第二編第四章 旭日(きょくじつ)の旗のもとに

東京都千代田区北の丸公園

日本武道館

令和十年三月五日(日)


 武山高生徒隊が警務隊によって襲撃され、およそ一週間が過ぎた。陸上総隊直轄部隊による水面下の調査が功を奏し、犯行を行った警務隊の部隊は既に特定されている。生徒隊襲撃の事実はマスコミに公表され、表向きは中核自衛隊の犯行ということになっていた。生徒隊への同情論と『子供殺し』の中核自衛隊に対する批判は強かったが、同時に共産党と中核自衛隊の繋がりに疑問を呈する報道も散見されていた。

 今日はここ日本武道館で、佐藤臨時内閣の閣議決定による前首相・前副総理の国葬が執り行われた。俺達警護班が待機する来賓控え室のモニターには、場内の様子が克明に映し出されている。

 壇上で官僚の用意した弔辞ちょうじを読み上げた佐藤大臣は、式次第が終わると来賓控え室に戻ってきた。

「お疲れさまです、佐藤大臣」

「……ご苦労様です。すみませんがブラックの熱いコーヒーを一杯、頼みます」

「了解」

 連日の疲労が溜まっているのか、その声はどことなく元気がない。俺はコーヒードリップが苦手なので、児玉副班長に淹れるのをお願いする。

 今日の警護担当は、副班長と俺だ。雪緒は政府広報の改憲イメージキャラ『超防衛アーティクルナイン』の撮影のためにスタジオにいるはずだ。

 最初はぎこちなかった雪緒も、今ではすっかり芸能人並みに営業スマイルができるようになっていた。広報のためなら体を張ったコスプレも辞さず、彼女は彼女の戦いをソツなくこなしていた。基本的に器用な奴なのである。

 そのとき、控え室の扉を何者かがノックした。続いて、若い女性の声が扉越しに届く。

陸上総隊GCC特殊作戦群SFGp第一中隊1Co第二小隊2Pt長、杉原すぎはらたかね三等陸尉入ります」

「ああ、杉原三尉……入れ」

 な……特殊作戦群の小隊Pt長がなんでここに? 俺はすかさず扉に向かい、先んじて敬礼した。

 特殊作戦群と言えば自衛隊の中でも謎に包まれた大臣直轄の特殊部隊で、他部隊の人間には活動内容すらまったく不明だ。駐屯地の中にも『扉を開けるのは君だ』とだけ書かれた怪しい要員募集ポスターが貼ってある。

 正帽を手にした杉原三尉は――恐らく幹部候補生学校を出たての『新品三尉』だろう若さだ――、ピシッとした冬服の常装サービス・ユニフォームで入室してきた。俺と副班長にチラリと目をやると、佐藤大臣に敬礼する。室内無帽の状況なので、着帽時に行う挙手の礼ではなく腰をわずかに折る十度の敬礼だ。佐藤大臣は律儀に立ち上がり、同じように腰を折って杉原三尉に答礼した。

「杉原三尉は佐藤大臣に警務隊の件で用件あり、参りました。……その者たちは……?」

「気にしないでください。大臣官房警護班に所属する、武山高の人間です」

「そうですか。それではさっそく、報告に入らせていただきます」

 再び腰を下ろした大臣に、副班長が真っ黒なコーヒーを手渡す。大臣は湯気の立つそれを口に含むと、控え室の椅子に深く腰掛け直した。

「杉原三尉は、命令書の受領に参りました。生徒隊襲撃を実行した部隊の詳細は、先に書面で報告したとおりです。本件の処理につきまして、『長いナイフの夜』作戦を本日二〇三〇にーまるさんまるより実行いたします」

 佐藤大臣は書類鞄の中から封緘ふうかんした封筒を取りだし、杉原三尉に手渡した。

「これが命令書です。貴中隊が提出した行動計画を、全面的に承認します。敵性勢力の配置は、先に達した通りです。調査の件、ご苦労でした。警務隊や警察は誰が敵で誰が味方か区別がつかず、油断がなりません」

「恐れ入ります。では、予定通り。吉報をお待ちください。――杉原三尉、用件終わり帰ります!」

 杉原三尉は再び敬礼し、回れ右をして速やかに控え室を去っていった。黙ってやりとりを聞いていた副班長が、恐る恐る大臣に尋ねる。

「あの……大臣、まさか今のは……」

「ええ。警務隊にを下すときが来ました。芽吹きかけた不穏の種は、早々に刈り取るに限ります」

 表情一つ変えず、大臣はコーヒーを傾ける。自衛隊の最高指揮官である彼女は、命のやりとりという神の代理行為を日夜続けているのだ。並大抵の神経では、とても務まらないだろう。

「――さて、次は靖國への公式参拝でしたね。そろそろ出かけるとしましょう。石馬一士、マスコミへの連絡は?」

「完了しています」

 殉職した武山高の生徒が靖國神社に合祀されるのに合わせ、一六〇〇ひとろくまるまるから公式参拝が行われる。話によると、公務殉職者が靖國に合祀されるのは戦後初のことだという。

 生徒隊犠牲者の合祀に難色を示す靖國側を説き伏せたのは、佐藤大臣・防衛省内局・陸上幕僚監部・政府与党が一体となったねばり強い説得の成果だった。中核自衛隊に対処するための治安出動を内戦と解釈し、特例で合祀することを靖國側に認めさせたのだ。政治家・背広組・制服組の足並みがここまで揃うことは、自衛隊では珍しかった。

 佐藤大臣の他、今回の公式参拝には副大臣・大臣政務官・事務次官・官房長・防衛政策局長・そして四名の幕僚長ら防衛省・自衛隊の最高幹部が参列する。平時なら考えられないことだが、自衛隊として出来る限りの礼を尽くしたいというのが大臣の意向だった。

「外の天気はどうですか、石馬一士?」

「まだ雨が降っています。新しい外とうをご用意してあります」

 制服や作業服を着用した自衛官は、傘を差してはならないという決まりがある。不測の事態に備え、両手を空けておくためだ。文民である佐藤大臣には本来適用されない規則だが、普段から制服で通している大臣はむろん傘など使うはずもなかった。

 大臣は革手袋をはめると雨覆あまおおいのついた正帽をかぶり、副班長から渡された五つ星の防衛大臣用外とうに袖を通した。


         ▼


 靖國の境内には、春雨が静かに降っていた。報道陣は警備の自衛官によって、ロープの向こうに押し止められている。

 佐藤大臣を先頭に参列者がその前を横切ると、カメラのフラッシュがプレアデス星団のように光った。

「佐藤首相代理! これは私人としての参拝ですか、公人としての参拝ですか!?」

 バカの一つ覚えのようなテレビ局の下らない質問に、佐藤大臣は足を止めた。

「私が真の意味で私人だとすれば、一体どこのテレビ局が参拝を報道するでしょうか? 武山高生徒隊の治安出動は、私の責任において発令したものです。したがってこの参拝も、公人たる内閣総理大臣臨時代理・防衛大臣としてのものです」

 大臣はそれだけ言い捨てると、脇目もふらず大鳥居の前の門をくぐった。副大臣以下のお歴々の後ろを守るように、俺と副班長は銃を肩に担いで横一列で最後尾についている。

 手水ちょうずを取った参拝の列は、そのまま拝殿に向かい連なって歩く。

分隊ぶんたーい、止まれッ! 立ーてー、つつ!!」

 鳥居の直前で俺と副班長は停止し、銃を地面に立てた。

 防衛省の幹部はお祓いを受け、記帳を済ませると拝殿の向こうの本殿に向かう。最後尾の空幕長が見えなくなると、副班長が深呼吸する音が聞こえてきた。

 ここからは防衛省としてではなく、『武山高』として礼を尽くす時間だ。俺達は外とうの上から固い弾帯を腰に巻き、左腰には銃剣を吊している。両手にはしみ一つない白手袋だ。これは儀礼用の、特殊な装備だった。

「分隊、けーんッ! ……武山高生徒隊の英霊に対し、捧げェ、つつ!!」

 副班長の号令に従い、棺に準じて着剣捧げ銃の敬礼を取る。潤滑油に弾かれた雨水が飛び散り、俺の外とうを濡らした。

 敬礼の間、殉職した同期生の顔が脳裏に浮かんでは消えた。卒業を控えた先輩方も、多数が犠牲になっている。輝ける未来が待っていたはずの彼らは、成年も迎えられず国家のために花と散った。欺瞞と汚辱にまみれた現行憲法を叩き直すため、尊い命を捧げたのだ。

 しのつく雨が正帽に降り立ち、ひさしを伝ってポタポタと落ちる。祝詞のりとが重く流れる厳粛な雰囲気に、自然と涙が溢れてきた。

 ――そうとも。少なくとも俺達生徒隊にとって、今の政治情勢は紛れもなく『戦争』だ。ならば彼らの死を無駄にしないよう、今日の悲しみを明日のバネにしなければならない。

 本殿の方からの祝詞が途切れる。唾をごくりと飲み込み、副班長が鋭い命令を放った。

「射手、目標正面上方! 弔銃ちょうじゅう射撃用意!」

「目標正面上方! 弔銃射撃用意!」

 命令を復唱ふくめいふくしょうした俺は背筋をピンと伸ばし、照門を起こすと正面上方を狙って銃を構える。

「照門よし!」

 肩に床尾上板しょうびじょうばんを引き付け、右頬を横から床尾に押し当て、肩射ちの姿勢を取る。右手をいったん握把グリップから離すと右側部の切替軸部セレクタを引っ張って回し、安全から単発に入れた。

「単発よし!」

 副班長も、無言で俺と同じ動作を取る。一秒が十秒にも思えた時間を経て、副班長の号令が社殿を囲む靖國のもりに吸い込まれた。

てッ!!」

 息を止め、闇夜あんやに霜が降るごとく引き金を絞る。空砲の破裂が銃身を跳ね上げ、きりのような鋭さで鼓膜を貫く。頬と肩に軽い衝撃が走り、花火にも似た硝煙の匂いが鼻をついた。スライドから排莢された金色の射ちガラが、クルクルと回転しながら右前方に弧を描く。同時に放たれた二つの銃声がビル街の壁面に反射し、尾を引いて幾重にもこだましていた。

 区役所および地元警察との交渉の結果、許可された弔銃は俺と副班長の二発のみだ。音楽隊の演奏もない寂しい弔銃だったが、『武山高』に許された手向けは残念ながらこれだけだった――


         ▼


 防衛省に帰った俺は仮眠室の床に整備用の毛布を広げ、弔銃で発砲した六四式小銃の整備に追われていた。隣のベッドは鈴木班長の割り当てだが、今は不在だ。班長のベッドの上には明るい茶色の毛布が三枚、バームクーヘンのように耳を揃えて畳まれていた。

 戦争映画や刑事ドラマで銃器の整備が描かれることはまずないが、現実には使った銃器は必ず分解の上で清掃しなければならない。火薬のカーボンすすやガスを放置しておくと、内部機構が痛んですぐ使い物にならなくなるからだ。整備の不足は精度低下や動作不良に繋がるだけではなく、最悪の場合は暴発という事態も起こりうる。だから銃器を扱う上では、手入れこそが最も重要なのだ。

 分解した部品を一つ一つ潤滑油で磨き、ぼろウエスをつけた銃口通しで銃口内部を綺麗に掃除する。銃口内のライフリングにゴミがついていないことを肉眼で確認し、俺は結合を始めた。


「安全機能よし……単発機能よし……連発機能よし……っと」

 よし、これで全部だ。吊りベルトのバックルの位置も、後ろから四つめの銃身の穴にちゃんと合わせてある。

 結合と動作確認を終えてどこ――ベッドメイキングのことだ――に取りかかろうかというころ、仮眠室の扉がノックされた。

「大臣官房警護班、山口一士入ります」

 俺の返事も聞かず、雪緒が仮眠室に侵入してくる。もし鈴木班長がいたら、一体どうするつもりだったのだろうか。

 ――と、雪緒の格好に目を見張る。雪緒はリクルートスーツに身をまとい、テレビ出演のときより大人びた化粧をしていた。広報中は封印していたメガネもかけている。

「ど、どうしたんだ……それ?」

「大臣のポケットマネーから特別ボーナス。オーダーメイドよ、このスーツ。それと、大臣からの外出命令。二四〇〇にーよんまるまるまでには帰ってきなさいって」

 ……そうか。佐藤大臣も考えたな。木を隠すには森の中。既にテレビで制服とともに顔が売れている雪緒を外に出すには、街中に溢れていて自衛官らしくない格好が一番だ。

「気をつけて行ってこいよ。それと土産よろしく。俺はもう寝る」

「何言ってんの。先走って話を勝手に進めないで。外出命令は、警護班のヒラ班員に対してよ。アンタも来るの。統制よ、統制」

 統制――か。集団行動をむねとする軍事組織では、一般的に連帯責任やら行動の統制やらが美徳とされる傾向にある。むろんそれは、自衛隊でも同じことだ。

「仕方ないな、自衛官は残業ホーダイ定額制だ。命令なら従うか……」

 連日の営業スマイルでストレスが溜まっているのだろうか、今日の雪緒は少し怖かった。

 突然の外出命令に、心当たりは一つだけある。『長いナイフの夜』作戦――恐らく、市ヶ谷の警務隊本部あたりにも特殊作戦群が強襲をかけるのだろう。この命令は、これ以上汚い世界を見せないようにという大臣のなのだと思う。

 既に手遅れの気がしないでもないが、大臣の心配りを無にするのも気が引ける。俺は外に出られる私服を見繕うと、雪緒と連れ立ってシャバに出ることにした。


 渋谷で二十四時間営業のカラオケボックスに腰を落ち着けた俺達は、歌を歌うでもなく眼下の人混みを見下ろしていた。防音が整っていてランダムに入室したここなら、何を話しても誰かに聞かれることはないだろう。今のような情勢では、情報保全こそが何よりも重要だ。

 都庁などのある新宿と違い、渋谷には繁華街から離れたNHKくらいしか重要拠点がない。従って治安出動部隊も少ないはずなのだが、街の喧噪は『二・二六』前に比べてずいぶんと寂しい感じがした。

 雪緒はここに来る途中に日経新聞を買い、テーブルに広げて丹念にそれを眺めていた。

「クーデターによる国際信用の低下。国外からの融資の金利暴騰。資本流出。日経平均の暴落。……先行きは暗いわね、臨時内閣」

 新聞を読み終えた雪緒は、飲み放題のメロンソーダをすするとルームサービスのポテトに手を伸ばした。クーデター前に比べて物資が不足しているようで、料金は二倍近い値上げだ。

「――大臣は時局を見失っているわ。政治家にとっては重大事かもしれないけど、今の日本人にとって憲法九条はどうでもいい問題なの。今の日本人の最大の関心事は、九条改正なんかじゃなく何よりも経済的繁栄よ。バブル崩壊と何度かの金融危機を経験した日本人は、そういう尺度でしかものを考えられなくなったの。悲しい国ね」

 武山高で首席を取るほどの才女。テレビ向けの笑顔を覚えた今も、こいつの本質は変わっていない。雪緒はこのクーデターの中心にいながら、誰よりも冷静にクーデターを観察していた。

「だが……仮にお前の見込みが正しかったとしても、俺は改憲のために戦死した生徒隊の仲間を裏切れない。大臣が見せてくれた夢に、希望を託していたい」

「そうね。大臣の思惑通りにすべて事が運ぶなら、どんなにいいことか。一連の『佐藤改革』で制服組にシンパは多いみたいだけど、選挙ばかりはどうにもならないわ」

「佐藤改革って……話を聞いたことはあるんだが、具体的に大臣は何をしたんだ?」

 防大受けるならコレくらいは知っときなさい、とため息をつく雪緒。むっとする俺に対し、雪緒はメガネを直して得意げに解説を始めた。

「佐藤大臣による防衛省改革の着眼は、それまで背広組がコントロールしてきた『政治家と制服自衛官』の関係にホットラインを築いたことよ。制服組出身の佐藤大臣ならではの、大胆な発想ね。彼女は防衛大臣補佐官の定員を増やして優秀な将官を登用し、各幕僚監部かくばくの高級幕僚をうまく手なずけたわ。そして何より、三つの幕僚監部と内部部局ないきょくを対等にした」

「……ほう。手なずけた、というのは?」

「公務員の職業的良心は、出世と権限の拡大よ。あたしの見立てでは幕僚監部ばく将官ジェネラルのうち、決して少なくない人数が佐藤大臣にシンパシーを抱いているわ。もちろん総選挙の結果として与党が下野すれば、彼らは新しい大臣に従うでしょうけど」

 幕僚監部とは、陸海空それぞれに設置されている制服組の参謀機関だ。戦前で言えば陸軍参謀本部・海軍軍令部などに当たるが、かつては背広組の防衛官僚で構成される『内部部局』の統制下に置かれていた点が戦前と戦後の最大の違いである。

「だから……陸上総隊直轄部隊や俺達の動員も、こんなにうまくいったのか?」

「そうね。そういえば生徒隊への襲撃事件、ひょっとすると一部の防衛官僚せびろぐみも絡んでいるかもしれないわ。ばくも、薄々それに勘づいてるかも」

「いや、しかしあいつらだって制服こそ着ていないが、一応は俺達と同じ自衛隊員だ。いくらなんでもそこまでは……」

「……甘いわよ、晃嗣。日本のシビリアンコントロールは政治家によるコントロールを意味する文民統制じゃなく、官僚支配の『文官統制』として運用されてきたの。その既得権を崩された防衛官僚の恨みは大きいわ。アンタは、武山高生徒隊あたしたちが置かれた立場を全く分かってない。最悪の情勢にフェーズが進めば、武山高の存続自体が危なくなるわ」

 俺達の置かれた立場……雪緒が言うほどの危機感は、正直ない。だがこいつの言葉はいちいち真実味を帯びていて、俺は肝が冷えるのを感じた。

 しかし……高校生の男女がカラオケで二人きり、歌も歌わず経済と政治と国防の話とは。武山高の生徒は自由と青春を国に売って給料をもらう、とは良く言ったものである。情報保全のためとは言え、俺達は何をやっているのだろうと少しブルーになってしまった。


 適当に時間を潰して駅の方に戻ると、道行く人々が渋谷TSUTAYAのスクリーンを一様に見上げていた。スクランブル交差点を渡り終え、俺達も振り返って画面を確認する。そこには臨時ニュースが映し出されていた。

 防衛省本省と陸上自衛隊の各駐屯地が何者かによって襲撃。駐屯地警衛、および警務隊員の多数が死傷。問われる陸自の危機管理体制――報道はそんな内容だった。

 予想通りの内容で、さして驚くにも値しない。どうせ今回のも、『中核自衛隊』の犯行ということになるのだろう。ここまで露骨に事が運ぶと、俺にだって『中核自衛隊』なる組織が実体を持っていないことくらい分かる。恐らく事の真相は、佐藤大臣に同調する特殊作戦群か第一空挺団あたりの自作自演だ。

 ――と。俺の横に立つ雪緒が、何かを伝えようとスクリーンを指さしていた。

「どうした、雪緒?」

「あれ見て。ニュースの上の字幕。新宿でデモ隊が暴動、山手やまのて線が停止、死者数名……。確か第三教育隊さんねんせいが、配置転換で派遣されていたはずよ」

「……おいおい、これガチか?」

「みたいね。アンタ、武器は?」

「丸腰だ」

「じゃあ、あたしの9ミリ拳銃だけが頼りか……行くわよ、晃嗣!」

 雪緒はそれだけを告げ、俺の手を取ってタクシー乗り場へと急ぐ。俺は空いた手でスマホを取り出し、鈴木班長に電話をかけた。

「どうした貴様ら、補導でもされたのか? 区隊長せんせいのお迎えが必要か?」

「班長、石馬一士です。さっきニュースで見たんですけど、新宿で……」

「その件か。こっちにも情報が入っている。どうやら共産党に扇動されたデモ隊が、治安出動部隊と衝突したようだ。今どこにいる?」

「渋谷です。これからタクシーで、新宿に向かいます」

「了。現地に到着後、目立った動きがあればこの電話に連絡を入れろ。無茶はしないように」

「了解」

 タクシーに乗り込みながら電話を切る。車内では既に雪緒が行き先を告げていたらしく、俺が乗ると同時に後部ドアが閉まって車は発進した。


         ▼


 新宿に向かう道は、やたらと混んでいた。俺達が到着したころにはデモ隊は既に蹴散らされ、封鎖された靖国通りには流血の痕跡が生々しく残っていた。道ばたに放置された段ボールは真っ赤に染まっており、無関係の人間にも被害が出たことが予想された。

 渋谷の日常と、新宿の非日常。その二つを短い間に目の当たりにした俺は、この国に潜在する矛盾を垣間見た気がした。

 救急車の赤色灯が、繁華街に明滅する。発射された催涙ガスの残り香が、俺達を軽く咳き込ませた。山手線が止まったのは、催涙弾の一部が線路に上がってしまったかららしい。

 自衛隊が警戒する区域のさらに外側で、地元警察が野次馬整理をしていた。俺と雪緒は警戒規制線きいろいテープをくぐり、構わず中に入る。

「あ……ちょっとちょっと、君達!」

「防衛省大臣官房警護班です。情報収集に参りました」

「お、お疲れさまです」

 治安出動が発令されている以上、この場のイニシアチヴは警察ではなく自衛隊にある。カード型の身分証を見せると、制服警官はすぐさま引っ込んだ。

 俺と雪緒は武山高生徒隊の面々を見つけ、駆け足で近づいた。

「先輩方、お疲れさまです。武山高生徒隊第二教育隊、石馬一士ほか一名の者は、鈴木区隊長の命により情報収集に参りました」

「……ああ、ご苦労」

 気落ちした様子のその先輩は、ポケットから取り出したメモ用紙に目をやった。

二二三〇にーにーさんまるごろ、共産党に指揮された無届けのデモ隊が靖国通りに浸透。主張は経済の停滞、物資の不足、首都圏道路交通の規制などに対する不満。衝突の末、自衛隊・デモ隊双方に死傷者が発生。我も敵も実弾を発砲。以上」

 死傷者。実弾。それらの単語が、俺の意識に冷たい怒りをともした。

 ――追いつめられた赤色分子は、ついにハレンチで危険な本性を露わにしたのだ。共産党にあおられたデモ隊が武装していたのは、共産党がかつての武力闘争路線に回帰した証拠だ。

 殺人鬼と呼ばれた宮本みやもと顕治けんじの一味が執行部にいた時代の共産党は過激な赤色テロ集団で、『中核自衛隊』とはそもそも戦争直後の共産党の実動部隊名だった。しかし現在の共産党は少なくとも表向き、『政府権力が暴力に訴えない限り』議会主義路線を貫くという立場を取っている。いわゆる『敵の出方論』だ。だがそれは裏を返せば、政府が治安出動や警察権力で共産党の取り締まりを開始した場合、武力闘争の可能性を否定しないということを意味する。オウムがアレフになったからといって安全ではないのと同じ話だ。現に公安警察と公安調査庁は、共産党の監視を戦後の長い間にわたり続けていた。

「――了解しました。ところで、こちら側の死傷者は?」

「……衛生科の高林士長が、流れ弾に当たって殉職した」

 顔を伏せ、忌々しげに先輩は告げる。高林士長……確か、霞が関で面識があった。雪緒の先輩だ。

「!!」

 雪緒はその名前を聞いた途端、自衛隊の救急車――『アンビ』と呼称されるOD色の緊急車両――がいるあたりに直行する。そこではケガ人が治療を受けていたが、OD色の戦死袋カジュアルティー・バッグが一つだけ路面に横たえられていた。

 袋の最上部、透明になった部分からは目を閉じた高林士長の顔がのぞく。ツマミに結わえ付けられた識別救急票トリアージ・タグの色は、カテゴリー・ゼロの黒。――死亡、もしくは救命不能の意味だった。

「せ……せん……ぱい……?」

 膝を落とした雪緒は戦死袋にすがりつき、人目も気にせず嗚咽を絞る。俺はいたたまれなくなり、その場を離れて鈴木班長に連絡を入れた。


「――『新宿動乱』の概況は以上です、鈴木班長。まったくもって、状況はフーバーFUBARです」

「『訳が分からないほど滅茶苦茶Fucked up beyond all recognition』? 最近の小平はスラングを教えるのかDoes latest Kodaira teach such a slang?」

はいフーアー二尉殿ファースト・ルテナント

「……まあよい。それ以上、貴様らがそこにいても仕方がない。看護官ナースのお嬢様を連れて、速やかに帰隊せよ」

「了解」

 電話を切り、ポケットに納める。顔を横に向けると、赤い目をした雪緒は既に泣きやんでいた。

 ――水曜日の参議院緊急集会における国家基本政策委員会では、党首討論が行われる予定だ。新宿動乱がどのような影響を及ぼすかは未知数だが、気を引き締めてことに臨まねばならないだろう。

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