第13話

 郷土資料館から持ってきた書物に真剣な表情で目を通していた修介は、ふと、低い音で鳴っているスマートフォンに気付き手に取った。

 画面に表示されたのは千佳の名前だった。修介は首を傾げた。千佳が電話をしてくることは滅多になかった。会う時以外は互いの負担にならないようにSNSで連絡を取り合う、そしてすぐの返信は求め合わない、という約束をしていたのだ。受験勉強で集中力を低めるようなことはやめようと、そういう約束だったはずだのだが・・・。

「はい、もしもし、千佳?どうした」

 語り掛けた修介に返事はなかった。

「千佳?」

 繰り返した修介の耳に、

「佐地修介君だね」

 聞きなれない声が受話器から聞こえ、修介はスマートフォンを握り直した。

「どなたですか?」

「・・・。君が良く知っている人間だよ」

 その答えに考えを巡らせたが、やはり声に聞き覚えはなかった。

「私のことをずいぶんと調べていたそうじゃないか?知り合いの・・・建築会社の人間から警告の電話を貰ったよ」

「沼田惣介・・・」

 東京へ行った時、その名前を知って幾人かの建築会社の人間と会った。その内の一人が沼田にご注進をしたに違いない。

「その通り」

 電話の向こう側で含み笑いが聞こえた。

「千佳を・・・千佳をどうしたんだ」

「ここに私と一緒にいる。今のところは・・・すこやかそのものだよ」

「千佳と話をさせてくれ」

「それはできない。ところで君は・・・井戸で見つけたものを自宅に持ち帰ったそうだな?」

 修介は一瞬、押し黙った。

「・・・ああ」

 やがて無理に押し殺したような肯定に、

「よし、娘とじいさんはそれと引き換えだ」

 と満足げな声が返って来た。

「変なものが発見されたとあっては我々の事業の邪魔だからな」

「館長も・・・そこに?」

 修介の問いに開いては笑った。

「放っておくわけにもいかないからな、警察に駆けこまれでもしたら迷惑だ。つまり君も・・・警察に連絡したら、どうなるか分かっているだろう?」

「分かった」

 修介の答えに、

「じゃあ今からいう所に、三十分以内に来い。物も一緒にな」

 と電話の主は言った。場所を走り書きしたメモをじっと見るとそこにそそくさと何かを書き足すと机の隅におき、それから修介は広げていた書物を一瞥し、手に取るとバッグへ入れ、背に担ぐと階段を走り降りた。

「修介、もうすぐご飯よ」

 母親の声が背後からした。

「すぐ帰る、帰らなかったら机の上を見て」

 叫び返して戸を乱暴に開けて出て行った息子の姿を、お玉を片手に修介の母親は呆れたように見ていた。


 日はまだ残っていた。自転車を狂ったように漕いでいく修介の姿はまるで黄昏時たそがれどきに駆け巡る魔のようにさえ見えた。

「待って居ろ、千佳。すぐに助けるから」

 自転車を漕ぎながら修介はしきりに呟いていた。


「ガキはもうすぐやってくる。おめでたい男だな」

 薄暗い倉庫の片隅に縛られたまま転がされている千佳と祖父に男はにやにや笑いながら話しかけた。千佳は乱れたスカートの裾を懸命に隠しながら、

「修介はあんたたちなんて怖くない」

 と叫んだ。しかし男は冷たい笑みを浮かべ、

「威勢のいいお嬢さんだな。だが、そのうち泣きを見る」

 と呟くと、

「あんたたちに事業の邪魔をされたくないと思って見張っていたが、思わぬものが転がり込んできそうだ。これも日頃の善行のせいかな」

 とうそぶいた

「日頃の善行?」

 千佳の横に転がされていた祖父は、抵抗した時に殴られたせいで口の横を腫らしていたが、精いっぱい皮肉を込めて問い返すと、

「幸さん、あんたほんとうにこんな男たちの言いなりになっていいのか」

 沼田と共にやってきたもう一人の人物に語り掛けた。幸・・・これが修介の叔父さん?

 修介とはあまり似ていない、気の弱そうな小太りの中年男は祖父の放った問いに答えず目を逸らした。

「ふふふ、幸さんもあんたがたが見つけたお宝の分け前にありつきたいのさ。源氏物語の定家本・・・幻の大発見だ」

 沼田に祖父は視線をやった。

「あんたは価値が分かるらしいな。だが、その男たちは・・・」

 祖父は自分たちを攫ってきた男たちに目を遣った。

「源氏物語の定家本だと言っても・・・本なんてみんな定価で売られているもんだろう、とか訳の分からないことを言って私を殴ってきた。部下に少しは教養を学ばせたらいかがかな?」

 その言葉に、男の一人が血相を変えて立ち上がった。

「なんだと、このじじい」

「やめておけ」

 沼田が手で制すると、男は不満げに座った。

「だが、いったいどうやってあれを処分されるつもりかな?まさか、焼き捨てるようなことはあるまいな?」

 祖父の言葉に、

「もちろんそんなことはしませんよ」

 と沼田は答えた。

「しかし、出自も明らかにせずに売ることはできないのでは」

 祖父が尋ねると、

「ふふふ、蛇の道は蛇といいましてね」

 沼田は嘲るような口調で答えた。

「世の中にはそうしたものを秘密に買い取りたいと考える金持ちはいくらでもいるのですよ。現に私にも二三人、心当たりがある」

「・・・」

 祖父は沈黙した。類は友を呼ぶ。この男の周りにはそういう犯罪行為をいとわない人間は本当にいるのだろう。

「どうでしょうか?あなたならお幾らくらいの値段をつけますか?」

 だが、からかうような沼田の口調に、

「あれは歴史的文献だ。値をつけるようなものではない」

 祖父は思わず憤然と言い放った。しかし、

「世の中には値のつかないものなんてありませんよ」

 沼田は平然と答えた。

「そしてその値に人は群がる。そういうものです。この人もそうだ」

 幸を指してそう言うと、おい、と男の一人に命令した。

「二人に猿轡さるぐつわませろ。余計なことを言われたら交渉ができん」


 指定された場所に近づくと、修介は速度を緩め、自転車を脇の草むらに倒し、そっと倉庫のような外見の建物に忍び寄った。中の様子は分からないがここに千佳とその祖父が監禁されているに違いない。車が二台停めてあって、手に触れたボンネットはどちらもまだ暖かかった。そっと裏手に回ったが窓は少なく三つしかなかった。

 不愛想なコンクリートの建物に仕方なくつけられたような窓はそのどれもが高く狭く、気付かれずに侵入するには難しそうだった。陰っていく日の中で、裏手に無造作に置かれた傘立てのようなものの中に木刀が二本、置かれているのを修介は見つけた。その一本を手に取ると、剣先に黒い染みがあった。血痕だ、と修介は瞬時に悟った。おそらくこの場所は他にも何らかの犯罪に使われているのだろう。周りに住宅はなく、孤立したこの場所で誰かをリンチする時に使われたものに違いあるまい。


 いずれにしろ奇襲はできない。そう腹をくくると木刀を片手に修介は再び表に出た。

 鍵は開いていた。

 裸電球が照らす薄暗がりの中、四人の男が入って来た修介を一斉に見た。その内の一人は自分の叔父だったが、修介は物を見るような目つきで男たちを見返した。一人、椅子に座っていた男が、

「歓迎だよ。佐地修介君」

 といって手を広げた。

「ようこそ、私の陣へ」

 修介は木刀を地面に引きずりながら男たちの方へ近づいた。その木刀に目を止めると、沼田惣介はにやりと笑った。

「おやおや、友好的とは思えない姿ですな、そんな物騒なものを・・・」

 そう言いながら、隠していた右手を引き上げた。その手には黒い銃が握られていた。だが、修介は怯む様子もなく、もう一歩進んだ。かちゃりと撃鉄があがる音を聞いて漸く歩を止めた修介は、

「千佳と館長はどこだ?」

 と鋭い声で尋ねた。

 沼田惣介は銃を構えたまま左手で背後を指した。目をすがめ、二人が縛られたまま転がされているのを見て取ると、修介は

「解放してくれ」

 と頼んだ。沼田惣介はゆっくりと首を振ると、

「物事には順番と言うものがある。君は優秀な学生だと聞いた。それが分からないわけじゃあるまい?」

 と答えた。

 修介は片手で担いだバッグを降ろした。

「見てこい」

 沼田は一人の男に命じた。へい、と返事をした男は修介の降ろしたバッグに近づくと中を開けた。

「確かに古本が入っていますぜ」

 そう答えた男に、

「ばかもの。そう言う事を言うからじじいに舐められる。古本じゃない、古書というんだ」

 と沼田が𠮟責した。

「すんません」

 答えた男を無視して、沼田は幸をちらりと振り向いた。

「ほんとうにいいんですか?むしろ、このままいなくなってもらった方が・・・暫くすれば山にトラックが入ります。その一番下に死体を置いておけば永久に見つからないのですよ。三人とも山へ入って遭難した、という事にすればいい話だ。目撃者も用意できる。私たちはなんどか経験しています」

「頼む、命だけは助けてやってくれ」

 俯いたままそう言った幸の言葉を聞くと修介に、

「いい叔父さんじゃないか。君の命乞いをしてくれている。君も大人になって良く世間と云うものを理解しなければいけないな。私としては後顧こうこの憂いをなくしたいと考えているのだが」

 と、さも残念そうに言った。

「早く・・・二人を離せ」

「大人になれと言っただろう?ここで二人を開放すれば何が起こる?君たちは間違えなく警察に駆け込み、監禁されたと訴えるだろう?」

 沼田は余裕綽々よゆうしゃくしゃくと言った口調で答えた。

「そんなことはしない。早く解放してくれ」

「性善説というのはね、私のような人間には世迷いごととしか思えないのだよ」

 そう言うと沼田は凄惨な笑みを浮かべた。

「君の恋人に少し痛い目に遭っていただいて、それをビデオに撮らせてもらいます。もし何かあった時の保険にね。君たちが訴え出れば自動的にそのビデオは世界中にばらまかれる、ネットでね。便利な世の中になったものだ」

 一人の男が千佳に近づいた。にやりと笑うと男はポケットからナイフを取り出した。おののいて転がされた姿のまま、這うように後ずさる千佳に向かって、

「なに、心配することはないですよ。お嬢さん。少しの間我慢してくれればいいんだ。君の恋人はレイプされたあなたを見捨てるようなことをする人間じゃないらしい。おじいさんも孫のそんな姿を公開されるのを潔いと思わない方だと聞いている。君たちが秘密を守れば時限爆弾が爆発するようなことはないのです。大人しくしていればこの地で二人で仲良く生活することだできる。死ぬよりはよっぽどマシではないですか。それにその男は床上手だ、と言っている。あなたもきっと満足できるでしょう」

 下卑げびた口調でそう言うと、沼田はにやりと笑って舌を唇で舐めた。修介が身動みじろぎもしない姿に満足げに頷くと、

「それが利巧と言うものだ、それに比べ・・・」

 必死に男と千佳の間に割って入ろうとする祖父を見て、

「早く蹴飛ばしてどかしてしまえ」

 ともう一人の男に命じた。持ってきた袋から撮影用らしいスマートフォンともう一丁の銃を取り出していた男は、へぇ、と頷くと

「じじい、どけ」

 と言って祖父の腹部に蹴りを入れた。祖父はうっと、唸って体を海老のように丸めた。


 祖父が苦痛に満ちた声を上げたのを千佳は刻一刻近づいてくる恐怖に怯えながら見ていた。二人の男の内一人は、右手に拳銃を持って祖父に狙いをつけていた。もう一人は千佳の横に腰を下ろすと、千佳の顔を両手で触って来た。

「いい女じゃねぇか」

 そう言うと片手で千佳の胸をゆっくりと回すように撫でた。身悶みもだえるような嫌悪感が千佳を襲った。猿轡を噛まされているために、声を上げてもウーというような音が漏れるだけで、涙が頬に伝わった。こんなところで・・・修介の見ている前で、レイプされるくらいなら死んだほうがまし。男は手を止めて立ち上がるとズボンのベルトを外し始めた。いやっ。

 修介、助けて、

 そう自分は叫んだつもりだった。


「修理さまっ」

 りんと響いた声を聞いて思わず沼田は振り向いた。

 転がしておいた女の声か?だが、猿轡はきつく噛ませていたはずだ。それに修理さまとは・・・誰か別にいるのか?一瞬の間に様々な思いが駆け巡ったその耳に響いたのは聞いたようなことのない獣の発したような声であった。はっと前を見た時には木刀を構えた修介が大きく振りかぶって自分の眼前に迫っていた。構え直そうとした銃ごと、その木刀は沼田の右手を正確に狙って振り下ろされた。

「げっ」

 耐えがたい痛みに沼田は椅子から激しい勢いで転げ落ち、その拍子に銃が放たれた。


 カメラを構えていた男の耳にも、修理さまっ、という声が聞こえた。女の口には猿轡は残ったままであったが、男はさして気にせずカメラを回し続けていたが、げっ、と言う叫び声にふと横を見た。その瞬間コンクリートの地面を削って走って来た弾丸が男の左足の脹脛ふくらはぎを貫いた。男の手からスマートフォンが離れ、床を転がった。脇に置いてあった銃は痛みに卒倒した男の体に押し出されるように逆の方向へと走っていった。


 千佳を襲っていた男には、なぜかその声は聞こえなかった。以前、暴力団に所属していた男は三人の高校生を犯し、風俗に沈めた過去があった。高校生が犯された時、その人生はほぼ例外なく悲惨なものになる。男が沈めた女たちもそうだった。二人はドラッグに染まり、一人は一年後に自殺した。

 女たちも、自分の一生がだめにされる、そのことを気付いているに違いなかった。人生を壊される、そういう悲痛な表情をして女たちは男に抱かれた。そんな表情を見るのが男にはたまらなく愉快で、いつものセックスと全く別の激しい興奮を誘った。

 そんな中でこの女子高生はもっとも美しく清純だった。金目当てに男を騙し、ホテルからずらかるようなスベタではない。男の残忍な欲望は頂点に達していた。だが、突然沼田の発した悲鳴と銃声は男の別の本能を刺激した。床を滑っていく銃を見た男は咄嗟とっさに女の体を突き飛ばし、銃へと手を伸ばした。その動きは俊敏だったが、却って男に一生消えぬ後悔を残すことになった。沼田の手を砕いた木刀は激しい気合と共に男の右手も砕き、返す刀は男の左側の肋骨の何本かを綺麗にへし折った。


 祖父は転がされた地面からその光景を見ていた。修理さまっ、と叫んだ声は自分の孫の声とはどこか違う気がした。その声に釣られるように裂帛れっぱくの気合と共に打ち下ろされる木刀の動きは彼の記憶を呼び起こした。

「あれは・・・古武道の・・・」

 古武道の剣は剣道の剣と全く異なる。江戸時代の平和と安寧の中で剣道は武術と言うより技術として発展していったが、その過程で戦闘性は極力抑えられていった。だが古武道は戦国時代の命の遣り取りを残した武術である。昔、一度だけその立ち合いを見たことがある彼の眼に、修介の振るった木刀は古武術のそれだと、まごうことなく彼の眼には映った。


 その男は居合わせた中で唯一、全てをはっきりと見ていた。甥の恋人が男に犯される状況はさすがに目にするのが憚られ、視線を甥に向けたその時、突如「修理さまっ」という凛とした声があがった。その声と共に甥は不意にすっと前へと歩を進めた。その動きは人と思えぬほど軽やかだった。瞬時に振り下ろされた木刀に沼田が打倒され、手から離れた銃が仲間の脚を撃ちぬいたのを男は目を見開いたままみつめていた。そして、すっとさらに歩を進めた甥が別の男の手と胸を容易く砕いても、男は一歩も動けなかった。

 そして甥が振り返って自分を見た時、確実に殺されると思った。思ったが、足は地に根が生えたように動けなかった。すっと、一切の無駄な動き無く甥は剣を構えると自分に向かって進んできた。

「叔父上、そなただけは許せぬ。あの世へと参られよ」

 低い声は今まで聞いた普段の優しい甥の声と明らかに違っていた。その時、

「修介、だめ」

 女性の声が男の耳に響いた。振り上げられた剣は空気を切り裂くような音と共に男の頭を襲ってきたが、頭上一寸の所で止まっていた。その剣先を見ることもなく、男はくたくたと膝から崩れ落ちた。


 パトカーの音が遠くから響いてくるのを千佳は転がったまま聞いていた。

 倉庫のような広い事務所は木刀で傷ついた男たちの呻き声だけが響いていて、一人乗り込んで男たちを倒した修介は叔父の幸を木刀の寸止めで気絶させた姿のまま身動ぎさえしなかった。修介、と猿轡の下から千佳がいくら呼び掛けても無駄だった。だから・・・千佳はパトカーがこちらへ向かってくることを祈るような気持ちで聞いていた。


 事務所の前に停まったパトカーは二台であった。警官たちは扉の前で中の様子を窺っていたが、中から男の呻き声がするのを聞くと、警棒を構えたまま突入した。

 しかしその眼前に現れた光景は、警官たちの予想とは全く違っていた。脹脛を撃たれた男だけは這うようにして逃げようとしたがたちまち警官に取り押さえられた。残りの三人は抗う気力さえなく、唯一無傷の背広を着た男は警官の呼びかけにも応じないまま失神状態であった。

 その失神した男の前に警察に通報があった家庭からの男子高校生が、木刀を構えたまま警察官が入ってきてもまるで銅像のように動かずにいた。警官の後ろから入って来た安物のスーツと靴を履いた刑事らしき男が、その肩を叩きながら尋ねた。

「君が佐地修介くんだね」

 ふっと、力が抜けたように修介の手から木刀が離れ、コンクリートの床に落ちた。その音が反射して大きく響き、何人かの警官が振り向いたほどだった。

「はい・・・」

「君のご家庭から連絡があった。この場所は・・・犯罪が発生しているのではないかと前から我々も目をつけていたところでね、そこに君が向かったと聞いて出動したんだ。普通ならそんなことはないがね・・・」

 そう言うと刑事はもう一度修介の肩を叩いた。

「君にはちょっと事情を聞かせてもらうことになる」

「分かりました」

 そう答えると修介はちらりと千佳の方に視線をやった。千佳は婦人警官に助け起こされ、猿轡を解いてもらったところだった。

「修介っ・・・」

 千佳が叫んだ。

「大丈夫だ」

 ぽつりと答えると修介は警官に付き添われて出て行った。


 救急車が到着するまでしばらく時間がかかった。警察は状況を見ると、傷の有無にかかわらず拳銃を使おうとした三人に容赦なく手錠を掛けた。沼田の抗議する声が悲鳴に変わってもお構いなしだった。


 刑事が一通りの調査を済ませると千佳のところにやって来た。

「大変な目に遭ったね」

強面こわもてにも関わらず、刑事は猫に話しかけるような優しい口調で千佳をねぎらった。

「私は・・・大丈夫です」

 気丈に千佳は答えた。

「修介は・・・さっき警察に連れて行かれた男の子は私たちを助けようとしただけなんです。何か罪になるんですか?」

「うーん」

 刑事は唸った。

「まあ、今のところは何とも言えないけど・・・状況は理解しているつもりだ」

「でも・・・」

 千佳は抗議した。それをまあまあ、と抑えるようにして

「君にも病院で手当てが終わったら、署に来てもらわないとならない・・・。そこで話は聞くよ。ところで君の友人は剣道でもやっているのかな?」

 刑事は慎重な口ぶりで千佳に尋ねた。

「いえ、学校ではクライミングの部に入っています」

 そう答えた千佳に、

「昔、やっていたという事はないかな}

 と重ねて尋ねてきた。

「いえ、子供の頃から知っているけど、剣道はやっていたことはないと思います」

「そうか」

 その刑事は首を傾げた。

「それにしては見事にやっつけてくれたものだな。あの男たち、たぶん二度と拳銃を撃つことも刃物で人を刺すこともできないだろう」

「そうなんですか?」

 千佳は驚いた。すごい悲鳴が上がったのはわかったが、そんなにひどい怪我なのだろうか?でも・・・因果応報だわ。そう言うと

「うん、まあ偶然だろうが・・・剣道というよりももっと昔の本当に命のやり取りをしていた頃の剣の使い方のようにも思えるが・・・。とにかく必死だったんだろうね。君を助けようとして」

 と刑事は答えた。でも・・・そう言えば。

 本当にそれだけだったのだろうか?千佳は思った。あの時の修介は自分の知っている修介ではなくまるで別人のようだった。叔父さんに向かって放った言葉の冷たさは知っている修介のものではないような気さえした。一方で、私を助けてくれようとする包み込むような愛情は確かに感じた。いったいあれはなんだったのだろう?


 どこか遠くから救急車のサイレンが近づいてきた。

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