第8話

 鼻腔をくすぐったのは、干し草と植物の臭い。

 重すぎるまぶたをこじ開けて、周囲を見渡す。

 そこは全く見覚えのない一室。それも寝室だった。

 殺風景な室内にはベッドよ机だけが置かれている。

 机の上にはわずかに植物学や薬学に関する書物と、使い込まれた器具が並べられている。 

 ふと見れば、体の至るところに薬と包帯で治療が施されていた。


 そこから見るに、ダーゲストやゼノックに連れ戻された訳ではなさそうだ。

 殺そうとした相手をこんな手厚く治療する必要などない。

 つまりここは、アルハートの手と目の届かない場所という事だ。 

 遅れて意識が覚醒し、思考がゆっくりとめぐり始める。


 今までの出来事。

 ゼノックと共に濁流にのまれたこと。

 そして、再びこうして意識を取り戻したこと。

 分の悪い賭けを勝ち抜き、生き延びる事ができたのは幸運と言える。

 だが水属性魔法が使えるゼノックが死んだかは、わからない。

 恐らくは生き延びた可能性の方が高いだろう。

 だが重要なのはそこではない。

 重要なのは、僕が死んだとゼノックが勘違いしていることだ。


 つまり、自由の身となったのだ。

 こみ上げる感情を抑えきれず、ベッドから飛び降りて外を窺う。

 この家の主がどんな人物なのかを確認しない事には、今後の事は考えられないからだ。

 できれば僕が貴族魔術師だと気付いない方が都合がいい。

 今後の事も考えれば、アルタリオという人物は死んだことになっていた方が、動きやすいのだ。 

 だがこれからの算段への試案は、唐突に打ち切られた。

 甲高い悲鳴が耳をつんざいたからだ。


「な、んだ……? 一体、なにが起きてる……?」


 窓の外に見えるのは、逃げ惑う人々だった。

 そしてそれらを追って現れたのは大型の魔物、トロールだった。

 その性格は恐ろしく狂暴で、加えて無慈悲。

 いや、そもそも慈悲という概念すら持ち合わせていない。

 動物の臓物を貪りながら歩くその姿は、見る者の恐怖を掻き立てる。

 だが、勇敢にもその目の前に躍り出た者がいた。

 

「逃げて、ルビア!」


「ざけんな! ここからどこへ逃げるってんだよ!」


 小さなハンマーを片手に立ちふさがる少女。

 恐らくはもう一人の少女を守るためのだったのだろう。

 しかしどう見ても勝ち目があるとは思えなかった。

 トロールがふたりに視線を向けた瞬間、体が動き出していた。


「そんなハンマーで勝てる訳ないだろ! くそッ!」


 家から飛び出て、縺れる足に鞭を打つ。

 今までこの属性の魔法を使ったのは、たった一回だけだ。

 しかし練習をしている時間などありはしない。


 ありったけの魔力を集中させ、魔法の形を思い描く。

 イメージしたのは一世紀前に存在したとされる武器。

 火薬で鉄の弾を打ち出す、銃器という物だ。

 アルハートの代表魔法である流水弾もそこから着想を得ているという。

 ならば同じように、この属性の魔法であっても再現は可能なはずだった。

 ふたりの少女が効果範囲に入らないよう、最大限の注意を払いつつ、魔法を起動させる。 


「ロック・バースト!」


 螺旋状の岩の弾丸が、トロールを易々と貫いた。

 着弾点から広がり、背中側が弾け飛ぶ。

 トロールはじっと俺を見つめたまま、ぐらりと揺れて地面に伏せった。

 なにが起きたのか理解できていなかったのは、二人の少女も同じだった。

 呆然としている二人は俺の方を見て、ゆっくりと手に持ったハンマーを下した。


「お前は」


 とは言えお互いに何も知らない身だ。

 ゆっくりとふたりに歩み寄ると、右手を差し出す。


「無事で、なにより」


 ◆

 

 目覚めた家で再び二人と対面すると、片方の少女が深々と頭を下げた。


「本当に助かりました。なんとお礼を言えばいいか」


「そんな畏まる必要なんてないと思うぜ? セネカが見つけなけりゃ、この男だって溺れ死んでただろうし。怪我の治療までしてやったんだからな」


「君が助けてくれたのか?」


 セネカと呼ばれた少女は小さく頷き、ルビアと呼ばれた少女が小さく鼻を鳴らす。


「川で浮いてたアンタをセネカが見つけて介抱したんだよ。そん時の慌てっぷりと言ったらもう、村中が騒ぎになるほどだったんだからな」


 つまり体に残っている治療の痕跡は、全てセネカによるものだ。

 濁流にのまれたというのに生き延びれたのも、そして怪我が悪化することも無く、完全に近い状態で目覚められたのも、セネカのお陰という事になる。


「その話が本当なら、君は命の恩人だ。本当にありがとう」


「あ、頭を上げてください! 貴方はこの村を救ってくださったんですから」

 

「いえ、それも君が治療をしてくれたお陰で……。」


「でもトロールを退治してくれたのは貴方です」


 お互いに感謝の言葉を口にしていると、もう一人の声が割って入った。


「そのやり取り、まだ続くのか? そろそろ名前を教えろよ。いい加減呼びにくいぜ」


 遠慮を知らない言葉に瞠目したが、悪い気はしない。

 魔術師のように回りくどい言い方をしないのは、逆に好印象だった。

 とは言え問題はその質問の内容だ。

 ここへきて、現在最大の問題にぶち当たってしまった。


「……名前か」 


「まさか記憶がない、なんて言わないよな。これ以上面倒なのは御免だ。それとも名前を思い出せない理由があるってか」

 

 世間的に言えばアルハート家の名前は驚くほど広く知られている。

 水魔法を操る魔術師の権威として王国評議会にさえ影響力を持つアルハート家は、地方とは言えども領主という立場にもある。つまり国王から貴族と同等の扱いを受けているのだ。

 魔術師でなくともその名前を知っている者は多く、ここでアルハートの名前を名乗れば、少なくともいい結果にはならないことは確実だ。


 となれば偽名が必要だが、それを考えていなかった。

 名前を聞かれて答えを渋る相手なんて怪しいに決まっている。

 どうにか偽名を捻りだそうと頭を捻っていると、その沈黙をどうとらえたのか、セネカは慌てた様子でルビアの言葉を繕った。


「ご、ごめんなさい。そのルビアはちょっと愛想が悪くて」


「不愛想で悪かったな。鍛冶屋には不必要なもんでね。だがここで生きてくには猜疑心は持っとかねえとな」


 疑念の視線を向けるルビア。そして様子をうかがうセネカ。

 あの家から逃げ出し、世界を変えると誓った。

 誰にでもなく、自分自身に。

 となればその覚悟に相応しい名前が必要になる。


 母の聞かせてくれた物語に出てくる、とある人物の名前。

 鮮明に記憶に残っている、その人物の名前は――


「僕の……いや、俺の名前はルクスだ。改めて、危ない所を救ってもらって感謝する」


「それが名前か? 女みたいだな」


「もう、ルビア!」


「冗談だって。さて、名前も分かった事だし、仕事を手伝えよ。魔法が使えるんだろ、お前。セネカが着せた分の恩は返してもらわねえとな」


 そう言って、不敵な笑みを浮かべるのだった。


 ◆


 連れ出されて向かった先は、俺が流れてきたという川の近くだった。

 先導するルビアは上機嫌で、隣を歩くセネカは申し訳なさそうに小さなため息を吐いた。


「ごねんね、病み上がりなのに無理を言って。ルビアったら、一度決めたら言うことを聞かなくって」


「元より断るつもりはなかったよ。ただ手伝いと言うと、なにをすればいいんだ?」


「ルビアは鍛冶師として、私は薬師として生計を立てているの。でも私の仕事は順調だから、きっとルビアがなにか手伝わせたいんだと思うよ」


 手伝えとは言われたが、なにをとは聞いていない。

 前を歩くルビアも付いてこいとしか言っていないため、なにを手伝わされるのかは不明だ。

 セネカの言う通り、一応は病み上がりのためできる事は限らているのだが。


 そんな心配はよそに、ルビアはとある建物の前まで来ると近くにあった倉庫を開け放った。

 倉庫の中には大量の石材が積み上げられている。

 

「おい、ルクス。お前、土属性魔法が使えるんだろ? というか、さっき使ってたよな」


「まぁ、一応は」


「なら話は早え。ここに転がってる岩の中から鉄鉱石を選別しといてくれ」


 簡単に言い放ったルビアは、すぐに別の建物に向かおうとしていた。

 しかし、俺はと言えば少しばかり困惑していた。


「ち、ちょっとまった。鉱石の選別に魔法が関係あるのか?」


「なんだよ、お前。あんな派手な魔法は使えるくせに、そんな事も知らねえのか? いいか、土魔法ってのは、なにも土くれや岩石だけに干渉できる魔法じゃねえんだよ。そこから派生した鉱石とか宝石にも使えるんだよ。こんなもん、鍛冶屋なら常識だぜ? まぁ、いいから試してみな」


「そう言われてもな」


 これが仕事だというのなら、受けざるを得ないか。

 しかし俺の中にある魔法に関する技術や知識は水魔法に偏っている。と言うより、水魔法以外の魔法の知識や技術は皆無だと言っていい。

 そんな俺にできるのかと思ったが、すでにルビアはその気でいるようだった。


「アタシは村の連中から頼まれた農具の補修をする。困ったことがあったら声を掛けな」


 ルビアはそう言い残し、別の建物に消えていく。

 その背中をセネカと共に見送る。

 どうするべきか。ふとセネカに視線を向けると――


「私は仕事があるので、後は頑張ってくださいね、ルクスさん」


 純粋に励まされるのだった。


 ◆


 積み上がった岩石を前に、頭をひねる。

 土魔法とは基本的に建築や興農に使われる魔法であり、魔術師の間で深く研究がなされる分野ではなかった。

 と言うのも、魔法とは人知を超えた神秘の一端を垣間見る術であり、人間の手で実現可能な建築や興農を効率化するだけの土魔法は、さほど魔術師の間で重要視されてこなかったのだ。

 その神聖性こそが魔術師を高い次元の存在へと押し上げていると言っても過言ではない。今となっては、それらしい理由を付けて権力を手元に残したい魔術師の言い訳に聞こえるが。


 土魔法は突発的に生まれた魔術師――純血ではない突然変異の魔術師――達が研究を重ね、改良を加える印象が強い。

 そう言ったものは生活魔法と呼ばれ、大いに人々の生活に役立っている。

 つまりダーゲストが俺に教育と言って詰め込んだ知識が技術は、この生活魔法とは正反対の性質を持つ物ばかりだ。

 土魔法に関する技術や知識など皆無であり、最初から試行錯誤を繰り返すほかなかった。


「あいつの教えなんて、なにも役に立たないじゃないか」


 軽く毒付きながら、小さな石を持ち上げる。

 いくつか拾ってみたものの、見た目はほとんど同じだ。

 重さもさほど変わるとは思えない。

 となればルビアの言っていた通り、魔法を使って判別できればいいのだが。


「物は試しだ。まずは魔力を奔らせて――」


 手に持った石に魔力を流し込む。

 魔力だけは膨大にあるのだ。

 惜しみなく流し込んでいると、手に持ったうちの一つから小さな反応が返ってきた。 


「――これだけ、微妙に魔力の通りが悪いな。つまり、これが鉄鉱石ってことか」


 仕掛けが分かれば、後は同じことを繰り返すだけだ。


「風魔法も練習しておくか。いざと言うときに使えた方が便利だろうからな」 


 双魔としての才能の片割れ。

 風魔法も生活魔法として使われている魔法だ。

 とは言えそれ以外は何も知らず、詳しい能力の把握も出来ていない。

 その為、ぶっつけ本番にはなるが、周辺の岩石に魔法を放ち、倉庫の外へと移動させる。


「い、意外と扱いが難しいな……。」


 想像の数倍は融通が利かない魔法であることはすぐに分かった。

 質量に応じて消費魔力が大きくなる。小さすぎる物体の制御は全神経を集中しても難しい。

 逆に大きすぎる物体は制御に時間がかかり、尚且つ消費魔力が馬鹿にならない。 

 これを極めるには相当な時間が必要そうだ。

 とは言え純粋に物を運ぶだけなら相当に便利な魔法に違いはない。

 山の様にあった岩石を倉庫から外へと運び出し、地面に並べていく。


「これでやり易くなった。後は周辺に魔力を充満させて、と」


 最初にやった鉄鉱石の判別に取り掛かる。

 地面に並んだ石全てに魔法を通し、反応が返ってきた物だけを風魔法で選別する。

 土魔法と風魔法の練習にもなる。

 少しばかり時間がかかったが、これを続けていけば二つの魔法を相当に練習できるはずだ。


「これは……面白いな。続けていけば、そうとう練習になるぞ」


 大小様々な意思を動かすのだ。

 いずれは自分自身を飛ばすことが出来るようになればいいのだが、文献で風魔法では人間を安定して飛ばすことは現状では不可能だと呼んだ覚えがある。

 試行錯誤を重ねていけば光明が見えるかもしれないが、今すぐどうにかできる問題ではないだろう。 

 そんな事を考えていると、背中からルビアの声が飛んできた。


「よぉ、調子はどうだ?」


「あぁ、ルビア。丁度、選別が終わった所だ」


「そりゃよかった。なら残りの全部もやっておけよ」


「いや、その全部の選別が終わった」


「まじか?」


 ルビアは二つに分かれた岩の山を見て、驚愕の表情を浮かべていた。

 魔法の練習にもなり、恩人の役にも立てる。

 一石二鳥の仕事を与えてくれたルビアにも感謝すべきだろう。

 ただ俺の判別も完璧ではないだろう。

 間違っている可能性も考えて、ルビアに判別を頼む。


「見ての通り、一応は終わらせたつもりだ。ただ一度、ルビアが確認してみてくれ」


 鉄鉱石の山に近づいたルビアは、小さな石を拾い上げて同じように魔力を通していた。

 そしていくつかの判別をした後に不備がなかったことが分かったのか。

 立ち上がって俺を見た彼女の表情は、えも言えぬものだった。


「お前、一体なにもんだよ」

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