第八話  あっちこっち、流されて

 激しさを増した雨が叩きつけるように降りしきる。

 ぬかるんだ地面に真新しい足跡が所々に残っている。怪我人のものらしきそれを辿るよりも、リオの指示通りに進んだ方が早い。

 リオは器用に地面から飛び出した木の根を踏み、フーラウ達に全く遅れることなく駆け抜ける。

 邪獣の出現で入山を禁止されていたとはいえ、この山はもともとリオ達にとっては生活の場の一つだ。山菜やキノコなどを採るためよく入っている。


 しかし、山の奥は危険な獣も多いため、子供はなかなか踏み込むことがない。だが、リオの場合は父、バルドの狩りについていくことが度々あったため、詳細に地形を把握している。

 加えて、リオの我流剣術は素早さで翻弄することを目標の一つに掲げている。自然と、身のこなしも軽くなっていた。


「もうすぐ三つ沼に出るよ!」


 先頭を行くフーラウに呼びかける。

 目的地である三つ沼はすぐそこだが、この辺りはぬかるみがさらにひどい。

 リオは周囲の木、特にイタチがひそめるような洞がある幹を重点的に警戒する。


 急に視界が開け、先頭を走っていたフーラウが咄嗟に武器を構えて周囲を見回す。

 豪雨により白く霞む景色。

 三つ沼と呼ばれるこの場所は名前に反して大きな沼が一つあるだけで、なんの変哲もない場所だ。

 元々は沼を囲むように三本の大木があったというが、リオが生まれる前に落雷で焼失したり、強風で倒れてしまったらしい。唯一残っている大木が対岸にあるはずだったが、豪雨の影響で見通しが悪く姿が確認できない。


「戦闘の痕跡はある。移動したな」


 フーラウが指さす先、沼へと倒れている木の幹に数本の枝が刺さっていた。邪獣のイタチは枝を高速で飛ばす魔法を使うという事前の情報に合致している。

 周囲から戦闘の音は聞こえない。戦いの痕跡と足跡から大体の方向を推測して、リオは周辺の地形を思い浮かべる。


「多分、父さんたちはこの奥の洞窟を目指してる。周囲に木がないから邪獣が隠れにくいし、魔法で飛ばす枝も洞窟には落ちてない。雨でぬかるんでもいないから足元の不安も消える」

「お前の親父は増援が来ると期待してるのか?」

「父さんは冒険者ギルドから調査が来ることを知ってる。二日程度洞窟で粘れば町から道場主のラクドイさんも帰ってくる。でも食料は最低限しか持ってないはずだから、二日を期限に設定してると思う」

「子供と思えない冷静さだな、お前……」

「待っている間ずっと考えてたからね。洞窟に案内するよ」

「頼んだ」


 再び走り出したリオ達は山の斜面を駆け下りる。ぬかるみに足を取られてもおかしくない速さだったが、先頭を走るフーラウが足場に選ぶのは根をしっかり張っているタイプの下草で、可能な限り泥を踏まないようにしていた。

 冒険者だけあって足場を選ぶ判断力が高い。リオもフーラウを参考にしながら足場を選んで続いた。

 一気に斜面を駆け下り、目的地の洞窟が見えてくる。


「――見つけた!」


 フーラウが洞窟内にも聞こえるように声を張り上げ、一気に加速する。

 洞窟の前に陣取って枝をくわえていたイタチがフーラウに気付いてその場を飛びのく。

 邪獣のイタチは普通のイタチと全く変わらない姿かたちをしていた。しかし、こちらを捉える目は昏い負の感情を宿し、姿を見ただけで心臓が冷たくなるような錯覚を覚える。

 リオはフーラウが作る死角を移動して、洞窟の中へと滑り込む。リオの動きを視界の端に捉えたフーラウが褒めるように小さく笑って頷く。

 邪獣の討伐はフーラウたちに任せて、リオは洞窟の奥へと走る。枝分かれもしていない洞窟のため迷うこともない。


「父さん、無事!?」


 武器を構えて臨戦態勢の集団を見つけて、リオは声をかける。

 驚いたように人影が揺れた。


「リオか? なんでここにいる!?」

「冒険者たちを救援に連れてきた。いま、洞窟の外で戦ってる」

「そういうことか。助かった」


 安堵したのか、集団がゆっくりと動き出す。先頭にバルドの無事な姿を見つけて、リオはほっと息を吐いた。


「怪我はないみたいだね」

「まぁ、俺たちはな……」


 バルドは苦笑する。リオがここに冒険者を連れてきたことから、怪我人が村に到着したことは察しがついたのだろう。

 洞窟の入り口へと移動すると、冒険者の女性が滑り込んできた。

 リオ達を一瞥した女性冒険者はくるりと背を向けると地面に片手をついて呟く。


『――籠る王者の大言木霊する、鳴窟(めいくつ)』


 独特の発声で女性冒険者が詠唱した直後、洞窟前の広場を囲むように土の壁がせり上がり、ドームを形成した。


「洞窟の中にいて! あの邪獣はここで仕留めないと確実に見失う」


 かなり大規模な魔法を発動したにもかかわらず疲れも見せず、女性冒険者はカバンから投げ網を取り出して洞窟を出ていく。

 女性冒険者が一直線に邪獣へと駆けていく。さらにフーラウともう一人が邪獣の側面へと回る動きで邪獣を魔法で生み出したドームの壁へ追い込む。


 声をかけあうこともなく見事な連携を見せる三人に、邪獣は退路を探して視線をさまよわせる。

 そんな邪獣へと、女性冒険者が網を投げた。覆いかぶさるように投げ込まれた網が頭上で展開するのを見た邪獣は退路が無くなったと気付き、女性冒険者へとまっすぐに走り出した。


 邪獣がくわえていた木の枝を噛み折る。折れた枝が邪獣の口から落ちるかに見えた瞬間、見えない手に拾われたように空中で静止し、鋭い先端を正面の女性冒険者へと向けた。

 直後、木の枝が女性冒険者へと高速で射出される。

 邪獣を追い抜いた木の枝は、女性冒険者にたどり着く前に横から投げつけられた剣の鞘に深々と突き刺さる。


「――いまだ!」


 鞘を投げたフーラウが声をかけると同時、女性冒険者が邪獣の間合いへと深く踏み込み、短剣を横に一閃する。

 木の枝を防がれるとは思っていなかったのだろう、判断が追い付かずにもたついている邪獣の首がはねられ、ぬかるんだ地面を転がった。

 土のドームが崩れるように消失し、フーラウ達が周囲を見回して警戒する。


「ひとまず安心だな。一度下山するか、カリルと合流するかを考えたいところだが」


 フーラウがリオの横に立つバルドを見る。

 バルド達は無傷で、洞窟での籠城を想定していたためか体力も残している様子だった。

 バルドはちらりとリオを見て悩むような顔をしたが、空を仰いで決断する。


「このまま子供たちを探したい。下山していては、捜索は明日になってしまう」

「そうなるな。なにしろのこの激しい雨だ。まともな装備もない子供なら明日まで持たないだろう。弱ったところを獣にやられる」


 フーラウもリオを見るが、バルドとは違ってあまり心配する様子が見えない。

 リオへと歩いてきたフーラウが顔を覗き込む。


「捜索中の子供ってのは、こいつくらい冷静だったり、肝が据わってたりするのか?」

「リオとは違って道場に通ってる分、肝は据わっているはずだ。道場でも優等生でそれなりに剣も使える。邪獣相手はともかく、中型の獣くらいなら牽制できるだろうな」


 バルドの回答にリオは不満そうな顔をする。そんなリオの反応が面白かったのか、フーラウが笑ってリオの頭を乱暴に撫でた。


「そんな顔をするなよ。捜索中の子供の方は知らないが、リオ、お前は大したもんだぜ。分を弁えてるってだけでどれだけこっちが安心したか。真っ先に洞窟へ入っていったのもいい判断だ」


 リオの頭から手を離し、フーラウはバルドに向き直る。


「捜索対象の居場所に心当たりは?」

「開けている場所はもう探した。手掛かりはない。だが、カリルと合流しているか否かに関わらずどこかで雨宿りしているはずだ。この洞窟にいないってことは、山の逆側にある巨木だろう。子供がよく秘密基地を作る」

「うわぁ、童心に帰っちゃいそうだな。連れて行ってくれ。護衛は引き受ける」


 日が暮れるまで時間がないが、だからこそ焦らないように明るく冗談を飛ばしてフーラウはバルドに案内を頼む。


「こっちだ」


 ぞろぞろと移動を始めるバルドやフーラウの後に付きながら、リオは邪獣の死骸を振り返る。

 何度見ても、普通のイタチと変わらない姿形だ。


「なんか、もやもやするな……」


 呟くも、もやもやの正体が分からず、リオは死骸から視線を外す。

 バルドが先導し、集団は山の裏側へ進み始める。バルド達やリオ達が見てきた山の表側よりも、移動ついでに裏側を捜索しておこうと考えたのだろう。

 一瞬の閃光に目がくらむ。山の頂上にでも落ちたのか、間を置かずに雷鳴がとどろいた。

 バルドが頂上を見上げる。


「雨も山場か。雲が山頂にぶつかっているからまだしばらくは激しく降るだろうな」


 バルドの見立てに村の人間はリオを含めて賛同する。土地勘のないフーラウたち三人は嫌そうな顔をした。


「邪獣は討伐したが、まだ調査は残ってるってのに」

「調査って何するの?」


 リオが横に並んで質問すると、フーラウは快く答えてくれた。


「主に邪獣がもたらした影響だな。今回の邪獣の魔法はそれほどでもないが、たまに地形を変えるような魔法や他の動物を従属させる魔法がある。毒性を付与する魔法なんかだと最悪の場合は山に数年は立ち入れなくなる。それが原因で消えた村もあるくらいだ」

「うへぇ……」

「そういう反応になるよな。魔法以外でも、邪獣が生態系を乱している場合もある。邪獣に怯えて巣にこもっていた肉食獣が空腹に任せて普段は襲わない人間にも牙をむいたりするんだ」

「今回は生態系の調査がメイン?」

「あぁ。その調査のためにもこの山の元の姿を知っているカリルと合流したいんだけどな」


 フーラウはそう言って懐かしそうに目を細める。

 今までのフーラウの反応から察するに、カリルの知り合いらしい。


「ねぇ、カリルの現役時代って――」


 リオは質問しかけた時、足元の違和感に気付いて咄嗟に下を見る。


 雑草に隠れて見えにくいが、地面をちょろちょろと水が流れている。その小川とも呼べない細い流れに乗って葉がついた若枝がリオのズボンの裾に引っかかっていた。

 これ程の激しい雨だ。どこを水が流れていてもおかしくない。

 だが、激しい雨とはいっても風はさほど強くない。若枝が流れてくるのは少々妙だった。


 リオは顔を上げ、周囲を見回す。ここは周囲より低く陥没した小さな谷のような形状をしている。土砂崩れで流れが変わるまで川が流れていた位置だ。川だった頃の名残の丸石がわずかに欠けているもののあちこちに転がっている。


「父さん、ここって元は川だよね? 早く抜けた方が――」


 リオの言葉はタイミング悪く落ちた雷の音に後半がかき消され、バルド達の注意を引くことしかできなかった。

 しかし、バルドは川という単語からこの場所の危険性を遅ればせながら察したらしい。

 バルドが咄嗟に上流を見上げた刹那、ゴロゴロと大の男の拳ほどもある石が二つ上流から転がってきた。


「――全員走れ!」


 バルドが声を張り上げる。

 山慣れしている者ばかりだけあって、動きは早かった。

 質問を挟むこともなく全員が一気に谷を駆け上がる。

 しかし、元々の身体能力の差が如実に出た。


「――リオ!」


 明らかに遅れているリオに、バルドが手を差し出す。

 差し伸ばされた手を掴もうとリオが右手を伸ばした瞬間、上流から何かが飛んできた。

 視界の端に捉えた飛来物を認識して、リオは咄嗟に手を引っ込める。リオとバルドの間を亀のような何かが高速で飛びぬけた。

 次の飛来物を警戒したリオは反射的に上流を見る。


「あっ……」


 木や石や泥を盾のように前面に押し出す濁流が猛スピードで迫ってくるのが見えた。

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