第121話 柊那由他という少女
時刻は九時ごろ。少し曇りがかった空の下、レイジと那由他はアイギスの事務所に向かうため、街の広場内にある木々が立ち並んだのどかな路上を歩いていた。
カノンを自由にするため巫女の
あれからカノンとはゆっくり話もできていない。昨日の戦いのあとは制御権が破壊されたことや、革新派の動向なのでそれどころではなくなり、那由他と結月以外はログアウトしてその場を離れることになったからだ。とはいっても今からやる事務所での話し合いにはカノンも通話で参加するらしいので、再び話す機会はいくらでもあるだろう。
「いやー、それにしてもレイジとカノンが知り合いだったなんて、ビックリ
レイジの隣を歩いていた那由他が、なにやらジト目で主張してくる。
「――あはは……、このままいくと再会を果たし、二人はめでたく結ばれるとかいう展開になっちゃうんですかねー。――はぁ……、那由他ちゃんの恋路がますますけわしくなってきました……。あの最強クラスのヒロインオーラを持つカノンに、どう立ち向かえば……。ねー、レイジ、なにかいい案はありませんかー?」
那由他は
どうやらカノンとレイジの隠された関係を知り、なにやらよくわからない危機感を
「いや、知らんがな」
「そんなこと言わず教えてくださいよー。那由他ちゃんは強敵のライバル打倒のため、なんだってする覚悟があるんですから! ほらほらー、レイジが女の子にしてほしいことを言えば、那由他ちゃんが実現してあげますよー! ささ! 思春期の男子が持つ欲望をぶちまけちゃってください!」
レイジの腕に抱き着き、揺さぶりながら必死にうったえてくる那由他。そして上目づかいで、誘惑的言葉を。さっそく色仕掛けを入れて、猛アピールしてきた。
その意味ありげな言葉と、腕に押し付けられるマシュマロのような柔らかい感触。これにより
「そうだな。那由他の言う通り、ほんと驚いたよ。カノンがまさかあのお方だったなんてな」
「あのー、レイジ、前半のよりも、後半部分のコメントをいただけないでしょうかー? カワイイ、カワイイ美少女である那由他ちゃんを、レイジの欲望で汚す絶好のチャンスなんですよー!」
那由他は両ほおに指を当て、首をかしげてくる。
「というかオレもカノンも、よくここまで互いのことを気付かなかったな。同じ陣営にいるんだから、気付く機会があってもおかしくないだろ?」
「――あはは……、意地でもスルーする気ですねー。――まあ、その件に関しては前にも言った通り、わたしの
なんとかスルーに徹していると、那由他があきらめてくれたらしい。ほおにぽんぽん指を当てながら、少しばつのわるそうに白状してくる。
「なんだそれ。初耳だぞ」
「複雑な事情が多々あるんですよー。あなたのお父様関係で、レイジをアポルオンに近づけるのはできるだけ避けるという、暗黙の了解が……」
どうやらこの件はレイジの父親が関わっていたらしい。このことでわかるのは暗黙の了解になるほど、レイジの父親がアポルオンと深い関係を持っていたことに。いったい彼は何者だったのだろうか。
「父さんが? ああ、そうか。カノンに会えたのも父さんのおかげだったから、あの人がアポルオンと関係を持っていてもおかしくないのか」
アポルオンのことを知った今思い返してみると、納得がいってしまう。
カノンというアポルオンの巫女に会えたのも、すべてはレイジの父親のおかげ。秘密裏に
「というわけでしてレーシスに協力をあおぎ、レイジのことは内密にしようと奮闘してた次第でして。――あはは……、この件はあとでカノンに、みっちり説教されてきます……」
那由他は気が重そうに、肩をすくめる。
「そういうことだったのか。だけど暗黙の了解を破ってまで、どうしてオレをアイギスに?」
「わたしとしては、一年前のレイジにあのままついて行ってもよかったんです! ですが行く当てがないみたいだったので、まずは答えを見つけられる環境を整えてあげるべきだと思いまして! ほら、アイギスならカノンや
確かにエデン協会アイギスはレイジにとって理想的な環境といってよかった。軍関係のレーシスやほのか、さらにはゆきや楓みたいなすごい人たちとの人脈が次々と。これによりレイジは様々な経験を積めたといっていい。守るための剣をあそこまで求められたのも、すべてはこの彼女の気遣いのおかげ。それに今後答えを求めて動こうとした時、みんなの力も借りられるので願ったり叶ったりであった。もし彼女の誘いを受けず一人さまよっていたら、ここまで整った環境にたどり着くことは確実に不可能だっただろう。
「あとこうすればレイジを見守りつつ、ついでにカノンの力になることを
腕を組みながら何度もうなずき、得意げに笑う那由他。
「オレの方じゃなく、カノンがついでなのか?」
「もちろんカノンの力になってあげたい気持ちは本当ですよ! 彼女の理想を求めるあり方はとても輝いていて、とても
那由他はカノンへの想いを、目を輝かせながらかたる。
結月と同じカノンを信じ力になってあげたいと、心から願っている想いが強く伝わってきたといっていい。
「ですがわたしには、彼女以上に力になってあげたい人がいるんです! これまで築いてきたものすべてを投げ捨て、裏切ることになろうともかまわない! 世界のすべてを敵に回したとしても、成し遂げたいこの想い! そう、すべては久遠レイジに幸福を! あなたのためなら那由他ちゃんは、なんだってしてみせるんですから! たとえどんな
そんなカノンを想う那由他だったが、レイジの方に手を差し出し、
その宣言にもはや
「……その犠牲が那由他自身でもか?」
「あはは、そんなの当然に決まってるじゃないですか! それでレイジが幸せになれるという結果を残せるなら、これ以上幸福なことはありません! たかが、わたしの命一つでこの想いが
那由他は
そのあまりのいき過ぎた想いに、ぞっとしてしまう。彼女は自分に酔ったり、冗談や比喩を言っているのでは決してない。それがさぞ当たり前だと、信じて疑ってないのだ。久遠レイジの幸せのためなら、自身の命など安いもの。なんの
こうなるのもすべては彼女の
こうなっているのも自身の幸せなど、他者の幸せに比べればほんの
これは予想だが。おそらく柊森羅も那由他と同じ問題を抱えている気がする。すべては柊の血筋に生まれたさだめとして。ゆえに久遠レイジは彼女たちを必要以上に意識してしまうのかもしれない。アリス・レイゼンベルトという少女が狂気に
「これが幸運の女神である那由他ちゃんが、久遠レイジに
那由他は両腕をバッと広げ、陽だまりのような笑顔を向けて声高らかに告げる。恋こがれ歌うかのごとく。
「――那由他、前にも言ったが、あんたのその考えは間違ってるぞ。いや、もう、間違いなんてとっくに通り越して、狂ってるほどにな……」
再び彼女の抱える問題の異常さを目のあたりにして、レイジは悲痛さにさいなまれながらも伝えた。
「ぶー、ぶー、なんですかー? 人の愛にケチつけないでくださいよー。あ! もしかしてレイジ、テレ隠しですか? あはは、もう、カワイイんですからー!」
忠告を聞き入れず、那由他はレイジのほおをつんつん突つきながら茶化してくる。
「――やっぱり聞く耳を持ってくれないか……。――はぁ……」
この彼女の反応は話を
(――どうしてこんなにも嫌な予感がするんだろうな……。このまま那由他がオレのそばにいれば、もう二度と会えなくなる気がするなんて……)
嫌な予感がレイジに不安を
このままの那由他を放っておけば、彼女は近い未来レイジのそばからいなくなる気がして止まないのだ。
(しかもこの予感は彼女の恋を受け入れた瞬間、確信に変わってしまうような……)
そう、久遠レイジと今の柊那由他が結ばれると、彼女の破滅は確実に起こる。
恋が
(――柊は恋に狂う
空を見上げながら、森羅がふとつぶやいていた言葉を思い出す。
アリス・レイゼンベルトとはまた別のベクトルによる狂気。力になってあげたい者のためにどこまでも。そんな柊の血筋が恋をすれば、もはや恋は
「――なあ、那由他。オレはあきらめないからな。一年前も言ったが、いつか必ずその考えを改めさせてやる。だから覚悟しておけ」
「あはは、那由他ちゃんは本当に幸せ者ですねー。レイジにここまで想ってもらえるなんて! やはり那由他ちゃんルートは、そうそう揺らぎはしません!」
レイジの心からの宣言に、ふふんと得意げに胸を張る那由他。
「おい、すごくまじめな話なんだが」
「あはは、もー、わかってますってばー! まあ、実際あまりわかっていませんが、レイジはわたしのためになにかをしてくれようとしてるんでしょう? それなら那由他ちゃんはいつまでも心待ちにしておきますよ! レイジがどんな景色を見せてくれるのかを楽しみにしてね!」
那由他はレイジ顔をのぞき込みながら、さぞうれしそうにほほえウィンクしてくる。
「それならいいが」
「――おっと、立ち話をしてたら、もうこんな時間ですかー。そろそろアイギスの事務所に急がないといけませんねー! ほら、行きますよ! レイジ!」
そして那由他は時間が押していることに気付き、アイギスの事務所の方へ一足先に走って行ってしまった。
「――はぁ……、と、かっこよく宣言したものの、実際は
レイジは思わず本音を口にしながら、彼女を追いかけようと一歩踏み出す。
すると突然ターミナルデバイスの着信が鳴った。取り出して確認すると、知らない番号からである。
少し嫌な予感がしながらも、その通話にでることにした。
「はい、こちら
「カノンだよ。突然の連絡でごめんね。実は急きょ伝えたいことがあるの」
「カノンか、どうしたんだ?」
思いもよらなかった相手に、少し動揺しつつたずねる。
本当はいろいろ込み入った話しをしたいが、急用ならしかたない。まずは用件を聞くことにした。
「じゃあ、さっそく用件を言うね。ゴホン」
カノンは
そして
「久遠レイジさん、本日づけであなたをアイギスから
レイジが問う前に、通話が切れてしまう。まるでこの会話を最後に、彼女とのつながりが途切れてしまったかのように。
「え?」
カノンの別れの言葉に、レイジはただ
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