燃やして。だろう」

「そうだ。俺たちコミュニティ全員、死んだらあの火力発電所で燃やされる。そういうものだ。分かっているだろう。それなのに、どうしてお前は隠している? 提供をしないのに、益だけを受け取っている。それはちょっと手前勝手すぎやしないかい?」


 公平な取引と言えない。

 バツン。と家中の電気が消えた。


「この家の電気は使えなくさせてもらったよ。悪いね、どこかの家が『死体』の提供を渋るもので、燃料が枯渇気味なんだ」

「……構わない。電気ぐらい。使えなくとも。元より、便利すぎたと思っていたところだ」


 頑固だなぁ。と呆れたようなため息声が聞こえる。


「『オアシス』の方々がいつもより多めに燃料をくれるとも言っている。皆の安全と生活のために、『死体』を差しだせ」

「できない」

「どうして。その子はもう死んでいるんだろう。火葬するようなものだと考えろ」

「違う。カレンは生きている。動いている。まだ死に抗っているんだ!」

「『死体』は動くものだろう。動いて、死んでいるもんだろう」

「カレンは違う!」

「同じだよ」


 扉の開く音。物置の扉が開いた音だろう。


「ほら、やっぱりいた。見てみろ。あれはどこからどうみても『死体』だろう」

「違う。カレンは『死体』じゃあない! それに、シスターさまが抗体を持っているんだ。その研究が進めば、もしかしたら、カレンも元に戻るかもしれないんだ。だから頼むから見逃してくれ!」

「ああ、もう面倒だな」


 ハリーのくぐもった声。階段をなにかが転げ落ちる音。地面にぶつかる音。ハリーの息を吐く声。


「なにをするんだ!」

「初めからこうした方が手っ取り早かったんだ。お前はそこで、娘と仲良くしていろ」

「なにを」「どうして」「ヘレン?」「どうしたその首の血は」「まるで噛まれたみたいじゃあないか」「誰に噛まれたんだ」「誰に襲われたんだ」「カレン」「どうして動いてるんだ?」「電流が効いてないのか?」「……ああ」「そうか」「電気を切られたんだったな」


 悲鳴。悲鳴。悲鳴。泣声。懺悔。懺悔。次第に消えゆく声。あとに残ったのは、三人ほどの、呻き声。


「よし。じゃあ下にいる三体をさっさと運ぶぞ。運が良い。一体だけだった燃料が三体に増えたぞ。これでまだ、我々は暮らしていける」


 家の外から、嬉しそうな拍手が聞こえてきた。


***


「お帰りなさい。江渡木さん」

「ただいま、アリス」

「拍手の音が聞こえてきましたけど、なにかあったんですか?」

「色々と」

「……伝えてくれました?」


「ああ――」僕は口を開く。口から声が出るのが遅く感じた。本当に自分の口から声が出るのか不安になってきて、それでも、捻りだす。映画なんだ。映画の世界なんだ。だから。


「――コミュニティ全員で、朗報を心待ちにしてるってさ」


 フィクションだっていい。むりくりハッピーエンドにしたって構わないはずだろう。


「良かったです……。皆さんのためにも、頑張って旅を続けましょう!」


 アリスは安堵しきったふにゃりとした笑みを浮かべる。僕は「そうだな」と言って、車に乗り込んだ。咳みたいなエンジン音をふかしながら、僕は口の中に溜まった唾を飲み込む。喉の奥から酸っぱい液が溢れてきて、顔をしかめた。嫌な気分だった。

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