第四章 ゾンビマックス!(2)
説明をしよう。
こんなことになった経緯を。
いつものように僕らは、デッド・レコニング号を走らせていた。助手席に座るアリスは、疲れからか早々に眠りについていた。あくびをひとつ。僕もそろそろ寝ようかなと思ったとき、ラジオからノイズが流れてきた。獣にむりくり人の言葉を喋らせているような、そんなノイズ。
『ひかりへむかえ』
神さまの声だった。
目を覚ましたアリスが神さまの啓示だと言いだし、真夜中に光を探しはじめた。
この世界に来てからというもの、夜に光というものを見かけたことがない。神さまも適当なことを言うな。と思ったときだった。光が見えた。それも大きな――元いた世界で言うところの、街の光が見えたのだ。近づいてみると、小さな住宅街を思わせるような、一軒家が建ち並ぶコミュニティがあった。見間違いではなかったのだ。
コミュニティはゾンビが入ってこないように周りを封鎖していたりはせず、むしろ、簡単に入ることができた。コミュニティの住人も僕らのことをやけにあっさりと受け入れてくれた。どうも、僕らが『シスターとその従者』であることから、警戒どころか、敬われているようですらあった。
僕らはヘレンとハリーという夫婦の家に世話になることになった。二人は僕らに夜食と寝る部屋を用意してくれた。中でも、アリスが一番喜んだのはお風呂だった。
ひと一人が入れるぐらいのお湯を沸かすというのは、もちろん、かなり贅沢なことである。しかしこの街には電気があり、それぐらいの贅沢も、たまにならできるのだそうだ。
「シスターさまの旅の疲れを癒やすためです。お気になさらずにどうかお寛ぎください」
「そ。そんな、悪いですよ」
なんて遠慮した声をあげるアリスだったけれども、『よし』と言われるまで必死に耐える犬みたいな表情で、僕の方をちらちらと見てくる。旅の間、たまの水浴びしかできなかったのだから、風呂に入りたいという気持ちは分かる。頷いて許可をだして、その間、僕は情報を集めることにする。
「どうして僕らを受け入れてくれたんだ?」
僕はハリーに尋ねる。頭のてっぺんが少し薄い、小太りの男だ。
「おれたちは来るものを拒まない。というルールだからね。それがシスターさまと従者さんであるのなら、なおさらだ」
「神さまを信じているのか?」
「こんな世の中だからね。すがれるものは多い方がいい」
「シスターさまからいくつか質問をもらってるんだけど、いい?」
僕からの質問というより、彼女からの質問ということにした方が答えてもらえる気がしたから、そうした。ハリーは頷く。
「ここはどうして電気があるんだ?」
「近くに発電所があってね。そこを修復して使えるようにしたんだ。あとはたまに来る商人からバッテリーや発電機を買っている」
「『オアシス』というコミュニティを知らない?」
「『オアシス』……ああ。知っているよ。おれたちは他のコミュニティと貿易をしているのだが、その貿易相手が『オアシス』と名乗っていた」
「本当か?」
「ああ、そうだ。彼らは『死体』を買っていくからね。よく覚えているよ」
「『死体』を買うですか⁉」
アリスの声がしたので振り返ると、ぶかぶかのティーシャツと長ズボンを履いたアリスが、濡れた髪の毛をタオルで拭いながら、立っていた。
「アリス、髪が」
僕は彼女の姿に違和感を感じて、それをそのまま口にする。彼女の髪色が、いつもと違っていた。アリスの髪色は、くすんだ金髪だ。しかし目の前の彼女の髪色は、透き通るような、輝く金髪なのである。アリスは毛先を指で弄ぶようにくるくる回してから、「ああ」と呟く。
「私の髪はそもそもこんな色なんですよ。恥ずかしい話なんですけど、旅をしている最中は……汚れちゃってて」
最後の方は俯きながら、ぼそぼそと言う。
僕はアリスに近づく。風呂上がりだからか、火照った彼女の肌はいつもよりも上気していた。彼女の顔に、顔を近づける。さらに赤くなったように見えた。鼻をひくひくと動かす。
「な、なんですか?」
「アリスが、臭くない……?」
「どういう意味ですか⁉」
アリスが大声をあげた。どういう意味もなにも。旅の間、たまの水浴びしかできていなかった彼女は、少々臭っていたのである。僕は彼女に顔を近づけたまま、左手を握る。ぴゃっと声をあげるアリスにだけ聞こえるぐらいの声で囁く。
「左手の手袋を忘れてる」
「え? あ、本当です」
握られている左手をちらりと見る。ゾンビに噛まれた痕を隠すための白い手袋をつけ忘れていた。
「これを教えるためのお芝居だったのですね。なんだ、ビックリしました。私、本当に臭かったのかと……」
「いや、実際ちょっと臭かったぞ」
「女の子に対する優しさが足りてなさすぎでは?」
アリスは涙目で言った。
自分の腕の臭いを嗅いでいるアリスを隣に座らせ、僕はハリーから『オアシス』を名乗るコミュニティの情報を聞く。
曰く彼らがどこに住んでいるのかは分からない。
曰く彼らは定期的にこのコミュニティにやってきては、捕まえたゾンビを回収していくらしい。
曰く彼らが回収するゾンビは一、二体で『健康的な二十代』『八十代の男性』『肥満体質の女性』など、指定があること。
曰く彼らはゾンビを回収すると、その分燃料を提供してくれるらしい。
「なぜゾンビを集めているのでしょうか」
「ゾンビの生態を調査している。とか、そんなことを言っていたな」
死体の生態とは一体なんぞや。という話ではあるのだが。
ともかく。『オアシス』を名乗るコミュニティは明日、ゾンビを受け取りにやってくるらしい。アリスと僕は顔を見合わせ、彼らの様子を伺うことにしたのだった。
***
「お、女の子に臭いと言うのは、デ、デリカシーがないのでは……?」
「アリスにも言われた。以後気をつけようと思う」
「ま、前々から気をつけてあげて……」
クリスタは僕の顔を呆れたような顔で覗き込んでくる。その顔を見返すと、さっと目を背けられた。短い黒髪。切れ長の目と、ボーイッシュな見た目と反して、クリスタはどうも、臆病な性格をしていた。
「しかし」僕は言う。「僕らの情報を聞きたい。と言うから観せているけれども、こんなのでいいのか?」
「は、はい。『情報も商品。提供するときには対価をきちんと支払ってもらう! これが商人の基本だよ。お姉ちゃん』なんて、いつも言われているので」
「商人」
「は、はい。私はた、旅商人です。パシフィック商会という名前で色々な物資を売っています。な、なにかご用命があれば私どもに」
クリスタは頭をおおげさに深くさげる。
「お、お二人はその後どうしたのですか?」
「あれを見た」
僕は窓の横をちょうど通過した一台のトラックを指さす。側面にアイスの絵が描いてあるトラックである。カメラの再生ボタンを押す。
▶再生。
“朝の『死体』回収の時間です。家の前に集合してください。”
そんなアナウンスが流れたのは、次の日の朝――いつものようにアリスの寝ぼけ姿を撮影した朝のことである。
ぷりぷりと怒りながらも朝食を食べていたアリスは、アナウンスの声を聞いて、顔をあげた。
「『死体』の回収?」
「ああ、はい。そうです。従者さん。よろしければ一緒に外にでてもらってもいいかい?」
ハリーは水を飲み干してから、椅子から立ち上がる。
「一日一回の生存確認も兼ねているので、代表者一名外に出る必要があるんだ」
なるほど。僕は朝食を途中で食べるのをやめて、家の外に出る。
一軒家であるハリーとヘレンの家の周りは、有刺鉄線が絡みついた鉄柵に囲まれていた。彼らの家だけではない。周りにぽつぽつと並ぶ家のどれにも、同じような鉄柵が設置されていた。
鉄柵には、何体かゾンビが引っかかっていた。腰ぐらいの高さしかない鉄柵ならば、ゾンビでも乗り越えられそうなものだが、ゾンビは引っかかったまま、体を痙攣させ、動く様子はない。鉄柵に近づく。鉄柵とゾンビが触れている場所が燻っていた。ブスブスと燃える臭いがする。
「鉄柵には触らないように。電流が流れているから」
「電流?」
「ええ。『死体』が動かなくなる程度の電流ですがね。人の体にも悪いでしょう」
「こんな鉄柵が用意できるのなら、街全体を囲った方が良いんじゃあないのか。『死体』も入ってこないだろうし」
「このコミュニティでは」ハリーは頭を振る。「『死体』が侵入してきた方が、なにかと便利なんだよ」
「便利?」
「それに、このコミュニティの住人はみな手前勝手だからね。他の住人が死んでも、自分が助かればいいと思っているのさ」
「ハリーも?」
「おれも、家族が無事であればそれでいいと思っているよ。従者さま。あなたもシスターさまが無事なら良いと思うだろう?」
「そう思うけど、誰かを見捨てたと聞けば、アリスはきっと怒るよ」
素晴らしいお人だ。とハリーは言った。車のエンジン音が近づいてくる。顔をあげてみると、側面にアイスの絵が描かれたトラックが止まっていた。中から刺股を構えた男たちが出てくると、鉄柵に引っかかっているゾンビ達を次々に回収していて、次の家へと向かっていった。
「彼らが『オアシス』?」
「いいや。彼らはおれたちのコミュニティの住人だよ。こうして『死体』を一ヶ所に集めているんだ。そして、あそこに持っていく」
ハリーはトラックが走っている道の向こうを指さす。コミュニティの真ん中あたりに白い建物があった。平べったい、サッカースタジアムみたいな見た目をしていて、大きな煙突が二つ建っている。
「火力発電所だ。あそこで『死体』を燃やして、発電している」
「急にそんなトンチキ要素をだされても」
死体を利用した火力発電というのは、確かに構想は聞いたことがある(火葬場で出来ないかという話をどこかで読んだ)が、しかし実際に人の死体が燃料としてくべられるべく運ばれているのは、なんというか、侘しさすら感じられる。
「『ソイレント・グリーン』だな。まるで」
あれは死体を溶かして食べ物に加工していたから、ちょっと違うんだけど。
「『オアシス』から燃料を貰っているから、発電機を回すこと自体は出来るんだけどね、それだけではまかない切れないから、こうして『死体』を燃料にしてる」
ハリーは僕の方を見る。
「きみは、これをどう思う?」
「死体燃やしたぐらいで火力発電できるわけないだろってツッコミが聞こえてくる」
しかし、この世界は『映画の世界』なので、できているのならできているのだと認めるべきだろう。そもそも、死体が歩いていること自体、非現実的なのだし……。
視線をトラックに戻す。はす向かいの家に引っかかっているゾンビを回収していた。
「おや。お婆ちゃんが外に出ていない」
庭に人が立っていなかった。ハリーが言うには、生存報告も兼ねているらしいけれども。しばらく見ていると、家の中から、二人の男が、呻きながらよだれを垂れ流している老婆を刺股でおさえつけながら出てきた。老婆は死んで、ゾンビになっていた。老婆はそのままトラックの中につめこまれる。ハリーは憐れむような目でそれを見守る。
「かわいそうに。最近体調が悪いとは聞いていたが、亡くなっていたんだな」
「この街で死んだら、火力発電所行きなのか?」
「だいたい、そうだね。せっかくの燃料なんだから。勿体ないだろう」
「悲しくはないのか?」僕は尋ねる。
「悲しくはあるさ。家族ではないにせよ、近所に住んでいた人だからね」
だが、まあ。とハリーは続ける。
「次の日にはそんな感情は忘れて、電気の恩恵を受けているさ。そういうものだろう?」
ハリーは言う。まあ、そういうものだな。と僕も思う。
このコミュニティにとって、死は燃料として換算されているようだった。
だから。鉄柵で街全体を覆うのではなく、個々の家ごとに覆っているのだろう。家の中で死んだ者が外に逃げださないように。
あるいは、コミュニティが大量の『死体』に襲われたとき、自分ひとりでも生き残ることができたら、電気の恩恵を変わらず受けることができるから。
「い、今更なのですが」
再生中に、クリスタは不意に口を開ける。
■停止。
「どうして、カ、カメラで撮影をしているのですか?」
「『映画』を撮っているんだよ」
僕はこの世界に来て何度目かになる言葉を口にする。これに対する返しはだいたいこうだ。
「エ、エイガ?」
首を傾げて、聞いたことがない異国の言葉のようにオウム返しする。この世界には、映画という概念そのものが存在しないから。
「簡単に言うと、娯楽作品だよ。映像で物語を撮影して、みんなに観てもらうんだ。楽しいぞ」
クリスタはさらに大きく首を傾げる。
「で、でも。この映画、ですか。楽しくないですよ?」
「ぐふ」
「さっきからず、ずっと話してばかりで、ぜ、全然動きがないですし」
「がふ」
「カ、カメラもずっと、トラックか、ハ、ハリーさんしか映してなくて、ず、ずっとおんなじなのは、つ、つまらないんじゃあ」
「死ぬ」
「し、死なないでください。処理がた、大変なので!」
クリスタは懐から拳銃を取りだしながら、ぷるぷると頭を振った。ハンドグリップに装飾のされた、銀のリボルバー。僕は血反吐を吐きながら、ぷるぷると震える指で、クリスタの顔を指さす。
「これはまだ編集していない動画だから。映画は編集して、音をつけて、色々調整して面白くなるものだから。これだけで判断しないでくれ!」
「な、なるほど。大変なものなんですね。え、映画というのは」
僕は大仰に首を縦に振る。そう、大変なんだ。映画は。だから決して、僕の映画が面白いわけでは……。カメラに念を押しこみながら、僕は再生を開始する。
▶再生。
「江渡木さん、私。あの火力発電所に行きたいです」
家に戻り、今見たことをそのままアリスに伝えると、食べていたものをごくん。と飲み干してから、彼女はそう言いだした。
まあ、言いだすだろうな。と思っていた僕は、ハリーとヘレンに、彼女を火力発電所に連れて行っていいか尋ねた。ハリーは確認の連絡を取ると行って、部屋を出ていく。暫くして許可が取れたと戻ってきた。出された朝食を食べ終えてから、僕とアリスは火力発電所に向かうことにした。
「火葬。という文化があることは知っています」
火力発電所へ向かう途中、アリスはそんなことを口にする。
やはり。というべきか。この世界における埋葬の仕方はエンバーミングを用いた土葬が基本らしかった。もっとも、最近はエンバーミングなんて出来やしないので、そのまま埋めるか、『死体』だから放置されたり川に流されたり、あるいは、ゾンビへの憎しみから壊されたりするらしい。
「なので、彼らが行っていることは埋葬の延長なのだと、私は思います」
「発電してるけどな」
「それは、悪いことだと私は思います。どんな状況においても、死者を愚弄することはしてはいけません」
アリスはふん。と鼻を鳴らす。
「ですからせめて、お祈りを捧げたいのです」
どうやらアリスは、ゾンビ火力発電を不謹慎だと考えているようだった。対して僕は、不謹慎だとか愚弄だとは思えないでいた。そもそも、好きなコンテンツ自体が「死をおもちゃにしている」と言われたらそうだとしか言えないコンテンツだからだ。
死で遊んでいる。
その上で、どうするか。という話にもっていきがちな話だが、僕は死で遊んでいるのだという根本を大事にしたい。死を想えではなく、死で笑えだ。
「あのっ。シスターさんっ!」
アイスの絵が描かれたトラックのタイヤ痕を追いかけるように、火力発電所に向けて歩いているときだった。不意に、声をかけられた。甲高いスズメみたいな声である。
僕らは声のした方を向く。誰もいなかった。はて、と首を傾げる。
「したっ! しただよっ!」
視界の下からにょきっと手が生えてきた。視線をさげる。小さな女の子がミナミコアリクイの威嚇ポーズみたいな体勢で僕らのことを見上げていた。
僕の腰よりも低い背丈。二桁に達していないかもしれない年頃の、あどけない顔つきをした幼女だ。
「こんにちはっ!」
「はいこんにちは。ちゃんと挨拶ができて偉いですね」
アリスは膝に手を置き、しゃがみこんで、女の子の視線に自らの顔を合わせる。彼女は嬉しそうに頭を縦に振る。
「お姉ちゃんにちゃんと挨拶しろって教わったからなっ!」
「とても良いお姉ちゃんですね。それで、なにかご用ですか?」
「私のお姉ちゃんを知らないか?」
女の子は首を傾げながら言う。僕とアリスは顔を合わせる。
「お姉ちゃん?」
「うん。ウィチタお姉ちゃん。一緒にお散歩してたんだけど、いつのまにかどっかに行っちゃって……。どこ行ったんだろう?」
腕を組み、唇を尖らせる女の子。それは、お姉ちゃんがどこかに行ってしまったのではなく、女の子自身がどこかに行ってしまったやつなのではなかろうか。アリスは「あはは」と乾いた笑みを浮かべる。
「えっと、あなたのお名前は?」
「リリィ!」
「リリィちゃん。お姉ちゃんを探したいの?」
「うんっ!」
アリスは顔だけを動かして、僕のことを見上げる。予定が変わってしまいますけど、いいですか? という視線。僕はいいよ。と、頷く。
「私も一緒にお姉ちゃんを探したいんですけど、いいですか?」
「一緒に? いいよっ!」
リリィと名乗った女の子はアリスの手を掴むと、「まずはあっち!」と言いだして、火力発電所とは真逆の方向に走りだした。アリスは、ちょっとつまづきながらも、女の子の足に合わせて走りだした。子供の全力疾走とは案外早いもので、ぐんぐん距離を取られていく。子供が迷子になりやすい理由というのがよく分かったような気がした。僕も慌てて、その背中を追いかけた。――そして、見失ってしまったのだ。
迷子の女の子とともに、アリスもまた、迷子になってしまった。
■停止。
「と。いうことなんだ」
「な、なるほど」
アリスが迷子になるまでの一部始終の再生を終えた僕は、カメラを撮影モードに戻して、困ったようにあごに手を添えるクリスタを映す。
切れ長の目を細め、思慮に浸るその姿はさながら名探偵の瞑想のようである。
まつ毛の長いまぶたを開く。黒い瞳に、カメラを持つ僕が映り込む。
「じょ、情報を提供してもらったので。わ、私の情報を提示します。私はパシフィック商会という旅商人です。パシフィック、というのは。わ、私の父の名前です」
「父親の?」
「はい。ひ、引き継いだのです。車と、仕事を」
クリスタは辺りを見回すように顔を動かす。僕も同じように、カメラを回す。
僕らはとある車の中にいた。青色の、大型スクールバスである。
もちろん、ただのスクールバスではない。側面を幾つもの鉄板で固め、外が見えて、かつ、中に侵入されないように、窓という窓が鉄網で覆われている。窓の下には少しだけ――人の腕は入らないが刃物や小さな銃なら通りそうな――隙間が空いている。屋根の上にゾンビがのぼることを防ぐためか、ネズミ返しのごとく、有刺鉄線が天井に張り巡らされている。前面にはブルドーザーのブレード。『ドーン・オブ・ザ・デッド』、あるいは『マッドマックス』でお馴染み。ゾンビ映画と終末映画の花形。自家製装甲車だ。
中に並んでいたであろう座席はほとんど取っ払われ、運転席と助手席。その後ろに四席並んでいるばかりだ。座席を取っ払った空間には、様々な物資が所狭しと並べ積まれ、繁盛期の運送トラックの様相を呈していた。物品は日用品からスコップやトンカチといった工具。大型のバッテリーやガソリンなど必需品。日本刀や銃器も当然のように隙間に挟み込まれていて、なんなら、干からびた人の腕や大きな鳥の姿まであった。ぎゃあぎゃあと鳴きわめきながら自分の羽を千切っている。
「なんだって用意します。なんだって調達します。がモ、モットーなので……」
なぜか恥ずかしそうに、クリスタは言う。
アリスが迷子になったあと、僕はコミュニティの中を彷徨うように探してまわったが、彼女の姿は見つからなかった。シスター服と幼女という、目立つ格好と状況ではあったが、行く人に聞いても見ていないと言われるばかりで、さながら、神隠しにあったかのようだった。神さまに命じられるがまま旅をしているのに、神に隠されてしまうとは。
『わたしは、かくしていない』
神さまがふらっと現れて、それだけ言って消えていった。
カメラに映ると威厳がなくなるから映らない。というわりには、まあまあ出現頻度が高くて、雑な出演も多い神さまである。そんな中、僕はクリスタとこの装甲車を見つけたのだ。
わー、かっけー。うわー、すげえー。と、アリスの迷子のこともすっかり忘れて撮影をしていた僕に、装甲車の持ち主であるクリスタがすごく申し訳なさそうに話しかけてきた。「な、なにかお探しですか?」「迷子を探している」ちょっと忘れていたけど。それが彼女と僕が話しているきっかけである。
「父はパシフィック。母はプレイランドと言います。六年前、暴徒に襲われ、し、死にました……ですから、引き継いだ……というより、か、勝手に受け継いだ。という方が、た、正しいです」
「ここに来たのは、商売で?」
「ふ、二日ほど前から……」
クリスタは頷きながら答える。おっかなびっくり、人と距離を取りながら話す彼女は、多分、両親を殺した暴徒というものを恐れているのだろう。と連想してしまうほどだった。そんな状態でよく商人なんて、対人商売を引き継ごうと思ったものだと、少しだけ感心する。
「えと、それで。アリスさん。でしたっけ……迷子のシスターに関する情報ですが。ご、ごめんなさい。まだ集まっていません」
ぺこり。とクリスタは頭を下げる。
「そっか、時間をとって悪かった」
「い、いえ。こちらこそ。こ、このままでは公平な取引と言えません。な、なので。もしアリスさんを見つけた際は、あなたのもとまでお届けします!」
「なんでもって、人も含めるの?」
「対価さえ支払っていただければ……」
人身売買もしているようだった。
「れ、連絡手段はなにかお持ちですか? 電話や無線……なんでもいいのですが……の、狼煙も、可能です」
「戦国時代か?」
「
「チンパンジーか?」
アリスが見つかったら遠くの方から聞こえるクリスタのフゥホォ、フゥホォ、フオォォという
「じゃ、じゃあ連絡は
「へ、返事も、お願いします」
「難易度がたけえ」
純粋な興味でやれる話ではなかった。僕は立ち上がり、腕をあげて、体を伸ばす。
「まあ、いいや。さすがにコミュニティから外に出てはいないと思うから、見かけたら教えてくれ」
「え、江渡木さんはどちらに?」
「とりあえず、火力発電所か、ハリーたちの家に戻ろうと思う。アリスもバカじゃあないし、はぐれたことに気づいたのなら、引き返すか、目的の場所に先に向かったりしているだろう」
「ダ、ダメです!」
クリスタは大きな声をあげる。僕は眉をひそめると、彼女はしまった。と言わんばかりに両手で口をおさえる。
「なぜ?」
「えっと、あの。ま、迷子を探すときは、その場から動かないのが鉄則だと思うので」
「もう動いているんだけど」
「ほ、本当だ!」
彼女は口をもにょもにょと動かして、頭を抱える。一体なにごとだろうか。首を傾げながらスクールバスを出る。しかし、自家製装甲車か。
もちろんそれは、ゾンビ映画好きの僕にとって憧れの車である。レコニング号こと、デッド・レコニング号の元ネタだって、装甲車である。自家製というか、手作り感はあまりないけれども。いつか元ネタ通り、花火を打ち上げれるように改造してみたいものだ。クリスタは、花火も売っていたりするのだろうか。……聞いてみるか。夢のために。野望のために。
ハリーとヘレンの家へと戻っていた足を止め、踵を返す。この曲がり角の先に止めてあるはず。まだいるかと顔をひょこりと出す。
「ふざけたこと言ってんじゃあねえぞ!」
スクールバスの後方――観音開きになっているトランクの扉の前で、男がいきり立っていた。バスの縁に立っているクリスタは両手を前に出しながら、困ったような表情を浮かべている。
「ふ、ふざけてません。
「なにが公平な取引だ! 昨日と条件が違うじゃあねえか!」
男はバスの床に、数十枚の紙幣を叩きつけた。数枚が宙を舞う。どこの国の紙幣かは分からないが、日本の紙幣ではないことだけは確かだった。こんな世界になってもまだ紙幣を使って取引が可能なのか。それとも、謂わば旧時代の遺物としてのコレクターアイテムなのか。
「一昨日はこれだけ払えばバッテリーを渡すと言っただろう」
「は、はい。そう言ったらあなたは、た、高いと言って買いませんでした」
「状況が変わったんだよ。高くてもバッテリーが必要になったんだ。『オアシス』のやつらめ」
『オアシス』だって? 男の言葉に、僕は聞き耳をたてる。
「あいつら、女児の『死体』を用意できなければ、提供する燃料の量を少なくすると言いだしやがった。そんな『死体』、すぐ用意できるわけないだろう」
「わ、私たちもすぐには用意できませんね。こ、子供の数は少ないですから」
悩ましそうに、クリスタは言う。まるで大人のゾンビならば用意できますよ。と言わんばかりである。
「燃料が減れば、その分火力発電所の稼働も減るかもしれねえ。だからバッテリーが必要なんだよ」
「し、知ってます。ハリーに聞きました」
ハリー? 小太りの男の姿を頭に浮かべる。彼もクリスタの客の一人らしい。
「な、なので。その情報には取引価値はありません」
「知ってるなら分かるだろう。バッテリーが必要なのが!」
「は、はい。ですから、お、一昨日と今では、か、価値が違います。そ、その金額と生肉を七キロいただけないと」
「そんな量すぐに用意できるわけがないだろ!」
「で、ではごめんなさい。売ることができません。ご、ごめんなさい。取引は、過去にも未来にも、公平を保たないと、い、いけないので……」
「なにが公平だ。足元見やがって!」
男は声を荒げながら、クリスタの肩を強く押した。彼女はバランスを崩して、バスの床で尻餅をつく。僕はカメラを向ける。クリスタはすぐさま起き上がると、膝をついてぺこぺこと頭を下げ始める。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい! で、でも安くしちゃったら怒られるので! この前も、ちょ、ちょっと安くしたらご飯を抜きにされちゃって。そ、そのご飯を手に入れるための稼ぎを、安くしたんだよ。お姉ちゃんって……」
「ああ、そういやお前ら姉妹だっけか」
けっ。と男はつばを吐く。映画序盤でこてんぱんにされるか死ぬかの役目しか与えられて無さそうな、三文悪役の所業である。
ああいうの、映画に出てくる分には好きなんだけど、自分で映画に出そうと思うと、どうもうまくいかないんだよな。シンプルにイヤなやつが苦手なんだろうな、僕は。多分。
「女子供二人で、この世界で好きに生きていけると思うなよ。自分たちが上だと思ってんならそれは勘違いだ。この世界に公平なんかねえんだよ。横柄な態度で生きてけると思い上がってんじゃあねえぞ」
だから、そろそろ止めに入らないと。歩を進める。頬を痙攣させている男は、口の止め方を知らんとばかりに、言葉を続ける。
「あのガキもそうだ。クソみたいな態度をとりやがって。あんなんじゃあお前以外誰も助けてくれねえだろ。ったく、ムカつくガキだったよ。なにが『こんなんも払えないくせに求めてんじゃねえよ』だよ!」
「それぐらいに――」
したらどうだ。と声をかけようとしたその時。
ガウン。と落雷めいた音が、スクールバスの中から飛びだし、僕のメガネに、ぽつぽつと赤い点がついた。男は呆然と立ち尽くしている。その手の甲にカメラをズームする。ぽっかりと、穴が空いていた。細かく確認するまでもない、ぐちゃぐちゃな穴。
スクールバスの方にカメラを向ける。銃口から白い煙をだしながら、クリスタは男のことを睨んでいた。
「私のことはなんと言おうが構わない。でも」
再び発砲。男の耳たぶが裂けて、背後にある家の壁が砕けた。パラパラと煙が舞う。
「リリィロックの悪口だけは許さない。次になにか喋ろうものなら、リリィロックに手を出そうものなら、次はその頭をぐちゃぐちゃにしてやる」
言うまでもなく、本気の声。男は悲鳴をあげながら去って行った。僕はその背中を存分に撮影してから、クリスタのいるスクールバスに入る。
「すごい剣幕だったね」
「え、あ。江渡木さん! い、いや。あれはその……!」
クリスタは慌てた様子で、手を振りながら、手に持っていた銀のリボルバーをしまう。僕のメガネを見て、わあっ! と声をあげる。
「ご、ごめんなさい。ち、近くにいるとは思わなくて! 拭くもの。ふ、拭くものをいま用意します!」
「いや、いいよ。これぐらい」
スクールバスの奥の方に飛び込んで、映画のドラえもんばりにガラクタと思えるようなものをあれやこれやと放り投げているクリスタの背中を、僕は叩く。振り向く彼女に、僕はさっき撮影した映像を見せながら、尋ねる。
「それで、リリィロックって?」
「……あ」
クリスタは口に手をあてる。
「アリスと一緒に行方不明になったのも小さい女の子なんだよね。これって偶然?」
そういえば。ここって人身売買もやってるんだっけ?
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