4-5 弔いの音

「我々は、毎日深夜ちょうどにこの舞台に上がって、死者を弔う演奏をしておるのだ」


 指揮棒を振っていた老齢の男性が、劇場によく通る低音声バリトンボイスで話し始めた。


「おおよそ十年前。その日もいつもと同じように楽士メンバーたちは各々楽器の用意をして集まった。だが、そのうちの一人がある異変に気がついた。一番新しい無音のひつが壊されていたのだ」


 指揮者の男性は、指揮棒で内部から破壊された櫃を指した。素材は木製のようだが外装は真っ黒に塗られており、中からモコモコの綿のようなものと、それを覆うキメ細かな布が無造作に引きちぎられていた。恐らく、内外から音を遮断するための素材なのだろう。


「慌てて近づくと、その下に彼が倒れていたんだ。すぐに介抱したが、なかなか目が覚めなかったので仕方なく屯所へ連れていったんだ」


 そこまで聞いて、タクトはレイヤーの顔を覗き見た。いつも通り柔らかな笑顔をたたえていたが、その横顔は少し寂しそうにも見えた。


 他のメンバーも声には出さなかったが、不自然な状況に誰も異を唱えることができなかった。


「気になるだろう。櫃の中身と彼の関係が」


 舞台にいた別の奏者が、タクトたちに声をかけた。まさに今、彼らが胸に抱いていた疑問だった。


「まず今の彼が何者か、だが……」


「セランさん、その先は私が自分で申し上げます」


 レイヤーは、自身がセランと呼んだ奏者の言葉を制し、自らタクトたちに向き直った。


「……まあ、タイミングがあればもう少し皆さんと打ち解けてから話すつもりではありましたが」


 レイヤーは、一度大きく息を吸って続きを話し始めた。


「私は、あの方たちの言う通り、十年前にここで発見されました。それ以前の記憶がなく、発見された場所もあって最初は音怪の君主コーディルスの成り変わりと言われていました。発見当初、私は私自身の身の上を証明することができなかったんです」


「……記憶が、ない?」


「ええ、カノンさん。ここで目覚めた時点では会話もろくにできず、まさに生まれたての赤子のようだったと言われていました。事実、私もここで目覚めたての記憶はおぼろげで、まともに何をしていたか覚えていませんし、今も思い出せません。ただ……」


 レイヤーはまた、舞台へと視線を移した。


「この演奏…… 神が愛した旋律サレインズ・スコアだけは、覚えていたんです」


「儂らがここで演奏している楽曲は第三の音ソフィオンスらが作曲に携わった楽章で、タイトルを『生命』と言う。今でもメルディナーレの楽譜資料館に収められているはずだ。もちろん、レイヤーもこの楽譜はもっているはずだが、ともあれ、彼は儂らの演奏にいたく興味を持った。そこで――」


「私は、残りの楽曲を聞けば何か思い出すのではないか、と提案したんです」


「あ、なるほどね。けど、他のっていってもどうやって探すつもりだったの?」


 カノンはいきさつには納得したものの、そもそも一般に流通していない楽譜の入手方法に大きな疑問を持った。


 なにせ(一応)正楽士である自分ですら、まともに神が愛した旋律サレインズ・スコアを見たことがない。まして十年前に聞いたことがある楽曲から始まった楽譜探しに、なんの障害もないなんてことはありえない。


「実は数年ここでお世話になったある時、何かの調査で天奏楽士の楽士団がこの墓の見える丘セメタリー・ヒルに来られたことがあったんですが、その時にここの職人さんたちが私の話をして、『重要参考人の保護』という名目で数年同行させていただいていたんです」


「調査…… ねえ、レイヤー。その調査団ってもしかして」


「タクトくん、実はその時に、私は君のお父上に会ってるんです」


「やっぱり! じゃあその時にダルンカートの事を聞いたんだ!」


 レイヤーは笑顔で答える。


楽譜スコアを手に入れる一番早い方法は、『一級楽士』の資格を持つことだと。楽譜の一つが所蔵されているメルディナーレの資料館に自由に入れると言うのと、どちらにせよ世界を周るなら持っておいたほうがいい、ということでその楽士団で色々と鍛えていただきました。ニックもそこで修行中に頂いたんですよ」


「え、でもそれって単純に一級楽士になるのに十年かかってへんってことやん? めっちゃすごない? 普通やったら二十年以上かかるやろうに」


「それはおそらく、環境だろう」


 指揮者の男性が、舞台から降りて話に加わってきた。


「儂らが演奏する楽曲『生命』は、神が愛した旋律サレインズ・スコアの中でも特殊なものでな。唯一〝無音の櫃〟に阻害されずに音を届けることができるんだ。元々この楽曲は、死して音へと還る者たちへ送られる鎮魂曲としてデザインされていたらしく、音と共に『想い』を乗せることができるらしい。それを日々聞いていたレイヤーは、その想いを強く体に刻み込まれたのだ、と儂らは解釈している」


「よき楽士は、よき音を聞き、よき同士よき指導者に巡り合うことで、なれる。そういうことだな」


 舞台からする声に耳を傾けるためにそちらへ視線を送ると、もうほとんどの奏者が片付けを終えていたのが見えた。


「さあ、少年少女よ。今宵はもうお開きだ。宿に戻ってゆっくり休みなさい」

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