第二話  曲がってんねぇ!

「ただいま」


 リオが帰宅を告げると、編み物の内職をしていた母がキョトンとした顔でリオを見た。


「もう帰ってきたの?」

「うん。もう二度と行かない。あれなら自主練した方がマシ」

「……は?」


 かいた汗が気持ち悪いからと、布とたらいを取りに行こうとするリオに母は難しい顔をして、椅子を指さした。


「ちょっと座りなさい」

「後にしてほしいんだけど」


 肌に張り付く服を不快そうに指先でつまんで空気を中に送りつつ、リオは椅子に座る。

 母は作りかけの編み物をテーブルに置くと、リオをまっすぐに見つめた。


「リオ、数が少なくなってきたとはいっても、邪獣はまだまだ多いの。最近は見たこともない動物が邪獣になって村や旅人を襲う事件も起きてるのよ。道場には通いなさい」

「身を守る力を身に着けるって話なら、道場に行くことに意味がないよ。サボってる門下生を叱りもせずに、むしろ認める師範に教わっても、身につくのは言い訳の仕方と話の逸らし方だけだよ。アホくさいから自分で体力作りとかする」


 譲る気はないとまっすぐに見つめ返すリオに、母は苦々しい顔をする。


「反抗期はこれだから……」


 今度はリオが苦い顔をする。

 十五歳のリオは確かに年齢的には反抗期真っ盛りだが、反抗らしい反抗はした記憶がない。従順ではないだけで反抗しているつもりがなかった。


「父さんが帰ってきたらちゃんと話しなさいね」

「結論は変わらないと思うけどね。話が終わったなら体を拭いてきていい?」

「行ってらっしゃい」


 諦めのため息をつく母に見送られて、リオは布とたらいを取りに行く。

 家の裏手を流れる小川の水を汲み、湿らせた布で体を拭いていると足音が聞こえた。

 早くも父、バルドが帰ってきたらしい。


「リオ、道場を馬鹿にして帰ってきたっていうのは本当か?」


 声がすでに怒っている。

 道場での一幕がどこからか伝わって、畑から飛んで帰ってきたのだろう。


 リオは頭から水を被ってさっぱりしてからバルドに向き直る。

 畑仕事の傍ら木こりもしているバルドは太い腕を組んで仁王立ちしている。眉を寄せ、リオの言葉を待っているようだが、叱ることは決定事項で聞く耳を持つ気がないのも見て取れた。

 それでも、聞かれたからには自分の正当性を主張せざるを得ない。

 リオは内心面倒くさくなりつつも、口を開いた。


「楽することや人をだまして出し抜くことを覚えるために道場に行くつもりはないよ」

「言い訳をするな。ユードに完敗してへそを曲げて帰ってきただけだろう。全部知ってるんだ」

「父さんが全部を知らないのは分かったよ」


 売り言葉に買い言葉、どんどん険悪になっていく二人の空気に当てられたのか、隣接する鳥小屋で鶏が鳴き始める。

 鶏のやかましさに揃って顔をしかめるあたりは父子だけあった。

 鶏の鳴き声になんとなく毒気を抜かれたか、バルドはため息をついた。


「まだまだこの辺りは物騒なんだ。父さんだって、木を伐っている最中に獣に襲われることがある。ラクドイさんのオックス流剣術は王家の騎士団でも採用されている有名な剣術流派で、学んでおけば領主様の騎士団に入れるかもしれないんだぞ」

「騎士? 冗談でしょ? サボって楽して付け焼刃の技術を身に着けるあの精神性で集団での戦いなんてできるわけがないじゃん。そんなんだからラクドイさんは騎士になれずに辺境の村に流れてきて――」

「――馬鹿野郎! やめろ!」


 バルドに諫められて、リオも流石に失言だったと口を閉じる。

 しかし、考えは変わらない。


「俺はあの道場に行く気はないよ。それなら我流で剣を振る方が身になる」

「まったく……。まぁ、今さらどの面下げて道場に行くって話でもあるがな。身を守る術は絶対に必要なんだ。明日からは必ず走り込みをやれ。いざという時に逃げられる脚力だけは身につけろ」

「分かった」


 リオが頷くと、バルドは「この頑固さは誰に似たんだか」とぼやきながら室内に戻っていった。

 リオは体についた水滴をふき取りながらため息をつく。


「へそを曲げて帰ってきた、か。曲がってるのは門下生の性根なんだけどなぁ」


 身から出た錆とはいえ、面倒くさいことになったと再度ため息をついて、リオは首に布をかけて森を見る。

 風に揺れた木々がざわざわと不快なうわさを流す人々のように騒いでいた。



 翌日、畑の雑草を抜く手伝いをしたリオは畑の周りを十周して走り込みを終える。

 数週間前に畑周りの柵を作った際に余った木材を家の納屋から引っ張り出して、形ばかりの木剣を作って午後を迎えたリオは握りを確かめつつ軽く木剣を振ってみた。


「やっぱり長いなぁ」


 柄の長さや刀身の長さを調整しようとして、思い悩んで手を止める。


「ただ振り回せばいいってものじゃないし、なんか方針とか考えてそれに合わせて作るべきか」


 リオは木剣を作った際に出た端材を手に取り、地面に方針を書いていく。


「まずは一人で戦うのが前提。あとすぐに逃走に移れることでしょ。それから――」


 森に目を向ける。村の周辺は藪を払っているが、奥に行けばたちまち視界が悪くなり、足場もぬかるむ。木々が邪魔で長い剣を振れるスペースはなく、野生動物の奇襲に対応する即応性も必要となる。


「相手が群れなら囲まれないようにかく乱するべきだし、動き回ることも前提になるか。獣に力で敵うとも思えないから、攻撃を受け止める必要はないし」


 必要な技術や心構えを地面に書き連ねながら、リオは気付かないうちに口元に笑みを浮かべていた。

 完成するかもわからない、役に立つかもわからない、そんな緊張感と一からくみ上げる試行錯誤の面白さ。

 ただ教わるだけでは味わえない楽しみを満喫しつつ、真剣に考える。

 夢も理想も詰め込んで、現実的な手法に落とし込むために訓練方法を考える。


「木剣は道場で使っている奴の三分の二くらいでいいな。訓練用には少し重りをつけておこうっと」


 ただでさえ歪だった素人作りの木剣が急な変更でさらに歪になっている。これは作り直しが必要だなと苦笑していると、遠くから笑い声が聞こえた。


「あいつ自分で木剣作ってんだけど!」

「しかも下っ手くそだし!」

「ユードに負けて逃げた負け犬にはお似合いじゃね?」

「たしかに!」


 リオは自分を笑う声の主がユードたちサボっていた三人組だと気付いて、鼻で笑う。


「ほら見たことか。道場に行っても中身が成長していない」


 いちいち付き合ってやるのも時間の無駄だと、リオは木剣の採寸をしつつ重りの取り付け方を考え始めた。

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