第二十九話 表の戦い

「――突破されたのかっ!?」


 予備隊の一人が驚いて表街道方面に駆けだそうとするのをカリルが即座に止めた。


「待て! バラバラに動くと混乱が広がる!」

「じゃあ、どうしろっていうんだよ! 家族が家にいるんだぞ!?」


 怒声を無視して、カリルが全体に指示を飛ばす。


「この場にいる妻帯者は全員、家に走って家族を保護し、ラクドイ道場に集まれ! 家財道具は捨てろ。相手は猿だ。金銭は取られない! 急げ!」


 指示を受けて、家族のもとに走っていく者たちの後に続こうとしたリオだったが、カリルに襟首を掴まれて引き止められた。


「な、何すんだよ! 母さんやシラハが――」


 リオの抗議を険しい表情で聞き流し、カリルはレミニに声をかける。


「リオの家を頼む」

「え? わ、分かった!」


 父と一緒に走り出していたレミニは一瞬戸惑いながらも、悩んでいる時間が無駄だと考えたのかすぐにリオの家へと走り出す。

 カリルはリオに事情を説明せず、矢継ぎ早に次の指示を出す。


「独身者は表街道方面の救援に向かう。戦闘は極力避け、戦力の維持とラクドイ達の保護、撤退を優先する。怪我をしている者は先にラクドイ道場へと移動。近隣の家のテーブルや椅子で内部から壁を補強しろ!」

「この場所を死守するんじゃ?」

「村に侵入された以上、ここを守っても森と挟み撃ちになる。重要なのは戦力を維持し、領主様から派遣された騎士団を待つことだ。急げ!」


 独身者を送り出したカリルはようやくつかんでいたリオの襟首を放した。


「リオ、猿の奇襲部隊の指揮官の死骸から首を落として持っていく」

「……表街道から来ている猿の部隊を挑発する気?」

「奇襲の失敗を連中に悟らせる。戦術を理解している以上、多少の混乱は生まれる……と期待したい」

「逆上して襲い掛かってきたら?」

「その時は全力で表街道を抜けて町に走れ。オレが殿を務めて時間を稼ぐ。リオの脚力なら、待ち伏せされない限りは捕まらない」

「それだと、カリルが死ぬよ」

「だろうな。とはいえ、村に連中が入り込んだ以上、どうにか時間を稼がないと村ごと全滅だ」


 カリルにとっても苦肉の策らしく、沈痛な面持ちでリオの肩を叩いた。


「冒険者ギルドから来る先遣隊と途中で合流したら状況を伝えろ。行くぞ」


 そう言って、カリルは猿の指揮官の死骸へと走る。

 リオは納得がいかないまでも、他に有効な策を思いつけずに唇を引き結んだ。

 カリルが猿の首を落とす間、リオは森を警戒する。

 冒険者時代の名残なのか、カリルは猿の首に刃を当てて剣の柄を踏み、手際よく首を斬り落とした。


「リオ、持ってくれ」

「……うん」


 まだ血が滴る猿の頭を掴み、カリルと共に表街道へと走り出す。

 避難を始めている村人が猿の頭を持って走るリオ達に驚いて悲鳴を上げるが、無視して一気に走り抜ける。


「リオ、一緒に剣術を作るの楽しかったぜ」

「まだまだ未完成なんだけど……」

「まぁ、頑張って完成させてくれや。参加協力、カリルってちゃんと周りに説明しろよ」

「ばーか。もっと貢献してから言いなよ」

「貢献できそうにないから言ってんだが――」

「貢献しろって言ってんだよ!」


 大声で被せるリオに苦笑して、カリルは進路上に目を向ける。

 村の端、畑が広がり、石垣が隔てるさらに先に巨大な火の手が上がっていた。

 夜空を焦がさんばかりに燃え上がっているのは、表街道とを隔てる丸太壁だ。


 石垣の近くではラクドイを始めとした門下生が数名、猿たちと激闘を繰り広げている。石垣を越えたこちらではバルドたち予備隊が弓を捨てて白兵戦を繰り広げていた。村の裏手から参加した独身組もバルド達に加わって戦っているものの、状況は見るからに劣勢だ。

 何より、門下生が少なすぎた。丸太壁が燃えている時点で突破されているとは思ったが、被害が甚大らしい。

 カリルが速度を上げ、剣を肩に担ぐように構えて石垣を飛び越える。


「ラクドイ! 門下生を連れて石垣の後ろに下がれ!」

「カリルか!? 敵に注目されてて無理だ!」


 ラクドイが当て身で猿を転ばし、カリルが入るスペースを作った直後、カリルがスライディングで空いた場所に割って入り、転んだ猿の首を掻っ切った。

 同時に、リオは石垣の上に立って猿の指揮官の首を掲げる。


「これを見ろよ、猿共!」


 言葉が通じているとは思えないが、一瞬で仲間を屠ったカリルの登場と同時に現れたことで、猿たちの何匹かがリオに注意を向ける。

 リオが掲げている頭がどんな立場にいたのか気付いたのだろう、猿たちが口々に雄叫びを上げ、リオを指さした。

 リオに注目が集まっていることを理解したラクドイ達の動きは早かった。

 ラクドイが門下生へ大声で指示を出す。


「門下生は道場へ撤退! 後ろを振り返るな。敵は通さん!」


 すでに限界だったのだろう。門下生はなりふり構わず猿たちに背を向けて一斉に走り出す。剣まで捨てて身軽になった彼らは泣きながら石垣を乗り越えて村へ走っていった。

 すれ違う門下生の顔ぶれがレミニの弟を含む真面目な生徒ばかりなことに気付き、リオは眉を顰める。

 そもそも、これほどの被害状況にもかかわらず味方の死体がない。門下生はもちろん、予備隊にすら死者がいない様子だった。

 ならば、どうして防衛線がここまで下がっているのか。


「……ユード達、逃げたのか」


 隊列を組んで防御するオックス流から逃亡者が出れば、前線は容易く崩壊する。

 とはいえ、初陣で自分たちよりもはるかに大きく狂暴な猿たちを相手に真正面から接近戦で対峙していたのだから、残っていたレミニの弟たちを賞賛するべきだろう。

 いくら訓練していても初陣の緊張で体は硬く、命のやり取りで恐怖に心が侵される。そこに、日頃体力作りをサボっていたことを思い出せば、付け焼刃の技術に命を預けることなどできるはずもない。

 心がまるで育っていないのだから、こうなるのが必然だ。


 猿たちが殺意のこもった視線でリオを射抜いている。

 二十を超える猿たちが混じりけのない殺意を、リオに向けている。

 猿たちは別動隊の指揮官が討たれても引き返すつもりはないらしい。


「ほら、よく見ろよ!」


 リオは掲げていた頭を勢いよく地面に叩きつけた。

 自身を包み込むような殺意に背筋が凍る。怒り狂った猿たちの雄叫びに心臓が縮み上がる。

 だが、ここで引くわけにはいかない。


 リオは歯を食いしばって震える脚を手の平で叩き、目を見開いて猿たちの反応を観察した。

 怒りに吼え猛る猿たちが鋭い牙を剥き出しにして武器を掲げ、戦っていたバルド達から飛んでくる攻撃を木板の鎧で受けて走り出す。


 リオをまっすぐに捉えて駆けてくる猿たちの群れを無視して、リオは群れの半ばで動こうとしない一匹を見つけた。

 怒り狂う猿たちの中で、その一匹だけは牙を剥き出しにしながらも怒りを抑え、周囲の猿たちの動きを目で追っている。


「カリル! 十歩先にいる石槍の猿が指揮官!」

「ラクドイ! 突破口作れ!」

「バルド殿! 村の防御を任せる!」


 リレーのように仲間に仕事を託し反撃が始まる。

 ラクドイが長剣を地面と平行に構え、大地に跡が残るほど力強く突進を開始する。オックス流の奥儀の突進技。本来は隊列を組んで行うその技を捨て身の覚悟で放ち、ラクドイはリオへと殺到する猿の群れに逆らい、血路を切り開く。

 強風に折り飛ばされた木の枝のように、猿の手足や首、時には上半身すら宙を舞う。


 狙われていることに気付いた猿の指揮官が石の槍を構えてラクドイに突き出す直前、ラクドイの背に隠れていたカリルが木の葉のように軽やかにラクドイを抜き去り、石の槍の穂先を斬り落とした。

 カリルは地面に剣を突き立てるとそれを支柱に体を浮かせ、猿の指揮官の側頭部へ強烈な蹴りを叩きこむ。

 頭を揺らされてふらつく猿の指揮官の真横に軸足を置いたカリルは、地面に突き刺していた剣を全体重で引き抜き、防具である木板ごと猿の背骨を叩き折った。

 顔面から倒れこむ猿の指揮官の頭をラクドイが踏み砕く。


 リオは一部始終を石垣の上から見届け、剣を腰だめに構えて石垣の上を走り出した。

 指揮官が討たれたことに気付かず、猿の群れがリオを追いかけてくる。

 だが、これでいい。指揮官がいればリオ一人を追いかける無意味さに気付いて追ってこないかもしれないが、今の猿たちは統率者不在の烏合の衆だ。

 怒りに任せて追いかけてくれれば、村側も立て直す余力が生まれる。


 石垣から飛び降りて、畑の中を走る。追いかけてくる猿たちはさほど速くないが、リオを燃え盛る丸太壁へ追い込もうとしている。

 そんな猿の群れの一角が突如として崩れた。


「リオ、走れ!」


 カリルとラクドイが猿の群れに背後から襲い掛かり、リオが抜ける道を作ったのだ。

 リオは小さく頷き、カリルとラクドイの横をすり抜けるように走る。

 当然、リオを追いかける猿たちが進路をふさぐカリルとラクドイに襲い掛かる――その瞬間、猿たちが一斉に動きを止め、焦った顔で表街道へ顔を向けた。

 こちらの目論見がばれたかとリオ達が身構えた時、表街道から全速力で騎兵隊が突撃してきた。


「な、なんだ!?」


 人側も猿側も、想定外の事態に面食らい、騎兵隊から距離を取ろうと逃げ出す。

 騎兵隊は速度を緩めず畑を踏み荒らし、訓練された動きで抜剣すると猿の群れへと突撃した。

 巨体の猿たちがあっさりと馬体に吹き飛ばされ、踏み殺される。なんとか馬を避けた猿は騎手が剣を振り抜いて首を刎ね飛ばした。

 圧倒的な暴力に猿たちは抗うこともできない。逃げ出した猿すらも騎兵隊はすぐに追いついて斬り殺していった。

 唖然とする村陣営だったが、カリルが何かに気付く。


「ロシズ子爵家騎兵隊……領主様の援軍だ」


 猿を追い討つ騎兵隊から離れて、隊長らしき一騎がリオ達の前に進み出た。


「ロシズ子爵家次期当主、ラスモア・ロシズである。状況を説明せよ」

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