第二十七話 夜襲
籠城が決まると村は急ピッチで防衛体制の構築を始めた。
空の木箱を抱えてリオは村の中を走る。
石垣を越えて表街道を隔てる丸太の壁に持っていくと、ラクドイが門下生に指示して空の木箱を配置し、土を木箱の中に入れさせていた。
リオの後ろから麻袋を抱えたシラハやレミニといった女の子たちが続く。
丸太の壁を補強する形で作られていく土嚢は、ラクドイが指示しているだけあって土台からしっかりしていた。もともと村の中でも防衛力が高い丸太の壁がここだけ見ると砦のような状態だ。
しかし、歩きやすく整備された幅広の道である表街道は攻める側にも有利なため、これだけ整えてもまだ不安は残る。
木箱を置いて、リオは不安材料を見た。
不安材料とは、この丸太壁に防衛戦力として配置されているラクドイ道場の門下生だ。
ラクドイ道場で教えているオックス流は重装騎士による守りの集団剣術である。足場が整備されていて幅が広く隊列が組めるこの場所に門下生を配置するのは理にかなっている。
だが、リオが見る限り門下生の士気はかなり低い。
何しろ初の実戦だ。ラクドイが率いているとは言っても表街道側の主戦力が子供ばかりというのも彼ら自身の不安をあおる。
一応、村のどこから攻められても対応するためにバルドを主軸とした遊撃戦力が組織されている。戦闘に入ればすぐに大人たちが駆けつけるのだが、門下生にとっては慰めにもならないようだ。
視界の端にユードの姿を見つけ、リオはそっと様子をうかがう。
見たところ、サボっている様子はない。重たい土嚢をきちんと運んでいるのはそれが自分の生命線だと認識しているからか、それともリオとの殴り合い以降態度を改めたのか。
いずれにしても、レミニの弟を始めとした真面目な門下生は白い目を向けている。一度ついたサボり魔という評価は中々覆せないのだ。
それでも白い目を向ける程度で済んでいるのは、オックス流が集団剣術だからだろう。危機が迫る今、文句を言って和を乱すのは得策ではない。
「……不満がくすぶってる」
隣に立ったシラハが呟く。リオも同感だった。
「一緒に戦うんだから普段から仲良くして、不満があったら相談しないとだめなんだよな」
日頃の行いは有事の際に牙を剥くのだと、リオは他人事ながら教訓にする。
シラハがリオをじっと見つめた。
「一緒に戦いたい」
「シラハも? 駄目だよ。武器を持ってないんだから」
ラクドイ道場の門下生には村の備蓄の剣が与えられている。こんなに早く使うことになるとは思っていなかったようだが、オックス流に合わせた剣を人数分揃えてあるのだ。それでも、数人は間に合わせの剣である。
村を上げて奨励しているオックス流ですらその有様で、リオの作った我流剣術に合う剣があるはずもない。つまり、シラハは武器がないのだ。
「でも、なんで突然?」
「お手本を見せればいいと思って」
「あぁ……」
なんとも純粋な考えだと、リオは兄としてシラハの頭を撫でる。
だが、手本を見せたところで一朝一夕では門下生の関係性は改善しない。
「まぁ、俺たちが指摘しても現場が混乱するし、何もできないよ」
いざとなれば村長が口を出すだろうと、リオはさっさとその場を後にする。
村の防衛地点は大まかに三点ある。
一つはラクドイと門下生が配置されている表街道。丸太壁などで防衛力もある。
二つ目は石垣地点。村と丸太壁の間に位置し、見通しが利く。ここにはバルドやレミニの父を始めとした狩人、弓を扱える者が配置され、何時でも救援に駆けつけることができる。
三つ目はカリルを含む村の腕自慢の中で弓を扱えない者が配置されることになった村の裏手だ。剣をもらったリオも一人前とみなされてここに戦力として配置されている。
ただ、裏手といってもここは辺境の村。裏には道などあるはずもなく山脈が鎮座する大自然が広がっている。
積極的に開墾し続けたため、かつての森との境を示す石垣が三重に広がっており、案外防衛力が高い。ただ、あくまでも腰の高さ程度の石垣であり、リオ達が見た巨体の猿にどこまで効果があるかは未知数だ。
森は柴刈りが進められて多少は視界が通るようになっている。木々は一定の高さ以上の枝をそのまま残してあり、巨体の猿が通りにくくなるように考えられていた。
夜も寝ずに警戒するため松明用の燃料を持って裏手に走る。
裏手ではカリルの指導の下、杭や木の板が休耕地に立てられていた。
畑は広々としているため、巨体の猿の行動を制限する目的があるのだろう。杭にも木の板にも念入りに棘が出るように処理が施され、釘も打ってある。猿が引き抜こうとしても掴んだ手が傷つくようにしてあるのだ。
「えげつないなぁ」
カリルの事前の計画によれば、森に近い場所の木の板には麻痺毒を塗ることになっている。日光を浴びると解毒されてしまうため、塗布するのは夕方から夜にかけてとのことだ。
動きが鈍った猿の体すら障害物として利用するつもりなのだろう。
「本当は空堀も欲しいところなんだがな」
リオを見つけたカリルが仕事ぶりを確認しながら声をかけてくる。
「時間がないし、あの巨体が入る空堀なんて掘ってられないよ」
「贅沢を言っても仕方がないか。畑を防衛ラインにするだけでも村としては痛いしな」
戦場になる以上、畑は荒れて血も流れる。戦後に応急処置はするものの、血が染み込んだ土壌は使い物にならない。
カリルの指示に従って燃料を置いて、リオは空を見上げる。
日が傾き始めていた。
「冒険者ギルドからの先遣隊はどれくらいで来る?」
「はっきりとは言えないな。伝書バトを飛ばしたから、向こうにはこの騒ぎが伝わっているはずだ。上手くいけば、明後日の早朝には着くと思うが、編成次第だな。人型の邪獣が相手だと半端な実力じゃ無駄死にする」
「そんなのと、素人の俺たちが戦うんだね」
「生活がかかってるからな。――投石用の石は石垣の裏に隠してくれ!」
話を打ち切ったカリルが指示出しに戻っていった。
※
村の近くに不審な影がちらつき始めたのは、可能な限りの防衛準備を済ませた翌日の夕方だった。
炊事の煙を発見したのか、大きな二足歩行の猿らしき影が表街道に現れ、ラクドイ達をじっと観察していたとの報告が裏手にいたリオ達の下に届けられた。
「木の陰から観察していて、おそらくは偵察だと思います」
連絡役を任されたレミニの弟の報告に、カリルは険しい顔をする。
「分かった。こちらも見かけたら連絡しよう」
レミニの弟を送り返し、カリルは山に目を凝らす。
リオも同様に木々の間に注意しつつ、口を開く。
「動きが制限される裏手を嫌ったのかな?」
しばらく待っても答えが返ってこず、リオは不審に思ってカリルに視線を移す。
「どうかした?」
何を考えこんでいるのかと、リオは質問する。
カリルは険しい顔のまま、答えた。
「いままでの話を聞く限り、今回の邪獣は人間じゃないな」
「偵察まで送り込んでくるのに?」
「毛深すぎるのもあるが、さっきの報告だと腰に木の板を繋いだ防具だけでほぼ裸だった。邪獣化しても、人間なら意思疎通ができるし衣服も身に着ける。今回のはおそらく辺境の奥地から出てきた猿だ。シラハとは別だな」
「喜んでいい?」
母と一緒に夜食の準備をしているだろうシラハのことを思い出す。
カリルの推測は、場合によってはシラハの本当の家族を相手に殺し合いになると覚悟していたリオにとっては朗報だった。
しかし、カリルは別の視点から悲報だと断言する。
「人間なら、体格の良い者がいても数が限られる。だが、未知の猿となればラクドイ以上の体格が標準かもしれない。しかも、防具を付けられるほどに邪獣化で知能が向上しているなら、武器を持ってくるはずだ。それに偵察を送ってきたなら、戦術を理解する頭もある」
野盗や山賊が邪獣化したのであれば、ラクドイ以上の体格はそうそういない。さらに、食料などの問題から頭数は二十を超えないと想定できた。
だが、大型の猿の群れとなると完全に実数は不明だ。
「戦闘が長引く可能性もある。数が二十を超えていれば隊を分けて二正面からくるかもしれない。夜襲を警戒したほうがいいな。森から石を投げつけてくるかもしれないから、防衛ラインを少し下げる。密集するのも避けろ」
カリルが指示を飛ばすと、村の大人たちは素直に従った。
リオは石垣から立ち上がって松明の準備をするべく動き出す。同じく大人たちが麻痺毒を木の板や杭に塗り始めた。
陽が落ちて周囲が暗くなっていく中、村には煌々と明かりが灯る。
夜襲を警戒していると、シラハや村の女性陣が夜食を運んできた。
「……リオの分、持ってきた」
「ありがと」
石垣に座って、シラハから受け取った夜食を食べる。シラハも横に座り、水筒を両手で持って森を見た。
夜食はパンに野菜と肉を挟んだものとチーズだ。腹持ちの良い硬いビスケットとジャムは深夜に気を紛らわすために食べる分だろう。
頭上に星が瞬く中、松明に囲まれて食べる夜食は非日常感を際立たせる。こんな時でもなければはしゃぐところだが、夜襲があれば即座に命がけの戦いが待っていると思うとはしゃいで余計な体力は使えない。
「水筒を貸して」
シラハの持っている水筒をもらい、口をつけたリオは顔をしかめる。
「苦い……シダ茶かよ」
「目が覚めるからって」
「そりゃそうだけどさ。はぁ、我慢するか――うん?」
もう一口飲もうとした時、リオは松明の薪が爆ぜる音に混ざる異音を聞き取り、耳を澄ませる。
耳元で羽虫が飛ぶような高い音が断続的に鳴っている。一瞬耳鳴りかと思ったが、シラハを見ると同じ音を聞きつけたのか眉をひそめていた。
「シラハも聞こえる?」
「……うん。みんなは聞こえてない?」
シラハが言う通り、カリルたち大人組はこの音が聞こえていないようだった。
森を注視しているカリルに声をかける。
「カリル! 何か変な音が鳴ってる!」
「変な音? どこからだ?」
音の出所を聞かれて、リオはシラハと一緒に顔を傾けて耳を澄ませ、全く同じタイミングで表街道を指さした。
直後、表街道から動物の野太い雄叫びが響く。ほぼ同時に、敵襲を告げる鐘がやかましく打ち鳴らされた。
石垣地点を守るバルド率いる予備隊が反応し、カリルへ合図を送る。
表街道に敵襲。数は二十以上。予備隊の半数が援軍に出るという内容だった。
カリルは了解の合図を送り、周囲の仲間に声を張り上げる。
「リオが妙な音を聞きつけた。おそらく敵の合図だ。つまり、合図を受け取った相手が表街道から離れた位置にいる。奇襲が来るぞ。備えろ!」
カリルが看破した通り、予備隊が表街道の援軍に出た直後、村の裏手に敵の奇襲部隊が姿を現した。
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