第7話


 朝露に濡れた草木を振り払い、ひたすら木々の隙間を縫うように駆け抜ける。

 しかし、足はもつれ動悸は早鐘を打ち、眩暈で視界は激しく揺れ動く。

 死ぬ寸前の状態で10日前後も拘束されていたのだから、無理もない。


 だが疲れたからと言って足を止める事などできるはずがない。

 背後には執念深い追跡者が迫っているとなれば、なおさらだ。 

 

「どこまで追ってくるつもりだ!?」


 思わず声が漏れ出た、その瞬間。

 足元がはじけ飛び、頬を掠めたそれが、すぐ隣の木々をいとも簡単に貫いた。

 実際に視界にとらえたわけではないが、自分の身に何が起こっているのかは嫌という程よくわかる。 


 背後から飛んできているのは、アルハート家に伝わる水属性魔法の一つ、流水弾だ。

 古い時代に使われていた兵器を模して考案されたその魔法は、液体の弾丸を魔法で生成して高速で打ち出す事で、極限まで殺傷能力を高めている。

 単純であるがゆえに洗練された魔法の威力は、こと対人戦においては最強とさえ名高い魔法に名前が上がる。


 唯一の欠点として周囲に液体が無ければ使用できないことが挙げられる。

 しかしながら朝露がふんだんに存在するこの場所に置いては、これ以上ない程に好条件だと言わざる負えない。

 それ故か、ゼノックはまるで狩りを楽しむかのように俺を弄んでいた。


「そんな疲弊しきった体で逃げ切れると思ったのか? だとしたらずいぶんと甘く見られてるみたいだ。いや、内心では未だに俺を見下してるのかもな」


「被害妄想もいい加減にしろ!」


「被害妄想、か。なるほど、お前にはそう見えてるのか」


「なに?」


「萌芽の儀式で、全てが変わった。神童と期待されていたこの俺が、双魔の前では一気に塵扱い。俺の才能が変わった訳でも、なにか失敗をした訳でもない。お前と言う才能が、俺をここまで追い詰めたんだ。全ての原因はお前の方にあるんだよ、アルタリオ」


「次期当主を決めたのは、ダーゲストだろう! それに今は、次期当主としての座を手に入れ、僕の婚約者さえ奪った! それでもまだ足りないっていうのか!?」


「そういう問題じゃないんだよ、アルタリオ。婚約者、魔術師の尊厳、アルハートという名前。それらを奪い、それでやっと俺の心の傷は癒えるんだ。その後は、そうだな。お前の命を奪えれば、完璧と言える。だから頼む。俺の為に、死んでくれ」


 ゆっくりとゼノックの杖が持ち上がった瞬間。

 数えることさえ馬鹿らしい程の流水弾が周囲を取り囲んだ。

 それが塵と呼ばれた天才の魔法。

 並みの魔術師ではたどり着けない境地にいながら、見捨てられた者の怒りの具現。 

 その魔法の一つひとつに、溢れ出んほどの殺意が込められているのは、火を見るより明らかだった。

 つまり、この場所で確実に僕を仕留める気でいる。

   

 前方には一撃でも貰えば致命的な魔法を、それこそ無数に用意した殺意溢れる魔術師。そして後方にはそこが霞んで見えるほど深い渓谷が広がっている。

 もはや逃げる場所など、どこにもなくなっていた。


「この、クズ野郎が」


 一歩、また一歩と後退しても、ゼノックは同じ速度で歩みを進める。

 耳に届くのは遥か下方で濁流が立てる轟音と、眼前から迫りくる男の微かな笑い声。

 獲物を目の前にして、ゼノックは愉悦の笑みを浮かべていた。


「存分に俺を恨めよ。なにも出来ずに死んでいく中で、俺を恨み続けろ。それでこそ、お前を殺す価値がある」


 ゼノックから見れば、僕は逃げ場を失った哀れな得物なのだろう。

 そして自分がそれを狩る、狩人だとでも思っているはずだ。

 しかし、それは大きな間違いだ。


 獲物の命は自分の手に内にあると確信したゼノックは、無防備にも距離を詰めてくる。水流弾の有効範囲をはるかに超えて、僕の表情を確かめるために。

 その瞬間、両手に力を込めて魔法を起動させる。

 今まで水魔法しか教わってこなかった。

 それしか使うなと殴られた事さえあった。


 しかし今、そんなしがらみの一切は消え去った。


「残念だけど、そうはならないな。今この瞬間にも、最高の気分だ!」


「なにを……いや、まさかっ!?」


 ゼノックの悲鳴と共に地面に亀裂が走り、周囲の大地が隆起する。

 逃げ道は無くなったが、それは俺だけではない。

 亀裂は瞬く間に広まり、そして地面が傾き始める。


「僕は百年に一度の天才らしい。その才能を存分に見せてやるよ、ゼノック・ディ・アルハート!」


「お、お前ぇぇぇぇえッ!」


 水の弾丸が飛来するが、大きく地面が傾いた状況では、命中率など皆無に近い。

 渓流へと滑り落ちる地面から離れ、同じく落下していくゼノックの姿を捉える。

 悲鳴にも似たゼノックの声が耳に届くが、その言葉を理解している暇はなかった。


 体を包む水の感覚。続く激しい流れに、意識が混濁する。

 容赦のない濁流がそのまま深い場所へと飲み込み、意識は唐突に途絶えたのだった。

 

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