第6話

「なんだ、芹沢、自転車に乗ってきたんじゃないんだ」

 祖父の家を一緒に出た修介はあたりに千佳の自転車がないのを見て呟いた。

「だって・・・。苺を持ってきたから」

 千佳の反論に

「ああ、そうか・・・」

 修介は、なるほどと頷いた。

「いいよ・・・。先に自転車に乗って帰っても」

「うん・・・」

 答えつつ、修介は自転車のスタンドを軽く蹴ると千佳と並んで歩き始めた。

 車道に白い線で歩道を示しただけの坂道だ。近くに大きな道路ができてから滅多に車が通ることはないが、千佳たちは学校に行く近道として使っている。

「・・・久しぶりだね。二人っきりで歩くのって」

 黙って歩く修介に千佳はなんと話しかけていいのか迷った末にそう言った。

「そうだな」

 ぽつりと修介が答えた。

「小学生の時以来・・・だよ」

 仕方なしに千佳は言葉を紡いだ。

「そう・・・かな?」

「ねぇ、一つ聞いていい?」

 突然、質問してきた千佳に、

「ん?」

 と返事してから、修介は坂道の途中で自転車を止めた。

「ちょっとこっち側へ来いよ」

「え・・・?」

 千佳が道のわきへ寄るとまた二人は歩き始めた。

「なんだ?質問って」

 修介が言った時、車が坂を下りて二人を追い越していった。

「佐地君、優しいね」

 千佳が小さな声で言った。

「・・・」

「私との位置を変えたの、車が危ないからでしょ?」

 修介はかぶりを振った。

「君が交通事故に遭って傍に居た僕が助かったら一生、それが負い目になるのが嫌なだけさ」

「でもさ、世間はそれを優しさっていうのよ」

 千佳が言う。

「・・・」

 再び黙りこんだ修介を横目で見て、

「といいつつ、逆に佐地君の方が事故に遭って私が取り残される時の私の気持ちを君は考えていない」

 と千佳が言うと、修介は苦笑いをしながら頷いた。

「なるほどね」

「で、どうする?」

 立ち止まった千佳に向かって、

「とりあえずこのままで行こう。もし僕が事故に遭ったら、僕が車道側を歩くって主張したんだって言っていいよ」

 と修介は答えた。

「ふふふ」

 千佳は笑った。

「で、何?質問って」

 修介が尋ねた。

「あ、なんで文系にしたの?佐地君、数学とか物理、得意じゃない」

 なんだ、そんなことか、今更とでもいいたげに修介はあっさりと答えた。

「数学得意だと文系にしちゃだめか?」

「うーん、でも普通そうじゃない?」

 どうして、それが普通なんだろ?そう言えば・・・。

「別に・・・。数学は趣味だから。物理も自分で勉強した方が早いし、どちらかというと学校じゃ苦手な歴史とか英語とかを勉強した方が効率的だから」

 修介は何でもないことのように答えた。

「あ、超賢いやつしか言えない科白」

 千佳は修介を睨みつけた。

「そう?」

「なんか感じが悪いから、みんなに言わない方がいいよ」

 千佳はできるだけ冷たい調子で言った。

「Thank you for your advice」

 軽くいなすように修介が答える。

「あ、もう一つ質問がある」

「女の子って質問好きだなぁ。質問されるのって意外とうざいよ」

 修介が千佳を軽くにらんだ。

「Thank you for your advice.でもさ、あと一つだけ。佐地君、春休みの間に東京へ行った?」

 修介は千佳を振り向いた。

「なんで?」

「香奈が佐地君を見たって言った。霞が関っていう所で」

「ああ、そうか」

 修介は認めるように頷いた。

「それってさっきの話と関係あるの?」

「・・・ああ」

 それっきり返事がない。千佳は修介を指でつつき、その行為に驚いたように修介は千佳を見詰めた。

「で、どうするのよ、佐地君は。ほんとうのところ」

 首を一つ振ると、

「エビデンスが集まったら反対運動をするのさ」

 修介は答えた。

「え・・・?まじで?」

 千佳はまじまじと修介の顔を見た。自転車を押しながら歩んでいる修介の顔にはどこにも躊躇ためらいの色はなかった。

「反対運動がなかなか盛り上がらないのは、サイレントマジョリティがいるからだ。その人たちは正直どっちでもいいと思っている人たちだけど、もしエビデンスが集まって、あそこの開発が実際は産業廃棄物の廃棄に過ぎなくて、将来大惨事を引き起こすかもしれないと知ったら、協力してくれる人たちがでてくる。それをうまく動かすのが必要なんだ」

「でも・・・」

 千佳は修介の顔をもう一度盗み見て、

「それって、高校生のやることなの?大人のやることじゃないの。それにさっき危険だって言っていたじゃない」

 と尋ねた。

「でもさ、考えてごらんよ」

 修介は視線を千佳に向けた。

「俺たちが大人になった時に、あの谷はゴミで埋められているかもしれない。それを大人たちより長い時間後悔しなければならないのは俺たち自身だ。見ないふりをして、あとでぶつぶつ言ったって仕方がない。それに、世間は高校生が反対運動しているっていう事で注目してくれる可能性がある。やれることはなんでもしなきゃ」

 修介のいう事は確かに正しい。異論はないけど・・・。

「そう・・・なの。でも、そんなことをしたら例えば内申書に響くとかさ」

 千佳は分かりやすいたとえを出した。だが修介は、そんなことはとっくの昔に結論を出していることだ、という風だった。

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。可能性レベルの話で、躊躇うような事なら最初からやらないよ。それにそんなので内申書を悪くする学校なら、居たくないし、それで落とすような大学にもいきたくない」

 言い切った修介に

「うわあ、大胆な発言だなぁ」

 千佳は空を見上げた。

「でも、佐地君らしいよ」

「・・・」

「何か私ができることあったら言ってね」

 ちらりと自分の方を見た千佳に、

「ありがとう」

 修介は素直に頷いた。やがて、坂道を下りきると、家の方向は別々だった。

「じゃあね」

「お父さんに苺、ご馳走様でした。美味しかったって言って」

「うん、分かった」

 背中を向けた修介に千佳は何となく手を振った。突然修介が振り向いたのを見て、千佳はなんだか急に恥ずかしくなって顔に血が昇った。

「あ・・・」

 フリーズした千佳に向かって、

「じゃあな」

 修介が手を振り返した。

「うん」

 なんだか私、子供みたい。千佳は思った。でも・・・子供の頃に戻れたらなぁ。もっと素直になれるのかもしれない。



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