第3話
最初に感じ取ったのは、体を貫く衝撃。
そして遅れて熱と痛みがやってきた。
口の中に広がるのは、悔しさと血の味。
見上げれば拳を握りしめた父が、怒りを剥き出した形相で僕を見下ろしていた。
「なんど言えばわかるのだ! これでは私の魔法を継承する事など、夢のまた夢だぞ!」
「ご、ごめんなさい父さん。でも……。」
「口答えするなと言っただろ! お前は私の言うことだけを聞いていればいいんだ! そんな簡単な事がなぜできん!」
父が僕に魔法を継承させると宣言して、二つほどの季節が過ぎていた。
さすがは水帝と呼ばれる魔術師であり、父が保有している知識や技術は僕では到底手に負える様な物ではなかった。
それでも相応の努力を以って、父の期待に報いようとしていた。
しかし僕の魔法への適応は遅々として進まなかった。
いや、そもそも基本的な水魔法すら会得に時間を掛けている状況だ。
予想と予定を大幅に遅れた僕の成長を見て、父が痺れを切らしたのはこれが初めてではない。
顔を殴られた回数も、もはや覚えてはいられないほどだった。
「その才能と教育は誰が与えてやったと思っている! その恩を返そうとは思わんのか!?」
「恩返しできるよう、頑張るよ」
「そんな言葉が聞きたいのではない! いいから成果を残せ! それまでは食事や睡眠は許さんぞ!」
怒号と拳が飛び交い、過酷な訓練は続く。
それでも結局、その日は言われた通りの魔法を使うことが出来なかった。
そして気が付けば、冷たい地面で次の日の朝を迎えていた。
◆
そんな日々が続く中、奇跡的に休日を貰うことが出来た。
最初こそ父に見放されたかと思ったが、どうやら実験器具を大幅に入れ替えるらしい。
加えて父も自分の研究が忙しいらしく、たった一日だけ休日を与えられたのだ。
今となっては宝石よりも貴重な一日である。
なにに使うかを考えた結果、メリアと過ごすことを決めた。
随分と彼女には我慢をさせているし、なにより今は彼女の優しさに癒されたい。
そう思ってメリアと約束を交わし、そして休日の朝。
どれだけぶりのデートだろうか。
きっと彼女も喜んでくれるだろう。
元気に駆け寄ってくるメリアを想像しながら、待ち合わせの場所へと向かう。
するとそこには、美しい衣装を身に纏ったメリアの姿があった。
少し見ない間にあか抜けた彼女を見て、自然と鼓動が早くなる。
がらにもなく緊張しながら、自然体を装ってメリアに声を掛ける。
「メリア、久しぶり」
「あら、アルタリオ様。お久しぶりですね」
しかし、微かな違和感がそこにはあった。
いつもならメリアは押し倒さんばかりに飛び込んでくるのだ。
元気がない理由があるのかと考えたが、そこでふとメリアの傍に止まっている馬車が目に入る。
僕が呼んだ馬車は、まだ準備している最中だ。
なのになぜもう、馬車が止まっているのか。
それもアルハート家の紋章が刻まれた馬車が。
呼んだ覚えのない馬車を尻目に、メリアの様子をうかがう。
「なんだか元気がないね。大丈夫?」
「えぇ、もちろん。アルタリオ様はなぜここに?」
「なぜって……今日は一緒に街に行くって約束だったよね?」
そこで、明確な食い違いに気付く。
メリアは僕との約束を忘れていたのか。
いや、ならばなぜこの場所で待っているのか。
それもこんなにも着飾って。
そこで違和感の正体に気が付く。
いつもメリアが使っていた髪留めを、今日は使っていないのだ。
アクセサリーなのだから日によって使わないこともあるだろう。
しかし、プレゼントしたその日から毎日の様につけていたため、違和感を拭えなかった。
気になった疑問を問いかけるより前。
メリアは、小さく首をかしげて言った。
「そうでしたか? でも、ごめんなさい。今日はゼノック様と一緒にお出かけする約束をしてしまったの。だから……。」
ゼノックの名前を出した途端、メリアの表情が綻ぶ。
そしていつの間にか、着飾ったゼノックがメリアの後ろに佇んでいた。
その手を引かれてメリアは、ゼノックの腕の中に納まる。
まるで抵抗しないメリアの姿に、小さな不安が募る。
「そういう訳だ。悪いな、アルタリオ。だがお前は魔法の継承を急いだほうがいい。親父の怒り狂った様子を見るに、婚約者と遊んでいる所を見られたら大事になる。そうなればメリアにも迷惑がかかるんじゃないか?」
客観的に見れば、ゼノックの言うことは正しい。
萌芽の儀式を受けてから、初めて与えられた休日だ。
体を休めるなり、自主的な訓練をするなりした方がいいのだろう。
それにメリアと出かけている所を父に見つかればどうなるかなんて、想像するまでもなかった。
父の怒りが僕だけに向けられるのならまだいい。
万が一、メリアにまで向けられてしまえば、僕は絶対に後悔することになっていたはずだ。
大切な彼女に、危害を加える可能性があるのなら、僕が我慢をすればいい。
「そ、そうだね。それじゃあ、メリア。また今度」
「えぇ、それではごきげんよう」
メリアが僕に返したのは、儀礼的なお辞儀だった。
酷く他人行儀なそれに、思わず言葉を詰まらせる。
以前のメリアを知っているだけに、その距離感を痛感させられる。
だが時間を作れない僕に、その距離を埋める事はできない。
焦燥感と喪失感の最中、ふと振り返れば満面の笑みを浮かべたメリアが、ゼノックと共に馬車に乗り込んでいくところだった。
「早く街に行きましょうよ、ゼノック様! この前話していたお店に行ってみたいわ!」
「あぁ、そうだな。メリアの喜びそうな店も調べておいたんだ。一緒に周ろうか」
懐かしささえ感じる、メリアの歓声と笑顔に胸が締め付けられる。
その声を向けられたのは、いつのことだったか。
その笑みを向けられたのは、いつだったか。
それさえも思い出せなくなっていた。
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