見切りから始める我流剣術

氷純

第一章 我流剣術を作る少年

第一話  見切りをつけてさようなら

 木窓の外を眺めていると、すぐそばの森の奥から獣の遠吠えが聞こえてきた。

 野太く伸びるその遠吠えは唐突に途切れて短い悲鳴に変わる。

 森の奥へと目を凝らしてみても木々が邪魔で何が起きたのかは分からない。大方、弱肉強食の一幕が繰り広げられたのだろう。


 王国の辺境、ロシズ子爵領のさらに端に位置するこの村はすぐそばに野生動物と邪獣がひしめく危険地帯だ。

 長年の村人の努力で村の周辺は多少安全になってきたものの、いまだに山菜取りに行ったきり帰ってこない村人が五年に一人か二人の割合で出る。


「――リオ、そろそろ支度しなさい」


 母に声をかけられて、リオは木窓のそばを離れた。

 母が畑で取れた野菜を詰めた麻袋をリオに差し出しながら、心配そうに顔を覗き込む。


「失礼のないようにね?」

「やらないよ。教わる立場なんだから」

「ならいいんだけど、リオは頑固だから……。この野菜は師範のラクドイさんに渡してね。剣を教わるお礼だから。行ってらっしゃい」

「行ってきます」


 母から渡された麻袋を片手に、リオは家を出た。

 危険な森がすぐそばにあるということで、村では十五歳になった男子は道場で剣を習うことになっている。

 義務ではないものの、戦える力がなければ森に入るのも難しいため生活に支障が出るのだ。


 道場は村の北側、村長の家の真向かいにある。

 はるばる王家の直轄領からやってきたという剣術師範、ラクドイを雇うということで村の威信をかけて建てられた道場だ。村長の家よりも立派なほどで、他所からお偉いさんがやってくるときには道場に案内するのが通例になっているほどだった。


 引き戸をくぐるとすでに村の男子の大半が集まっていた。

 師範を務めるラクドイが引き戸の音に気付いて顔を向ける。無精ひげを生やした赤毛の巨漢だ。


「リオ、お前が最後だ。全員時間までに来たのは感心だな」

「ラクドイさん、この野菜はどこに置きますか?」

「そこにまとめてあるから置いてくれ。それより、早速訓練を始めるぞ」


 ラクドイはそう言って、リオを含めて二十人ほどの男子を見回してから外を指さした。


「まずは走り込みだ。道場の周囲を二十周。リオ達新人組は十七周で勘弁してやる。早く済ませた順に五人までは直々に指導してやる。他は型練習だ。ほら、さっさと行け!」


 手を叩いて急かせるラクドイに、二十人の男子が一斉に道場の外へと走り出す。

 リオは野菜を置いて少し出遅れつつも道場を出てみんなを追いかけた。


 村で一番大きい建物である道場の周囲だけあって、数周もすれば周回遅れが出始める。

 そんな中で、リオは先行集団に抜かれることもなく自分のペースを守って走っていた。

 新人のリオ達は三周もおまけしてもらっているのだ。負けてられないという気持ちもあった。

 十三周を終えた時、リオは違和感を覚えた。


「人が減ってる?」


 誰にも抜かれていない自分がまだ十周を終えたばかりだというのに、走っている人数が減っていた。ちょうど同じペースで走っていて視界に入らないだけかと思ったが、道場の中からかすかに話し声が聞こえる。

 不思議に思いつつ、指示された通りに十七周を走り終えたリオは汗を腕で拭いながら道場に入った。


「終わりました」


 息を整えながら道場の中を見回す。

 リオの先輩にあたる年かさの男子が三人、すでにラクドイに指導を受けていた。付きっきりで腕の振り方、脚の開き方や関節の曲げ具合まで説明されている。

 ラクドイが声に気付いてリオを見た。


「新人組では一番乗りだな。どうだ、先輩連中は速かったろ」


 快活に笑うラクドイに対して、リオは先輩たち三人を見て不快感に眉をひそめた。

 三周分少ないリオより先に、先輩が走り込みを終えているはずがない。リオは誰にも抜かれていないのだから。


「その三人は走り込みの周回数をごまかしてます。速いかどうかは知りませんけど、俺は誰にも抜かれてないので俺より速くはなかったんだと思いますよ」


 先輩たちに睨まれながらも怯まずに指摘する。

 ラクドイが目を細め、肩越しに三人を振り返った。


「ユード、そういえばお前らはいつも早かったな」


 ユードと呼ばれた少年は作り笑いを浮かべて肩をすくめる。


「まぁ、脚には自信ありますから。というか、リオが数え間違いしてるだけなんじゃないですか?」


 悪びれずに平然と嘘をつくユードの隣で腰巾着の二人が何度も頷く。

 ラクドイは腕を組み、リオを見た。


「まぁ、実際のところはどうか知らないがな。リオ、ちょっとこの木剣でユードと打ち合ってみろ」


 軽い調子で投げ渡された木剣を受け取って、リオは小首をかしげる。

 木剣で試合していったい何が分かるというのか。


 リオは不思議に思いながらも柄を握って軽く振ってみる。やや重いが振り回せないほどでもない。

 ユードがリオを睨みながら剣を正眼に構えた。流石に先輩だけあって様になっている。

 ラクドイがリオとユードの間に立った。


「頭は狙うなよ。はじめ!」


 ラクドイが合図をすると、ユードが木剣の切っ先を下げ、右足で踏み込むと同時にリオの木剣の半ばを横から打ち払った。

 カンッと鋭くも軽い音が道場に響き、リオは反動で木剣を持つ腕を横へと流される。

 慣れない木剣の重みの御し方も分からず一歩後ろに下がったリオに、ユードが木剣を寝かせて鋭く突き出したその直後、ラクドイが待ったをかける。


「――そこまで!」


 非常に短い打ち合い。ただ初心者のリオが経験者のユードにあしらわれただけの内容だ。

 リオはラクドイを見る。こんなことをして何の意味があるのかさっぱり分からない。

 ラクドイは満足そうに頷いてユードの肩を叩いて労うと、リオに向き直った。


「いいか、リオ。言われたことをただやる奴と、やるべきことを自分で判断してやる奴だとこんなに差が出るんだ」

「……つまり、ラクドイさんの直々の指導を受けるためにサボったユード達が正しいって言いたいんですか?」

「サボっていたかは知らん。だが、結果的にユード達は基本の型をあらかた習得して応用訓練に入っている。さっきユードが見せた、相手の剣を弾いてから突きを放つ一連の動きも――」

「――アホくさ」


 短く、しかしはっきりとリオは呟いた。

 ラクドイ達が目を白黒させる。

 リオはつまらない物を見るような目でラクドイ達を見回すと、木剣を壁に立てかけた。


「指導方針が合わないので明日から来ません。さようなら」


 興味のなさそうな声で決別を告げて、リオはすたすたと道場を出ていく。

 走り込みを終えた門下生が入れ違いに道場へと入りながら、リオとラクドイの間で視線を行き来させていた。

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