第4話

 その提案――いや、命令を受けたのは、継承準備を始めて三つの季節が過ぎ去った頃だった。


「開花の儀式を?」


「準備を済ませておけ、アルタリオ」


「予定よりずいぶんと早い気がしますが」


「だからどうした?」


「い、いえ……。」


 開花の儀式は萌芽の儀式の発展形であり、魔力適性を詳しく計るための儀式でもある。

 儀式を行うに相応しい星の並びが存在し、適切な時期に行わなければ正確な測定結果も得られない。

 そのため、測定する日時と測定する者の成長度合いを見定めて儀式をすることが一般的だ。

 

 父が言うには数日後、開花の儀式を執り行うに相応しい星の並びが訪れるという。

 だが萌芽の儀式から一年もたっておらず、明確な魔法適正が計れるかは不明だった。

 それでも父が強行した理由は明白で、僕の魔法適正に疑念を抱いているのだ。 


 もはや怒鳴られることも、殴られることも少なくなっている。

 それはつまり、僕に向けていた興味が失われた事と同意義だ。

 端的に儀式の日程だけを伝えた父は、早々に僕への興味をなくし、兄のゼノックへと視線を向けた。


「それと、ゼノック。お前の言っていた通り、先方には話を通しておいた。喜んで提案を呑むそうだ」


「ありがとう、親父。魔術師たるもの、万が一の事を考えて行動しないとな」


 僕への興味が失われた結果、父は兄との関係を戻そうとしているように見えた。

 そしてそれを受け入れた兄は、父に何かしらの頼みごとをしている様子だ。

 内容を知る由もないけれど、兄は僕を見てあの時と同じ微笑みを浮かべた。

 萌芽の儀式を受ける前に僕へ見せた、あの微笑みを。



「それではアルタリオ様。こちらに手を」

 

 そして訪れた、審判の日。

 無情にも日は昇り、そして沈んでいく。

 儀式は滞りなく始まり、全てが明らかになる瞬間が訪れる。

 父にとって僕は必要か、それとも不必要なのか。

 それが明確となる日が。


「分かっているな、アルタリオ」


「は、はい」


 小さく震える手を、結晶へと押し当てる。 

 以前の儀式からこれまで、文字通り血の滲む努力を続けてきた。

 それらが実を結び報われるか、それとも全てが気泡に帰すか。

 測定士はすぐさまに表情を引きつらせた。


「凄まじい魔力数値です! 現在の数値は――」


「そんなことは、どうでもいい。アルタリオの魔法適正はどうなっている」


 言葉を断ち切る、静かな命令。

 押し黙った測定士は、数舜の沈黙の後にゆっくりと語りだした。


「本来より早い儀式の為、多少のズレはあるかと思いますが……それでもアルタリオ様の魔法適正は依然高いままです」


「なんの魔法に適性があるかと聞いているのだ。その首を刎ねられたいか?」


 威圧と殺意の混じった父の声に、思わず身が震える。

 見れば測定士は僕に視線を向けていた。

 その明確な意図は、分からない。

 分からないけど、確実にいい意味ではない事はなんとなくわかってしまった。

 測定士は逡巡の末に、絞り出す様な声で言った。


「適性のある魔法は……土属性魔法と、風属性魔法……です」


 その言葉を聞いた瞬間、頭で理解するよりも先に全てを本能で理解した。

 同席していたメリアは小さなため息をつき、となりで座る兄は変わらない微笑みを浮かべている。

 そしてすぐ後ろに立っていた父はと言えば――


「水属性魔法の適性は」


「残念ながら」


「父さん! 僕は――」


 衝撃が、言葉を断った。

 気が付けば。

 父を見上げていた。


 なにが起こったのか、理解するのに短くない時間を費やした。

 息苦しい。胸が痛い。熱を帯び、徐々に痛みが追い付いてくる。

 数舜、意識を失っていたのだろう。

 それも、父の……ダーゲストの魔法を受けて。

 教育の中で受けた暴力よりも、ずっと痛みを感じたのを覚えている。


 倒れ込んだ床から見上げた父は、萌芽の儀式の時と同じように肩を震わせていた。 

 しかしその理由は全く別の物であったことは、想像に難くない。

 そして父は僕を見て、たった一言。


「私を、父と呼ぶな」


 ◆


 手首から伝わる冷たい金属の感覚。

 両足を動かせば、やかましい金属の音が奏でられる。

 まるで囚人の如き扱いだったが、僕が収容された場所はアルハート家の実験室だった。


 半地下にあるその場所は、元々は高威力の魔法を実験研究する部屋だったが、今となっては監獄と言って差し支えない場所となっていた。

 壁木和で繋がれた僕を見下ろすのは、父と兄のふたり。今朝までは家族だったはずの二人が僕へ向ける視線は、酷く冷たい物だった。

 特に父は僕の事がよほど気に入らないのだろう。

 儀式が終わってからという物、その怒りが収まる様子はなかった。


「アルハートの血を引いておきながら、水魔法に適性がないだと? そんなバカな事があってたまるか。そんなふざけた事が、あってたまるか!」


「父さ――」


「その名で呼ぶなと言っただろ! この欠陥品が!」


 瞬間、激痛が走り言葉は悲鳴にもならない苦痛でかき消される。

 不可視の一撃、インビジブル・ウィップ。

 ダーゲストが生み出した魔法の一つであり、相手に強烈な痛みを与える事を目的とした魔法だ。

 それをなんの躊躇いも無く使った時点で、僕への評価は揺るがない物となっているに違いない。


「まぁまぁ、親父。そこまでしなくていいだろ。それ以上痛めつけたら死んじまう」


「そこになんの問題がある。アルハート家の血筋が双魔という天賦の才を与えてやったにもかかわらず、水魔法の適性を持たない欠陥品だ。こんな事が知られれば、我が家の格は失墜する」


 次々と飛び出すが、父の怒りは収まる事を知らなかった。


「そもそも、あの女に子を産ませたのが失敗だった。先代当主が借りを作ったというが、あんな汚れた血族をアルハート家に引き入れること自体、忌むべき事だったのだ」


「母さんを、悪く言うな!」


「あぁ、病で早死にした事だけは賞賛すべきだな。我がアルハートの名前に利を齎さなかった、クズのような女だ。そんな女の腹から生まれたお前に期待すること自体が、間違いだったのだろう」


「この――」


 再びの激痛。水の凶器によって、強引に言葉が潰される。

 ふと見れば服を濡らしているのは、魔法によって生成された水だけではなかった。

 ジワリと赤い血だまりが広がっていく。

 このまま死ぬのだろうか。そんな事が頭をよぎる。

 こんな奴に弄ばれて。母さえも侮辱されて。 

 まともに言い返すことすら、許されずに。


 ただ思わぬ所から救いの手が差し伸べられた。

 父と共にいた兄、ゼノックだ。


「殺すつもりなら、俺にくれよ。もちろん外には出さない。これが居れば魔法の実験も捗るんじゃないか? 俺ならきっと有効活用できる」


 父がどういった反応を示すかは、わからなかった。

 しかし僕がこうなった以上、次期党首はゼノックに決まっていた。

 彼の言葉ならば、あるいはと思ったが、まさしくその通りとなった。

 激情に駆られていた父はゆっくりと腕を下ろし、魔法を中断する。


「ふん、勝手にしろ。私は魔術師協会の中央議会へ報告に行かねばならん。次の当主が決まったとな」


「頼んだよ、親父」


 一刻も早くこの部屋を出ていきたかったのだろう。

 速足で部屋を後にするダーゲストを見送れば、ゼノックが目の前にしゃがみ込んだ。

 感情を読み取れない微笑みを浮かべているが、ゼノックお陰で殺されずに済んだのは事実だ。

 生き延びたという実感に、体の力が抜ける。


「散々な目に会ったな、アルタリオ。気分はどうだ?」


「最悪だけど、生きてる。止めてくれなかったら、きっとあのまま殺されてたと思う。ありがとう、兄さん」


 ゼノックは記憶の中にある頼れる兄のままだった。

 僕は、彼に恨まれても仕方がない立場だったはずだ。 

 それでもゼノックは最後まで兄として振る舞ってくれた。

 安堵して思わず涙腺が緩むが、ゼノックはあの微笑みのまま、言った。


「いいや、感謝しなくていいさ。これからの事を考えれば、感謝される様なことなんて一つもしてないんだからな」

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