第三章 コープスブライド(3)

 映画が完成した。

 アリスを主人公にした、僕の最新作にして、最高傑作だ。

 タイトルは「アリス・イン・ゾンビーランド」。ゾンビの世界で、彼女が様々な人に出会い、成長していくストーリーだ。できあがったデータを手に、僕はアリスの元に向かう。

 僕の映画を初めて面白いと言ってくれた彼女。

 映画の主人公ヒロインになってくれた彼女。

 彼女に、一番最初に観てもらいたい。

 アリスは喜んで観てくれた。

 パソコンに映る僕の映画を、彼女は真剣な眼差しで見つめている。

 最初はうきうきとした表情だった。

 しばらくして、表情が曇りはじめた。

 そして最後には、口元をひくつかせながら、眉をさげて僕の方を見た。


「江渡木さん、つまらないです。これ」


***


「うわあああああああああああああ!!!!」


 僕は大声をあげながら、目を覚ました。

 目の前には、アリスが僕の顔を覗き込むようにして、しゃがみこんでいた。


「大丈夫ですか? 江渡木さん」

「……つまらないって言った?」

「え?」

「いや、なんでもない」


 恐る恐る尋ねると、アリスは不思議そうに首を傾げた。

 僕はカメラを手に持っていないことに気がつく。カメラを探すために腕を動かそうとしたが、動かない。視線を下ろすと、僕の腕は縄で縛られていた。そうだ。さっき僕は後ろから殴られて……。


「ごめんなさいね、頭、大丈夫?」


 肩越しに頭だけ動かして振り向くと、花嫁衣装のエミリィが、外れた扉の修理をしていた。

 腰をどっしりと落として、蝶番の釘を、金槌で叩く。花嫁衣装で日曜大工をしている女。


「アリス、カメラの場所を知ってるならあれ撮っておいてくれ」

「江渡木さんの好きなシーンのイメージがだんだん分かってきました」


 アリスはため息をつく。僕はエミリィをじっと睨む。背後から殴ってきたのは彼女で間違いない。しかしどうして、そんなことを?

 エミリィは金槌を床に置いてから、僕の方に近づいてくる。前に立ち、座り込んでいる僕を見下ろす。


「あなたは人質」

「僕が?」

「そう、私の結婚式のためのね」


 訝しむ目を向けるなか、彼女は朗々と話し始める。


「私ね、ほんの数日前に結婚式を挙げる予定だったの」

「それは見たら分かる」

「もしかしたら普段着がウエディングドレスの女かもしれないよ?」

「そんな面白人間、いてたまるか」


 エミリィはレッドカーペットの先で縛られている、タキシードのゾンビを指さす。


「彼の名前はトード。幼馴染で、結婚相手。この先にあるコミュニティで魚屋を経営していたわ」

「魚屋?」

「そんな大層なものじゃあないけどね。コミュニティの近くの川とか湖で釣った魚をコミュニティに提供するだけ。私もたまに、釣りについていったりしたわ」


 懐かしむような表情を浮かべるエミリィ。アリスは、わぁ。と呟く。


「私たちはいつしか好かれ合って、付き合うようになって、結婚することになったわ。世界が『死体』に溢れていても、人は恋をする余裕があるものなのね。我ながらびっくりしちゃった」

「それで、結婚式を?」


 しかし。僕はトードと呼ばれたタキシードのゾンビを見る。

 彼はゾンビだ。彼は死んでいる。もちろん、エミリィの言い回しからして、冥婚めいこんではないのは確かだ。果たして、死体が蠢く世界に冥婚の文化があるかどうかは、分からないけれども。


「彼は生きてたわ。結婚式の直前まで」


 僕の視線の意味を汲んでか、エミリィはそんな風に言う。


「私たちの結婚は、コミュニティ全体で盛大に祝ってもらえたの。こんな時代だもの、明るい報せを、みな待ち望んでいたのでしょうね」


 コミュニティの住人は、近くに廃墟と化したチャペルがあることを発見し、ボロボロだった中身を清掃して、整備して、手入れを施した。

 隠していた砂糖をかき集めてケーキをつくった。祖父の形見であるタキシードを引っ張りだした。綺麗な白い布とフリルを集めて、ウエディングドレスをつくった。


「つぎはぎのウエディングドレスなの、すごいでしょう?」


 エミリィは僕の前でぐるりと回った。傘みたいにスカートが広がる。彼女のウエディングドレスを、よくよく見てみると、つぎはぎの跡があった。足下のレッドカーペットに、チャペルを飾るカーテンも、どれもこれも、手作業で縫われた跡があった。

 ハンドメイドの結婚式。


「慕われてたんだな」

「彼は特にね。コミュニティに食料を用意していたし――なにより、良い人だったから」


 エミリィは顔をほころばせる。コミュニティの人だけでなく、彼女も、彼を慕っていたのだと分かる笑みに、背後にいるアリスが「はぅ」と小さく声を漏らした。


「そして結婚式当日、彼は『死体』に噛まれてしまった」


 たった一匹のゾンビが、結婚式場に潜んでいた。結婚式場に集まっていた人は次々にゾンビに変わっていった。


「私も逃げようと思ったけど、逃げることができなかった」


 彼女は当時、を履いていた。いつもなら走って逃げられないからと絶対に履かない、五センチのヒール。結婚式だから。と履いたその靴で、彼女は逃げることができなかった。

 しかし、彼女は死ななかった。ゾンビに襲われなかった。

 襲われたのは――逃げられない彼女を庇った、トードだった。


「私を庇った彼を連れて、私は教会の外に出た」


 虫の息のトードに、エミリィはトドメをさそうと考えた。ゾンビに噛まれてしまった彼は、遅かれ早かれ、半日もしないうちに死んでしまう。 ならば、苦しみ続ける前に、殺してあげるべきだと思った。エミリィは、トードの首を絞めた。彼は抵抗しなかった。

 ぎりぎりと首を絞める音だけが、手のひらから伝わる。だんだんと、力がなくなっていく。もはや力みも感じられない、喉からするりと漏れたようなか弱い声が、聞こえた。


「ごめんな」「結婚式、挙げてやれなくて」「ごめんなぁ」「幸せに、してやりたかったなぁ」


 彼は息を引き取った。


「私は彼の後を追いかけようと思ったわ。でも、できなかった。彼の言葉が忘れられなかった。だからせめて、結婚式を挙げたい」

「それで、僕が人質であることの、なんの関係があるんだ?」

「結婚式といえば、聖職者の司式でしょう?」

「あれは牧師で、アリスはシスターだろう」

「あら、似たようなものじゃあない?」


 現職者に怒られそうな発言だった。僕はため息をつく。


「つまり、結婚式をするために聖職者が欲しくて、アリスが逃げないように僕を人質に取ったというわけか」

「そう。本当はこんなことしたくなかったんだけど、ごめんなさいね」

「じゃあ、縄を解いてくれ」

「え?」


 僕が腕を前に突きだすと、エミリィは素っ頓狂な声をあげる。


「これじゃあ撮影ができない。せっかく面白い絵なのにさ」

「私の話、聞いてた?」

「聞いてたよ。だから解いてくれって言ってる」僕は横を指さす。「人質の必要はないからな」


 エミリィが僕の指さした方を見ると、泣いているアリスの姿が映った。大粒の涙を、ボタボタボタボタとレッドカーペットに落としている。

 アリスの泣き顔を見たエミリィの顔は、ええ。と若干引いている様子であった。


「私、手伝います!」


 ぐしぐしと涙あふれる目を手の甲で拭ってから、アリスはエミリィの両手を挟み込むようにして掴んだ。鼻をすする音。


「エミリィさんの結婚式を、私に手伝わせてください!」


 エミリィは手を掴まれたまま、僕の方を見た。僕は答えた。


「こういうやつなんだよ、アリスは」


***


 縄は解かれた。

 ひとまずアリスと僕は、レッドカーペットの補修と血抜きをすることになった。


「ぬるま湯がほしいですね」


 とアリスが言いだしたので、僕は外で火をおこし、川の水を鍋の中にいれて沸かす。手を入れても熱くないぐらいのぬるま湯になったのを確認してから、それを持ってチャペルに戻る。

 アリスとエミリィが、レッドカーペットを針で縫い合わせながら、なにやら会話をしていた。


「それで、釣ったばかりの魚が湖に落っこちちゃって。今日のご飯が全部パー」

「ええ、そんなことがあったのですか!」

「そうなのよ。その時彼ったら、『大事な魚が!』って言って湖に飛び込んだのよ。服も脱がないままね。手掴みで釣った魚を取り戻そうとでも思ったのかしら。結局、魚は全部逃げちゃったし、彼は風邪を引いちゃったけどね」

「それはそれは」

「でも良いこともあったわ。彼の療養ができたこと。いつも『誰かのため』に動いている彼が、今度は私に甘えてくるのよ。喉が乾いた、体が熱いんだよ。エミリィって。とっても幸せだったわ」

「それはそれは」


 うふふふふ。と二人はおかしそうに笑う。

 傍から聞いていた僕には、一体なにがおかしかったのかはよく分からなかったが、しかし、花婿のあまり人に話されたくない恥ずかしいエピソードであることは確かだった。死体撃ちだ。ゾンビだけに。


「あなた達はそういう話はないの?」

「い、いえ。私たちはそういう……あ、でも江渡木さんに『一目惚れした』と言われました」

「あら」

「あれは主人公ヒロインとしてのお前に一目惚れしたって意味だ」


 アリスはオーバーに頭を両手で押さえる。


「酷いです」

「酷くない。ほら、欲しがってたぬるま湯」

「ありがとうございます……」


 アリスは下唇を尖らせながらぬるま湯の入った鍋を受け取る。

 不服そうなアリスに、エミリィが耳打ちをする。


「男の子はね、素直じゃあないのよ」

「なるほどぉ」

「なるほどぉ。じゃあない」


 くすくすと笑う彼女に、僕は肩を落とす。こういう話は、否定すれば否定するだけ負けなのだ。


「ぬるま湯で血のシミって流せるのか?」

「時間が経ったものは微妙ですけど……こうやって血は掃除するんです」

「常識でしょう」

「僕がいた世界は流血騒ぎが日常ではないからな」


 アリスはモールで手に入れたタオルを浸し、濡れたタオルで血痕を叩く。


「こうすると拭い取りやすくなるんです。江渡木さんも手伝ってください」

「了解」

「じゃあ、ここは二人に任せてもいいかしら?」

「はい、任せてください。ピッカピカにしてみせます!」


 濡れたタオルを持った手で、アリスは自分の胸を叩く。ぬるま湯が服に染みて「ぴっ」と小さく悲鳴をあげた。エミリィはクスクスと笑う。


「周りの『死体』にも気をつけてね。縛ってはいるけど、近づくと噛みつこうとするから」

「それは大丈夫です。私は噛まれても平気ですから」


 右手で濡れた胸元を拭いながら、アリスは左手を掲げる。


「そう、ね。じゃあ安心して、任せられるわね」


 エミリィは僕らに手を振りながら、タキシードのゾンビ――トードがいる方へと移動する。僕はカメラで彼女の表情を追う。煮え切らない笑み。口角が上がりきっていない笑み。

 トードは彼女を見ても表情を変えない。当然だ。彼はゾンビなのだから。エミリィは二言三言、彼に声をかけて、おかしそうに笑っている。

 がしり、とカメラが掴まれた。むりくりカメラが動かされて、アリスの方にレンズが向く。片頬を膨らませたアリスが、画面いっぱいに映された。


「江渡木さん」

「はい」


 むすっ。という音が聞こえてきそうな声色。


「初めて会ったとき、江渡木さん言いましたよね?」

「『いや、ただの悲痛の声……』」

「確かに言ってましたけど、再確認するセリフではない気がします」

「もしかしたら伏線かもしれないだろう」

「え、本当ですか!」

「ごめん、そんな素直に信じてもらえるとは思わなかった……」


 不服そうに唇を尖らせるアリスは言う。


「『一目惚れした』って、江渡木さん言いましたよね?」

「…………言いましたね」

「私、恥ずかしかったですけど……ちょっと嬉しかったんですよ?」


 アリスはカーペットを叩きながら、上目遣いで僕を見る。


「そのわりには、さっきからずっとエミリィさんの方ばかり映してます。私に目もくれず」

「それには訳がある」


 僕はアリスを指さす。


「カーペットの染み抜きをしている姿はめちゃくちゃ地味で映しててもしかたないからだ」

「じ、地味……!」

「それに、最近は恋愛もののゾンビ映画なんてものも増えてきたから、二人を撮っておきたいんだ」

「そうなのですか?」

「ああ、うん。ゾンビが蔓延る中で恋愛をしたり、ゾンビと恋をする話もある」

「ゾンビと!」

「その場合は往々にして、ゾンビには意思がある。意思をもって、誰かと恋をする。すごいんだよ、恋のドキドキで心臓が再び動きだしたりするんだ」

「それって」


 アリスは一転、蕩けるような笑みを浮かべる。


「とっっっても素敵ですね」

「素敵?」

「はい。死んでも恋できるって、とっても素敵です!」

「そうかなあ」

「そうですよ」


 小首を傾げる僕に、アリスはずずいと顔を寄せる。目はキラキラと輝いていた。


「恋はそれだけで素敵で、それだけで元気になれちゃうものなんですよ」

「……目が痛い」

「だ、大丈夫ですか⁉ 目にホコリでも」

「いや、あまりにも無垢なものを見てしまって」


 きょとんとしているアリスからカメラを外し、再びエミリィとトードに向ける。トードに話しかけるエミリィ。もちろん、トードから返事があるはずもないが、彼女はそれでも笑っていた。

 恋はそれだけで素敵で、それだけで元気になる……か。


「その通りかもな」


 僕はアリスの方を向く。


「さあ、二人の結婚式の用意をしよう。二人の結婚式はきっと、良い絵になるはずだ」

「頑張りましょう!」


 おー! と両手を挙げて鬨をあげるアリス。

 そんな彼女を、エミリィはもの悲しそうな目で見つめていたのを、僕は後でカメラの映像を見返して、気がついた。


***


 チャペルの内装の清掃を終えた僕は腰をあげて、体を伸ばす。

 心地よい疲労の音がしてから、周りのゾンビ達の様子をうかがう。アリスは噛まれても問題はないが、僕とエミリィは噛まれたら終わりである。彼らを縛っている紐が緩んでいたりしないか確認はしておかなくては。

 紐は緩んではいなかった。しかし、どうもゾンビ達の様子がおかしい。

 天井を見つめて呻き声をあげていたゾンビ達が、体を前後に小さく揺らしているのである。

 まるで、待ちわびていた日が近づいてきている子供のように。

 ゾンビは生前の記憶にしたがって動くことがあるらしい。

 だからこそ、『ゾンビ』のスティーブンは隠れ家に戻ってきたし、『ショーン・オブ・ザ・デッド』のサッカー少年は、ゾンビになったあとも主人公にサッカーボールをぶつけてくる。

 彼らの生前の記憶。彼らは結婚式を楽しみにしていた。

 結婚式の準備が進んでいることに喜んでいるのだろうか。


「……まさか」


 まさか。

 そんなわけがない。という意味と、もしかして。という意味。

 僕はチャペルの外に飛びだす。

 チャペルの目の前を横切るようにある道を、遠くの方から歩いて向かってきている影があった。

 結婚式と言えば、忘れてはいけないのが参列者ゲストである。

 彼らもまた、外から客を呼んでいたのだ。しかし、あれはただの参列者ではない。

 ゾンビだ。

 ゾンビが、群れをなしてチャペルに迫っていた。

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