第二編第八章第一節 十七歳のハローワーク
東京都世田谷区池尻
自衛隊中央病院
令和十年四月二日(日)
年度が変わり、四月になった。上の学年が卒業し、一年はまだ着校したばかりの現在、武山高生徒隊の事実上の生徒総員は約五百名だ。
すでに腹部の傷は、かなり癒えている。そろそろ退院も近いだろうと、俺は踏んでいた。
佐藤大臣が書類鞄を持って病室に現れたのは、朝食を終えてすぐのことだった。選挙権のない俺では何の力にもなれないが、今日は衆議院選挙の投開票日だ。連日の選挙活動で疲れているのか、肌にはどことなくツヤがなかった。
「お疲れさまです、大臣」
「ご苦労様です、石馬士長。今日は、貴方に渡すものがあってきました」
大臣はテーブルの上に書類鞄を置き、留め具を外して中身を取り出す。
「防衛省からの見舞金と
「いえ、そんな……俺なんかのために、防衛記念章を下さるだけで光栄です」
ベッドから出た俺に書類一式を渡すと、大臣は鞄から別の封筒を取り出した。その表面の文字は……え? 『退職願』?
「だ……大臣、それは……?」
「……残念ながらこの選挙、十中八九が与党の敗北に終わります。私の演説行脚ではどうすることもできないほどの差を、許してしまいました。総選挙が終われば、恐らく生徒隊と
「そんな……教えてください、大臣。俺がここに閉じこめられている間に、自衛隊で何が起こったんですか!?」
事前の報道で、与党の旗色が悪いことは分かっていた。たまに病室を訪れる雪緒とも、このところその話ばかりだ。だが……内戦なんて、そんな話は聞いちゃいない。
掴みかからんばかりに
「石馬士長、私達の仕事はなんですか?」
「――え?」
「二度は言いません。質問に答えなさい」
「そ……それは宣誓にあるとおり、我が国の平和と独立を守ることで――」
「いえ、それは違います。……知らないなら教えてあげましょう、私達の仕事は人殺しです」
「人殺……し?」
「そうです。『戦いの本質は意志の衝突』だと学校で教わりませんでしたか? 死と言う華々しい報償をもって、我が国を脅かす害意に毅然と応えること。それが、自衛隊の究極的任務です。国防を私達の『目的』とするなら、私達の『
――俺達の究極的任務が、人殺しだということ。頭では分かっていたが、実感はなかった。
確かに、殺人行為の違法性はあくまで便宜的な概念だ。戦争、死刑執行、正当防衛、緊急避難……違法性が
問題となるのは、その正当性の基準だ。社会の最大多数から見て正当か、それとも個人の価値観から見て正当か。その両者の均衡を保つために、近代法体系は情状酌量という制度を作り上げた。だが、大臣はこの手の陳腐な考察とは次元の違う話をしている。
「佐藤大臣。大臣は日本を目覚めさせるため、生徒隊とGCCの決起が必要だと? ……流される血が、必要だと?」
「……その通りです。私が生まれる前、三島由紀夫という作家がいました。彼は戦後日本の欺瞞を暴くため、『美的天皇制』とでも呼ぶべき
佐藤大臣はマッドサイエンティストのように天井を仰ぎながら、病室をグルグルと歩き始めた。
話の過激さとは裏腹の、透明な語り口だ。だがそれだけに俺は、大臣が胸に秘めた強い決意を感じ取ることができた。
「戦後社会はペテンに等しい現行憲法のもと、偽りの平和と偽りの自由を
大臣は酷薄な笑みを口の
――狂信であると、分かってはいた。戦後社会が受け入れない異端であることも、分かっていた。
だがそれでも、俺は大臣の
俺の命はあの日、日比谷の音楽堂でついえた。ひとたび亡くした命ならば、国家の未来と自分の信念に殉ずるのも一興だ。
「……治安出動で三学期の期末試験は流れましたが、二年次までは修了扱いです。あとは
「嫌です。正規の懲戒処分ならともかく、退学勧告であるのなら従いません。意地でも今日中に退院します。……武山高が起つのなら、最先任である俺は絶対に参加します」
キッパリと告げて視線を切り、壁に掛けられた作業服に目を向けた。その左腕には最先任上級陸士長の青腕章が巻かれ、肩章部に脱落防止の紐が通してある。俺は壁のハンガーラックに歩み寄った。
「作業服に着替えます。申し訳ありませんが……」
お引き取りいただけますか、と言おうとして俺は固まった。大臣がいつのまにか書類鞄から書類を取り出し、机の上で書き物を始めていたからだ。
「……私に気にせず着替えなさい。私は校長として、貴方の自主性を尊重します。貴方の気持ちはよく分かりました。この件については、貴方の直属の上官である児玉三曹を迎えに来させましょう。……ああ、事後承諾になりましたが机をお借りします。今のうちに、選挙の収支報告書をチェックしなければならないのです」
佐藤大臣はそれだけを断ると、一心不乱に書き物を始めた。あまりにあっさり俺の行動を認めてくれたので、なんだか拍子抜けしてしまう。
……まったく、収支報告書なんて人にやってもらえばいいのに。妙なところでマジメな人だ。
大臣に張り付いているはずのマスコミも、さすがに駐屯地の中にまでは入ってこられない。この病室は、激職をこなす大臣にとって貴重な息抜きの場なのだろう。
そんな事実に今さら気付いた俺は音を立てないよう、大臣の命令に従って作業服に着替え始めた。
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