第三章 コープスブライド(4)

「『死体』がこっちに?」


 チャペルに戻った僕は、アリスとエミリィにそのことを伝える。

 二人とも驚いたような表情を浮かべた。


「結構な数が近づいている。ここにいるのと同じぐらい」

「どうしてこんな辺鄙な場所に……」

「ゾンビ――『死体』は生前の記憶をもとに行動することがある。エミリィのコミュニティの住人たちがどこかから客人を招待したんじゃあないか?」

「そんなことしてたかしら……あ」


 エミリィはしばらく考え込むようにしてから、思い当たる節があったのか、顔をあげる。


「少し離れたところに、もう一つコミュニティがあるの。月に一回ぐらい、交易をする間柄のコミュニティ。でもあそこは……少し前に、崩壊していたはずよ。そうよ。確か長が、盛大に結婚式を執り行なおうと言いだして、あちらに手紙を送ったの。しばらくしてから、生き残りが私たちのコミュニティに来て、自分たちのコミュニティが『死体』によって崩壊したって……」


「それだ」僕は言う。「結婚式を執り行なうという手紙を読んだあとにゾンビに襲われたんだろう。ゾンビになったあとも、その記憶が残っていて、こっちに近づいているんだ」


「甚だ迷惑な話ね……」

「どうする? 今のうちに逃げるか?」

「イヤ」


 エミリィは、自分の拒絶の表情が見えるように、ゆっくりとかぶりを振る。


「私は、結婚式をするわ。入り口は全部封鎖すれば、彼らも中には入ってこられないでしょう?」

「結婚式が終わったらどうやって逃げるんだ?」

「そうね……」

「裏口」


 悩むエミリィに、アリスが続く。


「チャペルの裏口からなら、逃げられると思います。フェンスで囲まれていて、中には入ってこられないと思うので、そこにレコちゃんを止めておいて、飛び出せば!」

「それなら、まあ……」


 いけるか?

 僕はアリスとエミリィを見やる。二人とも、結婚式をやめるつもりはないらしい。

 ため息をつく。


「分かった。レコニング号を裏口に移動させてくる。その間に、入り口を封鎖しておいてくれ」


***


 塔のてっぺんにある窓から光が降り注ぐ。

 壁に設置されたキャンドルの光は儚く、チャペル全体を照らすにはあまりにも頼りない。

 それだけに、レッドカーペットの先。参列者ゾンビが座る席の先にある舞台に、並んで立つ二人に降り注ぐ光が強調されて、二人の姿が光り輝いているようだった。

 一人はよくよく見てみればつぎはぎが見える純白のウエディングドレスに身を包んでいる。肩甲骨あたりまで伸びた、毛先がくるくるとしたくせ毛の青髪の上に、光を反射しててらてらと光っている薄いベールを被っている。手にはそこらから摘んできた、野花のブーケ。

 手作り感の否めない格好ではあったが、それでも、彼女の目は幸せそうに、前を見据えている。

 一人はホコリ被った古いタキシードを着ている。自分で立つことができないのか、床に突き立てられた木材に縛りつけられている。黒い髪を整え、健康的な肌色になるように、化粧を施されている。しかし彼の目は白く澱んでいて、まるで死人のようで――実際ゾンビである。

 花嫁を庇いゾンビとなった彼は、こうべを垂らし、澱んだ目で、てんで方向違いの方向を眺めている。


「それでは、これより婚姻の儀を執り行ないます」


 そんな二人の前に、シスター衣装の女が立っている。黒いウィンプルとトゥニカ。短いくすんだ金髪に、青い目。名前はアリス。本来ならばそこに立つのは牧師なのだが、現状、牧師がいないので同じ聖職者であるアリスが立っている。

 厳かな雰囲気の中、一人だけうきうきが抑えきらないと言わんばかりに、頬が緩んでいる。


「汝エミリィは、この男トードを夫とし、良きときも悪きときも、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、妻として、彼のことを愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」

「はい。誓います」

「汝トードは、この女エミリィを妻とし、良きときも悪きときも、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、夫として、彼女のことを愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」

「……………………」


 トードは返事をしない。ゾンビなのだから、できるはずがない。暫く待ってみると、「あぁ……」と呻き声をあげた。それを肯定と捉え、アリスは式を続ける。

 僕はチャペルの入り口からカメラを回す。

 光に照らされる新郎新婦と、椅子に座る参列者ゾンビの姿が同時に映る、ベストアングルだからだ。背後の入り口の扉はバリケードが敷かれ、ずっと外から不穏な音が聞こえてくる。

 ノックではない。爪で引っかくような、あるいは力任せに殴りつけるような、そんな音。

 崩壊した別のコミュニティの住人たちが、ゾンビとなってやってきているのだ。

 ゾンビは生前の記憶・習性をもとに行動することもある。

 結婚式に招待された記憶が残っていた彼らは、約束通り、チャペルにやってきたのだ。


 ガリガリガリガリガリガリ。

 ガリガリガリガリガリガリ。


 木製の扉を指で削る音、拳で無遠慮に殴る振動が背中から伝わるが、扉は頑丈で、壊れることはないだろう。それでも、なんらかの拍子でゾンビたちがなだれ込んできても困る。


「できるだけ早く進行してくれ」と、僕はアイコンタクトを送る。「やっぱり江渡木さんもそう思いますか? エミリィさん、今までに増して綺麗ですよね!」とアイコンタクトが返ってきた。

 アイコンタクト失敗。しかたなく、僕はアリスが満足いくまで式を撮ることにする。

 式は外のゾンビというアクシデントを除けば、つつがなく進行していく。

 式の進行なんて、一体どこで覚えたんだろうな。あいつ。

 ウキウキとした表情のまま司式を続けるアリスをカメラで追い続ける。

 不意に。

 なにかに気づいたように。

 彼女の動きが固まった。


「え、えっと……」


 アリスはエミリィとトードを交互に見ながら、困ったように眉を八の字に下げて、僕に助けを求めるような視線を向ける。「どうしましょう」と口が動いている。

「あとは『誓いのキス』だけです」。声は出さずに、口だけ動かして、彼女は僕に訴えてくる。

 誓いのキス?

 結婚式のクライマックスだろうに、一体なにを戸惑っているんだと眉をしかめてから、僕も気づく。

 誓いのキス――

 つまり、

 

 それは言うまでもなく――自殺行為だ。アリスの目は明らかに右往左往している。


「いいのよ、シスターさん」


 そんなアリスに、エミリィは柔和に声をかける。さざなみのない、覚悟の決まった声。


「自殺行為だってことぐらい、分かっていたことだから」

「え?」


 エミリィはアリスの腕を掴むと、ぐいと体を引っ張った。

 素っ頓狂な声をあげていたアリスは、それに反応することができず、なされるがままにバランスを崩し、レッドカーペットの方に、体を投げ出される。僕は思わず駆けだす。レッドカーペットの上に背中から倒れこもうとしているアリスの背中に腕を差し込み、受け止める。


「ぐえっ」

「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫……」


 僕はアリスの上半身を起き上がらせながら、舞台の上に立つエミリィを見る。

 エミリィは頭にのせていたベールを脱ぎ、僕らの方を向く。

 彼女の目には、アリスの肩を抱くようにして支えている僕の姿が、映っている。

 ニコリと。柔和に笑う。


「だから、これで良いのよ」


 エミリィはベールを壁に向けて投げ捨てる。そこには火のついた蝋燭があり、ベールは蝋燭台の上に引っかかり、

 一気に燃え上がった火は壁と装飾品に燃え移り、火の勢いが増していく。


「ごめんなさいね。車に入ってたガソリン、ちょっとだけ拝借しちゃった」


 イタズラした後みたいに、エミリィは紅を塗った唇から、舌をちょっとだけだした。

 めらめらとチャペルの壁が燃える。

 火を恐れるゾンビたちが、呻き声をあげ、体を大きく揺すりはじめる。


「エミリィさん、一体なにを……」

「燃やしてるの。思い出を」


 エミリィは顔の表情筋を動かさず、口元だけを動かして微笑むアルカイック・スマイル


「ありがとう二人とも。おかげで、素敵な結婚式ができたわ」


 彼女はトードの顔を愛おしそうに撫でる。トードはそんな彼女の指をじっと見てから、噛みついた。エミリィは痛みで目を細め、アリスが声をあげる。


「彼はトード。私の幼馴染みで、結婚相手。コミュニティで魚屋を営む、私の、好きな人――


 エミリィは噛まれた指を見つめる。ポタポタと血が垂れている。


「でも彼はこんなに目が白く澱んでなんていなかったし、人に噛みついたりしなかったし、なにより、心臓は止まってなんかいなかった。。死んでしまった彼が動いているんじゃあなくて、が動いているだけ」


 彼は死んでしまったけど、彼の死体は動いている。

 彼は動いているけれども、彼は死んでしまっている。


「彼を殺そうと何度も思ったわ。慈悲を与えるべきだと。でも殺せなかった。彼じゃあないと分かっていても、彼だから、殺したくなかった。殺したくない。でも、生きていたところで彼はもういない」


 エミリィはアリスの顔を見据える。


「私ね、最初はあなたを殺そうと思ってたのよ」

「え……?」

「だって、トードは『死体』に襲われて死んでしまったのに、私たちの幸せは『死体』ひとつで終わってしまったのに、あなたは噛まれても平気なのでしょう?」


 

 エミリィは笑みを崩さずに言う。


「でもね。嬉しそうに私の話を聞いてくれたり、彼と一緒に結婚式の準備をしているあなたを見て、やめることにしたの。『ああ、私は今、最低なことをしようとしているんだわ』『自分が幸せを奪われたからって、人の幸せに手をかけようなんて』って思ってね。彼も、そんなことを望んではいないと思うわ」

「……どうして。結婚式の続きをしようと?」


 アリスは悲しそうな目をしながら尋ねる。


「それが彼の願いだったから」


 結婚式を挙げてやりたかった。

 幸せにしてやりたかった。

 それが、彼の願い。


「だから私は、幸せになることにしたの」


 幸せになって、終わることにしたの。

 チャペルを燃やす火はどんどんと広がる。

 ベールだけでなく、チャペルの至るところにガソリンが仕込まれていたのかもしれない。長い椅子に縛りつけられていたゾンビたちにも火が降りかかり、燃えさかる。参列者ゾンビたちは、両手を挙げて呻いている。なんだか、祝福の声をあげているようにも見えた。

 塔のてっぺんにある窓に引っかかっていたゾンビが、僕らとエミリィの間に落ちる。はらわたが飛び散って、せっかく綺麗にしたレッドカーペットが、更に赤く染め上がる。火が、てっぺんまで到達している。

 アリスはエミリィのもとに駆け寄ろうとする。僕は彼女の腕を掴んで、それを止める。


「江渡木さん、邪魔しないでください!」


 首だけ動かし振り向く彼女に、僕はなにも言わずただ引っ張る。

 ガラガラガラ。と音をたて、天井が崩れた。舞台の手前。さっきまで僕らがいたあたりに、炎をまとった天井の木材が降り注ぐ。エミリィと僕らの間に、炎の壁ができあがった。

 彼女の顔がオレンジ色に照らされる。アリスを庇うようにして抱える僕のことを見据えている。


「シスターさんを、安全な場所に連れて行ってくれる?」


 僕は頷く。

 エミリィは微笑んだ。

 レコニング号が止めてある裏口に向けて、燃えるチャペルの中を、暴れるアリスを抱えながら走る。カメラだけをエミリィの方に向ける。

 彼女は、トードと抱き合うようにして向かい合っていた。彼の肩越しに、アリスをちらりと見た。


「シスターさん。死んでも恋ができるのは確かに素敵ね。でも、生きながら感じる恋は、もっと素敵よ」


 素敵なシスターさん。

 あなたは幸せに生きてね。

 幸せな恋をしてね。

 私は疲れたから幸せになって死ぬわ。


***


 裏口に止めたレコニング号に乗り込み、アリスと僕は燃えさかるチャペルから脱出を図る。

 ぐあららら。ぐあららら。と音を立てながら燃え、崩れ落ちるチャペルに、ゾンビたちは火に怯える本能から散り散りに逃げていた。おかげでレコニング号の周りにはゾンビの姿がなく、僕らはすぐに乗り込み、脱出することができた。

 荒野の土をタイヤで跳ね飛ばしながら、チャペルから離れる。

 しばらく過ぎ、燃えさかるチャペルが焚き木ぐらいの大きさになるまで離れた僕らは、そこでレコニング号を止めた。チャペルの遠景も撮っておきたかったからだ。

 後部座席のガソリンタンクも確認する。乗せていた数から一つ減っていた。

 エミリィはチャペルを燃やすために、丸々一個盗んでいたようだった。


「つまり、僕らと出会ったときには既に死ぬつもりだったってことか」


 アリスは助手席で、体操座りをしていた。足を両腕で抱え込むようにして、蹲っている。ひざのあたりに顔を埋めていて、その表情は見えない。手は震えていた。彼女の幸せのために結婚式を手伝っていたはずが、自殺の手助けをしていたのだから、仕方ない。


「江渡木さん」埋めた顔から、くぐもった声で、アリスは尋ねる。

「エミリィさんは、幸せだったのでしょうか……?」

「……最期は、不幸せではなかったと思う」

 僕はアリスの頭をくしゃりと撫でた。彼女は顔をあげる。その目は真っ赤っかになっていた。

「お前はなにも悪くないよ。少なくとも、彼女は、不幸にはならなかったはずだからさ」


 アリスは堰が切れたように泣いた。わんわんと。涙を流し続けた。

 チャペルの方から、大きな音が聞こえた。振り向くと、大きな煙を巻き上げながらチャペルが崩れ去るところだった。白い煙は、明るく青い空に向けて、ぐんぐんと伸びる。

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