第8話

「私、佐地君と付き合うことにしたから」

 家族そろって夕食を食べている最中に突然宣言した千佳の言葉に、父親と弟の箸の動きが一瞬止まった。

「え?」

「うそ・・・・」

 父は動顛したかのように目をきょろきょろとさせ、一方の弟はぽかんとした目で千佳を見詰めてきた。

「あら、良かったじゃない。佐地君なら良く知っているし。いい子だし、成績もいいし・・・。この間龍彦が言った時は、まさかと思ったけど、それもありかな、なんて思ったくらいだし」

 一人平然と箸を動かしていた母が、そう言った。

「しかし、付き合うっていうのはどういうことだ?」

 父が、漬物を箸の先で神経質そうに突きながら千佳を見た。

「手紙の交換とか会うだけとか、そういうことなら構わんが・・・。父さんの頃と今では付き合うの意味が違っている、って聞いているぞ」

「あ、じゃあ、父さんの頃の意味で・・・」

 千佳はあっさりと答えたが、

「そのうち、今の意味になるかもしれないけど」

 と続けた。

「う・・・」

 父が唸り声を上げた。箸の先が漬物に突き刺さっている。

「千佳、父さんをからかうのはやめなさい」

 母は黙々とサラダを食べてながら指摘した。

「あ、はい。ごめんなさい。高校生のうちは父さんの頃の意味で止めとくわ」

「しかし・・・」

 釈然としない様子の父に、

「え、だって家族に隠すようなことをするなって言ったの父さんじゃん。だから言ったのに」

 と反撃した千佳をちらりと見遣り、父はうつろな目をすると、

「母さん・・・もう一つビールを持ってきなさい」

 と命じた。

「はいはい、発泡酒ね」

 わざわざ言い換えると母親が冷蔵庫に行き、扉の棚から新しい缶を持ってくる。

「え、でも修介兄ちゃんと姉ちゃんじゃ、釣り合い取れないじゃん」

 龍彦が口を尖らせた。

「どういう意味よ」

 鋭い口調で千佳は弟を睨んだ。

「美女と野獣の逆じゃん」

「こら」

 立ち上がろうとした千佳から逃げるように弟が皿を持って逃げようとしてテーブルの脚に躓いた。

「あああ」

 絶望的な声を上げた弟の皿からクリームコロッケが二つ舞い飛んだ。

「クリームコロッケは・・・駄目だな」

 父親は落ちたコロッケを見もせず呟いた。

「姉ちゃんのせいだぞ」

 床の上で無残に潰れたコロッケの残骸を見て弟は泣きそうな声をあげた。

「もう、しょうがないわねぇ」

 母親が立ち上がると、キッチンタオルと雑巾でコロッケを片付けた。

「コロッケ、もうないの?」

 母親にせがんだが、

「もうないわよ」

 冷たく言われた龍彦の顔が歪んだ。

「仕方ないわね。私のを一つ上げる」

 自分の皿から千佳は一つコロッケを取り上げると、空になった弟の皿に載せた。

「じゃあ、父さんも」

 父がもう一つコロッケを皿に載せると、龍彦の歪んだ顔は元に戻った。

「ありがと・・・おれ、姉ちゃんを応援するよ」

 弟は神妙な顔で言った。

「そうだな・・・そういう事なら父さんも応援するか。いずれ孫ができるかもしれないし」

「あなた・・・」

 母親が二本目の発泡酒で顔を赤く染めた父親を叱りつけた。

「いっていることが支離滅裂ですよ」

「うむ」

 父はばつの悪そうな顔をして目を伏せた。千佳も父の言葉の意味を悟ると思わず顔を赤くして俯いた。

「母ちゃんの作ったコロッケ、超うまい」

 場を救ったのは弟の頓狂な声だった。だが、

「・・・ごめんね。それスーパーで買って来たものなの。あっためたのは私だけど」

 母がすまなそうに告白した。あっためるだけなら、多分父にも弟にもできるでしょ。そう思いつつ、

「コロッケを一から作るのは大変だもんね」

 千佳が顔を上げフォローすると、母親は大きく頷いた。

「ジャガイモをふかして、裏ごしして・・・」

「それは普通のコロッケでしょ。クリームコロッケは作り方違うんじゃない?」

 千佳が呆れたように言うと、

「あ、そうだっけ」

 と母は首を傾げ、呟いた。

「作り方も忘れちゃった」

「母ちゃんの選んだコロッケ、超うまい」

 弟が再び叫んだ。

「ああ、なるほどね」

 笑いながら、千佳と父は頷いた。

「お惣菜を見る目も大切だね。美味しいやつもあれば、まずいのもあるから」

「たしかに」

「あなたたち、いいところあるわね」

 母が嬉しそうに呟いた。


 母が嬉しそうなのはそれだけではなかった。その胸元には真珠のネックレスが掛かっている。土曜日に父と出かけて市内のデパートで買って来たものである。

「うちんなかで、するのはいかがなものか」

 という千佳の至極まともな指摘にも

「畑でするよりはいいでしょ」

 と母は気にも留めなかった。

「だって、宝石って見てもらうことに価値があるのよ」

 一方でなけなしの小遣いから真珠を買うことになった父親は暫く元気がなかった。母の胸に鎮座している真珠はいまだ父に若干の苦い思いをもよおさせるらしい。

「母さん、まだしているのか。食事の時くらい外した方がいいぞ。料理をしているときに汚れるだろう?」

 苦々し気にそう言った父の言葉に母は、

「だから今日は火を使っていないから大丈夫。レンチンだけだったし。いいでしょう、千佳、羨ましい?早く彼に買ってもらえるようになりな」

 と誇らしげに胸を突き出して見せた。

「いや、まだそんな段階ではありません」

 千佳は素直に答えた。

「おかげで飲みに二か月はいけないんだよなぁ」

 父がぶつくさと呟く。祖父が千佳にくれた翡翠がもとになったので、千佳も少し父親に同情している。

「そのうちに孫でもできれば元気になるわよ」

 母が言い放った。きょとんとした龍彦が

「え、姉ちゃん、修介兄ちゃんと結婚するって決まったの?子供ができるの?」

 と驚いたように尋ねた。

「バカ言うんじゃないわよ」

 顔から火が出るかと千佳は思った。これだから・・・家族は。

「やっぱ、言わなきゃよかったわ。もうこれからやめておく」

 ぷんぷんしながら言った千佳の言葉に父は、

「いや、やはりそういうことは家族のうちではちゃんと言っておいた方がいいと思うぞ」

 と重々しい口調で言った。

「何かことがあった時に迅速に対応ができる」

「ことって・・・何よ」

 仏頂面の千佳の横で

「なんだ、子供ができるんじゃないんだ。ああ、良かった。子供ができたら修介兄ちゃん、遊んでくれなくなるからなぁ」

 と安心したようにコロッケにぱくついた弟を、

「こら、コロッケ返してもらうよ」

 千佳は指で頬をつついた。弟は腕で残ったコロッケを隠すようにしながら

「姉ちゃんから貰った方は、もう食べちゃった。これは父さんから貰ったやつだもん」

 と言い返した。

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