第一章 ゾンビーランドへようこそ(2)
彼女の言うとおり、しばらく走っていると僕が持ち込みをしたミニシアターが、岩山に飲み込まれながら建っていた。どうしてここにミニシアターがあるのか。考えるよりも先に、ミニシアターに飛び込む。
扉を閉じる。鍵を閉め、入り口が力業で開かぬように椅子でバリケードをつくった。完成したところで、僕と彼女は、エントランスに腰をおろす。
女の子は僕の方を向く。彼女の目は青かった。睫毛が長くて、肌は色白で、唇は桜色。首には、祈る手をモチーフにしたのだろう、銀のペンダントをかけている。
カメラに映えそうな、綺麗な女の子だった。彼女はふにゃりと柔らかな笑みを浮かべる。
「ありがとうございます、助かりました」
「どういたしまして……」
「私はアリスといいます」
「僕は
「エドキさん」
彼女――アリスは、はにかむ。その笑みは、犬歯で下唇を突き刺して釣り上げているような、つまるところ、無理している笑みだった。僕はアリスの左腕を指さす。ゾンビに噛まれた腕を指さす。
「腕、大丈夫?」
「え? あ、そうですね。止血しておかないと」
彼女は左腕を一瞥してから、思いだしたように袖をまくった。
白くて細い腕からは、血はあまりでていないものの、くっきりと、歯形が残っていた。
ゾンビに噛まれた痕が、残っていた。
「あまり深くなくて良かったです」
「ゾンビに噛まれたのに?」
「ぞんび?」
アリスはきょとんとした表情で首を傾げた。まるで『ゾンビ』という言葉を初めて聞いたかのようだった。
「ゾンビに噛まれたら、ゾンビになってしまうのが『ルール』じゃあないか」
ゾンビ映画のルール。ジョージ・A・ロメロ監督がつくりだした方式。ここがゾンビ映画の世界で、ゾンビがロメロ・ゾンビであるのならば、そのルールは不変であるはずだ。
アリスは僕の言いたいことが分かったのか、「ああ」と声をあげた。
「そうでした。説明しないといけませんね」
アリスは左手を僕に見せるように掲げる。彼女は左手だけ、白い手袋をしていた。手袋を外す。彼女の手の甲には、人の歯形が、くっきりとついていた。
「それって」
「私は七年前、『死体』になったお母さんに噛まれてしまいました」
けれども、と。彼女は滔々と語る。
「私は死ぬことがありませんでした。『死体』になることも、ありませんでした」
ゾンビに噛まれても、ゾンビになることはない。
それはまさしく、ゾンビ映画の主人公の素質だった。
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