第二章 ゾンビ(2)
神さまの啓示の通り、アリスと僕は東へと向かった。
森を越え野を過ぎると、川が見えてきた。川では、どんぶらこ。どんぶらこ。とゾンビが流されていた。川の流れに抗う様子もなく、白く濁った澱んだ目を僕らに向けながら、「あぁ……」と唸って、川下へと流れていく。
僕は川下へと消えていくゾンビをカメラにおさめてから、川上の方へと向ける。
川上からは、続々とゾンビが流れてきていた。まだまだ、その勢いは途切れそうにない。
「『死体流れ』ですね」
アリスは指をからめるように、手を組み、祈りを捧げながら言う。
「川上で大勢の人が亡くなるようなことがあると『死体』……ゾンビがたくさん流れてくるんです」
「それは変だな」
「どうしてですか?」
「ゾンビは火と流水が苦手なんだよ」
確かに水を泳ぐゾンビの存在は枚挙に暇がないが――例えば『バイオハザードⅣ アフターライフ』とか『サンゲリア』とか――ロメロのゾンビは泳げないし、火と流水が苦手なはずだ。だから『ランド・オブ・ザ・デッド』のビッグ・ダディが異質なのだ。
もちろん、苦手なだけで弱点ではないので、流れていること自体には、なんら問題はない。
「『死体』遺棄です」
僕の疑問に、アリスは悲しそうな顔をしながら答えてくれた。
「あまりにもたくさんの『死体』が発生すると、それを処理するのにも時間がかかります。燃やすにも燃料がいりますから、こうして川に流すんです。江渡木さんのおっしゃる通り、ゾンビは泳げませんから川の付近にいる他の人に危害を加えたりせずに、遠くに捨てることができます」
「なるほど。つまり、川上からこんなにも絶え間なくゾンビが流れてくるってことは、上でなにかあったってことだよな?」
「そうですね。つまり」アリスは僕の方を向く。「私たちは川上に向かうべき。ということです!」
「……逆じゃあないか?」
「いえいえ。そんなことはありません」
アリスはちっちっちっ。と指を振る。
「撮影的には今のはカメラ目線でやってほしかったな。決めポーズっぽいし」
「ご、ごめんなさい……?」
「やり直し」
「やり直し⁉」
テイク2。カメラに向けて、ちっちっち。と指を振る。アリスの頬は、演技を意識してしまってか朱に染まっていた。
「い、いえいえ。そんなことない……ですよ?」
「もっと自然体に」
「なんだかとっても恥ずかしいんですけど!」
「テイク3」
「まだ撮るんですか!?」
テイク18。
「『死体流れ』が発生しているということは、川上でなにか危機的なことが起きていて、かつ、誰かが生き延びている。ということです!」
アリスは半ばやけになったように声を張り上げながら言った。大声を出して顔は真っ赤になり、息が荒くなっている。
「そして、川上は東にあります。つまり、『困っている信者』はこの先にいるはずです。さあ、向かいましょう。すべては神さまの思し召すままに!」
アリスは自信満々に歩きだした。僕は流れるゾンビたちにカメラを向ける。ゾンビたちの白く澱んだ目と目が合った。こんなたくさんのゾンビが発生するような事態が発生しているというのに、彼女は避けて通るのではなく、喜々として、その渦中に向かおうとしている。
理由は単純。神さまがそう言ったから。信仰の力というのは、なんとも、怖ろしいものだ。
「……まあ、なにかしら事件が起きた方が画面がもつし、映画としてはありがたい限りだからいいけどさ」
「江渡木さーん。はやく来てくださいよ!」
「遠景のアリスの姿を撮ってから行くよ」
「かわいく撮ってくださいねー!」
「じゃあかわいこぶってくれ」
「え」アリスの動きが固まった。
しばらく考え込むようにフリーズしてから、アリスはぎこちない笑みを浮かべる。
「え、えーっと……いえーい?」
横ピースしながら、ウインク。
顔は真っ赤っか。
僕はため息をついて、カメラをしまった。
「もう一度チャンスをください! テイク2! テイク2!」
「移動シーンはワンカットで済ませるから大丈夫だよ。はい、幕間」
***
ゾンビものの舞台として、頭に浮かぶものをひとつあげてみてほしい。
寂れた田舎町? 製薬会社の秘密研究所? プロムの会場? 洋館? 墓場?
人肉を食べる死体が襲いかかってくるというシンプルな物語構造ゆえに、舞台が多様化していくのは、自然の摂理みたいなものだろう。そんな多様化していく舞台の中でも、忘れてはいけない舞台がひとつ。
人がたくさんいて、ものがたくさんあって、広くて、文化的で、文明的で、開放的で、閉鎖的な場所。
ゾンビの流れる川のほとりをしばらく歩いていると、建物が見えてきた。
それは、見間違いではなければ、ゾンビものの王道舞台であるところの――ショッピングモールであった。
僕はカメラを起動して、モールの全体像を撮る。三階建てぐらいだろうか。窓ガラスが割れていたり、壁が汚れているわけでもなく、つい最近まで使用されていたのだろうということが推測される。モールを中心として大きな駐車場が広がっていて、ゾンビがうろうろさまよっていた。
モールの入り口は全て車でつくられたバリケードで閉じられていた。全てが閉じているわけではなく、一ヶ所だけ空いている。空いている――というか、壊されている。
そこからゾンビが駐車場にでたり、あるいはモールの中に侵入したりしていた。
「ここ、でしょうか?」
駐車場から少し離れた位置にある小高い丘に身を隠しながら、アリスと僕はモールの様子をうかがう。
「ここだと思うよ。なにせ、ショッピングモールだ。モールと言えばゾンビ。映画『ゾンビ』から続く伝統芸能だ」
映画が好きで、映画の世界をつくるほどの神さまだ。まさかこんな露骨なまでのゾンビ映画の舞台を用意しておきながら、話に関係のない背景であるとは考えづらい。
僕はカメラを、モールの屋上に向ける。こういう籠城戦をしているときは、往々にして屋上に見張りがいるのも、映画の定番だろう。SOSを書いたりもしているかもしれない。
屋上に向けたカメラの画面をズームさせると、動いている人影が映り込んだ。なにやら大きな荷物を引きずり、ほとりにある川に投げ落としていた。水飛沫があがり、しばらくするとゾンビが川面に浮かび上がってきた。
一体だけではない。彼らは途切れることなく、屋上からゾンビを投げ落としていた。
「……人がいる」
「本当ですか? では、向かいましょう!」
アリスはふんす。と鼻を鳴らしてから、意気揚々とショッピングモールに向かおうとした。僕は慌ててその腕を掴んで、引き留める。
「ちょっと待って、アリス」
「どうしてですか。困っている人がいるのなら、すぐ向かった方がいいに決まってます」
「あの中を?」
僕は駐車場を指さす。駐車場にはゾンビの姿がちらほらと確認できた。確かに、ロメロゾンビは離れていれば脅威ではないかもしれないが、それでも、ゾンビが見える場所に用意もなく向かうのは無謀というものだろう。
「大丈夫ですよ。私は噛まれても平気ですから」
アリスは白い手袋をはめた左手を掲げる。ゾンビになった母親に噛まれた痕がある左手。
「確かにアリスは噛まれても平気だけれども、食い殺される場合はどうする?」
「食い殺される」
「それはもう、ばりばりむしゃむしゃと。噛まれても平気なんて関係なく、大量出血と肉体欠損で死ぬ」
アリスの色白の肌が、途端に真っ青に染まった。
あわわわわ。と、アリスの口は動く。ちょっと怖がらせすぎてしまったかもしれない。
「それは嫌です! 死にたくありません!」
「だろう。だったら無闇に動かない」
「はい。江渡木さんの言うことを聞きます!」
「いや、そういうことではないんだけども」
「誰よりもゾンビに詳しいのが江渡木さんですから」
「過度な期待がある気がする!」
と。僕が言った瞬間である。
ぱぁあん。という、乾いた音が聞こえたのは。
それは現実では一度として聞いたことはないが、映画ではもう何度も聞いたことのある音――銃声だった。
アリスから視線を外し、音のした方にカメラを向ける。ちょうど、ゾンビがぐらりと倒れるところであった。脚を撃ち抜かれたらしいゾンビは、ぱつん、ぱつん。と両手でアスファルトを叩いている。
僕はモールの屋上に再び、カメラを向ける。人影のひとりが、銃を持っていることに気づいた。もう一度、銃声。倒れていたゾンビの頭に命中した。ゾンビの両手は地面を叩くことをやめた。
「あいつら、銃を持ってるのか」
「警戒、してるのでしょうか」
「屋上から死体を捨てていたり、バリケードが壊れているところを見るに、ここでなにかが起きたのは、間違いないし、気が立ってるのかもな」
僕はもう一度、屋上の様子をカメラで確認する。銃口がこちらを向いていた。
「え?」
我ながら素っ頓狂な声をあげながら、ひとつの可能性が、頭に浮かぶ。
誤射。
ゾンビだと勘違いして、生きている人間を誤射してしまう。
それもまた、ゾンビ映画のお約束のひとつであること。
「ッリス!」
「わきゃっ」
僕は半ば突き飛ばすように、アリスを押し倒した。頭上を風切り音が通過する。銃弾は僕らに当たることなく、背後にあった木の幹に穴をあけた。
「神さま。確かにこれもゾンビ映画的ではあるけれども、死んじゃうやつだよ」
「あ、あの。江渡木さん……重いです……!」
「ん? ……あっ!」
押し倒した状態になっていたアリスが、息苦しそうな表情をしていた。僕は慌てて彼女から離れた。アリスはトゥニカについた砂ぼこりを払いながら起き上がる。
「銃弾ではなく、江渡木さんに押し潰されて死んでしまうところでした」
「わ、悪い」
「冗談ですよ」
アリスはにひぃ。といたずらっ子の笑みを浮かべる。
「やはり、神さまのおっしゃる通り、江渡木さんは私を助けてくれる存在ですね」
「映画の主人公にこんなところで死なれても困るからな……」
丘に身を隠した状態のまま、僕は腕を伸ばしてカメラでモールの屋上の様子を伺う。銃を構える男は、駐車場にいるゾンビを一体一体撃ち殺していた。
このままもう一度顔を出したら、またゾンビと勘違いされて撃たれてしまいそうだ。声が届くほどの距離ではない。僕らがゾンビではないことを相手に伝える必要がある。僕はアリスの方を見やる。アリスはくてん、と首を傾げた。
「……さっき、僕の言うことを聞くって言ったよね?」
「はい」
「じゃあ」
僕は言う。
「脱いでくれる?」
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