第一章 ゾンビーランドへようこそ(1)

 Q.この世で一番偉大だと思う映画はなんですか?

 イメージトレーニングは大事だ。いつしか世界に名を馳せる映画監督になった暁には、幾つものインタビューを受けて、例えばこんな質問をされるかもしれない。質問に、僕はこう答える。

 A.ジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』ですね。

 墓参りに向かった主人公が、死体が動き回り、人に襲いかかるという奇妙な事態に巻き込まれるという、いわゆる『ゾンビ映画』の祖と言われている映画である。

 もちろん、それ以前にも『ホワイトゾンビ』や『私はゾンビと歩いた!』や『プラン9・フロム・アウタースペース』なんていうゾンビ映画は存在する。

 しかし、人肉を貪り食う死体。噛まれた人間もゾンビになるという吸血鬼的特性といった現代のモンスターとしてのゾンビは、この映画が生みだした。

 『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』もジョージ・A・ロメロ監督の名前も知らない人も、ゾンビならば知っている。

 そんな影響力が、この映画にはある。

 『ゾンビ』は最早、ひとジャンルとして成り立っている。

 ジョージ・A・ロメロ監督は、ジャンルを、つくってしまったのだ。

 世界中の誰もが知る、ひとつのジャンルを。


「そんな偉大なる先駆者であるロメロ監督のようになりたいんです!」

「まあ。目標が高いことは素晴らしいことだと思うよ」


 僕がぐっと拳を握りながら言うと、ミニシアターの館長は苦々しい笑みを浮かべた。頭が禿げた館長である。


「それで、きみがここで上映してほしいと持ってきた映画なんだけど」

「はい!」


 僕は姿勢を正す。勢いでずり落ちた眼鏡を持ち上げた。このミニシアターは、映画の企画持ち込みを歓迎していて、僕は新しく撮影した映画を持ち込みに来ていた。館長はゆっくりと、言葉を選ぶように言う。


「映画のラストは、ハッピーエンドだったね。まるで、神さまが駄々こねながら、世界を改変してしまったような、そんな救われ方だった」

「物語はハッピーエンドが一番。というのが、僕の信条なので」

「『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が一番偉大だって言っているのに?」

「『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は確かに偉大です。しかし、残念なところもあります」

「残念なところ?」

報われないバットエンドなところです」


 バットエンドなんて最低だ。

 人生ならばともかく、創作ならば、どうとだって人を救うことができるはずなのだから。


「ハッピーエンド至上主義か。いいね、思想や主義主張は作品に華を添えてくれる」

「じゃ、じゃあ……!」

「まあ。それと映画の面白さは別問題だけどね」

 申し訳なさそうに、館長は言った。

「ごめんよ。こっちもきみのような若者を応援したいのは山々なんだけど……次は面白い映画をつくってきてね」


***


 素晴らしい映画に感化され、同じように映画を撮りたい。と思い立つのは、誰もが一度は通る道だろう。

 映画ではないのなら、小説でも漫画でも絵画でもサッカーでも野球でも良い。

 素晴らしきなにかに触れ、憧れ。

 素晴らしきなにかに自分もなりたいと思う。

 それは人間の行動原理的として、平凡なまでに、ありふれていて。

 僕にとって、それは映画であった。それだけだ。

 しかし残念なことに、僕には映画を撮る才能というものがさっぱりなかったらしい。その事実に気づいたのは、大学に入学して暫くすぎてからだった。バイトをして資金を得た僕はさっそく映画の撮影に取りかかり、それをインターネットで公開した。いわゆる、自主制作映画インディーズ・ムービーというやつだ。二十分ぐらいの短い映画で、出演者は僕ひとりというものだった。

 もちろん、反応らしい反応も得られることなく、僕は次の映画にとりかかった。出演者が僕ひとりなのは寂しいから知り合いに頼み込んだり、カメラワークに拘って撮ったり、様々なことをした。

 撮った映画の数が十を越えたあたりで、変化が起きた。僕の映画の再生回数が、ぐん。と伸び始めたのである。いったい何事だと思いながら調べてみると、僕の映画がSNSで話題になっていたらしいのだ。再生回数も評価も増えていった……全部低評価だったけれども。

 話題は話題でも、「すごくつまらないクソ映画がある」という、なんとも不名誉な話題だったのである。僕の映画についたコメントを朗読してみよう。


「クソ」「ゴミ以下」「ご都合主義的すぎてつまらん」「なんでもかんでも最後をハッピーエンドにすれば傑作になると勘違いしてそう」「無料でも高い。観た人に金を払うべきレベル」「この映画に出演したことを黒歴史にして経歴から抹消してそう」「日常がすごく面白かったことを教えてくれる(それぐらいつまらない)」「犬のクソを眺めている方が面白い」


 クソ映画コレクターなる人たちが『期待の新星』として僕を扱っているらしい。ということを知ってからは、感想を探すことも、コメントを読むこともやめた。彼らは僕の映画の感想を言っているのではなく、面白い感想大喜利をしているだけだと分かっていても、見ていてつらかった。

 僕には、映画を撮る才能という物がないのかもしれない。うっかり自殺しちゃおうかなって思うぐらいにはショックな事実だ。しかし、実はコメントの彼らが見る目がないだけで、実際は僕の映画はちゃんと面白くて、才能だってあるかもしれない。

 ちゃんと観てくれる人に観てもらおう。僕は、持ち込み歓迎のミニシアターに持っていった。

 結果は前述の通り。不合格だった。がっくりと肩を落とす僕に、ミニシアターの館長はチケットをくれた。


「持ち込みは何度来てもいいから。今日はここで映画を観て帰るといいよ。今からだとそうだね――」館長は巷で話題のタイトルをあげた。

 僕は「はい……」と生返事をして、劇場に向かった。ジンジャエールとポップコーンを買う。

 席に座る。劇場は暗くなり、映画が始まる。銀幕に映る映画は、宣伝にも力が入っていた映画で、僕もそのタイトルを知っていた。しかし……。


「退屈だ」


 平日の昼間ということも相まって、劇場には僕ひとりしかいない。だから、感想が思わず口からこぼれた。一体これのどこに「面白さ」があるのだろうか。僕には分からなかった。

 終盤にさしかかったスクリーンには、血まみれになったヒロインの姿が映しだされていた。世界を救おうとした主人公たちだが、あと一歩というところで、死んでしまうらしい。

 前評判で「この映画はリアルを描いている」「世界は一人の人間にどうにかできるほど小さくない」なんて言われていたことを思いだす。どうしようもない現実を描いているだとか、失う切なさが涙を誘うとか。

 僕はどうにもそれが受け入れられなかった。どうして彼女が死なないといけないのか、分からなかった。

 。そのはずだ。

 しかしこの映画は、僕の映画が映ることのない大スクリーンで上映され、実際人気を博していて、興行収入も十二分に稼いでいて、様々な人の感想が飛び交っている。僕の映画のように罵詈雑言ばかりではない感想が。

 この映画はたくさんの人の喝采を浴びることになるだろう。

 バッグの中にある僕の映画がホコリを被る間に。

 皆から「面白かった!」という感想をいただくのである。

 僕が「犬のクソ以下」なんてのたまわれる間に。


「人は……バッドエンドを求めているのだろうか」


 ――きみの映画。ラストはハッピーエンドだったね。まるで、神さまが駄々をこねながら世界を改変させてしまったような、そんな救われ方。

 僕の映画を観終わった館長の言葉を思いだす。困ったような目をしていて、言葉を選ぶように言っていた。

 報われない。救われない。そんな話を求めているのだろうか。

 ハッピーエンドは求められていないのだろうか。

 僕の面白さは、間違っているのだろうか。


「僕の方が」声が漏れる。「面白い映画を撮れるはずなのに」


『それは、ほんとうか?』


 声。

 獣にむりくり人の言葉を喋らせているような、そんな声。

 はて。この劇場の中には、僕しかいなかったはずである。隣の席を覗きこむと、そこには、猫が座っていた。

 黒い猫。

 映画館の暗闇に紛れ込んでしまいそうな黒い猫は、金色の眼で、僕のことをじっと見据えていた。

 周りを見回すも、僕以外にはこの猫しか観客はいない。まさかな。と思いながらも、声をかけてみる。


「……映画、見なくていいのか?」


 我ながら、なんともバカっぽい台詞だと思った。

 果たして。猫は金色の眼をゆっくりと動かして。


『つまらぬ、えいがだ』と言った。『そうは、おもわぬか』


 猫が喋っている。猫が僕に、話しかけてきている。


「そ、そうだな」


 不思議な状況に、僕は言葉をつまらせながらも、なんとか続ける。

 主人公の泣き顔を見ながら、僕は言う。


「うん。つまらない。人が死ねば泣けると思ってるところとか特に」

『そう。ひとがしぬのはたのしいことだ。わらいばなしだ』

「いや、それもそれでどうなんだ?」


 確かに倫理観のズレている映画っていうのは、それはそれで楽しいものではあるけれども。


「人が死ぬのは悲しいことだ。道端に落ちてるボロ布みたいなもんだ」

『だから、たのしいのではないか』

「性格が悪いな……」


 まあ、確かに。悲しいからこそ、面白かったり、美しかったり、虚しかったり、泣けたりするのかもしれないけれども。

 バッドエンドの楽しさというのは、きっとそこにあるのだろう。

 猫はうむうむ。と頷く。


『えいが、すきか?』

「映画。は、好きだよ」

『そうか。えいが、すきか』


 猫はスクリーンの方へと視線をうつす。


『わたしも、すきだ』


 映画が好きな猫。なんともキャラクターめいた造詣だ。


『とくに、ほらーがすきだ』

「嫌な猫だな!」

『えいががすきだから、わたしも、えいがをつくることにした』

「猫が映画を撮る?」


 それは、なんだかとても微笑ましい映像ができあがりそうだ。きっと、物語性はなくとも猫好きから好評を得ることだろう。


『いな』


 猫は頭を振る。


『えいがを、。だ』


 撮る。ではなく、造る――創る?


『わたしは、えいがのせかいを、つくった』

「映画の世界?」


 なんだそれは。まさかこの猫は世界をひとつ創ったと言い張るつもりなのだろうか。

 猫はひょいと、椅子から飛び降りると僕の足下に着地して、僕の顔を見上げてくる。


『おまえ、そこでえいがをとれ』

「僕が?」

『とれるのだろう、おもしろいえいがが』


 僕は思わず自分の頬をはたいた。痛かった。夢ではないらしい。僕は猫に、映画撮影の依頼をされているらしい。

 初めての依頼が、猫か……。

 暫く悩んでから、僕は答える。


「いいよ。撮ろう」


 正直、今の状況を十全に理解できている自信は微塵もない。しかしながら、僕は今、誰かに「映画を撮ってくれ!」と依頼されているのだ。ということだけは理解した。

 それはつまり、僕の映画が求められている。ということである。

 クソ映画コレクター以外に。

 例えその相手が、喋る猫だったとしても、嬉しくないと言えば嘘になる。


「面白い映画を、撮ってやろう」

『きたいしてるぞ』


 猫は、人間みたいに不自然に笑った。

 じ、じじ……。と音。古い映写機の音。銀幕を観てみると、さっきまで映っていた映画から、別の映像に変わっていた。

 荒い映像だ。森の中。人が襲われている。女の子だ。ぺたんと腰を抜かして、周りを群がる人が伸ばす手を、木の棒を振り回し、一生懸命払いのけようとしている。周りに群がる人はどこか奇妙だった。まるで近距離でショットガンの弾を浴びてしまったかのように、腹にぽっかりと穴が空いていて、大腸がもろりとこぼれてぶら下がっている。それなのに動いている彼らの動きは襲おうとしている。というより――食べようとしている。女の子を食べようとしているようだった。ゾンビだ。ゾンビ映画が上映されていた。


『わたしのつくったえいがのせかいには、けっかんがある』


 映画に目を奪われている僕に、猫は囁く。


『おまえには、そのけっかんをしゅうふくするはなしを、とってもらう』


 


『しゅじんこうは、そこでおまえを、まっている』


 じじ、じじ、じじ。じじ、じじ、じじ。じじ、じじ、じじ。

 敢えて暗くしている暗闇が消える。

 ポップコーンの匂いが消える。


「……僕は」映画を観ながら、猫に尋ねる。「お前のことを、なんて呼べばいいんだ?」

『かみさま』猫は答えた。


 じじ、じじ、じじ。じじ、じじ、じじ。じじ、じじ、じじ。

 むわっとした湿気が、肌を撫でる。鼻につく、錆びた鉄の臭い。

 じじ、じじ、じじ。じじ、じじ、じじ。じじ、じじ、じじ。

 荒い映像は次第に鮮明になっていく。鮮明に、鮮明に、より鮮明リアルに……。


「は、離れてください……っ!」


 女の子の、金切り声が、現実味リアルに、聞こえた。


「え?」


 僕は辺りを見回す。僕は森の中に立っていた。落ちた葉の感触が足元にある。森の中特有の湿気のある匂いもある。人工的な光のない月明かりだけの薄暗さもある。そしてなにより――目の前で、女の子が、ゾンビに、襲われている。

 彼女は、黒色のベールを被っていた。全身のシルエットを隠すような、黒いワンピース。

 トゥニカとウィンプル。いわゆる、シスター衣装というやつだ。

 さっきまで観ていた荒い映像の映画。そのままの光景が目の前に広がっていた。

 

 ぶん、と。彼女は木の枝を強く振る。頭に当たり、ゾンビは体を大きく倒す。しかし、それだけ。ゾンビは倒れたまま、彼女に近づいてくる。ゾンビのうち一匹が、彼女の腕を掴んだ。

 しかしゾンビは体を少し揺らしただけで彼女に近づく。ゾンビのうち一匹が彼女の腕を掴んだ。


「あ」「あっ」


 その時。彼女は確かに、僕を見た。涙で濡れた青色の目が、僕を見た。

 ゾンビはぐわっと口を開いて、その腕に噛みついた。ゾンビの黄色くカビたような歯が、トゥニカに食い込む。じわりと黒い生地に、赤色が混じる。

 僕は声を荒げながら彼女とゾンビに迫り、ゾンビの脇腹に蹴りを入れた。ぽっかりと穴が空いている脇腹である。噛みついていたゾンビは勢いよく倒れ、他のゾンビたちは僕の登場に、体の動きを止めた。一瞬の隙。僕は彼女の腕を掴んで、ゾンビの群れから引っ張りだした。


「走るぞ!」

「は、はいっ!」


 僕はシスター衣装の女の子を引っ張るように走った。彼女は、少し前のめりになりながら、僕の後についで走りだす。首だけ動かして、後ろを見る。

 ごろんと転がっていたゾンビは、さながらたらふく飲んだ酒飲みのようにゆっくりと起き上がる。左右に体を揺らし、僕と彼女を見る。僕は息を飲む。

 果たして。

 ゾンビは「うあぁ」と呻き声をあげて、僕と彼女めがけて歩きだした。足を引きずるように、ゆっくりと。

 ゾンビ映画のゾンビは、だいたい二種類に分けられる。

 ひとつは『走らないゾンビ』。もうひとつは『走るゾンビ』。

 走らないゾンビのことを、僕はロメロ・ゾンビと呼んでいる。ジョージ・A・ロメロ監督のゾンビは走らないからだ。

 走らないゾンビならば、逃げるのも容易だ。走ればいいんだ。

 歩いているゾンビの姿はどんどんと小さくなっていった。


「どこか安全な場所は知ってるか?」


 走りながら、彼女に尋ねる。


「『神さま』が!」彼女は答える。「『しあたぁ』という場所に向かえと仰ってました。そこならきっと、安全です!」

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