第10話

 夏休みの終わりももうすぐだった。

 いつも通り、図書館での勉強を終えると千佳は修介と一緒に自転車を漕いで、近くの公園に向かっていた。夏の光はまだ空に満ちている。その中を二人の自転車は先になり、後になり翔けていく。

 修介は千佳が分からないところを丁寧に教えてくれた。おかげでワンランクアップしたような気がする・・・。RPGの主人公ってたいてい男女ペアじゃない、その男の方の主人公が強くなっていくと女の主人公も一緒に強くなっていく、なんかそれに似ているなぁ、と千佳は勝手に思っている。勉強だけではない、お弁当の作り方、というか料理も以前に比べて手際が良くなったと母親にめられたし、実際に日曜日の夜に家族のために拵えた肉団子のトマト煮は大好評だった。父親が相好そうごうを崩して、

「千佳も料理が上手になったなぁ」

 とせっかく褒めたのに、弟が、

「これさ、姉ちゃんが修介兄ちゃんのために最初に作った料理だよ」

 とばらしたおかげで、父親がなんだか不機嫌になってしまったのは予定外だったけど。


 自転車を停め、鍵をかけてから公園のベンチに微妙な距離を開けてちょこんと座ると、

「佐地君のおかげでなんとなくワンランクアップしたような気がするよ、模試もまあまあだったし、ありがと」

 と千佳が言った。初めて修介に感謝の気持ちを言う事ができた。

「まあな・・・」

 と修介は鼻の下を指でこすった。それが修介が照れた時の仕草だって、千佳はもう知っている。遠ざかっていた五年の間に修介がどんな仕草を身に着けたのか、知っている。

「あ、遠慮しないんだ」

 千佳は人差し指で修介の二の腕を突いた。

「てかさ・・・。そろそろ俺の事を佐地君って呼ぶのやめない?」

 修介はそう言うと千佳をじっと見た。

「え・・・?」

 戸惑った千佳に

「なんかさ、よそよそしい感じがするんだよなぁ」

 と修介は呟いた。

「じゃあ、なんて呼べばいい?」

「昔みたいに修介でいいんじゃない。他にある?」

「うん・・・。じゃあ・・・しゅうすけ」

 千佳は言い終えた途端にうつむいた。顔が真っ赤になった。

「それでいいよ」

 と修介は言ったが、千佳は俯いたまま小さく首を振った。

「なんだか恥ずかしいな。あんた、とかじゃダメかな」

「あなただったらいい」

 冗談ぽく言った修介だったが、今度は千佳は思い切り首を振った。

「ぐあ、もっと恥ずかしい。それに修介だって、私のこと滅多に千佳って呼ばないじゃない。おまえとか・・・。たしかに、それでもいいって言ったけどさ」

「じゃあ、千佳」

 修介が優しい声を掛けた。

「うん・・・」

 漸く首を上げて、千佳は空を見た。

「いいもんだね・・・。恋人みたい」

「違うの?」

 修介が真顔で尋ねた。

「まぁ、そうだけどさ」

 千佳は答えた。恋人、って好きな相手から言って貰えるのってなんて素敵なんだろう。

「まぁ、ってなんだよ。ところで千佳、今度の休みにサイクリングに行ってみない?」

 突然の誘いに千佳は修介を振り向いた。

「え、どこまで?」

「俺の好きなところ」

「うん、いいよ。遠いの?」

 泊りだと無理。春休みに修介がシュラフを担いで自転車に乗って200キロも離れたところに行ったと聞いていたので千佳はおそるおそる尋ねた。

「いや・・・。でもちょっと上りがきついんだ。あの丘のあたり。千佳の自転車、スポーツタイプだから行けると思うんだよな。ギアもしっかりしているし」

 そう言うと、修介は公園の裏手を指した。

 丘?

 山じゃん。

「私でもいけそう?」

 相手はクライミング部の男の子だ。迂闊に誘いに乗ったらとんでもないことになるんじゃないかと「お泊り」とは全然別の警戒心が湧きあがった。あんまり色気のない方のヤツ。

「大丈夫さ。無理そうなら近くまでバスで行ってハイキングにしよう。また泣かれても困るしさ」

 修介はあっさりと言った。

「いいよ、自転車で」

 千佳は暫く考えてからそう答えた。無理、とか言いたくない。でも泣きたくもない。泣いたらまた・・・。小学校の「あの時」本当に私は泣いたんだっけ?


 坂道はだらだらと長く続いていた。ギアを目一杯軽くしたまま懸命にペダルをこいで、千佳は修介の後を追う。汗が額から流れ落ちた。

「もうすぐだよ」

 修介が振り向いてそう言った。まだ余力があるらしい。くそぉ。いつの間にこんなに体力に差がついたんだろう。そう、思いながら千佳はペダルを漕ぎ続けた。

 そこから百メートルほど行ったところで修介は自転車を下りた。

「ここ?」

 道はそこで二手に分かれ一つは舗装道路のまま、谷を下っていく。もう一つは山へ向かう細い、舗装もされていない道だった。

「ここを登るの?」

 千佳は思わず天を仰いだ。

「無理かも・・・」

 思わず無理、という単語が口を衝いて出てしまった。

「ここからは、たいしたことはない。ほんの少しさ。自転車も引いていける」

 修介はそう言うけど・・・あんた、登山部だよね。と心の中で文句の一つを言うと、

「分かった、行こう」

 と千佳も自転車を降りた。いったいどこまで登るのやら・・・。

 だがそれも杞憂きゆうだった。修介の言うとおり、山道を五分ほど歩くと急に視界が開けた。その先はなだらかに下っていて街を見下ろしている。右手は平らに広く開けていて、夏草に占領されていた。

「いい景色だね」

 思わずそう言った。途中あんなにへたれて、心の中でやめときゃよかったと思っていたのに、涼しい山風にあたった途端、なんだかすべてが報われたような気がした。

「だろう?」

 修介は自慢げに言った。

「少し休もう」

 そう言うと修介は背負った大きなバッグから折りたたみ椅子を出した。一つはオリーブ色の使い古したもの、もう一つは濃い赤の新品だった。

「はい」

 新品の方を千佳に差し出す。

「これ・・・私のために?」

「・・・」

 答えずに修介は開けた丘の方に歩き出した。

 少し歩くと草を刈って、そこに木の板が敷いてあった。そこにバッグをおろし、今度は虫よけスプレーを修介は千佳に渡した。

「ありがと」

 腕と足にたっぷりと吹きかけ、千佳は折りたたみ椅子を開くと腰かけた。修介もそれにならった。

「風も涼しいね」

「でしょ・・・」

 と修介が答えた。

「ほんと、いい景色・・・」

 そう言いながら右手の山を見た時、思わず千佳は椅子から腰を浮かした。

「どうしたの?」

 怪訝けげんそうに修介は千佳に尋ねた。

「あたし・・・ここに来たことがある」

 修介が千佳を見た。

「ほんと?」

「うん」

 千佳は答えた。でも・・・いったいいつのことだろう?誰と一緒に来たのだろう?それが全然思い出せない。

「俺が最初にここに来たのは中学生になってからだ。千佳は」

「・・・よく覚えていない」

「じゃあ、子供の頃家族でピクニックにでも来たんじゃない」

 修介が言うと、

「でも・・・」

 と、山の方を千佳は振り向いた。

「後ろの景色は違うの。後ろには木でできた大きな建物があった」

 それを聞いた途端、修介の目が急に細くなった。

「どんな?」

 小さな声ではあったが、鋭かった。

「大きな建物・・・。石垣があって、その上にさくで囲まれた建物」

「・・・」

 修介は信じられないような目で千佳を見た。

「他に何か覚えている?」

「あそこに・・・」

 千佳は一段高くなっている場所を指さした。

「井戸があったの。私はそこで・・・」

「そこで?」

「何かを隠していた、そんな記憶がある。なにかとても大切なものを」

「行ってみよう」

 修介は自然と千佳の手を取った。

「うん」


「・・・ない」

 辺りは一面の草むらで、井戸らしいものはどこにも見当たらなかった。がっかりした千佳だったが、修介は腕を組んで何かを考えていた。

「ここにはもとから井戸は見当たらなかった。何度も来ているから分かっているけど・・・。他に何か覚えていない?目印になるものとか」

 修介の問いに

「木が・・・。井戸の傍に松の木があった。とっても枝ぶりのいい大きな松の木が。でも・・・」

 答えた千佳があたりをぐるりと見回した。どこにもそれらしい木はない。やっぱり妄想だっだのだろうか?だが修介は

「なるほど・・・」

 と微笑んだ。

「それならば、もしかすると見つかるかもしれない」

「・・・」

 千佳は黙った。そもそも自分の記憶が確かなものかさえ分からない。

「でも・・・夢かもしれない」

「夢って記憶に残らないんだよ」

 修介は井戸があることを確信しているようだった。なぜかは分からないけど。

「どうやったら確かめられるのかしら」

「それほど大きかった木が今はないっていうのは、切られたか焼け落ちたかのどっちかだろう。切られた木の切り株はシロアリにやられて腐ってしまう事もあるけど、焼け落ちたなら炭化した跡が残っているかもしれない。相当激しく燃えたと聞いているしね」

「炭化・・・?」

 千佳には信じられなかった。

「そんな昔のものが残っているの?」

「木自体は燃えてしまっても地中にある根は無酸素の状態で燃え残って炭になることがある。状態が良ければ残っているさ」

 そう言うと修介は

「言っていなかったけどここは君のおじいさんが言っていた昔の城址なんだ。さっき千佳が夢の中で見たのかもしれないという石垣もあったんだ。今も少しだけその跡も残っている」

 と付け加えた。

「そうなの?」

 やっと分かった。ここは修介の先祖が守っていたお城があったんだ。そして修介は私の記憶の中にその城の姿を見ている。私が・・・いつか見たと思った景色を本当のことだと思っている。

 千佳はもう一度街のある方角を見回した。あの川の手前に自分の住んでいる家があるはずだ。ずっと昔から・・・私たちの先祖はここに住んできた。この景色を見てきたんだ。私の先祖と修介の先祖は出会ったことがあるのだろうか?

「でも・・・」

 自分の言いだした事でありながら、千佳には修介ほどに自信がなかった。

「もしなかったら・・・」

「もし、なかったとしてもマイナスにはならない。プラスにならないだけだ。千佳には何の責任もない」

 あっさりと修介は言った。

「でも可能性は探ってみたい気がする。佐治家は京都や守護代と親しかったという記録がある。京都はあの頃、戦乱が多発して危険な地域だった。そこから何か重要なものを預かったという事があるかもしれない。その重要なものが見つかればこの廃墟にも歴史的・文化的な価値が生まれる」

 修介の目は真剣だった。

「なら、私も手伝うわ」

 千佳は言った。頼りないけど・・・自分のおぼろげな記憶が修介の役に立つならば。

「うん、頼む。君が一番の手がかりだ」

 千佳には二人でやる作業はなんでも楽しく思えた。だが、・・・。

 城の跡だといわれても今は単なる高台の、雑草の生い茂った平凡な野原に過ぎない。そこを二人で掻き分けながら探し始めたが、夏草は思ったより深く、さまざまな虫たちがいた。すぐに逃げて行くバッタや蝶はともかく、襲ってくる蜂やあぶもいてやっかいだった。考えたくないが蛇がいてもおかしくない。

「これは・・・ちょっと準備が必要だな」

 修介は千佳の白い腕に赤く細い傷ができたのを見てそう言った。夏草の葉が擦れてできたものに違いない。

「そうね・・・。草を刈らないと」

「今日はあきらめよう」

 そう言うと、修介はバッグの中から消毒液を出して、千佳の傷を消毒し、手際よく絆創膏まで貼ってくれた。

「秋になれば草は枯れると思うけど」

 千佳の言葉に修介は考え込んだ。

「でも、それだと間に合わない」

「何に?」

 千佳は尋ねた。

「もうすぐ、彼らはファイリングをする、つまり谷を埋める正式な申請をするという話なんだ。もし、ここに君の言うとおり貴重な文化財があるとしたら、それだけで申請が通らなくなることはなくても、動きを止めることができるかもしれない」

 そうなんだ、と千佳は呟いた。時間は限られているという事だ。

「でも、前に言っていたじゃない。谷を埋めるのは住む場所を作るためじゃないって。それを証明することはできないの?」

 千佳の問いに

「彼らは巧妙にカバーしている。書類上には何の不備もないはずだ」

と修介は答えた。

「実際に埋め立てが始まって、産業廃棄物が山積みになって見つからないでもしない限りは動きだしたものを止めることは難しいんだ。もちろん不正があれば指導は入る。でもそれ以上のことは滅多にない」

「じゃあ、やるしかないのね」

 千佳の言葉に修介が頷いた時、低く重い羽音が向かって来た。襲って来た蚋にきゃっ、と言って千佳は修介にしがみついた。修介は俊敏に腕で蚋を叩き落とした。

「もう大丈夫だよ」


 翌日修介と千佳を車で送ってくれたのは千佳の祖父だった。二人の話を聞いて、怪訝な顔をした祖父だったが、修介がわらをもすがる思いでいるのを一番理解しているのも祖父だった。

「あまり危ない真似をしては欲しくないが・・・」

 そう言いながら草を刈る鎌やスコップも祖父が用意してくれた。蚋や鉢を避けるために虫よけスプレーをたっぷりふりかけ、長袖のアウターを着て武装した二人を見て、祖父はにやにやと笑った。

「まるで農作業に行くみたいだね」

「たしかに」

 と千佳と修介は互いに見合った。とてもデートの恰好ではない。丘の上の車を停められる場所に着くと、祖父は

「私はちょっとここらをぶらぶらしてみよう。久しぶりだからね」

 そう言うと、二人を残して別の方角へと歩いて行った。

「・・・。おじいちゃん、気を遣ってくれたのかな」

 祖父の後ろ姿を見ながら千佳が呟くと、修介は笑った。


「じゃあ、ここら辺から始めようか」

 修介がそう言って千佳が頷いた。

「千佳は、向こう側に向かって草を刈っていってくれ。僕はこっち側の方をやる。何か気になるものがあったらいつでも声をかけてくれ。それと・・・気を付けてね」

 最後の一言は優し気だった。

 夏草は思っていたより遥かに強靭きょうじんだった。千佳も農作業を手伝ったことがあるから、鎌の扱いには慣れているつもりだったが、稲や野菜を刈るのに比べて何倍もの力が必要だった。その上、うまく刃を入れないと鎌が滑る。修介の言うとおりよほど気をつけないと怪我をしかねない。十分も経たないうちに汗まみれになった。額の汗が瞼の上で踊り、千佳は立ち上がると腕で汗を拭った。

 その視線の先に石垣のような物が見えた。あ、あれが残った石垣なんだ。千佳がそう思った瞬間、ジグゾーパズルが正しくはまったかのような既視感が頭の中でスパークした。

「もう少し、右の先」

 千佳は思わず口走ると夏草を踏みしめ、駆けだした。

「ここだ」

 松の木があったのは、ここだ。あの石垣の端は確かここから見たものなんだ。

「修介」

 千佳は叫んだ。

「どうした?」

 高く生い茂っている夏草の向こうから彼の声が返って来た。

「たぶん、ここらへん」

「思い出したのか?」

 草を掻き分けながら現れた修介が千佳に尋ねた。

「うん、あの石垣に見覚えがある」

「じゃあ、このあたりを集中的に探そう」

「分かった」

 千佳はそこから右、修介は左の方向に向かって草を刈っていった。どれほど経っただろう。

「あった、あったよ。本当にあった」

 興奮した修介の声が聞こえた。

「ほんとう?」

 千佳が走り寄った。

「え?」

 そこにあったのは焼け焦げた木の根元ではなく、何やら大きな石だった。

「これは石の蓋だ。多分この下に井戸がある」

「でも・・・重そう」

 千佳の言葉に修介は頷いた。

「僕たちだけではとても動かせないな」

「どうするの?」

 千佳の問いに

「重機を使わないと・・・。でも」

 修介は天を仰いだ。

「そのためには土地の所有者の許可を得なければならない」

「誰なの、所有者って?」

「このあたりはこの山も含めて、代々幸家のものなんだ」

「じゃあ・・・」

 きっと許可はしてくれないだろう。

「もし何かが見つかったとしても、それは土地を持っている人のものなのかしら?」

「何か価値があるものだとしたら、所有者以外に発見者にも権利があると思う。でも肝心なのは・・・」

「肝心なのは?」

「歴史的な価値があるものが存在したという事実なんだ。所有のいかんに関わらず、まず見つけることが必要なんだ」

 修介が言っているのはそれによって開発と言う名の産業廃棄物の投棄を止めることができるかどうか、という事なのだ。

「うーん」

 修介は悩まし気な声を上げた。

「どうする?」

 自分のせいで修介の悩みを深めてしまったような気がして千佳はおそるおそる尋ねた。そもそも井戸に本当に何か重要なものがあるとも限らないのだ。

「まあ、何か打つ手がないか考えてみるよ。市役所に相談する手もあるし」

「そうだね」

 でも、市役所なんてあてにしていいんだろうか?この谷を埋めるという許可を出した市役所なんかに。

「まあ、取り敢えず見つけたことを喜ぼう。後のことはおって考えるさ。これは千佳のおかげだよ」

 石の蓋をとんとんと叩いて、修介はそう言った。


 目印として近くにおちていた木の枝を井戸の近くに立て、スマホで緯度経度の位置測定をしたものをメモすると、二人は道具を片付けて車の方に戻った。祖父は車の外で片手に何か書類のような物を持ち、もう片方の手で煙草を吸いながら二人を待っていた。

「見つからなかったか?」

 祖父の問いに

「いえ」

「おじいちゃん・・・」

 二人は同時に答えた。

 目を見合わせ、どうぞ、と言う風に千佳が頷くと、修介が話し始めた。話を聞き終えると、

「ならば、土地の所有者に了解を取ればいいじゃないか」

 と祖父は答えた。

「だから、おじいちゃん。話を聞いていなかった?この土地の所有者は・・・」

 千佳が言うと、

「幸の当主はよほど金に困っておってな、この山を売った」

 あっさりと祖父は言った。

「え?」

「そうなんですか?」

 再び二人は同時に声をあげた。

「誰なんです。買ったのは?」

 修介の問いに、祖父はにやりと笑った。

「誰あろう、私だ」

 そう言うと祖父は手に持った書類らしいものでぽんぽんと腰を叩いた。

「念のために測量図を持ってあたりを見回ったのだがな、ここ一帯は今は私の持ち物なのだよ」

「ほんとうに?」

 千佳は思わず、祖父に抱き着いた。

「おじいちゃん、大好き」

「おいおい・・・」

 祖父はよろめきながら声を上げた。

「恋人の前で・・・いいのか?」

「もちろんよ」

 千佳は修介を振り向き、修介は笑って頷いた。


 帰りの車の中で祖父がその土地が自分の持ち物になった経緯を話してくれた。

「幸の当主がな・・・」

運転しながら祖父はバッグミラーでちらっと修介を見た。幸の当主と言えば修介の叔父である。

「いいんです。お話しください」

 修介がそう言うと、

「うむ、どうやら投機に失敗したようだな。詳しくは分からんが、先物とかFXとか言っておった。それで山を買ってくれないかと、密かに頼んできた。といってもここら辺の山を売っても大した金額にはならんのだが、よほど追い詰められていたのかもしれん」

「いつ頃のことですか?」

 修介の問いに、

「今年の三月だ」

「三月・・・」

 修介は呟いた。

「私としては、取り敢えず山などほしくはなったが、あそこに昔の城跡があるのを知っていたからな、他の者に買われて変なことになるのは防ぎたかった。だからその申し出を受けたのだが・・・」

 祖父は少し言い淀んだ。

「谷を埋めると叔父は正直に言ったのですか?三月ならもうその計画があった筈ですが」

「いや・・・。谷を埋めるとは言わなんだ。新たに道を整備する計画があるようなことは言っていたが」

「トラックを通すための拡張工事のことです」

 修介は断定した。

「谷を埋めたら景観が大きく変わるのに・・・。それを先に言わないなんて詐欺みたいなものです」

「責めるつもりはないが、その話が出た時は私もがっかりした。たかだか数百万のことだが」

 祖父の言葉に

「数百万って十分大金ですよ」

と修介は言い、千佳も頷いた。

「だがな、困っているときはお互い様、と言う言葉もある。そうやって今まで土地は守られてきたんだ」

 祖父の言葉に

「でも、はっきりと裏切りじゃないですか。というか詐欺だ」

 と修介は叔父を断罪した。

「だが、そのおかげで君たちはあの井戸を調査することができる」

「それはそうですが・・・」

 修介は困ったように答えると千佳を見遣った。

「良かったじゃない。これで相手の鼻を明かすことができるかもしれないってことで」

 千佳の言葉に修介は漸く気が収まったようだった。

「・・・確かに。でも重機を扱える人を探さないと」

「それならば、私に心当たりがある」

 祖父が答えた。

「ほんとう?」

 千佳がヘッドレストに間から頭を突き出して祖父を覗き込むようにした。

「伊達に人生を送ってきたわけじゃないからな。おいおい、バックミラーが見えない。ちゃんと座りなさい」

 座りなおして千佳が歌うように

「おじいちゃん、最高だよ」

 そう言うと、隣で修介が頷いた。

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