第三話 神気、邪気
「シラハが邪霊化する……?」
猿やテロープのように、魔玉から生まれた生き物が邪霊になったものを見たことはある。
しかし、シラハと邪霊が結びつかず、リオは眉をひそめた。
チュラスが順を追って説明してくれる。
「我やその娘など、魔玉から生まれた生き物は当初、魔力で身体が構成されていた。魔力の感受性が高いのもこのためだ。しかし、容易に変質して神霊化、邪霊化しやすい」
「待って。邪獣化じゃなく邪霊化する理由も、魔力で身体が構成されていたから?」
一般的に、動物は邪獣や神獣となる。聖人化したガルドラットがいい例で、猿などが邪獣として処理されているのもこれが理由だ。
チュラスは耳を後ろ脚で掻く。
「そもそも、邪霊や神霊は大気中に存在する邪気、神気によって生じ、邪獣や神獣もこれらの気を受けて変質するのだ。我が調べた範囲の話だがな」
「初耳なんだけど、それが本当なら大発見なんじゃないの?」
神気が豊富な場所であれば容易に聖人化できたり、スファンのような神霊を生み出せることになる。
悪用すれば、神器や邪器を作り放題だ。
しかし、そう単純な話でもないらしい。
「神気も邪気も目に見えぬ。魔力以上に感じにくく、我らのような感受性の高い存在でも邪霊や神霊といった形にならねば感じ取れぬほどだ」
「それなら、シラハが邪霊化するとは限らないんじゃないの?」
「神霊化した例を我は知らぬ。だが、邪霊化した例として邪神カジハがおる」
邪神カジハ、小国シュベートを滅ぼした邪霊の名前だ。
ナイトストーカーと同じく広く知られる名前であり、国をも亡ぼすその危険性はナイトストーカーとは比べ物にならない。
「どうやら、邪神カジハはリィニン・ディアの失敗作らしいのだ」
「魔玉由来の生物ってこと?」
「うむ。それも、そこの娘と同じく人と同じ形をしておる。我がお主らと話そうと思ったのは、邪神カジハが理由でもあるのだ」
チュラスは改まってリオとシラハの眼をまっすぐに見つめて口を開く。
「旧シュベート国へと潜入し、邪神カジハを生み出したリィニン・ディアの施設を調査したい。案内は我が務める。協力してもらえぬだろうか?」
チュラスの申し出に、リオは渋い顔をした。
リィニン・ディアの施設の調査はしたい。ラスモア・ロシズからの依頼である魔玉調査に直接関係する話だからだ。
なにより、シラハにも深く関係している。邪神カジハについて調べれば、シラハが邪霊になるのを防げるかもしれない。
チュラスが言う通り、もはやリオとシラハはこの魔玉を巡る騒動から逃れることができないだろう。ミュゼを通じてリィニン・ディアに情報が渡り、リオとシラハは目をつけられている。
だが、旧シュベート国は邪神カジハの勢力圏だ。多数の邪霊、邪獣がひしめき、魔玉による未知の動物や邪霊がひしめく危険地帯である。
リオはシラハを見る。
シラハが持つ邪剣ナイトストーカーを使えば夜の間は視認されないで済む。それでも目的地にたどり着けるのか不安があった。
「……戦力不足」
シラハがリオの考えを先回りして言った。
この答えは予想していたのか、チュラスも頷く。
「であろうな。しかし、我に残された時間は少ない。邪剣ナイトストーカーや貴殿らの力に頼るほかないのだ」
「残された時間?」
残された時間と聞いて怪訝に思うリオだったが、シラハは理由に気付いたようだ。
「二十年生きているから、邪霊になりつつある?」
はっとして、リオはチュラスを見る。
チュラスは困ったように目を細め、肯定するように「にゃー」と一鳴きした。
「しかり。邪獣や邪霊はどういうことか、特定の衝動を抱える。これは神獣や神霊も同じようだがな」
そう前置きして、チュラスは自分の衝動に言及する。
「我はときおり激しい窃盗衝動を覚えるようになった。この姿ゆえ、少々のことでは追われることもないのだが、迷惑をかけるのは本意ではない。完全に邪霊と化す前に手を打ちたいのだ」
リオはチュラスを観察して、スファンの町で聞いた話を思い出した。
「義賊ネコ?」
「うむ。スファンに追い出されたが、そう呼ばれた時期もある。他に、衝動を解消するついでにお主らに襲撃を気付かせようと、リィニン・ディアからナイフを盗み取ったりな」
宿を襲撃された際、確かにチュラスらしき猫が屋根からナイフを落としていた。おかげでリオはいち早く襲撃に気付き、シラハと共に逃げ出せたのだ。
「その節はお世話になりました」
「なんのなんの。お安い御用である」
頭を下げるリオに、チュラスは左前脚で宙をこまねいて笑う。その気安さは、とても邪霊化しつつあるとは思えない。
チュラスに協力したいのも山々だが、やはり戦力不足は気になるところだ。
だが、チュラスに時間が残されていない以上、リィニン・ディアの施設の調査を行う最後のチャンスかもしれない。
「町の衛兵に頼んでみようか?」
「スパイだらけなのに? それに、町の治安維持の方が優先だと思う」
「なら、ラスモア様に援軍を打診する?」
「正規騎士らしき白面がいたんだから、政治問題とかいうのになる」
「ぐぬぬ……」
シラハに指摘されて悩むリオに、今度はシラハが提案する。
「リィニン・ディアに敵対しているホーンドラファミリアなら協力してくれるかも」
「俺達のことを狙ってるんだから、協力できるかは微妙だよ」
邪人コンラッツの視線を思い出す。明らかに獲物を狙う肉食獣のような眼だった。
なにが目的か分からないまでも、リオを利用する気なのは間違いない。
渋るリオに、チュラスが声をかける。
「いや、案外良い策かもしれぬ。ホーンドラファミリアは邪神カジハの討伐も一つの目標に掲げている。奴らの祖国を滅ぼしたのが邪神カジハだからな」
ホーンドラファミリアの母体は小国シュベートの難民だ。七十年前の出来事とはいえ、難民になった原因である邪神カジハを恨んでいるのだろう。
「リィニン・ディアの施設の調査で邪神カジハの討伐に繋がる手掛かりが出てくるかもしれないと分かれば、協力してもらえるかも?」
少なくとも交渉材料の一つにはなるだろう。リオとシラハに続いてチュラスの身柄まで狙われる恐れはあるが。
リオは思考を巡らせる。
もとより、相手は名の知れた裏組織だ。リオの出自にたどり着くのにそう時間はかからないだろう。村に戻っても追いかけてくる可能性があるだけでなく、両親や村そのものを人質にとられかねない。
それくらいならば、曲がりなりにも交渉材料がある今、相手の目的を聞きだして対策を立てるのは悪い選択肢ではない。
危険な橋であり、交渉の場の選定など考えることは多いものの、腹をくくるところだろう。
リオは覚悟を決めてチュラスに頷いた。
「交渉を持ち掛けよう。それでだめなら、別の方法を取らせてもらう」
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