第二十八話 裏手の戦い
それを見た最初の印象は「予想以上に大きい」だった。
黒褐色の長い剛毛に覆われたその生き物は二足歩行し、身長はリオの五割り増し。腕は強靭で太く、脚は短い。
顔は猿に似ているものの、馬のような幅広の鼻筋が通り、戦化粧なのか赤い線が両頬に引かれている。よくよく見れば、それは塗りつけたものではなく体色だと分かった。
乱暴に割った、長さも厚みも不揃いな木の板が剛毛に括りつけられて簡易的な防具となっている。手に持つのは樹皮も剥いでいない太い枝に鋭い岩を括りつけた原始的な手斧や槍だ。
松明の火を恐れる様子もなく、かといってむやみに突っ込んでくるわけでもない。のそのそと森からその巨体を出すと、後続の仲間が出てくるまで待機している。
「統率が取れてんなぁ。非戦闘員は村へ避難してくれ!」
カリルが苦笑しつつ剣を抜き放った。刀身に墨が塗られた両刃剣だ。使い込まれているのが柄の絶妙な擦り切れ具合から分かる。
シラハたちが不安そうな顔をしながら自分の家へと避難していく。
カリルがリオの横に立った。
「リオ、しばらくは動くな。オレたち大人組が注意を引き付ける。その間に敵の指揮官を探せ」
「討ち取れる気がしないんだけど」
「そうも言ってられない状況だから、覚悟はしておけ。だが、とりあえずは探し出してくれればいい。お前は物事の本質を見抜くから、期待してる」
「分かった」
リオは素直にカリルの指示を受け入れた。
子供で初陣の自分が戦場に飛び出しても、周りの大人たちが保護しようと無意識に動いてしまって足を引っ張る形になると、リオも分かっている。
森から出てきた敵の数は十七匹。頭数はこちらの方が多いものの、一筋縄ではいかないだろう。
「倒そうと考えなくていい! 引き込みつつ左右に分かれ、石垣で脚を止めさせたうえで襲い掛かるぞ!」
事前に準備していた木の板や杭といった障害物を利用する手をあっさりと捨てて、カリルは味方に指示を飛ばす。
障害物を利用できるのは相手が突撃してきた場合だ。脚を鈍らせつつ、突出してきた個体を集団で囲んで倒すための障害物であり、慎重に除去しながら進んでくる相手には効果が薄い。
走ってきたレミニ達予備戦力がリオのいる石垣のそばに立って弓に矢を番えた。
木の板や杭を除去しながら進んでくる敵に対して、十本の矢が一斉に放たれる。
「――うーん、効果がないか」
レミニが顔をしかめながらも矢筒に手を伸ばす。
レミニ達が放った矢は敵の身体を覆う不揃いな木板に刺さるか、貫通しても足を鈍らせるには足りなかった。夜ということもあって、命中した矢がそもそも少ない。
しかし、飛び道具の存在を知らなかったのか敵には若干の動揺が広がった。
リオは動揺の広がり方と静まるまでを興味深く観察する。
大型の猿たちは家のドアが軋むような鳴き声と野太い声で仲間と意思疎通している様子だった。レミニ達が持つ弓を指さしていることからも、猿たちが会話をしているのが分かる。
動揺を鎮める個体がいれば、それが指揮官だ。
猿たちの視線と動揺が静まる起点から、リオは指揮官らしき猿の位置を特定する。
「……レミニ、群れの左寄りの森の中に猿がいない?」
「森の中? ――あ、いた、葉っぱをまとった小さいのがいる」
暗くてリオには分からなかったが、猟師の娘であるレミニは夜目が利くらしくすぐに指揮官個体を発見した。
「射れる?」
「ごめん、むり。森に引っ込んじゃった。大きさは私たちと同じくらいだよ」
「石垣の裏に隠れて、その情報を全員に聞こえるように叫んで」
「狙われないかな?」
「俺が守るよ」
「……それ、他の子に言っちゃだめだかんね?」
「シラハにもう言った」
「くっ……。――みんな、聞いて! 敵の指揮官は森の中にいる、葉っぱをまとった小さい奴! 私やリオと同じくらいの背丈だよ!」
レミニの報告に、弓を構えている予備隊は一斉に森へと狙いを定める。
予備隊の動きを見て、猿たちが一気に突撃を開始した。指揮官を守るために遠隔攻撃手段を潰そうとしているのだ。
十七匹もの巨体が一斉に突撃してくる威圧感はすさまじく、レミニが小さく悲鳴を上げる。
「予備隊は後ろの石垣まで後退! できれば口笛を吹いてくれ!」
カリルが飛ばした指示に、レミニ達は怪訝な顔をしながらも二列目の石垣まで走りだしつつ、口笛を吹く。
てんでバラバラな口笛が幾重にも重なって、戦場が騒々しくなった。
カリルの指揮により、突撃してくる猿の群れを引き込むように防衛隊が左右に分かれる。
「――リオ! 仕事だ!」
カリルが声を張り上げた瞬間、リオは身体強化を使用して石垣を素早く飛び越えた。
カリルの指揮で猿の突撃をいなして石垣で脚を止めさせた防衛隊が怒号を上げながら猿の群れへと左右から襲い掛かる。
口笛と怒号が響く戦場では、森に隠れた指揮官の声は届かない。
カリルの策にハマったと気付いた猿の指揮官が群れの仲間に指示を届けようと森から慌てた様子で出てきたのが見える。
リオは鞘から新品の剣を抜き放った。
カリルたち防衛隊の後ろを駆け抜ける。
強化された身体能力に加え、日ごろの鍛錬による身軽な足捌きの前に、木の板も杭も障害物になりえない。
ぐんぐん加速するリオに気付いた猿の指揮官が尖った石をいくつも埋め込んで殺傷力を高めた木剣を構える。
「ガアッ!」
鋭い犬歯を剥き出しにして吼える猿の指揮官が木剣を斜め上に振り上げる。
動き出しこそ早いが構えに術理がない。反撃を気にしない棒立ちの姿勢から木剣を持った腕だけを振り上げても、リオにとっては脅威にならない。
リオは速度を緩めることなく腰だめに剣を構える。
猿の指揮官の間合いに入る直前、リオは歩幅を短くして間合いに侵入するタイミングをずらす。
猿の指揮官は振り上げた木剣を振り下ろしかけたが、空振りを誘うリオのフェイントに直前で気付いて腕の動きを止めた。
だが、どんな動物も動きを直前でキャンセルすれば硬直する。その絶好の隙を生み出すことこそがリオの狙いだった。
猿の指揮官へと深く踏み込んだリオは走り込んだ勢いも乗せて剣を一気に振り上げる。
猿の指揮官が悲鳴を上げて仰け反るが、リオの間合いからは逃れられない。
宙に猿の指揮官の手首が舞う。
木剣を持った猿の手首が地面に転がるより早く、リオは剣を寝かせ、猿の指揮官の胸を下から貫いた。
長い毛に括りつけられた鎧のような木板も下から隙間を狙われれば意味をなさない。
リオは剣を引き抜いて、倒れる猿の指揮官の横に回り込む。
油断せずに手首を落とした方に回り込んだリオから逃げようと、猿の指揮官が森へと這いだした。
「終わりっと」
容赦なく剣で首を刺して殺したリオは死骸から離れて石垣の方を見る。
カリル達防衛隊に挟み込まれ、石垣に進路を阻まれ、石垣の向こうから矢を射かけられ、猿の群れは必死に防御に徹していた。
しかし、指揮官が討たれたことに気付いた一匹が恐慌状態となると、一気に恐怖が伝播し森へと逃げ出し始める。
逃げ出しているとはいえ体格のいい猿の群れを相手に一人で進路をふさぐのは無謀だと、リオは気配を消して群れを迂回しながら石垣へと走った。
追撃しかけた村の男たちを押しとどめ、カリルが声を張り上げる。
「追撃はしなくていい! オレたちの仕事はここの防衛だ! 町からの増援が来るまで持ちこたえるためにも体力を温存してくれ!」
猿の奇襲部隊を追い返したとはいえ、群れの実数は不明だ。森の中にまだ本隊が残っている可能性もあり、追撃は危険すぎた。
「――リオ、よくやった! 大戦果も大戦果、一等勲章もんだぜ!」
石垣に戻ったリオに防衛隊からの賛辞と拍手の雨が注がれる。
「いや、あの、ははは……」
経験のない賞賛の嵐に照れ笑いを浮かべたリオだったが、次の瞬間にその笑みが凍り付いた。
リオの表情の変化を怪訝に思ったカリルが視線を追いかけ、顔を青ざめさせる。
――村の表から火の手が上がっていた。
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