第二編第三章第二節 野望の帝国

「……ここに昭和三十二年二月五日の衆院議院運営委員会の議事録を紐解きますと、内閣総理大臣臨時代理に国務大臣の任免権はない、また衆院の解散権もない、とそのように内閣法制局の見解として明記してありますが、この点について佐藤首相代理の見解をお聞かせいただきたい」

「佐藤優理也 内閣総理大臣臨時代理」

「その件については、内閣法制局長官である天間てんま健一郎けんいちろう参考人の発言を求めたく思います。委員長、発言の許可を願います」

「発言を許可します。天間参考人」

 委員長の声に、背後から銃剣をつきつけられた背広姿の壮年がうなだれながら証言台に立った。

「内閣法制局の天間でございます。……ここに法制局の見解を修正いたします。首相臨時代理は全権代理を原則とする法定代理であること、また内閣法九条には特段の限定がないことなどから、組閣権およびを含む一切の権限が佐藤首相代理に与えられていると解するべきと考えられます」

 直後、委員室にどよめきが満ちた。本来、組閣権および解散権は国会の指名を受けた首相の一身専属的な権能と考えられており、この有無が首相と臨時代理を分ける大きな要素と言われていたからだ。天間の答弁は佐藤の実質的な首相就任を意味し、首班指名を経ない佐藤のクーデターを法的に正当化していた。

 手を挙げた佐藤大臣が指名され、再び演台に立つ。

「さきほど参考人から説明があった通り、後藤田国家公安委員長の罷免は憲政上、なんら問題ないものと考えております。ですが私は、民主主義の最良の理解者を自認しています。従って憲政の常道に則り、ことをここに確約いたします」

 ――日本国憲法七十条。『内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない』。佐藤は憲法のこの条文を忠実に守り、内閣を総辞職させることを確約したのだ。野党のメンバーは佐藤が総辞職に頑強に抵抗することを予想しており、肩すかしを食らった形になった。

「日本共産党 志位しい和夫かずお君」

「佐藤臨時代理にお尋ねしたい。政府は中核自衛隊のテロ以降、我が党に不当な司直の手を伸ばしています。これにより我が党は、政党機能の大半を事実上麻痺させられております。これは戦前の憲兵政治の復活であり、断じて看過できないものと考えます。私には、軍靴の足音が聞こえます」

 そこまで志位が言ったところで、『首都圏各都県の警察機動隊が自衛隊東部方面隊により武装解除』という報が委員室に入ってきた。委員会はにわかに騒然となり、その報告を聞いた志位は敢然かんぜんと吠えた。

「佐藤代理! 自衛隊が機動隊を武装解除したとの報告が入りました。これではまさしく、クーデターそのものではありませんか!? 我が党は現存する最古の政党として、断固抗議いたします!!」

「佐藤優理也 内閣総理大臣臨時代理」

「本武装解除は、非常時における治安維持機関を一元化するための緊急措置です。我が臨時内閣が現在に至るまで行使しつつある国家緊急権は、不文憲法上の権能として認められるべきと考えております。話を治安出動に限ればこれは警職法の制限下での行為で、治安出動時の自衛官は戦闘服を着た警察官であります。従って、クーデターという批判は当たらないものと考えます」

 佐藤はそこで言葉を切ると手を挙げ、衆議院の事務職員に資料を配らせ始めた。

「皆さんのお手元にあるものは、午後の本会議で我が民社党と自民党が共同で提出する憲法九条改正案です。ご一読ください。自民党案では『自衛軍』とあったものを、我が党の要請により陸海空軍と改めました。――本改正案により私達は、戦後レジームからの脱却を図ります。これは、我が大日本の礎を築くために必要なことです」

 配られた資料には『憲法審査会承認済み』の文句とともに、ごく短い文章だけが記載されていた。


 第九条 国は侵略戦争を放棄し、固有の交戦権のうち個別的および集団的自衛権のみを行使する。

   二 前項の目的を達するため、国は陸海空軍その他の戦力を保持する。


「志位和夫君」

「首相代理、これでは日本はかつてのような軍事国家に逆戻りしてしまいます! 集団的自衛権を全て認めることは、アメリカのために日本人の血を流すことに繋がります! 交戦権と戦力の保持を真っ向から是認すれば、専守防衛の原則は崩れ去ります!」

「佐藤優理也 内閣総理大臣臨時代理」

「平和ボケもたいがいになさってはいかがです? で、いったい何ができるというのですか。射たれる前に射つ――これが戦いの、すなわち誇りと命の奪い合いの鉄則です。安全保障上の重大案件である本案は、既に米国との間で非公式の調整が終了しています。これは、日本を一人前の国家にするための通過儀礼です。――我が臨時内閣は改憲派を擁する国民民主党の議員諸君にも、本会議における憲法九条改正案に対しての賛成を求めます」

 衝撃的な佐藤の発言に、委員室はいっせいに色めき立つ。そんな中、一人の重鎮議員がサッと手を挙げた。

「立憲民主党 かん直人なおと君」

「ただいま佐藤首相代理から著しく平和主義に反した発言がございましたが、やはりこれはクーデターと解釈してよろしいですか?」

「佐藤優理也 内閣総理大臣臨時代理」

「貴方はこの期に及んで、何を呑気なことを言っておられるのですか? 誰も貴方の愚鈍な解釈などは求めていません。確かなのは我が陸上自衛隊がこの国会議事堂に、そして貴党の本部に砲撃の照準を定めているということだけです」

「立憲民主党 いずみ健太けんた君」

「首相代理、ご自身の発言の自家撞着じかどうちゃくをご理解されていますか?」

「佐藤優理也 内閣総理大臣臨時代理」

「分かりませんね。私が訴えたいのは、あまりに長い祖国の眠りがこの国から国体の本義を奪ったということです。敗戦の汚辱おじょく糊塗ことされた国民精神が、低俗な拝金主義に染まったということです」

 佐藤は委員室をグルリと見渡し、声を大にしてテレビの向こうの国民に語りかけた。

「皆さんは、私達がどれだけこの日を待ち望んできたかをご存じありません。私達の忍耐は、既に限界を迎えました。……もう、これ以上は待てません。この美しい歴史と伝統の国を、私達の手に取り戻すときが来たのです。栄えある大日本の後継者であり、力強い未来の担い手である、私達民族社会主義日本労働者党が行動を起こすときが来たのです」

「泉健太君」

「首相代理。お気づきではないのかも知れませんが、貴女は狂っておられます。完全に狂っておられます」

「佐藤優理也 内閣総理大臣臨時代理」

「口を慎みなさい、狂っているのはあなた方です! ……私達日本人は、古来より同一性の極めて高い文化のもとに民族国家を形成してきました。その結果として産まれた政治システムを、そして民主主義を守るのは軍隊の役割です。自衛隊がそういった役割を自覚して責任を果たすときこそ、私達の日本が目覚めるときなのです」

 佐藤はそこで、右手の指をパチンと鳴らした。

 次の瞬間、地を揺るがすような轟音が委員室に満ちる。議員達が何事かとうろたえる中、外部から悲鳴に近い叫びが入ってきた。

「しゃ……社民党本部ビルが、砲撃で破壊されました!」

「これはこれは、実に痛ましい『誤射』です。泉議員、次は立憲民主党ですよ? 覚えておきなさい、これこそ戦後日本が奉じてきたの正体です」

 佐藤はそれだけを言い残すと演台を離れ、騒然とする委員室を振り返ることなく退室した。

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