第十話  お楽しみでしたね

 全裸の少女がじっとリオを見つめてくる。

 無感情な深い青の瞳がぼんやりとリオに焦点を合わせているが、少女は体を隠す様子もない。

 無言に耐え切れず、リオは口を開く。


「ご、ごめん、人がいるとは思わなくて……」


 言葉とは裏腹に、リオは少女の全身から目を離せなかった。

 下心からではない。こんな辺境の森に服すら着ていない少女がいるはずがないからだ。

 何より、少女は年齢も体格もリオとそう変わらないように見える。

 つまり――猿の邪獣に手傷を負わせた何者かと特徴が一致する。


 武器こそ持っていないが、満身創痍のリオが気を許せる相手でも状況でもなかった。

 警戒しながらもリオは少女の反応を待つ。

 しかし、少女はぼんやりとリオを見返すだけで何の返事もしなかった。それがなおさら、状況の不気味さに拍車をかけている。


 リオは腹をくくって、少女の全身を観察する。

 見覚えのない顔だ。リオの村はもちろん、隣村の子供でもない。こんな美少女がいれば評判になっていたはずだ。

 細い手足に薄い肩。とてもではないが、山育ちとは思えない。日焼けを知らない白雪のような肌には傷一つなく、せいぜいが足に跳ねた泥汚れだけ。

 どこからやってきたとしても、無傷で汚れてすらいないというのは考えにくい。枝や茨でひっかき傷を作る子供が後を絶たないと村の医者が愚痴るくらいなのだから。

 何の反応も返さない少女に、リオは問いかける。


「君、名前は? ここで何してるの?」


 全裸の少女を注視しながらこんな質問をするなんてとんだ変態だと自己嫌悪に陥りながらも、この状況では少女の出自を明らかにしなければ安心できない。背を向けることすらためらわれる。

 デリカシーと現実主義の板挟みに息苦しくなっているリオを、少女は無表情でじっと観察するように眺めていた。せめて隠してくれればとリオは思うのだが、少女は気にした様子がない。


 リオだけが居心地の悪さを感じる沈黙の時間が続く。

 もはや少女からの返答は期待できないと分かり、リオは途方に暮れる。

 少女から敵意は感じない。遭難者と考えるにはおかしな状況だが、他に結論は出せない。

 この場に置いていくという選択は取りづらかった。

 リオは太陽の位置を確認し、自分の外套を脱いだ。


「とりあえず、これでも着てよ。正直、目のやり場に困るんだ」


 リオが外套を放り投げると、少女は外套をぼんやりと見つめて反応を示さなかった。ばさりと頭にかかった外套をゆっくりとした動きで手で取ると、少女が両手で広げた外套を無表情に眺める。

 その反応はまるで、初めて服という存在に出会ったような、何もわかっていない様子だった。


「……着方が分からないとかはないよね?」


 流石に不安になってリオは尋ねる。

 少女は外套からリオに視線を移し、服装を観察した後で外套の袖に腕を通した。


 ひとまず隠すべきところは隠してくれたと、リオはほっと一息ついて太陽の位置を確認する。

 日没まで時間はあるが、火を起こしたりする手間を考えるとこれ以上先に進むのは難しい。素足の少女を連れて移動するとなればなおさらだ。

 リオはここを野営地にすることを決めた。


「君、この辺りで身を隠せそうな場所とか知らない?」


 一応質問してみるが、少女はぼんやりとリオを観察しているだけで何の反応も返さない。分かっていたことなので、リオは適当に枝を拾い始めた。

 出来るだけ湿っていない枝を拾いつつ、時々少女を振り返って警戒する。

 少女はずっと同じ場所に立ったまま、リオを観察し続けていた。手伝う気配もない。

 苦労して火を起こし、リオは持ってきていた鹿の足を石で切って直火で焼きはじめる。


「君も食べ――って、危ない!」


 明かりに誘われる虫のように焚火へと歩いてきた少女が火へゆっくりと手を伸ばしたのを見て、リオは慌てて少女の手を弾く。

 少女は抗議するわけでもなく弾かれた手を押さえ、ぼんやりと焚火とリオの間で視線を行き来させた。

 リオは呆れながらも、焚火を指さす。


「危ないから手を伸ばしちゃだめ。分かった?」


 年端も行かない子供に言い聞かせるように注意するが、少女は無反応だった。

 徒労感にため息をつき、リオは思考を切り替える。


 きちんと火が通った鹿肉を骨から切り分けて少女に差し出し、リオは残りに骨付きのまま齧りつく。

 血抜きしていないため、血の鉄臭さを始めとする臭みがある。噛み切りにくい肉はただ焼いただけなのもあって味気ない。

 お世辞にも美味いとは言えない。

 だが、リオにとっては丸一日ぶりの食事なのもあって、満足感だけはあった。


 少女を見ると、リオの見様見真似で鹿肉を頬張っている。


「ちゃんと噛んで食べなよ? ……いや、お兄ちゃんかよ、俺」


 いつの間にか少女の面倒を見始めていることに気付いたリオは自分自身にツッコミを入れて、焚火に視線を戻す。

 反応を見る限り、この少女は猿の邪獣に手傷を負わせた犯人ではないだろう。

 無事に村にたどり着けるか不安になり、村の方角を見る。村は山向こうだ。様子は全く分からない。

 リオ自身は満身創痍。よく分からない少女はリオの外套を羽織っているだけの半裸状態で、むやみに森の中を歩くのもよくない。


 視線を感じて、リオは横を見る。


「……なに?」


 すぐ間近に少女の顔があった。無感情かつ無遠慮にリオを観察するその深い青の瞳に吸い込まれそうになる。

 その時、上流から藪が動く音がした。

 顔を向けると同時に藪からこちらを窺う二つの光る瞳に気付く。


「――っ!?」


 反射的に少女を突き飛ばした瞬間、藪から獣が飛び出す。

 相手を確認するより早く、リオは鹿の骨を投げつけると同時に身体強化を発動する。


 焚火の明かりに照らされて迫ってくる獣は、大きなヤマネコだった。

 投げつけられた骨を右前足で叩き落としたヤマネコが後ろ脚で地面を蹴り、リオに飛び掛かる。


 リオは薪用に集めていた枝の一本を掴み、左手を地面についた反動で上体を起こしながら逆袈裟に振り上げる。

 しかし、ただの枝一本ではヤマネコを迎撃できる強度はなく呆気なく枝は折れ、ヤマネコがそのまま覆いかぶさってくる。


 しかし、ヤマネコはリオが左手に構えた鋭い石を見て、横っ飛びに回避した。


「読まれたっ!」


 リオは歯噛みしながらヤマネコに向かって石を構える。

 鋭いとはいえ単なる石だ。間合いは狭く、リオは左足首が腫れているためまともな踏み込みもできない。

 苦肉の策の騙し討ちが空振りし、リオはヤマネコを睨みながら打開策を考える。


 ヤマネコは隙だらけの少女をちらりと見るが、負傷しているリオの方が仕留めやすいと考えたのか、ゆっくりとリオの左側へと回りこもうとする。確実に、リオの左足の負傷を利用する知能があった。


 左足を引いてヤマネコに体を向けようとしたリオは、鋭い痛みに顔をしかめる。

 痛みに視界が歪んだリオの隙を見逃さず、ヤマネコが飛び掛かった瞬間だった。


 横の藪から音もなく、一人の男がヤマネコに踏み込む。

 男は左手に持った細身の剣を縦に一閃し、反応が遅れたヤマネコの首を刎ね飛ばした。

 中身のない右袖を夜風に揺らし、男はリオに向き直る。


「……カリル」


 意外な男の登場に、リオは名前を呼ぶ。

 カリルはリオを見て、大きくため息を吐き出した。


「村の男連中が総出で捜索してるってのに、当のお前ときたらカワイ子ちゃんと夜の森でよろしくやってやがったのか」


 何の話だと眉をひそめたリオは、いつのまにか横にやってきてちょこんと座った少女に気付く。


「いや、待てよ! この子は俺にもよく分からないけどさ! カリルが想像していることとは違うんだよ!?」

「フーラウ! こっちだ! 見つけたぞー。肉を焚火でワイルドに焼いて女の子とお楽しみ中だったわー」

「フーラウさんもいるの!? 誤解だってば!」

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